あらすじ
死後、我々はどうなるのか。「肉親」と再会できるのか。「前世の記憶」「輪廻転生」は、全くの迷信なのか。なぜ、「死者との交信」が起こるのか。「幽霊」や「地縛霊」という現象の正体は何か。我々の「未来」と「運命」は、すでに決まっているのか。なぜ、無数の人々が「神」や「仏」を信じてきたのか。なぜ、「最先端の科学の知見」と「最古の宗教の直観」が一致するのか――。この本を読み終えたとき、あなたの人生が変わる。
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Posted by ブクログ
久しぶりに出会えた人生が変わる一冊。
原子力工学を専門とする技術者、研究者である著者が、「死とは何か」を徹底的に考察し、「死は存在しない」と結論付けている一冊。
著者は、もともと唯物論に立つ科学者であったが、人生において何度も不思議な体験、科学では説明できない経験を重ねてきた。
その中で、量子力学に出会い、量子力学では現代科学の常識が全く通用しないことを発見した。
私たち生物もスマホなどの物質も、従前たる「モノ」であると私たちは認識しているが、それは脳の錯覚であり、実際は波動で出来ている。
そして、私たちの意識も波動で出来ている。
この宇宙に普遍的に存在する量子真空の中にゼロポイントフィールドという場があり、この場にこの宇宙の全ての出来事の全ての情報が記録されている、という仮説が、「ゼロポイントフィールド仮説」である。
この仮説に立つと、科学で説明不能な心霊現象、占い、デジャヴなどの現象について全て説明がつく。
しかし、残念なのはこのゼロポイントフィールドは科学的に証明された理論ではないため、あくまでも仮説の域を出ない。
それでも私がこの仮説がとても腑に落ちたのは、京セラの稲盛社長、ちびまる子ちゃんのさくらももこさんが、それぞれのエッセイで全く同じことを書いていたから。
彼らは、科学的な見地からではなく、あくまでも自分が体験したことにのっとり、ゼロポイントフィールドのような場があり、そこには宇宙全体の叡智がつまっており、私たちはそこからきて、死ぬとそこに還っていくという内容だった。
にわかには信じがたい説だが、現代科学で証明されていることはまだまだ少ないのであって、私たちの認識を遥かに超えた存在がこの宇宙を支配していると感じる。
「死とは何か」この問いは「私とは何か」に置き換えることができる。つまり、「私とはこの肉体であり、この自我意識である」と考えると、死は明確に存在し、必ずやってくる。
しかし、「私とは、この宇宙意識そのものであり、この現実世界を生き、肉体と自我意識に拘束されている私は、宇宙意識が138億年の旅路の中で見ている一瞬の夢に他ならない」と考えると、「死は存在しない」という結論に至る。
私が死ぬ時、もう1人の私が目覚めるともいえる。
最後の著者からの「死」について、そして「生きること」についてのメッセージがとても胸に響いた。
なぜなら、もしこの現実世界が宇宙意識の見る一瞬の夢で、私達は死後、幸福に満ちた愛一元の宇宙意識に帰還するなら早くそうなりたいと願う人が出てくるからだ。それほどまでに現実世界、自我意識というのは時に過酷で残酷だ。
しかし、著者は言う。
誰の人生にも大切な意味がある。どれほど不幸で不運で逆境の人生のように見えても大切な、大切な意味がある。
道端に落ちている小石にだって意味がある。もし、この小石に意味がないのなら、この宇宙にも何の意味もない。
宇宙意識は、あなたという夢を通じて自らも成長していこうとしている。
もっと若い時に出会っていたら全く違う人生になっていたかもしれない。それほどに影響を受けた本は久しぶり。
人生に迷っている人、生きる希望が見いだせない人は必読。子どもが成長したら読んで欲しい一冊。
Posted by ブクログ
非常に興味深く読ませてもらった。今まで不思議な体験は何故起きるのか?また死んだらどうなるのか?といった事に関して興味はあったが、考えても全く分からなかったので完全に思考停止していた。今回著書に出会い、宗教的見地ではなく、科学的見地からこういった疑問に対する可能性が学べた事は大きな財産である。その上で毎日の日常生活を大事に生きていきたい。
メモ
量子真空
ゼロポイントフィールド
Posted by ブクログ
私には、ゼロ・ポイント・フィールド仮説が、全く根拠のないトンデモ仮説とは思えなかったです。それは、たぶん、私が科学(という宗教)を信じており、ゼロ・ポイント・フィールド仮説が、量子力学という最先端の科学を使って説明されていたからだと思います。本書の中で、特に興味深かかったのは、この世界の本性は「物質」ではなく、「波動」であり「エネルギー」であるという見解です。この世界が物質ではなく、エネルギーであれば、ゼロ・ポイント・フィールドもあるかもしれませんし、この世界のあらゆる不思議も説明できてしまうのではないかと思いました。誤解を恐れず言いますと、本書を読んで、これまでより死ぬ事が怖くなくなりました。むしろ、死によって、肉体がなくなり、自我(エゴ)を根源とした苦しみもなくなるのであれば、死んだほうがいいのではないかと思えるほどです。もちろん、私は、ゼロ・ポイント・フィールドを見たことがないですし、まだまだ肉体と自我(エゴ)にまみれて生きていたいので、そんな早まったことはしないですけど。私は、明日からも、「自己」がゼロ・ポイント・フィールドに帰る時まで、いろんな経験をしながら、この命を燃やし続けたいと思います!
