あらすじ
非モテの苦しみ、マウント合戦、マチズモ、男同士のケアの不在……。どうして男はそうなんだろう? 6人のゲストと語り合って見えてきた、男の今とこれから。
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Posted by ブクログ
一部の男性学には懐疑的な立場なので、最初の方はモヤモヤしながら読んでいたのだけど4章からの切れ味抜群のコメントの数々に感動してしまった。男女の関係だけで起こる問題ではなく、年下の人と関わることが多い自分にはきちんと胸に刻んでおかなくてはと思う考え方が多かった。高校生の息子にも読んでもらいたい本。
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自分の考え
喧嘩するほど仲が良い、という言葉に違和感があった。自分はどちらかといえば親しい人でも戯れ合いに近い喧嘩はしてこなかったから。この格言の「ほど」という言葉に引っ掛かりがあるのだと気がついた。つまり喧嘩する者としない者の比較であり、喧嘩する者の方が上であるという言外の感覚に違和感を感じていたのだとわかった。自分の周りでこの言葉を言う人は大抵やんちゃなカップルが多かった印象で、その人たちの見下した感じがこの言葉には含まれている。
そういうコミュニケーションを取るかどうかは社会的な関係によって左右される、つまり、常に競争を求められる社会ではイジリやからかいによって笑いと同時にポジショニングが行われる。そういう文脈でこの言葉は使われるのだとわかった。自分は競争しない関係、そういうものを必要としなくても別のコミュニケーションが取れる人なのだとこの本を読んで肯定された気がした。
多様性が今後より認められると、どの分野でもマイノリティであった人は抑圧から解放されるが組織は維持できなくなるだろう。
もうそうなり始めている。だから個人的な仕事にシフトしていく必要がある。
男って〇〇だよね。といった類の言葉が癇に障るのは男を一括りにして個人として見ていないからだとわかった。
人間はそれが問題であるとしても、それを利用することで優位になれるものであれば、積極的に否定はしない。だから男性がフェミニズムについて語ることは立場が弱い。なぜなら何を言っても保身になってしまうから。ただ女性がフェミニズムを語りすぎるのも自己主張ばかりしているように見えるから、男女の分断は進む。
第1章
仮性包茎は加害者にも被害者にもなり得る。
身体のケアをする男はナルシストみたいな呪いが根強くある。
感覚をにぶらせることと男性間の競争関係はセット。
第2章
インセル
自分の容貌などのせいで恋愛相手が見つからず苦悩する男性のこと。
閉鎖的な空間ではひとつの規範だけが力を持ちやすい。重要なのはこの規範に従わなくても生きられるらしいと気づくこと。
権力を握っている人へのいじりは大事。それが風刺となって権力を持っているこの人が権威主義に至るのをせき止める効果がある。
からかう側とからかわれる側の関係が固定化してしまうのは問題。非対称性が生まれることでやられる側に未達の感覚が植え付けられてしまう。
ミソジニー
女嫌い
周囲の人を馬鹿にして「あいつらはバカだから自分と関わる価値がない」と自ら孤立を深めていく。これを自己孤立化と呼び、その背景には期待の未達成がある。本当はそうなりたい、そうなるはずだと思ってるのに実現できないために過剰な行動をとってしまう。
第3章
暴力を振るう人間の多くが被害者意識を持っている。自分はこんなにしているのに相手はしてくれないから暴力で教育したなど。
暴力を受けて育った子供が暴力をしないようになるには、暴力的ではない男性に出会っていた。
→多分暴力を辞められず自分が受けてきた暴力を自分の子供にもしてしまう人も、非暴力的な男性と出会っているはずで、そこから学び取れるか否かの差はなんなのか。関係の深さか、インテリジェンスか。
加害者が行方不明。頭が真っ白になって、気がついたらなどの言い訳はいずれの場合も暴力の原因を自分ではコントロールできない感情に帰属させる形となっている。これは責任を外部化している。
第4章
フィクションとして女性の目。
