あらすじ
【第16回 山本七平賞奨励賞受賞】 暗号解読など優れたインフォメーション解読能力を持ちながら、なぜ日本軍は情報戦に敗れたか。「作戦重視、情報軽視」「長期的視野の欠如」「セクショナリズム」。日本軍最大の弱点はインテリジェンス意識の欠如にあった。インテリジェンスをキーワードに日本的風土の宿痾に迫る。(講談社選書メチエ)
...続きを読む感情タグBEST3
このページにはネタバレを含むレビューが表示されています
Posted by ブクログ
戦前日本のインテリジェンスを知ることは、今後の教訓を得るためにも、重要だ。この本は、「戦前日本のインテリジェンスに関してその具体像を描き、日本のインテリジェンスの特色について考察してい」(P.6)る。
日本のインテリジェンスは、決してそれぞれの技術や能力が低かったのではない(「戦前日本の通信情報能力の高さが部分的にうかがえる。」P.23)。「インテリジェンスを扱う上で特有の問題が存在していた。それらは主に、組織における情報機関の立場の低さ、情報集約の問題、近視眼的な情報運用、そして政治家や政策決定者の情報に対する無関心など、であった。」(P.194)
具体的には、
(1)組織化されないインテリジェンス
(2)情報部の地位の低さ
(3)防諜の不徹底
(4)近視眼的な情報運用
(5)情報集約機関の不在とセクショナリズム
(6)戦略の欠如によるリクワイアメントの不在
があったという。
「この時期の日本のインテリジェンスは比較的うまく機能していた。その要因は、①対外危機が顕在化しており情報収集に余念がなかったこと、②情報の重要性を認識していた元勲世代の存在、③当時の超大国であったイギリスからの情報提供、などが挙げられる。」(P.10)
「ヨーロッパの動きに比べると、日本は明治期からほとんど何も変わらないままの組織運用であった。[…]昭和に入ると日本のインテリジェンス機構は停滞してしまい、一九三〇年代後半まではほとんど大規模な組織改編は行われなくなる。基本的な陣容は、陸軍参謀本部第二部、海軍軍令部第三部がそれぞれ中央軍事情報部としての機能を有した。そして陸軍は外国の通信を傍受する通信情報部、中国大陸から満州にかけて派遣された特務機関、海外の在外武官などを海外での情報収集組織として利用し、国内においては憲兵隊に膨張機能を持たせたのであった。他方、海軍も通信情報部や特務部、在外武官から対外情報を収集するような仕組みになっていた。」(P.12)
「公開情報から情報の断片を集め、それらを熟練の情報分析者が組み立てていくと、有効なインテリジェンスとなる」(P.19)
「[陸軍、海軍、外務省の]三社を併せれば、全体としては相当な情報が蓄積されていた」(P.21)
「太平洋戦争中から英米の情報組織は、日本の暗号解読能力を適切に把握しており、むしろその能力を脅威と捉えていた」(P.22)
「(一九二一年)」段階で陸軍は暗号解読に対する認識に遅れがあり、ターゲットがソ連であったことから、米英暗号の解読に関しては当初海軍の方が秀でていたようである。[…]陸軍が本格的に暗号解読の重要性を感じたのは、一九一八~二二年のシベリア出兵が契機であった。」(P.26)
「陸軍は、米国務省の[…]外交暗号を解読していたのである。当時最高の解読能力を有していたイギリスの暗号解読組織やドイツの暗号解読組織ですら[…]解読していなかったので、この解読能力は相当なものであった」(P.30)
「暗号通信の保全に関しては、[…]一九四三年個半の時期まで対策が施されることがなかった」(P.31)
「軍部は首相周辺や外務省の動静を通信傍受によって把握していた」(P.34)
「偽情報とわかっていれば、相手が偽情報を流して真意を隠す意図を探ることができるため、偽情報の入手もそれなりに重要である。」(P.53)
「地味な定点観測こそ情報収集の原点である。」(P.54)
