【感想・ネタバレ】死刑のある国で生きるのレビュー

あらすじ

死刑を徹底的にオープンにするアメリカ。死刑容認派が8割を超える日本。一方、死刑を廃止したがゆえに加害者と被害者遺族が同じ町に暮らすスペイン。そして新たな形の「死刑」が注目を集めるフランス――死刑を維持する国と廃止する国の違いとは何なのか。死刑囚や未決囚、加害者家族、被害者遺族の声から死刑の意味に迫る。

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Posted by ブクログ

2022/12/20リクエスト 1

アメリカの死刑囚、ジョン・ウィリアム・ハメルが最初の章に出てくる。彼は3人を殺害、放火した罪で死刑宣告され、執行を待つ身だった。
そんな時に、宮下氏は、面会する。
あまりに澄んだ目をして、刑を受け入れる覚悟が見えたハメルに、かなりの部分、肩入れしているように感じなくもなかったが、他の死刑囚、周りの人々のインタビューを読み進めると、それも仕方ないように思う。
もちろんジャーナリストとして宮下氏が一番残念に思ったであろうが、ハメルの最期のときに立ち会うことができなかったのは、読者としても、消化不良な気持ちだった。

死刑を徹底的にオープンにするアメリカ。死刑囚の一覧表をネットで見ることができる。なんと執行予定日まで。
死刑を廃止した為に加害者と被害者遺族が同じ町に暮らすスペイン。
そして新たな形の死刑、とでも言う警官の銃の発砲が注目を集めるフランス。
死生観、宗教など、死刑は、法律だけで決められるものではない。
死刑囚や未決囚、加害者家族、被害者遺族の声から死刑の意味をあらゆる角度から考える。

何度も、中立の立場で考えたい、と書き記しているのは、それほど、この取材は、自分の根本から覆るほどの様々の考えが流入してきて、プロである氏も心が揺れ動いたのでは、と失礼なことも考えてしまった。

宮下氏は、有名な人達にたくさんのインタビューをしているが、御本人は至って偉ぶることなく、一般人の側に立って話しかけるように伝えている。

コロナ禍で取材もままならなかっただろう。
そんな中でも、なんとかやりくりして、取材、国境超え。さらに、マスクで口もとが見えない中で、どんなにか大変だっただろう。
今回のこの本も、自分にとっては、考えさせられる本であり、宮下氏の本を楽しみに待っていたが、今回も充分に満足させられる内容だった。

安楽死を遂げるまで、などの著書もとても良かったが、この本も私にとって、何度も読み返したい本になると思う。

語学堪能な宮下氏の、これからのますますの精力的な取材、著書に期待してます。

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2023年01月13日

Posted by ブクログ

各国の死刑、罪、死に対する考え方がこんなにも違うものであり、そこには宗教、文化的背景があることを知った。
死刑廃止が世界的に広まる中で、なぜ、日本には死刑があるのか。これは個々が考えておくべき内容だと思う。
印象的だったのは、日本とフランスの比較において、日本には死刑があるものの、警察における射殺はかなり少ない。一方、フランスは死刑を廃止しているものの、警察官が射殺する件数は多いということ。この点では、日本の方が規律のある法治国家のように写った。

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2025年09月16日

Posted by ブクログ

死刑制度について、アメリカ、フランス、日本、スペインの制度や実情、また加害者や被害者遺族の取材を通じて書かれている。

先進国のなかで死刑制度があり、なおかつ実際に死刑を行なっているのはアメリカの一部の州と日本である、というのは広く知られた話である。
「死刑制度があり、なおかつ実際に死刑を行なっている」という書き方をしたのは、死刑制度そのものはあるが長く執行されていないため事実上の廃止となっている国があるからだ。日本に近い国でいえば、韓国がそれにあたる。