Posted by ブクログ
<目次>
序話この本を手に取られた、あなたへ
第1話あなたは、死後の世界を信じるか
第2話現代の科学は3つの限界に直面している
第3話誰もが日常的に体験している不思議な出来事
第4話筆者の人生で与えられた不思議な体験
第5話なぜ、人生で不思議な出来事がおこるか
第6話なぜ、我々の意識はフィールドと繋がるのか
第7話フィールド仮説が説明する意識の不思議な現象
第8話フィールド仮説によれば死後に何が起こるのか
第9話フィールド内での我々の自我は消えていく
第10話フィールドに移行した我々の意識は、どうなる
第11話死後我々の意識はどこまでも拡大していく
第12話あなたが夢から覚めるとき
終話21世紀科学と宗教は1つになる
P236本来、真の宗教は、人々を恐怖や不安によって
動かそうとするものではなく、人々に希望や安心を
与えるできもの
P286この宇宙は、様様な偶然によって起こる小さな
ゆらぎによって、その姿を多様に変えながら、何も
定まっていなし未来に向かって進化を続けている
創造的
宇宙意識の一部である自分の人生が「一時の夢」で
あるならば、自分の人生に大切な意味のあるもの。
魂の成長の路を歩むこと。いかなる苦労や困難が
あろうとも、それが、一度かぎりのかけがえのない
人生。尊い人生、されば、その「一瞬の夢」を、
素晴らしいものに。
Posted by ブクログ
自分が長年思っていたことが言語化されている、理屈で説明できない奇跡のようなものを理論的に示している、でもそれも仮説にすぎない、そう思って、今まで自分たち人間の起源、ダーウィンの進化論とか、そういうものを毛嫌いしてきた、この本についても一つの仮説にすぎない、著者の思想、自分自身の思想、一般論、色んなものを比較して、今の自分が信じていくものを作っていきたいと思う、全ては自分が作っている、現実は自分の頭が作り出している、全て虚像、どういう作品にしていくか、楽しいなぁ、ワクワクしてきた
Posted by ブクログ
この世界にいる人達、誰にも見えなくて
でも、みんなが似たようなことを感じていて
息を吸ったり吐いたり
生きると死ぬの間で
力強くなったり、頼りなくなったりしながら
私も光も
さまよっている
思ったより(私も光も)孤独じゃなくて
でも孤独だと(私は)思っていたくて
いろいろな言葉で表現してみたり
さまざまな角度から眺めてみたり
生きている側から
死んでいる側を
覗きこもうとするとドキドキする
向こう側から
こちら側を
覗きこんだら そしたら…
(とりあえず、もっともっとこの世界のことを学んでみたいと思ったので、
宇宙に関する本や量子論の初心者向けの本も、少しずつ読み始めることにしました。)
Posted by ブクログ
量子物理学で言うゼロ・ポイント・フィールドが存在すれば、宗教を含めてすべてのスピリチュアルなことは説明がつくというトンデモ本か真実の書なのかというとこ。
信じるものは救われるなので、信じていいような気もするのだけど、ポイントのとこを注意深く読んでいくと論拠が薄く仮説でしかないことが分かります。
その仮説にいろんなスピリチュアルな事項、経験、先人の書、言葉を並べるので真実のように見えてしまいます。
これからこの類の研究に注目ですが、最後は死んでみなきゃ分からないことで、仮説として信じておくのも方便としていいのかもしれない。
死んでも意識はゼロ・ポイント・フィールドに移行するので、魂として残る。このあたりは丹波哲郎の大霊界 死んだらどうなるで言っていた、聖霊界でクリーニングされて霊界に行くという説と全く符号する。霊界がゼロ・ポイント・フィールドということになる。
仏教の全体と個の関係というのも説明がつく。
亡くなった親にも会えるし、祈ることはゼロ・ポイント・フィールドにアクセスすることになるので、有効である。背後霊も墓参りも神社参りも意味のある行為ということになります。
村上春樹の心の奥底に降りていって小説を書くといった創造のエネルギーもゼロ・ポイント・フィールドにアクセスすることになるんですね。
『この宇宙が誕生したのは138億年前なんだそうです。ちょっと古すぎて目撃はしてないのですが。では、その前には何があったのか、そこには何もなかった、つまり真空でした。この真空を専門用語で「量子真空」と言うのだそうです。この「量子真空」が、あるとき、ふとゆらぎ起こして、その瞬間、この量子真空が極微小の宇宙を生み出し、それが急激に膨張し始めたのである。このプロセスを論じた科学理論が「インフレーション宇宙論」と呼ばれるもの。そしてその直後、この宇宙の萌芽が大爆発。ビッグバンを起こし、現在の宇宙が誕生した。このプロセスを論じた科学理論が「ビッグバン宇宙論」と呼ばれている。
