あらすじ
ADHDやASDを病いと呼ぶのなら、「普通」も同じように病いだーー
「色、金、名誉」にこだわり、周囲の承認に疲れてしまった人たち。
「いいね」によって、一つの「私」に束ねられる現代、極端な「普通」がもたらす「しんどさ」から抜け出すためのヒント
●「自分がどうしたいか」よりも「他人がどう見ているか気になって仕方がない」
●「いじわるコミュニケーション」という承認欲求
●流行へのとらわれ
●対人希求性が過多になる「しんどさ」
●本音と建て前のやり取り
●社会のスタンダードから外れていないか不安
●ドーパミン移行過剰症としての健常発達
●親の「いいね」という魔法
「病」が、ある特性について、自分ないしは身近な他人が苦しむことを前提とした場合、ADHDやASDが病い的になることがあるのは間違いないでしょう。一方で、定型発達の特性を持つ人も負けず劣らず病い的になることがあるのではないか、この本で取り扱いたいのは、こういう疑問です。たとえば定型発達の特性が過剰な人が、「相手が自分をどうみているのかが気になって仕方がない」「自分は普通ではなくなったのではないか」という不安から矢も楯もたまらなくなってしまう場合、そうした定型発達の人の特性も病といってもいいのではないか、ということです。――「はじめに」より
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Posted by ブクログ
ほとんど無知の状態でこの本を手に取ったので、意外とも思える方向に話が進んで不思議だった。哲学、文学、絵画、アート、芸能などからも根拠を引っ張ってくるような感じなので、真に理解するには読者にも幅広い知識が必要なのではないかと思う。
対人希求性や精神鑑定の話、ドーパミンの移行、ベーシック・トラストなどの話は興味深く読めた。
第三章まではそうやってついていくことができたけれど、途中からテーマが変わったように感じられ、話は飛躍していき、読みにくくなっていった。結論があやふやに思える。
人間のことを知っていこうとすればするほど、人間のことが分からなくなっていく。そんな感覚にもなった。でもここに生きている私はたしかに存在していて、自分や他者のことを知ろうとしていることの面白みを感じる。それこそすごく人間らしい営みのような気もする。