本書は著者の揺れ動く思考を表す文章が幾度となく書かれる。それでも、最後には結論めいたものが提出されている。今後の日本の死刑制度において、著者の考えとしては、上記に書いた事実上の廃止というのが落とし所としてあるのだろう。実際、いずれそうなる可能性は高いと思う。
また、欧米圏にある宗教的価値観(赦しという概念)と、それが世間という内面化された相互監視装置で代替されている日本の差という点も少しだけ触れられるが、これは正しかろうが、かなり大雑把なものに思えるので、もう少し踏み込んで知りたかった。

最後の章でフランスにおける現場射殺を取り扱った章は、死刑との関連もおもしろいが、現在の移民とナショナリズムに揺れるヨーロッパの問題ともつながる射程の広い話であり、ここが本書でいちばん良かったと思う。

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2025年07月14日

Posted by ブクログ

 普段あまり考えることのない、日本の死刑の問題。新鮮だったのは、日本在住ではなくスペインで長く暮らし、ヨーロッパ的な政治制度と価値観を実感している日本人による死刑の考察であることだ。はじめに死刑賛否の態度があるわけではなく、著者自身迷い、悩みながら、ひとつひとつの事例を辿り、関係者へのインタビューを重ねていった。加害者の贖罪意識、被害者遺族の報復感情、死刑と終身刑など、いろいろなことを考えさせられた。死刑を廃止した国の現場射殺の問題などは、私にとって全く新しい視点だった。これらの考察を経た著者の結論は、とても納得のいくものだった。

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2025年02月10日

Posted by ブクログ

アメリカ、フランス、スペイン、日本等世界の死刑囚、遺族、死刑制度関係者を取材する事で制度そのものを問いかける本。国は違えど長期刑よりは早く処される方が良いと考える囚人も何人かいて興味深い。
人を殺して8年で出所して遺族の近所に住む事を受け入れる村もあったが、自分としては死刑囚に長く苦しんでもらいたいという日本の遺族の方の言葉が偽りのない心情だと思う。フランスの有名な爺さんが死刑制度を否定されていたが著者が指摘する様に死刑制度の無い代わりに現場で射殺されまくったり、犯罪が増加するのは果たして如何。
本書とは関係ないが、日本の女子高生コンクリート殺人事件で加害者達は少年だったため今は娑婆に出てきて人生を送っている。死刑制度を無くした場合に償ったとはいえこの様な方々が更に娑婆に戻ってくるだろう。「納得」ができるのか非常に疑問と言わざるを得ない。
冤罪問題があるし被害者が殺されても仕方の無いなような奴とか例外もあるだろうから当分決着がつかない気もする。過激ではあるが1秒たりとも精神状態が落ち着かない様な苦しむシステムとか死刑制度に変わるモノが無いと遺族は納得しないだろうし。

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2023年09月12日

Posted by ブクログ

面白かった。
死刑を何を目的に行うべきかがちゃんと問われていて、考えさせられる。それゆえに、自分としても死刑には反対も賛成も出せないなと。

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2023年05月09日

Posted by ブクログ

ネタバレ

 去年(2022年)、映画『PLAN75』を観て、書籍では『海を飛ぶ夢』(ラモン・サンペドロ著)を読んだころ、安楽死について検索しているときに、安楽死関連の取材を続けレポをあげている著者のことが引っかかっていた。その時は『海を飛ぶ~』を読んで忘れいた。
※余談ながら、倍賞千恵子さん、『PLAN75』ほかで、イタリア映画祭での生涯功労賞受賞おめでとうございます。
 そこに、今月になって全国紙の書評で改めて著者の名前をみつけ、そこで取り上げられていた本書を知ることに。これもご縁と読んでみたもの。

 自分の考えと近い著者の主張、なのでとても読みやすかった。
 要は、死刑制度の維持については「賛成」。その理由は、日本固有の文化・風習に根ざしているものだから。文書化されていなかった自分の思考が整理されていくようで、読んでいても気持ちが良かった。
 曰く、

