あらすじ
そうだったのか!ムダの先にある豊穣の世界
コロナ禍では「不要不急」がひとつのキーワードとなった。また「コスパ」「タイパ」、そんな考え方が日常を侵食している。しかし、要不要とはいったい何だろう。身のまわりのすべてのことを、「役に立つかどうか」「効率がいいかどうか」「払った対価に見合っているかどうか」、そんなモノサシで測ってよいものだろうか。
その価値観で捨てた「ムダ」なもの、それは本当に「ムダ」なのか?誰にとって?何にとって?そもそも「ムダ」で何が悪いのか?「ハチドリのひとしずく」を日本に紹介した著者が「ムダ」を切り口に、暮らし、労働、経済、テクノロジー、人間関係などについて思索する。
感情タグBEST3
このページにはネタバレを含むレビューが表示されています
Posted by ブクログ
ムダとは本当に必要のないものなのか、そもそもムダとは何か?
暮らし、労働、経済、テクノロジー、人間関係など対して文化人類学者である著者が新たな視点を与えてくれます。
本文より~
・ぼくたちはよく、「ムダだ」と断定する。モノやコト、存在や行為を、「それはムダだ」と。しかし、そのときふと、そう断定してしまっていいのだろうか、という疑いが残る。
・子どもたちはなぜ我を忘れて遊びに夢中になるのか。子どもにたずねれば、ほとんどの子は「楽しいから」と答えるだろう。では、なぜ、遊びは楽しいのか?(中略)①心身の爽快感、②成長の喜び、③自由
・キツネの哲学者は、旅立っていく王子さまに大切な言葉を贈る。「あんたが、あんたのバラの花をとてもたいせつに思っているのはね、そのバラの花のために、時間をむだにしたからだよ」そして、人間が忘れているこの大切なことを、忘れないように、と王子さまに言う。
・愛とは、それが何の役に立ち、何の得になるかにはかかわらず、惜しげなく相手のために時間を使うこと。
~ここまで。
「ムダ」という言葉の意味に含まれる
不合理、非効率、非生産、などから、
つい「そんな事やって何になるの」と思いがちです。
一見、他人にはムダに見える時間の使い方でもその背景や意思を感じることで一呼吸置いた対処ができそうです。