ビッグバンを起こした後、宇宙は光の速さで膨張し、138億年かけて現在のような壮大な広がりを持つ宇宙となる。このように、宇宙はすべてこの量子真空から生まれたのである。これはすなわち量子真空の中には、この壮大な宇宙を生み出せるほどの莫大なエネルギーが潜んでいるということに他ならない。
そしてこの量子真空は今もわれわれの身の回りに、この宇宙の全ての場所に普遍的に存在しているのであり、別な表現をすれば、我々の生きているこの世界の背後に量子真空と呼ばれる無限のエネルギーに満ちた世界が存在しているということである。
このように、現代科学の最先端の量子物理学においては何もない、真空の中にも莫大なエネルギーが潜んでいることが明らかにされている。
このエネルギーのことを量子物理学ではゼロ・ポイント・エネルギーと呼んでいる。ノーベル物理学賞を受賞したリチャードファインマンの計算によれば、1m3の空間に潜むエネルギーは、世界のすべての海の水を沸騰させることができるほどの量であるとされている。また、最新の量子空間の研究によれば、このエネルギーは無限であるとの議論も提示されている。
この量子空間の中に、ゼロ・ポイント・フィールドと呼ばれる場があり、この場に、この宇宙のすべての出来事のすべての情報が、「波動情報」としてホログラム原理で記録されているという仮説があるそうだ。
量子物理学的に見るならば、我々が物質と思っているものの、実体はすべてエネルギーであり、波動に他ならず、それを質量や重量を持った物質や課題、物体と感じるのは、実は我々の日常感覚がもたらす錯覚に過ぎない。
我々は自分自身の体もこの世界が明確な物質として存在していると思っているが、実は我々の体やこの世界を全て原子によって構成されており、その原子は、さらに電子や陽子、中性子という素粒子によって構成されているのである。そして、この素粒子の正体は、実は「エネルギーの波動」であり、エネルギーの振動であり、「波動」に他ならない。それゆえ量子物理学的に見るならば、我々が日常的に感じる物質というものが本来存在しないのである。
例えばガラスを鉄の棒で叩いて、それが固い物体と感じるのは、鉄原子という「波動エネルギーの塊」はガラスを構成するシリカの原子や酸素の原子の「波動エネルギーの塊」と反発するからである。
どれほど強固な物質に見えても、それを量子物理学のミクロの視点から見るならば、すべて波動に他ならない。
この宇宙のすべての出来事と、それが銀河系宇宙の生成であろうが、地球という惑星の誕生であろうが、ローマ帝国の滅亡であろうが、あなたがこの地上に生を受けたことであろうが、あなたの今朝の食事であろうが、その食事がうまいと言ったことであろうが、その本質は量子物理学的に見るならば、すべて波動エネルギーなのである。
それゆえ、もし、「量子空間」の中に存在する「ゼロ・ポイント・フィールド」がこの宇宙で起こった出来事、すなわち波動エネルギーを、波動情報として記録しているのであれば、「ゼロ・ポイントフィールド」が、この宇宙のすべての出来事を記録しているという仮説は決して荒唐無稽な理論ではない。
例えば、今静かな湖面の上を吹き渡る風を想像していただきたい。この場合、風邪は空気の波動であり、それが込めに水の波動というある波を生み出す。それは言葉を換えれば風という波動エネルギーの分析がコメンののみという波動情報として記録されるということである。そして、湖面の上をさまざまな風が吹き渡るならば、そのすべてが湖面の波として記録されるだろう。これが現実世界(湖面)での「出来事」(風)をゼロ・ポイント・フィールド(湖面)が、「波動情報」(湖面の波)として記録するということのイメージである。
ゼロポイント・フィールドでは、エネルギーの減衰が起こらない。「ゼロ・ポイント・フィールド」に波動として記録された情報は永遠に残るのである。このフィールドに記録された情報はこの宇宙の過去から現在までのすべての出来事の全ての情報であり、その情報はゼロ・ポイントピードが存在する限り永遠に存在し続ける。もし我々が何らかの方法で「ゼロ・ポイント・フィールド」につながることができるならば、我々もこの宇宙の過去から現在までの全ての情報に触れることができる。
「ゼロ・ポイント・フィールド」において、過去と現在の瞬間の波の状態が分かれば、未来の波の状態もある程度予測できる。ゼロ・ポイント fillに存在する情報とは過去と現在だけではなく、実は未来の出来事の情報も含まれている。未来に起こる可能性のある出来事についても知ることが出来る。それが我々の人生において、予感や予知を占い的中といった不思議な出来事が起こる理由でもある。