「日本人は日常生活において、「目には目を」という当事者同士の争い事や報復を好まない。そのためか、第三者による制裁には期待を示す傾向があるように感じられる。」

 なるほど納得感ある。長いものに巻かれろではないが、「お上には逆らえません」という発想か。

「個人による直接的な攻撃を嫌う社会の先に、国家の究極の刑罰としてあるのが死刑であり、そこに大半の国民感情が集約されているように見る。」

 こうなると、「死刑のハンコを捺すだけ」の法務大臣の肩にかかる重責も慮られるところではあるが、我々日本人は、自分だけの気持ちの整理がついても納得感は得られない性質なんだろう。自分、あるいは自分の家族だけが良くて、周りが納得してないという状況よりはむしろ、自分が犠牲になっても集団の協調性、平和が保たれているほうが、精神的安定が得られるのではなかろうか。この思いは、非常に、自分の感覚とも近いところにある。

 それを、ヨーロッパに長年暮らす(フランスとスペインを拠点に30年近い海外暮し)著者だから、比較した上で持てた視点なのかもしれない。

「欧米と日本では、国民性や国民感情に多大な差がある」

 と記す。
 そうなのだ、死刑問題は、国民性、国民感情を抜きに語ってはいけないと思うのだ。ましてや、欧米では死刑廃止が時代の趨勢といった論調に与する意見には、前々から虫唾が走る。これまでは単なる、反発でしかなかったのかもしれないが、本書を読んで自分の考えを、よく整理出来たので、非常にありがたかった。

「日本人が求めている正義とは何か。そして、そこから導き出される刑罰の在り方は、日本人にとって相応しいのかどうか。そうした点について、自身の眼で見た欧米諸国での現実と比べながら、考えを深めていきたいと思っている」

 として著者は、アメリカの死刑囚に逢ったり、自身の暮らす欧州(フランス、スペイン)で、死刑制度廃絶した議員、あるいは被害者家族、実際の刑務所などに足を運び、「欧米諸国の現実」を積み重ねていく。
 その上で、わが国日本の現状に立ち返る。日本の仏教の中で唯一、死刑反対を掲げる宗派である真宗大谷派の住職に取材したクダリは本書のハイポイントのひとつだったかと思う。
 この住職、実は死刑囚による被害者遺族(叔父が殺害されている)でもある、という点が意味ある。 やはり、宗派を代表する立場であっても、

「被告に死刑が言い渡された直後は、「良かった」と思ったからだ。しかし間もなくして、「判決は妥当だが、執行はしてほしくない」と相反する思いに囚われた。」

 と語ったという。 まことに正直な思いが綴られている。 死刑の判決で良かった、でも、執行はしてほしくない、この思いの後半部分に、真宗大谷派の思いが込められている部分だろう。つまり、執行されないままその間、犯した罪を悔いて改めよ、という意味だ。住職は言葉を重ねる。

「大谷派は、犯した罪を悔いていく過程を(死刑の)執行が奪っている、という見方を示しているのだと思います。そうなると、犯人は罪を悔いなくてはなりません。」

 その為に、日本の収容施設の在り方も要改善とも説く。今のままでは、死刑囚が何を考え生きながらえているのか、改悛の検証が成されないままで良いのか? そうした課題もクリアした上で、死刑反対であれば、意味があるということだろう。 いや、むしろ死刑そのものには反対はしていない?? まさに、「判決は妥当、だが執行はしてほしくない」ということか、と。

 いくつかの国で、様々な事例の取材を行い、その都度、著者の考えも揺れ動くように見える。 殺人事件における死刑囚とその遺族という、一見、立場は同じ人たちの取材に見えるが、事例ごとに、背景、犯人との関係性、遺族のおかれた境遇、それゆえの気持ちの処し方は、それこそ千差万別。とはいえ、それでも、そこはかとなく、著者の確証バイアスの強い取材、ネタ集め、あるいは解釈、意味づけをしている感も無きにしもあらずだが、ストンと腹落ちする情報が多かった。
 2009年から始まった日本の裁判員制度による、被告に対する司法精神鑑定の変化にも言及し(司法精神鑑定増加の傾向にあるそうな)、「一般市民が参加する裁判員裁判で、精神障害を抱える凶悪犯罪者の裁きは、至難の業」と論じる。 取材は多岐にわたり興味深い。

