【感想・ネタバレ】オイディプス症候群のレビュー

あらすじ

中央アフリカで発見された謎の病、アブバジ病に罹患したパストゥール研究所の学者フランソワ。病床の彼から預かった資料を、ナディア・モガールと矢吹駆は、フランソワの師・マドック博士に届けるため、アテネへと旅立った。しかし博士は、エーゲ海の孤島・ミノタウロス島に渡っていた。彼を追うナディアと駆。島の館・ダイダロス館には、二人を含む十人の男女が集まったが、嵐で島は孤立、ギリシア神話をなぞるように装飾された客たちの死体が次々に発見される。奇怪な連続殺人の真相は? シリーズ中白眉といわれる、記念碑的傑作本格ミステリ。/解説=飯城勇三

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感情タグBEST3

Posted by ブクログ

ミステリとしてみたら、長いとはおもっちゃうけどロジックやどんでん返しにやられた。さすが。

3061冊
今年289冊目

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2025年11月11日

Posted by ブクログ

ネタバレ

今までは起きた事件に首を突っ込むだけだったナディアが、初めて事件に巻き込まれて自分も命の危機を感じる。駆も他人のフリをしていて、突然消えたり更に不安。
事件の展開も良いし、いつもの哲学論やギリシア神話についての考察も頑張っ多。
1000ページ近い作品が1冊…。京極夏彦みたいな事するな。光文社文庫では『哲学者の密室』『オイディプス症候群』『吸血鬼と精神分析』も上下巻だったのに…。『煉獄の時』も『夜と霧の誘拐』も分厚い文庫になるんだろうな。

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2025年09月19日

Posted by ブクログ

 笠井潔の代表作の一つであり、現象学的思索に満ちた長大な哲学ミステリー『オイディプス症候群』は、2002年に刊行された。
 全865ページという厚さは、その重厚さと深遠さの象徴であり、簡単に読書は難しい。
本書を読む者には、相応の覚悟と根気が求められる。本書は哲学・思想の論議と、それを基にしたミステリー的展開とを両立させる、難解でありながらも読む挑戦を強いられる。本書は、単なる推理小説にとどまらず、フッサール現象学やイギリス経験論、さらには東洋哲学や宗教思想との融合を追究した、思想的な作品である。

 本書の中心的テーマの一つは、「現象学的本質直観」の概念である。この用語は、フッサールの哲学において極めて重要なものである。フッサールによれば、「本質直観」とは、個別具体的な事象を超え、その背後に潜む普遍的な本質を直観的に捉える認識の能力である。リンゴの色を見たとき、その具体的なリンゴの色彩を超え、すべてのリンゴに共通する「赤さ」を把握しようとする知的態度こそが、「本質直観」の意義である。

 これにより、感覚的経験から抽出される普遍的真理の確立と、その基盤を支えるための現象学的還元の方法論が生まれる。すなわち、先入観や自然的態度を一時的に判断停止(エポケー)し、純粋な意識の構造を分析し、背後の本質を直観することが主眼とされる。

 笠井潔がここで展開する「矢吹駆」の「本質直観」は、これらと一線を画している。それは、あくまでミステリー的探究において、個々の事件の背後にある根源的な思想や歴史的背景を直観的に「見抜く」ことを目的とする、独自の応用思想である。言わば、フッサールの哲学的手法をミステリー作法に転用し、「事件の深層に潜む意味や背景を直観的に理解し」ようとする、アクティブな認識の仕方である。

 例えば、首のない死体の出現という奇怪な事件が起きた場合、その場の事実や証拠の羅列だけでは解決できない。探偵の矢吹駆は、「なぜ首を隠す必要があったのか」「なぜこのような方法で死体を残すのか」といった問いを立て、その背後にある思想や背景を直観的にとらえる。これは、表層的な論理証拠の積み上げを超えた、事件の背後に潜む「意味の系譜」を見抜く行為のようだ。こうしたアプローチは、従来の探偵小説の枠組みにはない、哲学的奥深さと思索行動を伴う。

 この点で、フッサールの「本質直観」と、笠井の「矢吹の本質直観」は、目的において明確な差異を持つ。前者は抽象的な哲学的作業として、個々の事例から普遍的な本質を抽出することに終始するのに対し、後者は事件の「意味」を解明し、社会的・歴史的な側面を直観し、深層にある思想展開や文化的背景を掘り起こすことに重きを置く点で異なるのである。

 さらに本書は、哲学的な論議だけにとどまらず、東洋思想や宗教的な概念にも踏み込む。笠井は、ヒンドゥー教の聖者が語る「彼方にあるものは彼方にあるものだ」「ここにないものはどこにもない」との言葉に、フッサールの現象学のエッセンスを見出す。これは、「ここ」(phenomenon)と「彼方」(beyond)を二分しない、今ある現象そのものの深さを追究する思想といえる。ヒンドゥー思想の「梵我一如」「アートマンとブラフマンの一体性」も、認識の根源にある「自己と世界の絶対的同一性」を示し、現象学の「事象そのものへ」の態度とも共鳴する。