我々の「意識の場」である脳や身体は、この「ゼロ・ポイント・フィールド」と量子レベルでつながるこができる。これについてはこの仮説を裏付ける「量子脳理論」が注目されている。
この理論は、スティーブンホーキングとともにブラックホールの特異点定理を証明したロジャー・ペンローズによって提唱されている。
我々の「意識の場」である「脳や体」が注目「ゼロ・ポイント・フィールド」に繋がっているとすれば、「直感」「以心伝心」「予感」「予知」「占い的中」「シンクロニシティ」「コンステレーション」などの「意識の不思議な現象」が、なぜ生まれるのか、その説明となる。
我々の意識の世界が階層構造になっている。
表面意識
静寂意識。静寂を保っている時の意識の世界。この世界で我々の自我エゴの活動が比較的静まっており、不満や怒り、不安や怖れ、嫌悪や憎しみ、妬み、怨念などネガティブな想念が消えている。
そのため、この静寂意識の世界はしばしば「ゼロ・ポイント・フィールド」につながりやすくなり、そこから必要な情報や知識や叡智を得ることができる。
適切な直感が降りてくるようになる。
第3の階層は無意識。無意識の世界は「ゼロ・ポイント・フィールド」を通じて、類似の情報を引き寄せる。したがって、この無意識の世界では引き寄せの法則によって不思議な直感やシンクロニシティ、コンセントレーションなどの現象が起きる。
第4の段階は超個的無意識。ユングの心理学の「集合的無意識」と呼んでいる。以心伝心など我々の心が繋がったように思える「超個的な現象」が起こる。
第5の階層は「超時空的無意識」の世界。「ゼロ・ポイント・フィールド」と深く結びついた意識の世界。「予感」「予知」「占い的中」といった「未来を知る」という体験が起きる。
「無意識」の世界で、何かを「想う」ということは、その想念に関連した情報を探すことや、集めることになる。
人が死に直面したときに過去のすべての思い出が走馬灯のように巡っていくというフラッシュバック現象がこれにあたる。
天才と呼ばれる人々は、化学や技術、学問、研究、芸術、音楽など職業を問わず、その創造的なアイデアや発想が「どこかから降りてきた」「天啓のごとく与えられた」と言った表現をする。「頭で考え抜いて、思いついた」といった表現をする人はあまりいない。これはおそらく「ゼロ・ポイント・フィールド」に繋がりそのことによって、「ゼロ・ポイント・フィールド」から創造的な発想やアイデアを引き出していると考えられる。
日常的に感じている「良い運気」「運の強さ」というのものも、我々の無意識が、「ゼロ・ポイント・フィールド」につながることによって、必要な情報を引き寄せることによって起こるものである。
「良い運気」を引き寄せるためには心の中に「ポジティブな想念」を持つことが必要である。
「神」「仏」「天」とは「ゼロ・ポイント・フィールド」に他ならない。
般若心経の「色即是空空即是色」とはこの世界(色)は、すべて真空(空)から生まれてきたということ。
「前世の記憶」「転生」「生まれ変わり」は、子どもたちが、何らかの理由で、その意識が「ゼロ・ポイント・フィールド」に繋がったことによる。
「霊媒」「死者との交信」は「ゼロ・ポイント・フィールド」から、その故人に関する様々な情報誌を受信し、家族の前で語っている。
「背後霊」は、それが見えるという人は、その背後霊になったとされる故人の情報を「ゼロ・ポイント・フィールド」から受け取って語っている。
自分の一生の記録も「ゼロ・ポイント・フィールド」には存在するので、死んで肉体が滅んでも意識としては「ゼロ・ポイント・フィールド」内に深層自己として残り続ける。深層自己は「ゼロ・ポイント・フィールド」内の様々な情報に触れながら、存在、変化を続け、生き続ける。
つまり死ぬことで「現実自己」は「深層自己」に中心を移す。
臨死体験、幽体離脱はこの「ゼロ・ポイント・フィールド」に入り、そこからまた抜け出すことになる。お花畑とか亡くなった家族が現れるのは、死者の意識がそれらの情報を集めたことによる。
「現実自己」の中心にあった「自我意識」(エゴ)は「ゼロ・ポイント・フィールド」にあってもしばらく中心的な役割を果たすが、生きるうえでの苦しみ、恐怖、不安がなくなるので「自我」(エゴ)が消えていくので、救われていく。そのことは「私」が消えていくことを意味する。ただ自我意識が消えても決して消えない「私」、「真の私」が、いる。真の私は「至福に満たされた世界」に向かっていく。この自我が消えて至福の世界に向かうプロセスを仏教では「成仏する」と呼び、「至福の世界」ほ「涅槃」と呼んだ。