「決定的情報を入手できない状況にあっては、公開情報の中に埋もれている断片情報に頼るしかなく、まずは入手したピースの断片を根気よく組み上げていくしかない」(P.59)
「東南アジアにおける陸軍の情報活動を概観してみると、シンガポールにおける英軍の敗北は必然であった[…]。陸軍は事前にマレー半島の軍事情勢や地誌情報を調べ上げ、的となる英軍に対しては内部分裂が起こるように工作していた」(P.65)
「戦前、防諜活動に力を注いでいたのは陸軍であった。[…]秘密裏に防諜活動を行っていた。」(P.67)
「海軍の情報組織は一九〇九年以来、一貫してアメリカを情報収集のターゲットとしてきたため、通信情報や人的情報の資源はほとんどそこに投入されていた。」(P.80)
「当時日本はメキシコから情報を運び出すために、メキシコでの情報網や輸送手段の確立に腐心しており、メキシコの太平洋岸の都市や中南米諸国が拠点として選ばれていた。」(P.99)
「当時の日本海軍の膨張意識の甘さ、そして自浄作用のなさは、さまざまな問題を生じさせており、その後の海軍の戦略に与えた影響を考えると、どれも深刻なものであった。」(P.106)
「当時の日本軍における情報分析部門は、不十分ながらも「インテリジェンスを生産」する意識を有しており、価値判断を加えた情報を査かく資料と称していた」
「問題は、すぐれた情報分析官、もしくは民間専門家の慢性的な不足であった。」(P.114)
「日本の場合、情報畑でずっとやっていくというスタッフは少なく、専門性を身につける前に他の部局へ異動させられることが多かった。」(P.115)
「陸海軍の指導層は、情報分析の重要性に関してはあまり理解を示さなかった。」(P.117)
「日本軍の場合、元来軍部が情報部を有することの構造的な問題点に加え、「作戦重視、情報軽視」の考えが根強かったので、作戦部と情報部の立場を平等にした上で情報を共有することは極めて困難であった。」(P.121)
「陸海軍の情報部同士が連携してインテリジェンス活動を行うのも難しい状態であった。」(P.137)
「インテリジェンスが有効に機能するためには、組織間の水平的協力関係と情報の共有が不可欠である。」(P.139)
「(情報の利用の)問題に対する鍵は、情報更新の頻度にあろう。」(P.168)
Posted by ブクログ
【219冊目】インテリジェンスに関する学術研究は、他の分野に比べるとあまり進んでおらず、中でも日本ではあまり研究者がいないイメージ。本書筆者、北岡元、中西輝政、小林良樹…ぐらいがパッと思いつくところか。
主に第二次世界大戦中の日本陸海軍のインテリジェンス活動について描写。巷間言われるのは、日本軍は連合国に情報戦で負けたということだが、筆者はこれに反論する。日本軍は英米や露中の暗号の一部を解読することに成功していたし、満州、中国、東南アジアではヒューミントにも長けていた。戦場において入手した情報を、その最前線の戦線において活かすという戦術的なインテリジェンスについても戦争の初期では上手くいっていた、というのが筆者の主張である。
筆者は、日本(軍)に足りなかったものは、戦略的なインテリジェンスの活用・収集であるとする。それは、インテリジェンス部門に投入される資源が小さかったこともさることながら、政策(作戦)サイドが情報部門を軽視してそのプロダクトを無視し、また、適切なリクワイアメントを出さなかったことが原因である。そして、インテリジェンスを根拠に自らの政策(作戦)を決定するのではなく、組織間の力関係や調整によってこれを決定していたのである。
特に、独ソが対立しているという駐独武官からの同一の情報を、一方の日本はこれを無視して三国同盟に突き進み、一方のチャーチルは自らの好悪を曲げて英米ソの連携につなげる方向につなげたというエピソードは印象深い。