 このように、フッサールの「現象学」は、「事象の純粋記述」を目的とし、「先入観排除」の通奏低音を奏でる。彼の「志向性」に着目した理論は、「対象の意識的構造」を明らかにし、外部世界の本質に迫るための方法論を提供した。一方で、イギリス経験論の系譜を持つ伝統は、「感覚経験のみが知識の源泉」とし、「外界の本質の直接知識は困難」という懐疑的立場をとる。これに対し、フッサールは、「意識の構造」に着目し、「意味」や「志向性」の働きにより、外部現象の本質へと至る道を切り開こうとした。

 ハイデッガーの哲学も絡む。彼は、「私の死を死ぬ」ことの哲学的意義を、個人の非代替性と孤独性において解釈した。死は、「他者にとっての出来事」ではなく、「私にとっての究極の一回限りの経験」であり、その瞬間、あらゆる他者や外界は閉ざされる。自己の死と向き合うことにより、より深い自己理解と自己の実存性を高めることが可能とされる。これは、自己喪失や解放を説いた東洋思想や、西洋の存在論とも呼応し、また、本書の中核的テーマの一つとなる。

 物語の一環として、ナディアと矢吹の哲学的対話も重要な役割を果たす。「自分が悪であることを知った時、どんなに苦しいことか」と矢吹は語る。これは、自己認識と責任の問題を示唆し、悪と闘うこと、それ自体が「究極の離脱(解脱)」につながるという思想を反映している。彼の言う「地上に還って悪と闘え」という言葉は、まさに探偵の倫理と重なる。通常のミステリーでは、謎解きが主な関心事であるが、笠井は「悪と対決し、その本質を理解することこそ、真の目的」と位置づける。

 さらに、歴史的な背景も絡む。1968年の世界的な反体制運動群、フランスの五月革命、プラハの春、アメリカの反戦運動などを引き合いに出し、その時代の社会的変動を文化的背景としながら、矢吹駆や笠井の思想を展開させる。1968年は、「新しい時代の幕開け」かつ、「終焉」の象徴ともなり得る年として、著者の思想的スプリングボードに位置付けられる。

 知性と感情の相互作用もテーマの一つ。ナディアと矢吹の関係性を通して、「男が追いかけ女が逃げる」原理の心理、生物学、社会文化的根拠を考察。進化心理学、文化的ジェンダーステレオタイプに基づき、多層的な解釈を織り交ぜる。矢吹は、「身体的差異よりも、精神的・倫理的な価値の同一性」が人間の根源的な普遍性であるとする。

 こうした思索の合間に、クレタ島のエピソードや迷宮、ミノタウロス伝説といった文化人類学的考察も交え、儀式、魔除け、権力の象徴としての迷宮の歴史性を掘り下げる。迷宮は、ただの迷路ではなく、「死と再生の象徴」「未知なる自己の探索装置」としての深い意味を持っている。渦巻き模様は、生命の循環や宇宙の秩序の象徴であり、その形象は、自然界や神話の中に遍在する。

 最後に、物語のクライマックスにおいて、殺人事件の真相と共に、ウイルス拡散を企てるニコライイリイチの陰謀も明らかとなる。矢吹の「本質直観」により、事件の背後にある「オイディプス症候群」のウイルスの連鎖とその背景に潜む闇の意図が解明される瞬間は、まさに計り知れないスリルと思想的緊張に満ちている。

 総じて、『オイディプス症候群』は、哲学的思索とミステリーの融合を目指した、挑戦的かつ壮大な作品である。笠井潔は、単なる物語の枠を超え、読者に「深層の真実」に目を向けさせるための挑戦を仕掛けている。読者は、膨大な哲学的資料と物語の複雑な網の目を追いながら、自己と世界の根源的な関係性について、さまざまな視点から思弁し続ける必要がある。

 この作品を通じて、現象学の方法論が、ただの学問的な抽象ではなく、人間の存在理解や社会問題の解明にまで及ぶ可能性を示しているともいえよう。したがって本書は、哲学・思想の深淵を探求したい者、ミステリーの枠を超えた精神的な冒険を求める読者にとって、極めて意義深い書籍であると考えられる。

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2025年09月08日

Posted by ブクログ

とにかく長い。
衒学的な作品なのでそれを楽しめるかどうかで評価が分かれるんじゃないかな。
凄いボリューム。
読み通せればそれなりに満足感もある。
興味深く読むには哲学の素地が多少なりともないと厳しいかもしれない。
哲学を知るきっかけになるかは微妙なところ。読むのに必要な前提は低くはないと思う。

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2024年07月16日

Posted by ブクログ

クローズドサークルの館もの。冒頭、島の地形図やら屋敷の平面図やらがズラズラと並ぶのを見て、顔面筋肉を崩壊させてしまうミステリファンは少なくあるまい。肝心のトリックはこの物量に相応しく、大量の仕掛けが込み入った形で投入されている。ただ、驚天動地的な大ネタはなく、手掛かりの多くがびっくりするくらいあからさまに提示されているので、このページ数と果てしなく続くポストモダン風味の哲学談義に集中力が途切れない読者なら、そこそこ真相にたどり着けそうな感じ。迂生は途中で謎を解く気が失せてしまいましたけどね(^▽^)。
あと、初期の長編ではひたすら鼻持ちならない奴だった駆が、かなり丸くなった印象。出番そのものが少ないのは、作者さんも思うところがあるのか。それでも彼の意味不明な言動の、その意味が解る瞬間がいちばんミステリとして美味しいのは事実かなと思う。

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2022年12月13日

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