親鸞の「善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」というのはすべての人々が救われるという「絶対肯定」の思想。
我々は、死後、「ゼロ・ポイント・フィールド」で「肉親」に再会できるのか
肉親も「ゼロ・ポイント・フィールド」で深層自己として生きているので、会うことはできるが、超自我意識となった肉親となる。
一方、「ゼロ・ポイント・フィールド」で再会する肉親は、ある意味で、生前のイメージのままの肉親である。それは我々の意識が生み出すものでする。
死後すぐには自我意識が強くのこっていて、他界した肉親に会いたいと想うと、「ゼロ・ポイント・フィールド」が記憶している肉親の「様々な情報」を引き寄せ、そこに懐かしい「肉親のイメージ」を生み出し、そのイメージと対話することもできる。
祈りを捧げることは、愛情や思慕に結びついたポジティブな想念で、あまり自我(エゴ)が強く現れた想念ではないため、我々の無意識がゼロ・ポイント・フィールドに繋がる最良の方法である。
ゼロ・ポイント・フィールドにつながる方法になるので、故人や肉親は、「ゼロ・ポイント・フィールド」に移った後、現実世界の我々を導いたり、守ったりすることもできる。』
Posted by ブクログ
物質と精神は同じく波動でありそれはすべて量子真空であるゼロポイントフィールドに記録されている。表面的に意識している世界と深層意識はパラレルに進行していて、宗教家などは行ったり来たりしている。死とは深層意識に戻ることを言う。自我はないがその分苦しみもない。
なかなか面白かったが、やはり自我が無いというのがなかなか受け入れにくい。苦しみがあっても自我があって欲しい。もう一度読むか。。
Posted by ブクログ
再読ですがほとんど忘れているので初読みの様な感じ。
現代の科学の限界から始まり著者が経験した不思議な体験は少し胡散臭さを感じてしまう。
そこから『ゼロポイントフィールド仮説』→この宇宙の全ての出来事の情報が記録している。
このフィールドと意識は結びついていて死んで肉体は滅びるが意識は残るというのが著者の考えである。
後半は少しSFチックな世界に発展してしまったが
本全体としては面白くまとまっている。
これが当たっているか外れているかは死んでみなければわからないというのが結論ではあるのだが。
Posted by ブクログ
一、レイアウトが素晴らしい。
今までみたどの本よりも綺麗で、読みやすい。
具体的には
文字サイズ…見出しが大きくて良い
見出しの囲い…めちゃx2見やすい
太字…適度にあり強調箇所が一目瞭然
パラパラめくったら大体見開きに数箇所
段落、行間…詰まり過ぎず良い
(ラノベ並にスカスカ)
以上から、めっちゃスラスラ読める。
300p超だが実質200p並か?
二、内容について賛否を述べにくいので無難に4点
正しいとも間違ってるとも言えない
懐疑スタンスで見たが否定できなかった
(覚えておこう、くらいの感想)
三、細かい印象に残った点と感想
最近生死感の本をよく手に取るが、
その中でも量子力学(量子科学と同義だと思う)
をベースとしたゼロポイントフィールド仮説
にフォーカスしてるのが唯一無二。
私はバックボーンがあるので容易に理解。
めっちゃふんわり説明で一般人にも配慮。
ざっくり、波動の中に全ての情報が保存
されていて、それがゼロポイントフィールド。
情報とは過去から未来まで。
死後の世界も説明できる、らしい。
不思議な事象(予知、シンクロなど)も同じ。
ちなみにzpfは世界そのものだと思われる。
どこかに宇宙意識とも書かれてた。
私は賛否は表明しないが、面白いとは思う。
宗教と科学の溝について述べられてた。
天国に行けるというのは政治利用の結果。
宗教は幸せを与えるためのものだから、
死後の恐ろしい世界は正しくないとの主張。
ただし古来の宗教はzpf的な発想もあるらしい。
タイトル、死は存在しない、について。
死は自我の消失を指すので、
実際は死は存在しない、というロジック。
つまり死だと思ってたものすら
自我の上に成り立つ。
本来は自我を超越した本当の自分が存在する。
自我の消失後は、情報がzpfに残る。
言い換えればzpfと一体化する。
最後に、本書の考えは非常に甘い蜜に感じる。
マルクスが宗教はアヘンだと言ったのと、
結局は似た雰囲気を感じる。
そこに科学がプラスされてるかの違い。
しかし今はまだ証明されず。
私は輪廻転生思想を持ってたが、
それも正しいとは言い切れない。
生きてるうちに答えが出ることは…あるのか。
強く思うのは、自分にとって都合いい話を
信じて、ポジティブに生きればいんじゃね?
