あらすじ
完全保存版
中村俊輔
Lefty Fantasista1997-2022
★グラビアで振り返る26年の足跡★
★引退記念ロングインタビュー★
「もがいた貯金があったから」
【番記者座談会】
メディアにも愛された最後の10番
●年表と写真で辿る道のり
1997-2002 マリノス
2002-2010 レッジーナ~セルティック~エスパニョール
2010-2022 F・マリノス~磐田~横浜FC
●ナンバー傑作選
【デビュー直後インタビュー】若いときのチャンスを活かせ
【原点をたどる】球童 中村俊輔の居た場所
【レッジーナでの10カ月を語る】イタリアの現実、理想の自分
【セルティック移籍の真相】ずっと変わらないもの
【ドイツW杯激戦譜】使命 オーストラリア戦からブラジル戦まで
【欧州最高峰での学び】あの舞台が俺の基準になった CL全8試合を語る
【マンU戦の余韻を追って】ナカムラの左足が伝説になった日
【スペイン密着記】ここには自分の好きなサッカーがある
【南アW杯を振り返って】背番号10のワールドカップ
【スペシャル対談】五郎丸歩×中村俊輔「世界基準のキック論」
【努力の結晶11冊】15年書き続けた秘蔵のサッカーノート公開!
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Posted by ブクログ
中村俊輔引退記念号のNumberPLUS。
クラブでも代表でも活躍し、多くの観客に喜びを与えてくれた選手でした。彼のプレーで記憶に残っているのは、なんといってもCLのFKでしょう。表紙にもなっているマンU戦です。2戦目ね。
1戦目も覚えているのだけど、あれはファンデルサールが舐めてた分があったと思うのですよ。それを踏まえて同シーズンの2戦目でのFKなのでね。見ていましたよ、スカパーで。期待に応えてくれたFKでした。あれは、日本人のFKの記憶として忘れない一撃です。
セルティックのクラブレジェンドとして語り継がれる存在になっているのも、中村俊輔の凄さを語る上で外せないこと。外国籍選手がレジェンドになるというのは、素晴らしいプレーを所属中に、常に見せ続けてきたということなので。もちろん、瞬間の輝きというのも記憶に残り続けるのですが、スタジアム外壁に肖像が描かれるというのは並大抵のことではないですよ。セルティックという歴史あるクラブですしね。
他に海外でレジェンドとなった選手というと、ローマの中田、ドルトムントの香川、レスターの岡崎、フェイエノールトの小野が個人的候補です。そう言えば、中田がローマでユベントス倒した時のGKもファンデルサールだったような。ここだけ切り取ると縁があるように思えるから不思議。稲本とフルハムで一緒にプレイしたしね。
ユベントス倒したじゃなくて、引き分けか。記憶って曖昧です。ドーハの悲劇が引き分けなのに、負けだと思っているのと一緒ですね。
今後は指導者の道を目指すそうです。どんなチームを目指すのか。
自分が見て魅せられてきた選手たちが引退してゆく寂しさを感じることが多くなったのは、歳月の流れなので仕方がないことでなのだけど、指導者としてのセカンドキャリアがどうなるのか、という楽しみが増えてきているのも事実です。
名選手=名監督となりますかどうか。
ピクシーみたいに、すごく現実的な感じになりそうな気がするんだよな。