 とにかく、諸外国からあれこれ言われ、異質の価値観押し付けによる制度改革は、やるべきではないのだろ。それをやってしまえば、国としての、日本人としてのアイデンティティさえも崩壊しかねないと、著者でなくても危惧するところだ。

 日本で死刑が執行されると、毎回、フランス大使館が死刑廃止を求めるメッセージを出すそうだ。「人権宣言」を発した国だからかどうかは知らないが、どうも諸外国はお節介なところが多い。うるさいことを言ってると無視したり、受け流すだけでなく、きちんと都度反論もしていくべきだろう。
 そのキッカケとなる、大いに学びのある著作だった。

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2023年04月28日

Posted by ブクログ

ヨーロッパで暮らす筆者が、アメリカ、日本、そしてフランスやスペインで、死刑囚本人やその家族、被害者やその遺族、司法関係者等、思いつく限りの対象者に取材を試みたもの。

途中、死刑に対する疑念を語る場面も多かったが、筆者の本書での最終結論は、日本という国における制度としての死刑に意義を見いだすものだった。
筆者個人の意見なので、それがダメだとかどうとかいうものではないが、私としては「ああ、そっちへ行っちゃうのか」という感じ。

私個人は、死刑は廃止した方がいいという立場。身内や友人を理不尽に殺害されたという経験がないため、自分が被害者遺族となってもそう言えるのか、と問われれば、それはわからないとしか答えられない。でも、じゃあ犯人を死刑にしたら遺族は満足なのかといえば、犯人にどんな刑罰が与えられても、満足できるなんていうことは絶対にないのだろうと思う。遺族が満足できるとすれば、亡くなった被害者を生き返らせる、それに尽きるだろう。ただ残念ながら、それは不可能だ。
死刑が執行されれば、遺族は、恨みをぶつける相手すらなくしてしまう。犯人が後悔や贖罪の思いを抱き続けることもできない。本書内でも、執行されても利益を得る者は一人としてなく、むしろ不利益を被る者の方が多いのでは、という記述さえある。だとすれば、たとえ殺人者であろうと、その命を奪うことのどこに意義を見いだせばよいのだろう、そう思えてしまう。

死刑については、関わりのある書籍をいくつか読んでいて、いろいろと思うところがある。
本書にも、阿部恭子氏の『家族が誰かを殺しても』でも取り上げられた奥本死刑囚や、『弟を殺した彼と、僕。』の原田正治氏に関する記述も出てくる。本書巻末には、私が過去に読んだ書籍が、参考文献として複数載っている。筆者と同じ本を読んで、筆者の取材記録を読んでいる。同じものに触れているのに、導き出す答えが違っているところに、この問題の難しさがあるのかもしれないと思う。

そもそも、国民が死刑という刑罰について、しっかりと考えるために必要な情報が公開されず、誰のため、何のための刑罰なのか、その議論がなされないままに存置され続けていることが一番の問題のように思う。

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2023年03月30日

Posted by ブクログ

借本。先進国で死刑があるのは、アメリカの一部の州と、日本だけ。海を渡って、各国の死刑との向き合い方、考え方が分かって良かった。海外のルポタージュと違って、わりと個人的な体当たり取材を感じる読み口も合った。

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2023年02月15日

Posted by ブクログ

この人は相変わらず日本人の民族性では現状を変えるのは難しいという立場が変わらんなあ。外国で育ったということもあるのだろうが。できれば死刑反対の立場として社会の責任という立場から論じても欲しかった。北欧にも取材に行ってくれると違ったのではというのが正直な感想である。