という事。
以上
Posted by ブクログ
ゼロ・ポイント・フィールド仮説。難解だが、自我意識から宇宙意識への無限の広がりの中で、死はその壮大な展開の中の一瞬に過ぎない。したがって、この本の主題「死は存在しない」は、死は宇宙意識までの広がりの中、ほんの一片としての位置づけしかない細やかな存在として受け入れていくことなのかもしれない。死後、肉体を離れて永遠に進化し、その中で自我は徐々に消え、すべてが一体化していく。
Posted by ブクログ
「死とはなにか」という問い。
それに対して筆者が述べた、「その問いに答えを見出したければ、『私とは何か』という問いを問うべきでしょう」との答え。
もし、あなたが、「私とは、この肉体である」と信じるかぎり、「死」は明確に存在し、そして、それは、必ずやってくる。
もし、あなたが、「私とは、この自我意識である」と信じるかぎり、あなたの意識がゼロ・ポイント・フィールドに移った後、いずれ、その「自我意識」は、消えていく。そして、「超自我意識」へと変容していく。
それゆえ、その意味において、「自我意識」にとって「死」は存在し、それも、必ずやってくる。
しかし、もし、あなたが、「私とは、この壮大で深遠な宇宙の背後にある、この『宇宙意識』そのものに他ならない」ことに気がついたならば、「死」は存在しない。「死」というものは、存在しない。
なぜなら、この現実世界を生き、「肉体」に拘束され、「自我意識」に拘束された「個的意識としての私」は、この「宇宙意識」が、138億年の悠久の旅路の中で見ている、「一瞬の夢」に他ならないからである。
そして、その「一瞬の夢」から覚めたとき、「私」は、自分自身が「宇宙意識」に他ならないことを、知る。
(310頁~312頁)
量子力学から導き出されている「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」。すなわち、量子真空に存在するゼロ・ポイント・フィールドには、宇宙の出来事や情報のすべてが記録されているという仮説。
そのゼロ・ポイント・フィールド仮説と筆者の人生体験から導き出される生命論、生死論、宇宙論が展開されている。それはまた今を生きる私たちにエールを送りつつ、「宗教と科学」の橋渡しとそれによる全人類の覚醒を期待する小論である。
科学者、研究者には科学的唯物論による宗教の否定ではなく、人生の不可思議現象への量子論からの科学的分析を進めることを期待し、宗教者、信仰者にはその信仰対象とその教義への「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」からのアプローチが信仰の確信をさらに強固にすると訴える。
読者には、己が人生の今後のベクトルの在り方を考えさせられる名著である。
Posted by ブクログ
小さい頃から死に対しての恐怖があり、この際勇気を持って知ってみようと思い読んでみました。
なんとなーく、少し恐怖感は少なくなったかなとは思います。SF感が後半強くなり、お?と思いましたが、今を一生懸命生き、全てのものに感謝して自分の人生の旅をしたいと思いました。ゼロポイントがあると信じています!
Posted by ブクログ
量子真空に揺らぎが起きて陽子と電子が生まれたのはなぜか、陽子や電子に意識があるのか、物体は存在せず波動がある、不思議な体験はゼロポイントフィールドにリンクして関連する情報を引き寄せているから…生成AIや量子コンピューティングが発達したらもっとよく見えてくるのか、それとも見えなくなるのか。これから5年間に何が起こるのか楽しみしかない。
Posted by ブクログ
評価は難しいよね。最終的には信じるか信じないかになってしまう。相対性理論のもとは、光の速度が常に一定ということから導き出されていると思うのだが、じゃあ光の速度が一定なのはどうして、と問われるとそうなっているからとしか言えない。この本のな内容についてもそんな感じがしてしょうがないんだよなあ。いろいろ状況証拠は出しているつもりなんだろうが、それも著者の個人的経験でしかないしね。
宇宙の始まりから、素粒子同士がくっついていったように意識を持っていて、その宇宙意識が成長していって現在の宇宙が出来上がった。目的があるわけではない。その宇宙意識の高度な発展の一つである人間の意識は、死んでも宇宙意識の中に戻るわけだ。個的意識としての私は、宇宙意識が138億年の悠久の旅路の中で見ている一瞬の夢。今の私でもその宇宙意識につながれば、過去も未来もすべてを知ることができる。
素粒子にも意識がある。いやそれこそが根本。日本でのアニミズムやスピノザの汎神論と似ているようで、ちょっと違うのかな。いや同根なのかな。
以前から私が考えていた宇宙論を補強してくれるような内容で、私は合点するのだが、強烈な論理性があるというほどでもなく、唯物論者が読んで納得はしないだろうな。頭の中で、そういう友人の姿が浮かんだよ。
Posted by ブクログ
死生観に強い影響を与えた本。自身や肉親に必ず訪れる死への恐怖に対して「こう思えたら救われるじゃんね」っていう解釈を得られたのは本当によかった。科学者が辻褄を合わせてくれる、そのことが随分ありがたい。本書に書いてあることが嘘か誠かなんて多分関係なくて、「信じてみたい」と思えたことが花丸なのだ。少なくとも、死に対して人一倍小心者であった私が少し穏やかになれた。のと同時に、本当にやってくる真実へ覚悟をもつこともできた。田坂さん、ありがとうございました。
Posted by ブクログ
幽霊とか占いとか縁起が良い悪いといったスピリチュアルなことは自分とは無縁だと思ってましたが、この本を読んでからは少し信じてみてもいいのかな?と思わせてくれました。
この本の内容を完全に納得したわけでもないですが、一見相反する科学と宗教が実はある考え方では一つに結びつくというのが斬新で興味を惹かれました。
Posted by ブクログ
量子科学というものに興味あり、そしてこのタイトルにぐっと掴まれ。それは本当なんですが。
いえ、正直言うとちょっと表紙の著者の写真に惹かれて手に取り。ちょっとかっこいい風でないですか(そんな理由で手に取ったのかという批判もありましょうが)
死んだら無であると、30過ぎるまで信じていた科学者が死は存在しないという考えに至るというのはなかなかのことではないかと思い、なぜそういう考えに至ったのかまず知りたく思いました。スピリチュアル寄りではない人が科学的に考えてそういう考えに至るというのはあまりあり得ることではないと感じたからです。
「ゼロポイントフィールド仮説」という言葉というか考えかたを聞いたことも見たこともありませんでした。そして言ってることは何となく分かるのだけど難しかった。
で途中からこれはどこかで読んたことのある話だなと思い、私の頭の中に浮かんでいたのは江原啓之さんが言ってたことです。
波動の法則とか、魂の成長のために現世を生きているとか大きな魂の概念とか…それを思い出しつつ読んでいくと言ってることがわかる気がした。というか江原さんと同じこと言ってますよね?と思いました。(え。違いますか?)
