あらすじ
ヤノマミはアマゾン最深部で独自の文化と風習を1万年以上守り続ける民族。シャーマンの祈祷、放埒な性、狩りへの帯同、衝撃的な出産シーン。150日に及んだ同居生活は、正に打ちのめされる体験の連続。「人間」とは何か、「文明」とは何か。我々の価値観を揺るがす剥き出しの生と死を綴ったルポルタージュ。 第42回大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。
...続きを読む感情タグBEST3
このページにはネタバレを含むレビューが表示されています
Posted by ブクログ
小さな畑を女が耕し、ほぼ狩猟採集に近い生活をする部族ヤノマミに密着取材したNHK記者の体験記。弓矢で狩りをし、死んだ親戚は
持ち物ごとすべて焼いて家族の囲炉裏に埋める。人は死ぬと精霊となって天に行き、精霊の寿命が終わると地に戻って虫となって消える。女だけで森で出産をする。生まれたばかりの子供はまだ精霊で生んだ女が家に連れて帰ると決めて初めて人になる。精霊のままにするのであれば母が子を殺して白蟻の塚に埋め、後に火を点けて天に返す。
150日に及ぶ滞在から疲れ切って戻ってもしばらく体調が戻らない。カメラマンは子供を殺す夢を見るようになったし、著者はしばらく夜尿症になったという。
――
最初は「文明」の側の時間に同期することができなくなったからだと思った。あるいは、ショッキングな物を見過ぎたため、退行することで精神の崩壊を防ごうとしているのかとも思った。
だが、たぶん、どれも違うのだ。
ヤノマミの世界には、「生も死」も「聖も俗」も「暴も愛」も何もかもが同居していた。剥き出しのまま、ともに同居していた。
だが、僕たちの社会はその姿を巧妙に隠す。虚構がまかり通り、剥き出しのものがない。僕はそんな「常識」に慣れきった人間だ。自分は「何者」でもないのに万能のように錯覚してしまうことや、さも「善人」のように振舞うことや、人間の本質が「善」であるかのように思い込むことに慣れきった人間だ。
・・
僕を律していた何かと150日間で見たものは余りにかけ離れていたから、バランスが取れなくなってしまったようだった。このままでは、ダムや堤防が一気に決壊するみたいに、すべてが壊れてしまいそうだった。
だから、ワトリキ(ヤノマミの村)の日々や人びとの顔を必死で思い出そうとした。
すぐに、闇や雨や風が甦り、匂いさえ沸き立ってきた。167人の顔も容易に思い出すことができた。脳裏に浮かんだ顔はみんな笑っていた。
合宿や出家などで洗脳するときはこんな感じになるんだろうな。著者も彼らは自分たちと違うと考えれば心身を壊さずに済んだと思うけれど、心身が壊れたことは不安であったけれど不快ではなかったと語る。その視線が美しい。