あらすじ
耳縮小手術専用メス、シロイワバイソンの毛皮、切り取られた乳首……「私が求めたのは、その肉体が間違いなく存在しておったという証拠を、最も生々しく、最も忠実に記憶する品なのだ」――老婆に雇われ村を訪れた若い博物館技師が死者たちの形見を盗み集める。形見たちが語る物語とは? 村で頻発する殺人事件の犯人は? 記憶の奥深くに語りかける忘れられない物語。
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Posted by ブクログ
小川洋子さんの静謐で美しい文章が、話の内容と組み合わさり、静かな不気味さとあたたかさを持った作品でした。博物館に集められていくモチーフはどれも少しぞっとするようなもので、それでもだんだんと収蔵物が増えるにつれて、博物館になっていく。沈黙の伝道師たちも印象的。こんな世界があればいいのにと思う。
Posted by ブクログ
「今日は何日だ?三月三十日か。野ウサギの受死日じゃないか。いかん、私としたことがうっかりしておった。野ウサギの関節付きもも肉を食べねばならん日じゃった。日も暮れてきた。私はもう行く」p16
という序盤の台詞に、なんだその意味の分からない日は!?なんだこの婆さんは!?と笑った。
それはもう窃盗じゃないか、というやり方をしてでも収集してきた形見の数々。誰かが死ぬ事に登録番号をつけて増えていく。
Posted by ブクログ
博物館技師は、田舎に新しい博物館を建てる依頼を受ける。依頼主の老婆は、犯罪ギリギリの方法で手に入れてきた、亡くなった村人たちの形見を展示する博物館を建てようとしていた。
いいな、私が求めたのは、その肉体が間違いなく存在しておったという証拠を、最も生々しく、最も忠実に記憶する品なのだ。それがなければ、せっかくの生きた歳月の積み重ねが根底から崩れてしまうような、死の完結を永遠に阻止してしまうような何かなのだ。(p49)
老婆の言っていることは、恐ろしくもあるように思う。彼女は、亡くなった人々の形見を保存することで、「死の完結を永遠に阻止」しようとしているのである。
なぜ、彼女はそんなことをするのだろうか?
「沈黙博物館」と名付けられたその博物館の展示物には、簡潔に持ち主の氏名と、死亡年月日、死因、そして、その持ち主と形見に纏わる物語がつけられる。
この物語において「沈黙」は、特別な意味を持つ。村にいる「沈黙の伝道師」と呼ばれる修行者たちがおり、彼らは「完全なる沈黙の中で死ぬのを理想」としており、村の一番北側にある修道院で共同生活を送っているという。
「じゃあ、言葉で教えを説いて回るわけじゃないんだね」
「もちろん。ただああして、じっとしているだけ。でもこちらから話し掛けるのはタブーじゃないのよ。むしろ、大事な秘密を伝道師に語ると、絶対にばれないっていう迷信を信じている人は大勢いるわ。ほら、見て、あの人」(p36)
この村における「沈黙」は、あらゆる秘密が二度と他の人々に知られないようにする力がある。「沈黙博物館」は、「死者の記憶を封印する形見の数々(p63)」とともに老婆の語った物語を受け入れることで、この世界からその物語を絶対にばれないように「収集・保存・調査(p55)」することが大切なのだと老婆は語る。
少女が言うには、それまで形見は盗まれたのにもかかわらず、「盗難届けが出されたこともなければ、警察が調べに来たこともない(p159〜160)」。まるで、自分たちの形見の選択があまりに的確であるがゆえに、残された人々が、本人と一緒に天国へ行ってしまったのだと納得してしまうかのように。
「だとすると、僕たちの企みは成功していることになる」
「ええ、そう。でも本当は、天国になんて行かないのよね。その反対なの。永久にこの世界に留まるために、博物館へ保管されるんだもの」(p161)
しかし、博物館技師が、老婆から引き継いだ形見収集は、殺害された女性の遺体から乳首が切り取られるという連続殺人事件と結び付けられて、警察に目をつけられてしまう。
彼は、殺人の真犯人によって切り取られた乳首こそ、本当の形見だったと代わりに盗んできた品に達成感を得られない。そういう意味で、彼の収集は失敗に終わり、未熟だった。
それが解決するのは、犯人が共に博物館を作ってきた庭師だったことがわかったことによる。博物館が完成の直前、運び入れた展示品のいくつかが、試験管に入れられた乳首に入れ替えられていたのである。