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2023年01月29日

Posted by ブクログ

死刑制度を存置しているアメリカと日本、廃止したフランスとスペインを主な取材先とした骨太なノンフィクション。
宮下さんの著作を読むのは「安楽死」をテーマにした2作以来だが、取材対象者の言い分に振り回されず、自分の考えを押し付けるでもなく、とても冷静に書かれていて読みやすかった。
犯罪抑止力としての効果や遺族感情として極刑を望むのはわかるが、人が人を裁けるのかという疑問は残る。執行に直接関わる方の負担も気になるところだ。最近では「死刑になりたかった」とほざく馬鹿もいるし、冤罪の可能性も否定できない。
宗教や死生観も絡み簡単に答えは出せないが、「外圧で廃止」はなしにしてほしい。

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2023年01月14日

Posted by ブクログ

 死刑について、諸外国と日本との現状を徹底的に取材したのが本書です。死刑は人権侵害にあたるからと死刑を廃止した国がある一方、死刑はあったほうがいいと国民の8割が感じているのが日本です。

 全体を通して感じたのは、被害者遺族の取材があまりできていなかったのかな…加害者家族に対しての取材は結構できているのに…と。被害者遺族が大事な家族を殺害された事件を思い出しジャーナリストに語るのは難しいし、それだけ心の傷が深いんでしょうね…。本書で取り上げた事件の加害者は、罪を認め受け入れてしかも悔いている加害者ばかり…しかも、事件前も大きな問題もなかったのに…と、加害者に筆者が肩入れしているかのようにとれてしまいました。

 でも、数は少ないんですが取材に応じてくれた被害者家族もいて、その悲しみはとても大きなものでした…。死刑というより、死刑に至るまでの期間、苦しみ抜いてほしい…そのために死刑は必要、そこが日本と欧米との違いなんでしょうね。ここまで宮下洋一さんの著書を読んできて、とっても重い気持ちになりました…。でも、知らなければ知らないままで過ぎていたでしょう…。そう思うと、こいうことも知ることができたこと、良かったと思いました。

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2024年09月10日

Posted by ブクログ

死刑のある国で生きる

著者:宮下洋一
発行:2022年12月15日
新潮社
初出:「小説新潮」(2021年3、5、7,9月号、22年1,3,5,8月号)
スローニュース社サイト「SlowNews」掲載〝デス・ペナルティ~生と死のあいだで〟

安楽死や生殖医療などの分野で世界事情などを紹介しているノンフィクションライターの、書籍としてはおそらく最新刊。死刑をテーマにしているが、日本やアメリカなど死刑存置国での取材、そして、死刑制度をなくしたフランスやスペインでの取材を敢行。加害者、加害者の家族、被害者遺族、さらには、警察官に現場射殺(という名の死刑)された何かの容疑者の家族などの話を聞き、死刑制度についての是非を世に問うている。

著者は死刑存置派か廃止派を明らかにしていない。というより、本人も結論を出していない。取材過程を読むときわめてリベラル、すなわち廃止派に近いように感じられる。しかし、エピローグを読むと存置を支持しているように思える。さらに、あとがきにおいては、制度はそのままにして法務大臣がサインをしないというのが一番いい、みたいなことを書いている。取材して考えてみたい、という常套句は、単に取材して本を出すための理屈づけのように思えなくもない。

なお、先進国で死刑制度が残っているのはアメリカと日本だけで、ヨーロッパは廃止している。アメリカは、1度、連邦で廃止になったが、復活した。しかし、実質的な廃止を含めて行っていない州の方が多いようだ。著者は、欧米が廃止しているのだから、日本もしないとだめだろう、という理屈は通らないと繰り返す。なぜなら国の文化的背景がある、とりわけキリスト教文化ではない日本は事情が違う、と主張するが、その簡単すぎる理屈にはどうにも納得ができない部分があった。

