【感想・ネタバレ】再読だけが創造的な読書術であるのレビュー

あらすじ

読書猿氏推薦! 忙しさや生産性、新しさという強い刺激に駆り立てられる現代において、自分の生きる時間を取り戻すための方法論として素朴な多読ではなく、本書では「再読」を提唱する。読書するうえで直面する「わからなさという困難」を洗練させ、既知と未知のネットワークを創造的に発展させる知的技術としての「再読」へと導く。「自分ならではの時間」を生きる読書論。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

学び直しが学び足しと学びほぐしの役割を持つように、読書も読み足しと読みほぐしがあることに気づかされた。
至らなさを感じた時につい継ぎ足すことだけで取り組みがちだが、これまでを振り返るということからも得られる気づきは確かに少なくない。
そして、その本の持つネットワーク性。文脈や味わいという印象を持った。面白いものをなぜ面白いと思うのか、つまらないものをなぜつまらないと思うのか、それはつまり自分と向き合うこと。
今の自分の芯を喰った一冊となった。

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2023年03月26日

Posted by ブクログ

ネタバレ

一言要約:読書とは全てが「再読」で、自分の分解と再構成の終わりなき営みである

読書とは想像⇄創造を回す動力で、再読はこれをスパイラルさせることだろう。
読書という行い自体が静的にも動的にも働くが、これ自体が他者の成果物に触れるという受動的な面がある一方で、動画などと違って自らが文字を目で追いページをめくらないと進まない能動的な行いである為だと振り返る。さらに古典で言えば、古より普遍な「静的な知」に触れる価値と、古典に集い形成される4次元の事物によるネットワークに触れる「動的な知」の価値があると理解する。後者は、どの古典(点)に、どんな知を携えた人(線)が、どこ(面)で、いつ(時間)、触れてそれがどう変化していくかという無限の組み合わせや可能性を認識する。古典に触れるとは、まさしく無限の可能性に接続していることなのだろう

さすれば、古典とは常に答えではなく問いを与えてくるものであり、かつ広義の「再読」(本側に立てば様々な人に読まれる)の度に情報のシナプスとそれらを繋げるネットワークの形成や組み替えがなされる、これはシュンペーターのいう「新結合」つまりイノベーションであり、まさに「創造的な活動」だろう。著者が何故この活動を「孤独」と表現するかは、一見すると結合を作る活動は「集団形成」など孤独とは対極にある概念に見えるも、読書を進めるごとにネットワークの独自性、独創性が増し、著者のいう「テラフォーミング」が進む、つまりある種の孤独へのひた走りとも確かに言えそうである。それは、本から与えられるものが常に「答えではなく問い」であり、単一の答えを共有する間柄にはこの孤独はないが、問いの共有においては、自分での思考が必要な面で、やはりある種の孤独が生じるのだろうと考察する。

おわりにを読むにあたって今一度頭から「再読」したが、二重の意味の「再読」があることで、「本」はネットワーク形成の「点と辺」を提供してくれると考察する。
本は言葉(知識)の集合体(ネットワーク)だが、人もまた同じである。つまり、読書をすることは知識の集合体である自分と本を一度分解しあって再構築する営みで、それは創造的とも、新生とも言えると理解した。かつ、松岡正剛の編集工学視点でも、この再構築にはエラー(情報の読み違い)は不可避で、これもまた新創造のトリガーになるのだろう(あらゆる発明はミス、エラーがトリガーにもなっている:ノーベル賞を探れば枚挙にいとまなし)
前著「積読が最強の読書」でも、完全な読書は読書をする時点で存在しない言及からも、ここの「開き直り」は重要で、だからこそ「再読だけが創造的」との主張に昇華されたのだろう。序盤は話が発散、中盤もバラバラさはあったが、読者それぞれに本質理解のインターフェースを用意しているとの見方をすれば、能動的読書および再読の実践書であったと振り返る。読者の能動的読書力が試される「試練の書」かもしれない。

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2025年05月10日

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