最後の方になると理解がついていかず、これは科学的な話として読んて良いのかなと思いつつ読み進め、結局私はあまりすっきりとはできませんでした。
安心したとも救いも感じられなかった。ここに書かれたことが仮説でなく真理であったとしても、生身で生きる現世の苦しみや困難がやはり私はしんどすぎると思うから。(それは本書の伝えたいことを理解したとは言えないということだろうか?)
最後にはそういう「人生が夢なら早く覚めてしまって良いのではないか」という人に寄り添うような言葉もありましたが(私はそう思った派というかそういう人出るでしょうよと思った派)それに理解を示しつつも最後はとにかく生きてほしい、生きることに意味があるという願いというか祈りに全て集約されてしまうんだなとちょっと気がぬけたというか…
要するに本書を読んでじゃあ現世的に死んでしまおうという人がでたら困りますもんね、ということなんでしょうそれは、と思ってしまった。そこでちょっとモヤッとしてしまったのがこの読後感なのかも。
いやでも、読めてよかったです。著者がなぜ死は存在しないと考えるに至ったかはよくわかりました。
他の著作もちょっと興味がありますが、読めば読むほどもしかするとモヤッとが深まるだけかもしれないという予感も…ちょっとします(苦笑)
Posted by ブクログ
オカルト的に受け止められる虞もあるとは思う。
生きるとは、なにか。
テセウスの舟、みたいなことを考えても、なにか物資として確固たるものがあるわけでもなく。
自由、意思みたいなものも、考えれば考えるほど、不確かであり。
なにかの「流れ」が、形をとっているのが、自分なのかもしれない。
と思っていたところ。
この本のいう、「ゼロ・ポイント・フィールド」は、そうした流れを、この世の全ての流れ、として把握したものなのかな、と思いながら読んだ。
突飛なことをいっているようで、普通のことを整理して言っているようにも思った。
Posted by ブクログ
会社で進められて読みました。
著者がずっと仮説と言い続けてたので誠実だと思いました。
死後の世界や輪廻転生を信じてないので、やはり同意はできませんでした。
以下理由
・ゼロポイントフィールドが存在しても自分に都合の良い情報を選べると思えない点
・ゼロポイントフィールドにアクセスするのに死んだ親族を介するようでしたが、死んだらその人の属性が無くなるのに血縁関係だけ残るのなんで?