「自らの家族が殺されても、死刑廃止と言えるのか?」というのは死刑存置派の殺し文句でもある。これに関する研究が紹介されていた。

テキサス大学のマリリン・ピーターソン元教授と、ミネソタ大学のマーク・ウンブライト教授は、極刑が遺族の感情にどう影響を及ぼすかの研究を行い、2013年に発表した。死刑があるテキサス州と仮釈放のない終身刑が最高刑であるミネソタ州。ミネソタ州の方が体力的、心理的、行動的に健康であることが分かった。その上、死刑がある州では、裁判が長引いたり、死刑判決が覆ったりするなどの影響もあり、遺族のストレスが継続する特徴があることを証明した。

なお、内閣府が2019年11月に実施した意識調査によれば、日本では80.8%が「死刑もやむを得ない」と答え、「廃止すべき」は9%だった。1967年には賛成70.5%、反対16%、1975年には賛成56.9%、反対20.7%。平成期に入って容認派が徐々に増えてきている。


1.アメリカ・テキサス州

死刑制度が残るアメリカの保守的なテキサス州で、ある死刑囚を2度、取材している。最初は死刑執行26日前、2度目はコロナで執行が1年半近く延びた後の執行1週間前。日本では執行の当日まで知らせないが、アメリカでは死刑が確定してある程度すると、執行日も決められ、本人に知らせることはもちろん、ホームページで公表もしているようだ。

この容疑者は、妊娠中の妻、5歳の娘、義父を殺した。犯行については非常に後悔し、死刑になって妻と娘に会いたいと著者に語っている。また、コロナで執行が延びた時には「残念に思った」という。これだけの犯罪をしていれば死刑は当然で、自分も死ぬ準備ができていたのに、延びてしまったことが残念だったということである。しかし、神様がもう少しここに残るように決められたからでしょう、という納得の仕方をしている。この死刑囚をいまさら死刑にする必要があるのだろうかと、著者は疑問を呈している。

死刑執行には、被害者遺族、加害者関係者の立ち会いのほか、ジャーナリストの立ち会いも許されている。テキサスでは5人の記者まで認められるらしいが、著者は認められなかった。常連の2人の記者が立ち会い、執行の様子は彼らによってちゃんと報道される。日本の状況を考えると驚きの一言。

2.フランスの死刑廃止

フランスはヨーロッパでは一番遅く廃止した。執行停止は1977年9月だったが、正式廃止まで、その後も死刑判決は続いた。最後に判決が下されたのは1980年10月28日、被告人は警察官2名を殺したフィリップ・モリス(64)だった。

フランスの死刑といえばギロチン。中世の話のように思えるが、1977年までこれで行われていた(死刑囚は27歳だった)。フランス革命後、一瞬で首を落として苦しむことがないという医学博士ギヨタン(死刑廃止論者)の主張が通り、1791年から採用された。それまでは貴族には斬首刑、平民は絞首刑だった。

フランスでの死刑廃止論争は、政治の場に持ち込まれた。右派のポンピドー大統領も、人を殺していない者を死刑にしてはならない、と発言。続く中道のジスカールデスタン大統領は死刑廃止には反対という言い方をした。しかし、1981年にミッテラン大統領が誕生し、死刑廃止運動に熱心だった弁護士ロベール・バダンテールを担当大臣にして廃止を実現した。

著者は今回、そのバダンテールにインタビューを行っている。92歳の高齢だったが、確りと答えたようだった。彼が言うには、ポンピドーもジスカールデスタンも本心では死刑廃止を望んでいたという。また、2020年9月の調査結果で、死刑復活を55%の国民が肯定している結果について、それは誤解だとはっきりと答えている。そうした調査は、なにか凶悪な事件などが起きた直後に行われがちだから、フェアではないというのである。確かに、死刑廃止か存置かに留まらず、軍備拡大か否かの論議は、なにかことがあった時に議論されがちである。日本人としても注意すべき点である。