その真実に恐れを抱き、一度は村を出ようと駅へ向かう技師だったが、少女によって連れ戻されることになる。そして、彼は、庭師が殺人の真犯人だった真実を永遠の秘密にするために、警察ではなく、沈黙の伝道師に語るのである。
こうして、彼は、老婆の仕事を引き継ぎ、今度は自分の収集した形見の物語を語りだすことになる。
何でもなかった人たちの、何でもなかったはずのものを形見とし、物語とすることで、何者かにする博物館。「沈黙博物館」というのは、そういう場所だと思った。それが、誰にとって幸福なことなのかはわからない。しかし、博物館というのは、老婆が「永遠を義務づけられた、気の毒な存在」というように、はじめからそういう場所だったのではないかとも思う。
形見というもの展示物とすることで、博物館のやっていることが一体何であるのか。それを立ち止まって考えさせる物語なのだと思った。
Posted by ブクログ
雪がしんしんと降り積もると世界が沈黙したみたいに感じるよなあと思った。
「小川洋子氏の作品は音がないのだ」なんていう評価を読んだことがあるけれど、この作品では沈黙が静けさが静寂が何度もこんこんと表現されていて、ざわついて苦しい私の現実から目を背けるのにぴったりだった。「音がない」という評価については、そんなことないよと思う。小川洋子作品の特徴である"静謐さ"を「音がない」と表現するのはちょっと省略しすぎだと思う。
兄さんに手紙が届かないという部分で、「ああ、この人は生きているお兄さんとは違う沈黙の、死の世界に行ってしまったんだ」と気づいた。小川洋子さんの本では、「届かない手紙、届けない手紙」が時たま出てくるね。博物館技師である主人公がアンネフランクと顕微鏡を形見として所蔵したところも、母と兄の形見というよりは、2人と別の世界へ来てしまった自分の形見だと感じた。ここの部分は巻末の解説で構造的に意見が加えられていて、感じることはできたけど自分では言語化できなかったから、読んで「ああ」と思った。
連続殺人事件の推理小説でもあるし、読み応えがあったな。それに、女の人が主人公でない小川洋子作品は久しぶりに?読んだ気がする。他はなんだろう、猫を抱いて像と泳ぐかな?いや、そんなことないや、ことりも男の人だったけか。
とにかく小川洋子さんの作品が大好きだから、まだ読んでいないこの作品があることが嬉しかったし、読んだ後もうれしい。
私は死ぬことは怖くないのだけれど、この作品のように、もし、シロイワバイソンの亡骸に雪のふりつもる、転べば手のひらが真っ赤に染まる、沈黙博物館という切実な役割のある世界に閉じ込められてしまうのかと思うと、死ぬのは恐ろしいと思う。
Posted by ブクログ
何かでお勧めされてた本。
博物館というキーワードに惹かれて。
誰も駅に降りないような村で、博物館を作りたいという依頼主に会うためにやって来た博物館技師の僕。
未成熟な輝きを持つ少女と、どうみても親とは思えない位、年が離れた依頼主の老婆。
そこから沈黙の博物館と称した、老婆が集めた形見の展示の準備から、村で起こった死人の形見の収集(窃盗…)まで行うことになる。
読んでいくと、時々現れる不釣り合いなキーワードに意味があるのか考える。
持参した親の形見のアンネの日記、兄から譲られた顕微鏡、沈黙の行を行う沈黙の伝道師の存在。
人形劇やお祭りが娯楽の、へんぴな村っぽいのに、爆弾事件や猟奇的な殺人事件が起こったり、文化会館や観光用の土産屋があったり。
博物館を設立するお金の出所はおろか、老婆の出自や登場人物の名前すら出てこない。
老婆、少女、庭師、家政婦、そして技師さんこと僕。で構成されている。
一人称なのになんだかよそよそしさを感じるのはこのせいか。
ちょっと不穏だけど、幻想的で落ち着いた雰囲気で進む物語。何かを暗示しているようで、いまいち掴みきれない世界。
なぜ殺人犯の容疑者に疑われつつ、僕は逃げ出せなかったのか(洗脳?)
顕微鏡を形見としなければならない理由は?(社会との隔絶?)
誰も訪れない沈黙の博物館の運営は?
少女もまた老婆に見出だされた、博物館のための後継者なのか?
連続殺人の犯人以外、分かりやすいところがなくてもやもやと考えた。
最後の書評で、ホロコーストのくだりを読んだら、急に今までの話が繋がるようで、見方が変わる。
もう一回読もうかな。