等です。
Posted by ブクログ
後半の死後の仮説はなかなか理解が難しかったが、そういう考え方もあるんだな…と言った感想です。宗教について疑問を持ち読んだので、少し腑に落ちる部分はありました。信じて救われるというか、要するに深い部分での自分との対話なんですね。
Posted by ブクログ
他者の文章や会話が、自分と混ざる。
文章には、声紋や指紋のように独特の構文のような、「あーあの人の文章だな」というのがあって、無意識にそれが混ざるのだ。感化されている。今回はそこから始めてみる。
死後の世界は誰にも分からない。本書はその神秘的な空想を量子科学的に解釈しようとするが、単に量子科学とスピリチュアルな挿話を並べているだけで、結び付けられているかは不明だ。そもそも解説が不可能なのだ。著者の神秘体験をもとに死後の世界の存在証明について、物理学の見地から試みた本という事になる。
一つ言わねばならない。
人間は、一日に3.5万回程度の判断をしているらしい。これを毎日繰り返すなら、著者のいう「直観」や「以心伝心」、「予感」や「予知」、「シンクロニシティ」、こうした不思議体験は長い人生で確率論的に起こるはずだ。そして、それが強い印象で残る。バーナム効果のような事もある。しかし、それを神格化させてはならない。
個人的には、アンビバレントな思いがある。私は遠くに住む家人が亡くなる時に夢でそれを知った。目覚めて昼、それを告げる親族からの電話で悲しみと共に驚くよりも感謝し、温かい気持ちになった。こうしたスピリチュアルを本来は信じたい側だ。
だが、無知の知。解説不能な事象を、手なりの知識で物語化するのが神格化であり宗教。知らないものは他者に説明できない。本来、それで良いではないか。神話は差分を補完する自己都合である。自分の胸にとっておくべき。あなただけのカーゴカルトだ。
人間による序列化の本能。人格の序列化の頂点に神格化があり、その下層に擬物化がある。物語を共有する対象は一旦全て「人格化」し射程にいれて競うのだ。競争対象とはならない人間が作り出した神は、「神格化」の域にあり、こうした序列を成立させる根拠こそ〝物語“であった。
回りくどい言い方をした。著者のいう仮説とはこの宇宙に普遍的に存在する「量子真空」の中に「ゼロ・ポイント・フィールド」と呼ばれる場があり、そこに宇宙のすべての出来事のすべての情報が「記録」されているというものである。アカシックレコードという方が馴染みがあるか。
序列化の作業で自我が認知され、その過程で混ざり合う人格。共通の物語や知性を獲得する事が、人を成長させ、その物語を取り込む事が、文体や人格にも影響していく。
全ての情報を管理する主体が超越的存在ならば、現時点の構成要素から因果を辿ることで過去が導き出せるのだから、どこかに全ての瞬間を保存するなんていう仮説は無用だ。何故なら、過去はそれぞれの個体に保存され、それを引き出すためにコミニュケーションをしたり、文字からイマジネーションを想起させるのだから。アカシックレコードは、人間脳内のハードディスクの総体。人々が入れ替わる事で個人の物語は薄れていく。
恐らく、死後の世界は存在する。しかし、それはあなたや私が物語と化したもので、私やあなたが主体である世界ではない。主体である事に執着せず、他者と混ざるのだ。
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タイトルに惹かれ手に取りました。
科学は全くのド素人で、ほとんど難しく読み進めるのも大変でしたが、
なんとなく、タイトルの意味は分かったような気がします。
科学の世界に生きる方の脳内を覗けたようで、とても勉強になりました。
Posted by ブクログ
田坂さんのゼロポイントフィールド仮説を説明した本。田坂さんの本番幾度と拝見しており、良書を幾つも出されているのでこの本も読んでみた。じっくり読み込んでみたが、まだ私の知識レベルでは理解がついて行けておらず、断念してしまった。今度も同様の本を読む事になると思うが、死ぬまでに理解できるのか正直自信が無い。
Posted by ブクログ
量子科学の専門家である筆者が、自身の知見から「死」に対して持っている仮説を説明した本です。
何故この本を手に取ったか忘れましたが、さっと読んで置いていた本書を、大切な人の死を機に、もう一度読み直しました。
量子科学には門外漢なため、自身で信憑性を判断出来ませんが、決して疑似科学やオカルト的なものではなく、科学者としての仮説を説明する筆者の姿勢は見てとれました。筆者曰く、世界はその裏側にある「量子真空」と併存しており、我々の経験や自我はそこに記録され、既に記録されている他者の情報と相互反応を起こし続けるため、自身の全ての情報が死後も残され、かつ活動し続けるという意味で「死は存在しない」と述べています。
冒頭に述べた、大切な人の死に直面した時、
「死とは、何処にもいなくなると同時に、何処にでもいるようになること」
そんな考えが浮かびました。毒にも薬にもならない言葉遊びと思う一方で、何故かこの考えがストンと胸に落ちたのを覚えています。筆者が唱える仮説は実証が難しいと思いますし、死に対する考えは千差万別あって良いと思います。ただ、自身にとっては、こういう考えもあることを知れて良かったと思います。
Posted by ブクログ
全ての事象はゼロ・ポイント・フィールドに記憶されている。そして人は死ぬと自我を失い、肉体を残してそのフィールドへと向かう。そこで全てを知ることになるようだ。宇宙は成長していて、自分は成長する宇宙が生み出したものの一つであり、自分も宇宙の一部である。すなわち宇宙意識に気づく。よって宇宙が成長する限り、宇宙の一部である自分は死なない。たとえ肉体が死んだとしても。
かなりオカルトチックに思えた序盤だったが、終盤では宗教と科学との架け橋となる筆者の考えに少し賛同した。前にYouTubeでも似たことを聞いたことがあって、「全ての人は宇宙であり一つである」と言っていたがそれと繋がった。
Posted by ブクログ
死後について科学的な考え方を聞いてみたいと思い読みました。わかりやすく説明されていて読んでいる時は理解しているつもりなのですが、読み終えた後、やはり難しいのかもう一度読み直そうと思ってしまった。少し時間をおいて再読してみようと思っています。