3.スペインでは残酷な死刑が1974年まで実施

スペインはフランコ独裁政権が1975年まで続いたが、主流だった絞首刑が1832年に国王によって廃止されている。しかし、その代替刑として鉄環絞首刑が導入された。椅子の背もたれに巻かれた鉄の輪の中に首を挟ませ、後ろにある太いボルトを回しながら締めていく残忍な方法。映画「サルバドールの朝(2006)」で紹介されている。最後にこれで死刑になったのは、独裁政権に反対する25歳のアナーキストだった。1978年の憲法制定により、死刑は事実上廃止となった。

現在、スペインでの最も重い有期刑は懲役20年10月。例えば3人殺していたら、60年余りとなるが、最長で40年と決められている。終身刑もあるが、2015年に「見直し可能な終身刑」に改正され、服役から25-35年の間に仮釈放に向けた申請が行えるようになった。

このスペインで、息子を殺された母親へのインタビューをしている。犯人と息子は子共の頃からの知り合いで、バルで息子が彼に対して鼻持ちならないことを言い続け、「消え失せろ、このナチ野郎」というようなことを言ったらしく、殺された。普通殺人が適用され、懲役11年3ヶ月、8年もたたない時期に仮釈放された。しかも、事件を起こした地元に戻り、元の家に住んでいた。被害者のすぐ近所だった。スペインでは、近づいてはいけないとの禁止命令をむやみには出せないようだ。また、村の住民に「彼に戻ってほしくない」という思いが強くなかったからだろうとの証言も得ている。

4.日本その①:妻子6人を殺した死刑囚を取材

2017年10月、茨城県日立市で妻と5人の子供を刺殺し、自宅に火をつけ、自らも焼身自殺を図ったが死にきれず警察に出頭した小松博文は、逮捕から1年後、拘留中に持病の肺高血圧症による心不全で意識を失い、心停止に。手術を経て一命を取り留めたが、その後の裁判(1審)で死刑判決が出た。この被告人に著者は2021年、面会して取材した。2度取材。

意識を失ったことにより、本人は犯行時の記憶を失っていた。どうして妻を殺そうとしたのかも、よく覚えていないという。ギャンブル癖が治まらず、妻からは離婚を迫られていて、犯行に及んだようだ。妻は生活費を捻出するため夜の仕事に出ていたが、週刊文春の報道によるとそこで男ができたという。

被告人は、犯行時のことを覚えていないが取り調べに対して犯行を認めている。そして、著者による取材については、死刑は当然であり、絞首刑はなまやさしい、自分が殺したのと同じ方法で殺されて当然だとも言う。また、控訴は取り下げたいという本心も覗かせる。無期懲役より死刑の方が、気が楽だと。

著者は、十分反省し、しかも記憶にない人間に死刑は必要だろうかと、アメリカでの取材と重ね合わせて思考している。

5.日本その②:周囲が同情する死刑囚

2010年3月、宮崎市の自宅で、妻と5ヶ月の息子、同居の義母を殺害し、自ら通報して第三者による他殺を装ったが、見破られて逮捕された。22歳で真面目と評判だった青年。憧れの航空自衛隊に18歳で入り、妻となる女性と出会って結婚、子供を授かると、好きだった土木の仕事に転職して作業員になった。ところが、生活を支えるだけの収入が得られず、義母になじられ、暴言を吐かれ、時には暴力をふるわれた。

彼のことを子供のころから知るお寺の住職を先頭に、地元住民たちが減刑嘆願書を提出し、やがて「支える会」へと発展した。このケースでは、被告人本人への取材はしていない。周辺者、関係者への取材から、どうやら妻には男がいて、時には家の外で待てと追い出されることもあったらしい。彼はセブンイレブンで時間をつぶした。また、収入は少なくとも25万円はあったそうで、22歳にしては悪くなかったようだ。結婚前、義母と妻になる女性は被告人の両親を1度だけ訪れていたが、その時の態度や発言にも非常に違和感があったようだ。