実在しない女性を相手に女性がどう思うかを思考の中心に置いてしまう。しかし、その女性とは誰なのか?大体は男性自身が自分の経験から作り出した偶像である。
女の子と接する時にどうしたらよい?という質問自体が女性を個人として扱っていない、劣位でみているということ。
自分は相手のことを完全にはわかっていないと意識し続けること。相手にとって一番良いことは何か、私が最もよくわかっているという自覚は相手への支配にほかならない。
第5章
ミソジニーの男には、女好きが多い。
第6章
主語を大きくすれば批判された時に自分が傷つかない。
どうしてタメ口なんですか?と聞く。
正論ではなく、それダサいよという感情論が時に有効な時がある。
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男性の特権について対談形式で分析した良書。清田さんがよくいる男性の思いを披露し、澁谷さんやゲストの男性がツッコミを入れるのが面白い。読書案内に書かれている本も読んでみたい。
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SNSで話題になっていて、編集者の澁谷知美さんの「日本の包茎-男たちの200年史(筑摩書房)」や清田隆之さんの「自慢話でも武勇伝でもない『一般男性』の話しから見えた生きづらさと男らしさのこと(扶桑社)」を読んでいたこともあり、共感することも多いだろうと思い、発売前に注文して読み込んだ。
編者の澁谷知美さんは、「はじめに」のなかで「ぜひ、会議に参加する気持ちで読んで下さい。賛成するところも反発するところもあるかもしれません。が、誰かが苦しんでいる社会よりも、誰もが自由で平等な社会がいいですよね。」と提起され、本書を読みつつも、自分も会議に参加している気持ちになって、考え、学び、そしてなにより自分のこれまでの思考、言動や行動を反省する機会にもなった。
「非モて」の苦しみ、マウンティング合戦、男のカラダ、男性優位社会など、編者2人が6人のゲストと語り合って見えてきた、男たちの「現在」と「これから」を多面的に語り合い、参考文献を紹介しつつ検証していきます。「男バキバキ脳からの脱却」の章で、「男性の中には『女性を征服した』感をセックスに求める人もいるわけですよね。」の指摘では、アダルト漫画やAVなど女性を支配する構図は、旧来から通底する男性優位社会の一端を言い当てた表現にドキッとした。「男性性と暴力」の章の「息子にスポーツを強要する父親たち」では、私自身が子どものスポーツに長年携わってきた経験からも、「親のエゴの押しつけ」や「勝利至上主義」など、私も含めたパートナーと子供たちの過去のスポーツへのかかわりを振り返る機会となった。マチズモ(男性優位社会)を見つめ直し、あらためてジェンダー平等を考える1冊として、是非多くの人に手に取って、お読み頂きたい。
なお、私が購読している雑誌に「明日の自由を守る若手弁護士の会共同代表の黒澤いつきさん」が以下の様な記述をされている。「トップ幹部が維持すべき人権感覚」と題して、(トップ幹部を含む管理者は)絶えず自分の権力性を意識しセルフチェックを怠らない」「『人権が尊重され一切のハラスメントがない職場』づくりは、(管理者を含む)トップ幹部にそうした深慮と高い人権感覚があってこそ可能です」とまとめている点は、本書を別の視点から共有する大切な指摘ではないか。
Posted by ブクログ
大変に刺激を受けた。それは反省を促す刺激だ。
対談者それぞれの著書を読みたい。
男にまずは出来ることは本書のような本を読むことだ。葛藤と反省が生まれるからだ。
特に良かったのは、武田砂鉄さん、平山亮さん。
Posted by ブクログ
澁谷知美、清田隆之ご両名と西井開、中村正、平山亮、前川直哉、武田砂鉄それぞれとの対話形式。こういう系統の本を読むの好きだし、ほぼほぼうなずきながら読めるんだけど、一方ではここまで男ってミソクソに言われないといけないのとも思う。
だいたいこういう本を真に受けて品行方正におさまる人はますます品行方正を深めてしまう反面、非難に値するしょうもない男たちはまったくこんな本省みずのうのうと生きることだろう。そういうのってちょっと悔しいな。書いてあることは正論なんだけど、そういうことが通じないんだよね。世代が違って「いまどきの若者は何を考えてるのかわからない」って言うのと同じような感じか。
