あらすじ
資源のない日本は「人材」こそ「資源」とせよ!
古代ギリシア人やローマ人は「危機」という言葉に「甦生」の意味も合わせ持たせた――「知恵」を働かせる以外に日本の未来はない。
「長く歴史に親しんでつくづく考えるのは、民族は、興隆した後に必ず衰退を迎えるものであること。興隆と衰退の間に長い安定期を享受できた民族は、実にまれにしか存在しなかった」――古代ギリシア、古代ローマ、中世ルネサンスから日本を思う。
月刊「文藝春秋」の好評連載「日本人へ」第5弾。
感情タグBEST3
このページにはネタバレを含むレビューが表示されています
Posted by ブクログ
「レオナルド没後500年」と「夏のローマで思うこと」は批判精神あふれる文章で読んでいて共感できた。
「女が三割ならば若者も三割」と「読んでくれている人々に」は、今の政治や社会のシステムに必要な提言であった。これを受けて、成田氏が提唱する政治家不要論をどう受け止めるかを知りたくなった。
「アパティアという名の先進国病」は、民主党政権時代の日本もそうであっただろう。『十二国記』という小説になるが、才王が言った「責難は成事にあらず」というのと一緒の意味であろう。
「発信力を早期に向上させるには?」では、情報面での日本の国力も低下している現状を語るエッセイ。経済の力を鑑みると妥当な扱いなのでは、と思ってしまった。
「窮極のソフト・パワー『知恵』」より
官僚とは、考えを打ち出しそれが決まれば実行に移す能力はあっても、やる、やりつづける、と決めるのはあくまでも政治家である。
歴史を書いていて強く思うのは、国の将来を決めるインフラ、つたり国策は、常に政治家が決めてきたということであった。政治とはかほども重要な任務であるのに、それをわかっている政治家のいかに少ないことか。
官僚への成り手も少なくなり、実行力も減った上での日本の政治家の認識不足。この現状は変えようがある現状なのだろうか。