さらに決め手は、妻の弟。遺族の一人である彼は、最初は犯人に対して厳しい態度を取ったが、1審後には、「支える会」の人と行動をともにしつつ、被告人にも会い、態度が変化していったという。著者は、恐らく彼は死刑を望んでいないのではと想像する。

6.日本その③:本心では死刑を望んでいない被害者遺族

2011年11~12月にかけて、大阪府堺市で発生した連続強盗殺人事件。ショッピングセンターから出て来た主婦を車中で脅迫して30万円を奪い、キャッシュカードから5万円引き出し、ラップフィルムで顔を巻いて窒息死させ、ドラム缶で骨になるまで焼いた。1ヶ月後、堺市北区にする象印マホービン元副社長の資産家宅に入り、現金80万円を奪って、やはりラップフィルムで窒息死。犯人は50歳、この7年前には保険金目当で自宅に放火して懲役8年をくらい、仮出所して4ヶ月後の犯行。

犯行動機、手口など、どれをとっても身勝手で残忍、2019年に最高裁で死刑が確定した。このケースでは、著者は2022年に遺族計5人に会って取材している。1人目は被害者(元象印)の甥で、真宗大谷派住職。真宗大谷派は、仏教界で唯一、以前から死刑執行の停止を求めていた宗派。なお、2020年には全日本仏教会が死刑制度反対の方針を打ち出している。被害者も子供時代はこのお寺で育った。

犯行そのものに同情の余地がないため、公判では死刑制度の是非が主な争点となった。1審、2審とも死刑判決。しかし、被告人はそのような残忍な犯行を行った者とは思えない衰え様で、2審では自力で立てずに車椅子を使っていた。遺族である住職は2審判決の際、「良かった」と思い、うるっときたという。死刑には反対だが、真宗大谷派の姿勢に違和感も持っていた。それは死刑反対を訴えるだけでアクションがない、というものだった。

住職の意見は、この死刑囚は死への恐怖を持ちながら生き続けることが、一番に科せられたことであり、刑の執行よりも死刑囚が刑の執行までに経験する人間的なプロセスを期待しているというものだった。自然死は別だが、命は死刑により完結してはならない、と。

この住職の姉にも、電話取材をしている。つまり、被害者の姪。彼女は嫁ぎ先の大阪から被害者をよく訪ねて面倒を見ていた。被害者の妻は施設に入っているため、被害者は寂しくなるとこの姪に電話するなどしていた。彼女は被告人のことを「奴」と呼んで憎み、公判では「極刑を望む」と証言した。しかし、著者の電話取材が進むとそれを後悔している雰囲気も感じられた。奴のやったことは信じられないが、だからといって自分が(国に対して)人を殺してくださいとは言えない、というのだった。

もう一人の被害者、主婦の遺族にも会っている。彼女の夫(80)と息子、娘。夫は公判で「極刑を望み」、息子は「生きたまま溶鉱炉に突き落としたいと証言した。ドラム缶で焼かれた苦痛を味あわせたかった。娘は警察の捜索の仕方に批判的だった。死刑ではなく仮釈放なしの終身刑という考え方もあるがと著者がふると、拘置所の方が(刑務所より)いいご飯が食べられるそうなので、死ぬまで悪い環境で暮らすならいいかもしれない」と否定的ではなかった。

7.フランス:現場射殺という名の死刑

これについては、交通違反をした時に射殺された青年の母親を取材している。無免許運転で捕まりそうになり、車で逃走しようとした際に警察官のひとりに接触したため、「車で殺されそうになった」との判断で射殺したという。やりすぎではないかという論争。そこに、移民問題と人種的な差別が絡む。しかし、これはアメリカでよくある忌まわしい事例には匹敵するかもしれないが、死刑問題に絡めるのはちょっと無謀であるように思えた。

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2023年04月14日

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