登場する人々がみんな男性というのはなかなかいい。やはり男性のことは男性自身が考えを巡らしたほうがいい、たとえ一部の男性に過ぎないとしても。そして、大人男性としての自分たちのことだけでなく、同性の子どもたちのことも考えたり向き合ったりしたほうがいい。
Posted by ブクログ
平山さんの章が圧巻。
「男性性」と名前がつけられることで、あたかも男性は変わらないかのように語られることの問題。男性性と言うことである種仕方ないのかもと思っていた社会の構造を根底からひっくり返された。
男性優位な社会の問題は、男性が好きに振る舞うことのできる権力を持っていることが問題であり、その権力を使わないように振る舞いましょうと言う話。
権力がある側が常識を決め、物事を決めるわけだけど、一方的に決めるのではなく、積極的に周囲と対話していかなければならないと感じる。
Posted by ブクログ
この本を読もうと思いそうな男の人が周りに見当たらない。笑
自分は女だから、そうなのか〜とよく分からない部分もあったけど、兎に角突き詰めまくっていてよかった。何よりこの本を読んで良かったのは、ケアとかサポートが資本主義の中だと軽んじられてしまう(=生産的でないとされる)ことへの反論の箇所を読めたこと。同じ考え方で、私よりクリアにそのことを書き表してくれている人の表現を見てスッキリ。激しく同意です。
Posted by ブクログ
自分は男性だが、男性とのコミュニケーションのときにホモソーシャル的なやり取りにうんざりすることが多いと感じていた。だが、同時に自分のなかに時折マチズモめいたものが頭をもたげる瞬間も感じるときもある。
以前読んだグレイソン・ペリーの『男らしさの終焉』を読んだときは自分ごとに感じつつも著者がイギリス人で、これは自分も同意するなと思う部分もあれば、これは日本では感じないかも、という部分があって、日本人男性向けの”(有害な)男らしさ” についての本があったらなー、なんて思っていた。
本著はまさにその日本人の男性向けに男性視点から書かれた著作(聞き手は女性である)で、自分もよく見たり聞いたり、体験する話が多かった。
ここに記されている話題自体は比較的よく目にする耳にする話ではあるのだが、それでも意識的にならないと変わらない。自分も反省する部分や、改善していきたい、アップデートしたいと感じる部分が出てきた。
Posted by ブクログ
・自分の感情や体験を言語化することに慣れていない男性が多い
・そもそも男性同士の友人間コミュニケーションでも自分に関することの話は少ない。いじる/いじられる、片方が優位に立つコミュニケーションが多い
・加害は日常と地続き。暴力というほどではないが抑圧され支配されていた日常の経験から地続きにある。自分が抑圧される側だったときは嫌だと感じているはずなのに再生産してしまう
・ケアは(資本主義からみて)生産的ではない、というのは間違い。人間という資本のケアであり究極的に生産的と言い切ってくれるのは気持ちよかった。その通りと感じた。
・非モテ=未達感。本来は女と付き合って一人前、仕事して一人前、という理想に囚われているがそれに到達していない自分の足りてない感
・マジョリティは何かの原因を自分以外に押し付けることかできる特権
★時間がなく急いで読んでしまったが良い本だった。女性の私が感じる疑問は澁谷さんが代弁してくれるのがわかりやすく、理解が進みやすかった。
自分の男友達を思い浮かべてもそのとおりだなーと思い当たることが多い。
構造としての男中心社会は間違いなくありそれは崩していくべきと思ったが、構造の課題が見えているからと言って男はこう!原因はこれ!と決めつけることなく個人を見ていくことが大切と感じた
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この本を読む前にたまたま、セジウィックの「男同志の絆イギリス文学と~」という本を上野千鶴子さんがTVで取り上げているのをたまたま見ていた。その番組で作られた社会のシステムのようなものを取り上げていて、なるほど、と思って見ていたのだが、全部読まなくてもセジウィックが書いた男社会の仕組みのようなものを、知っておくのは良いことだと思った。
