あらすじ
死刑を徹底的にオープンにするアメリカ。死刑容認派が8割を超える日本。一方、死刑を廃止したがゆえに加害者と被害者遺族が同じ町に暮らすスペイン。そして新たな形の「死刑」が注目を集めるフランス――死刑を維持する国と廃止する国の違いとは何なのか。死刑囚や未決囚、加害者家族、被害者遺族の声から死刑の意味に迫る。
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Posted by ブクログ
去年(2022年)、映画『PLAN75』を観て、書籍では『海を飛ぶ夢』(ラモン・サンペドロ著)を読んだころ、安楽死について検索しているときに、安楽死関連の取材を続けレポをあげている著者のことが引っかかっていた。その時は『海を飛ぶ~』を読んで忘れいた。
※余談ながら、倍賞千恵子さん、『PLAN75』ほかで、イタリア映画祭での生涯功労賞受賞おめでとうございます。
そこに、今月になって全国紙の書評で改めて著者の名前をみつけ、そこで取り上げられていた本書を知ることに。これもご縁と読んでみたもの。
自分の考えと近い著者の主張、なのでとても読みやすかった。
要は、死刑制度の維持については「賛成」。その理由は、日本固有の文化・風習に根ざしているものだから。文書化されていなかった自分の思考が整理されていくようで、読んでいても気持ちが良かった。
曰く、
「日本人は日常生活において、「目には目を」という当事者同士の争い事や報復を好まない。そのためか、第三者による制裁には期待を示す傾向があるように感じられる。」
なるほど納得感ある。長いものに巻かれろではないが、「お上には逆らえません」という発想か。
「個人による直接的な攻撃を嫌う社会の先に、国家の究極の刑罰としてあるのが死刑であり、そこに大半の国民感情が集約されているように見る。」
こうなると、「死刑のハンコを捺すだけ」の法務大臣の肩にかかる重責も慮られるところではあるが、我々日本人は、自分だけの気持ちの整理がついても納得感は得られない性質なんだろう。自分、あるいは自分の家族だけが良くて、周りが納得してないという状況よりはむしろ、自分が犠牲になっても集団の協調性、平和が保たれているほうが、精神的安定が得られるのではなかろうか。この思いは、非常に、自分の感覚とも近いところにある。
それを、ヨーロッパに長年暮らす(フランスとスペインを拠点に30年近い海外暮し)著者だから、比較した上で持てた視点なのかもしれない。
「欧米と日本では、国民性や国民感情に多大な差がある」
と記す。
そうなのだ、死刑問題は、国民性、国民感情を抜きに語ってはいけないと思うのだ。ましてや、欧米では死刑廃止が時代の趨勢といった論調に与する意見には、前々から虫唾が走る。これまでは単なる、反発でしかなかったのかもしれないが、本書を読んで自分の考えを、よく整理出来たので、非常にありがたかった。
「日本人が求めている正義とは何か。そして、そこから導き出される刑罰の在り方は、日本人にとって相応しいのかどうか。そうした点について、自身の眼で見た欧米諸国での現実と比べながら、考えを深めていきたいと思っている」
として著者は、アメリカの死刑囚に逢ったり、自身の暮らす欧州(フランス、スペイン)で、死刑制度廃絶した議員、あるいは被害者家族、実際の刑務所などに足を運び、「欧米諸国の現実」を積み重ねていく。
その上で、わが国日本の現状に立ち返る。日本の仏教の中で唯一、死刑反対を掲げる宗派である真宗大谷派の住職に取材したクダリは本書のハイポイントのひとつだったかと思う。
この住職、実は死刑囚による被害者遺族(叔父が殺害されている)でもある、という点が意味ある。 やはり、宗派を代表する立場であっても、
「被告に死刑が言い渡された直後は、「良かった」と思ったからだ。しかし間もなくして、「判決は妥当だが、執行はしてほしくない」と相反する思いに囚われた。」
と語ったという。 まことに正直な思いが綴られている。 死刑の判決で良かった、でも、執行はしてほしくない、この思いの後半部分に、真宗大谷派の思いが込められている部分だろう。つまり、執行されないままその間、犯した罪を悔いて改めよ、という意味だ。住職は言葉を重ねる。
「大谷派は、犯した罪を悔いていく過程を(死刑の)執行が奪っている、という見方を示しているのだと思います。そうなると、犯人は罪を悔いなくてはなりません。」
その為に、日本の収容施設の在り方も要改善とも説く。今のままでは、死刑囚が何を考え生きながらえているのか、改悛の検証が成されないままで良いのか? そうした課題もクリアした上で、死刑反対であれば、意味があるということだろう。 いや、むしろ死刑そのものには反対はしていない?? まさに、「判決は妥当、だが執行はしてほしくない」ということか、と。
いくつかの国で、様々な事例の取材を行い、その都度、著者の考えも揺れ動くように見える。 殺人事件における死刑囚とその遺族という、一見、立場は同じ人たちの取材に見えるが、事例ごとに、背景、犯人との関係性、遺族のおかれた境遇、それゆえの気持ちの処し方は、それこそ千差万別。とはいえ、それでも、そこはかとなく、著者の確証バイアスの強い取材、ネタ集め、あるいは解釈、意味づけをしている感も無きにしもあらずだが、ストンと腹落ちする情報が多かった。
2009年から始まった日本の裁判員制度による、被告に対する司法精神鑑定の変化にも言及し(司法精神鑑定増加の傾向にあるそうな)、「一般市民が参加する裁判員裁判で、精神障害を抱える凶悪犯罪者の裁きは、至難の業」と論じる。 取材は多岐にわたり興味深い。
とにかく、諸外国からあれこれ言われ、異質の価値観押し付けによる制度改革は、やるべきではないのだろ。それをやってしまえば、国としての、日本人としてのアイデンティティさえも崩壊しかねないと、著者でなくても危惧するところだ。
日本で死刑が執行されると、毎回、フランス大使館が死刑廃止を求めるメッセージを出すそうだ。「人権宣言」を発した国だからかどうかは知らないが、どうも諸外国はお節介なところが多い。うるさいことを言ってると無視したり、受け流すだけでなく、きちんと都度反論もしていくべきだろう。
そのキッカケとなる、大いに学びのある著作だった。