あらすじ
青年時代に大逆事件で叔父を失い、不敬罪で公判中に終戦の日を迎える――紀州生まれの文化学院創設者、西村伊作は、類まれなセンスと豊富な財力を理想の実現のために用いながら、「ああ言えば、こう言う」のつむじ曲がりな精神と、そのしなやかな思想を生涯貫いた。自由と芸術を愛した知られざる人物像を甦らせる第一級の評伝。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
戦後日本の復興の地ならしは、明治初期から中頃に生まれて大正時代に日本人離れした突飛な行動で鳴らした人によって行われたものも多い。本書の主人公もその一人であろう。
それにしても大逆事件の残滓からこのような華が開くとは、歴史というものはじつに皮肉なものというべきであろう。
Posted by ブクログ
2011年刊。もとは季刊『考える人』2008年夏号~10年秋号に連載。文化学院の創設者・校長の西村伊作(1884-1963)の評伝。
詳しい。それに資料に忠実。巻末には資料一覧と年譜が44ページ。文化学院出身者は必読かも。
しかし、残念ながら、西村伊作その人にほとんど魅力を感じなかった。書名『きれいな風貌』は言い得て妙。伊作の外見について言ったものだが、生き方もそのような印象を受ける。一家・一族は富裕でクリスチャン、ほとんどが同志社で教育を受け、アメリカなど海外の大学で学んでいる(伊作は洋行のみ)。絵も描き陶芸もし、詩を書き建物の設計もした。因襲にとらわれない自由な生き方、社会主義に憧れる、そして理想を実践的に追求する。時代の荒波にもまれたにしても、「きれい」な生き方ではある。でも、きれいすぎる。
やはり、惹かれるのは長女、西村アヤ。10歳で『ピノチヨ』の翻案を書き上げ、出版までした。きっかけは、佐藤春夫が伊作のところにもってきた『ピノキオ』の英語版。その創作と出版の経緯が書かれている。本書では、文化学院の創設がアヤの教育のためだったこと、アメリカに留学して名門女子大を卒業したこと、生物学者の石田周三と結婚したこと、文化学院の校長職を伊作から引き継いだこと、そして学院の運営をめぐって伊作との間に確執があったことも書かれている。