そして、筆者は、こうした日本(軍)の問題は、今日の日本にも重要な教訓を示唆しているというのである。ここに、本書の項目だけ示して終わろう。
・組織化されないインテリジェンス
・情報部の地位の低さ
・防諜の不徹底
・近視眼的な情報運用
・情報集約機関の不在とセクショナリズム
・戦略の欠如によるリクワイアメントの不在
Posted by ブクログ
【メモ】
日本帝国軍のインテリジェンス活動を陸軍海軍、太平洋戦争以前から網羅的に紹介。
インテリジェンス活動をブレークダウン(オシント・ヒューミント・シギントなど)
これまでの印象だと日本軍は情報戦に負けたイメージだったが必ずしもそうではない
英米が民間知識層をインテリジェンスに活用していたのに比べ、日本は自らの将校を教育して活動に当たらせていた。学徒出陣などはその例。
作戦部の情報軽視:ただ並べただけの情報に価値を見出さない。作戦に合致しそうな生情報を仕入れては都合の良い形成判断を行った。
短期的、戦術的インテリジェンスの場合、情報の入手と利用の時間差が縮小すれば、そこに介在するイマジネーションの量も減少する。
戦略、政策レベルのものは、戦略や政策への必要性から情報ニーズがうまれ、それを受けて収集されたインテリジェンスがフィードバックされる。時間差が開くため、過程が複雑になるため、一元的に集約する組織がいる。主観や憶測が混じる、組織間軋轢によって鮮度が失われ、貴重な情報が途中で霧散する。
情報部によると、1941年の分析で、日米兵力比は1944年に圧倒的になってしまうので、それまでになんとかしないといけない。
海軍の真珠湾攻撃は短期的には合理的だった。石油枯渇以前に戦いを仕掛け、短期決戦でものにする。しかし長期的に見ると、攻撃のインパクトは小さく明らかに間違っていた。ドイツの欧州制覇や米国の厭戦気分など、楽観的ないしは希望的観測のもとに判断された。中長期に状況を判断するセクションがなかった。
取得から利用までのタイムラグを克服するために二つ。頻繁に更新する、ラグを最小限にする(目的ありきのリサーチ
ここでも言及されている 当時の政策決定過程で重視されたのは、組織間のコンセンサスであり、情報ではなかったので、迅速で柔軟な意思決定が苦手だった。
まず課長級が中心となり部内の意見をとりまとめ、そこから上層部へエスカレーションおよび決済を経て試案が生み出される。また同時に関係各所との調整が入る。その結果、政策決定過程で必要とされるのは、情報に基づいた合理的な餡ではなく、各組織の合意を形成できるような玉虫色の案とネマワシとなり、そこに多大な時間と労力が割かれる。このシステムではどのような決定的情報が入手できても、そのタイミングが情勢判断時でないと有効に利用できない。
主観的判断が助長され、合理的思考が組織内で埋没した例:総力戦研究所→日露戦争でも勝てると思って始めたわけではない、机上の論理の軽視と意外裡の重視、という東條陸相の答え。
→過去の成功体験が合理的思考を停止させ、精神論への偏重。
組織的な問題:意思決定の中枢にまとまったインテリジェンスが定期的に集まらないと、主観的判断が助長させるのは当然。
情報部の立場の弱さ 行動の前に情報がなければならない。行動ありきだと、情報はその行動を説明するために利用され、判断が主観的になる。
情報集約機関の不在 情報同士を付き合わせることにより精度の高いインテリジェンスを産み出すという相乗効果を得ることができない。情報が分散すると各所で都合良く評価され、組織間の共有も進まない。
近視眼的な情報運用 作戦のために使う短期決戦のための情報となり、大局的情報が軽視される。
リクワイアメントの不在 リクワイアメントを発することのできない政策サイドは、政策や国益に対する感覚が鈍ってるとしか言いようがない。リクワイアメントなしでは情報部は自らの存在意義を認識できず徐々に機能不全に陥る。