その上で、この本を読むと、問題の根深さは相当に深刻である。というのも、これでは、人と人との結びつきのきっかけのなかにそもそも問題があって、それを意識できるかできないかが影響するからだ。社会そのものの作りは、空気のように透明で、そうと思わなければ意識できない。意識したとたんにそれは内向しもはやそれは傷である。そして、わかるかわからないかは、その人の感性により、言語化できなければ、傷つきながらまわりを傷つけることにもなるのである。この世に生まれ落ちたとたん何の前知識もなく人間関係にさらされ、刷り込まれる人間関係である。読む前に、実はもっとやわらかい読み物と勝手に思っていたのだが、内容の詰まった本でおそらくフェミニズムで語られることの問題の裏からの問題の見方に重なるところも多い。
Posted by ブクログ
男性がおかれている社会構造の中での優位性、生きづらさがディープな議論で紐解かれていき、日頃あちこちで目にする何気ない女性蔑視へのモヤモヤが少し晴れる。女性に偏りがちだった「ケア」を男性同士の間にも広めていくこと、おかしいと思うことをおかしいと男女ともに発信できるようになること。この2つの方向性が、ジェンダーギャップを埋めていくヒントになりそうと思った。
Posted by ブクログ
男性性や男性社会について全6種の対談から文字通り会議して考える一冊。中高男子校、大学は理工学部でサークルも男社会、職業はITエンジニアとホモソーシャルどっぷりで生きてきた自分には納得できる部分も「ん?それは違うのでは?」と思う部分も。男性の加害者性と被害者性を考えるきっかけには間違いなくなる。唯一無二の正解がある問いではないと思うので、じっくり考えながら再び読みたい。
Posted by ブクログ
面白い研究。
「自分は相手のことを完全には分かっていない」と意識し続けることで、弱い存在を意のままに扱わない、相手を支配できるけど支配しない。相手とのパワーの非対称性を支配.従属の関係に転嫁させないようなあり方、ケアリング・マスキュリニティの獲得。
「相手にとって1番良い事は何か、私が最もよく分かっている」と言う自覚は相手への支配に他ならない。なぜなら「相手の全てをわかっている」と言うのは、相手の人格を掌握すると言うことであり、相手の何もかもを手中に収めることだから。自分が考える「相手にとっての最善」を疑わず、相手の生活を好きにコントロールしてしまう。そういうことを強い側は弱い側にしばしばやってしまう。
自分が優位に立ってしまう事は構造上自分の意思ではどうにもできない問題かもしれないが、その構造を利用するかしないかは自分の意思で選択できる。上司から、部下への抑圧的な言動は、立場上、部下が口答えすることが難しいからこそハラスメントになる。「立場上相手は口答えしにくいだろうから、こちらも言いすぎないようにしよう。」とシフトする。
実のところ全然変わっていないせいの不動平等への意義申し立てを批判をイクメンなどの「ハイブリットな男性性」は躱してしまう。「新しい現象」にばかり目を向けることで、実は変わっていない不平等が等閑視される可能性がないかは常に意識したい。
「差別論」佐藤裕
「差別は大抵悪意のない人がする」キム・ジヘ
近代という時代はどんな人であれ、等しく人権を持っているという約束のもとに成り立っている。こうした考えがあるから、先人は差別や格差を無くそうと努力してきた。
人権を大切にしないことを容認するということは自分も大切にされない立場になる可能性も出て来るからみたいなことが書いてあったと思うんだけど、どこだったかな?
Posted by ブクログ
・同じ著者の本をよく読んでいるせいか、また聞いた、みたいな事例や話が良く出てきてしまっている。
・ただ、それでも良いとも思っている。自分は物覚えが良くないと思っているので、体に覚え込ませるつもりで読もうと思っている。
・身に覚えのある話や考えが多くあり、うわ〜…と声が出てしまう事もしばしばだ。
・同時に新しい世界の成り立ちのとば口に居る様でちょっとワクワクしている感じもある。(楽観的?不謹慎?)