【感想・ネタバレ】言葉と歩く日記のレビュー

あらすじ

熊の前足と人の手,ドイツ語では単語が違う.では人の言葉で語る熊は,自分の手を何と表すだろう──.日独二カ国語で書くエクソフォニー作家が,「自分の観察日記」をつけた.各地を旅する日常はまさに言葉と歩く日々.言葉と出逢い遊び,言葉を考え生みだす,そこにふと見える世界とは? 作家の思考を「体感」させる必読の一冊.

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Posted by ブクログ

ネタバレ

311の後、コロナ前。言葉との向き合い方がとても丁寧で相対的で面白かった。3つ言葉ができるといいなあ。ベトナム語またやろうかな。

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2024年08月08日

Posted by ブクログ

ネタバレ

作者は早稲田大学で文学を学び、ハンブルグ大学で学び、チューリッヒ大学で修士を撮った人が、言語の壁を日本語からドイツ語を観察したり、ドイツ語から日本語を観察する際に、感じたことを日記の形で、自作翻訳している期間にまとめられたもの。それは、日本語の「雪の練習生」を和独する作業をされていた時期だと後書きで述べられている。
作者の琴線に触れた事としてあげられている物の中の一つとして。117項にこんな記述がある。
「ハンナ・アーレントによれば、ナチスの一員として多くのユダヤ人を死に至らせたアイヒマンは、悪魔的で残酷な人間ではなく、ただの凡人である。上からの命令従わなければいけないと信じている真面目で融通のきかないよくいるドイツ人である。個人的にはユダヤ人を憎んでさえいなかったが、上の命令に従い、自分の義務を果たさなければいけないと信じ、ユダヤ人を殺せと命令されれば殺してしまう。凡人が自分の頭でものを考えるのをやめた時、その人は人間であることをやめる。どんな凡人でも、ものを考える能力はある。考えることさえをやめなければ、レジスタンスばどとても不可能そうに見える状態に追い詰められても、殺人機械と化した権力に加担しないですむ道が必ず見えてくるはずだ。言語を使ってものを考えると言うこと、それが絶望の淵にあっても私たちを救う。」僕はクリスチャンだが、どうも教理にしたがって人に福音を述べ伝えよと言うことが最善の命題ならば、それを疑わずにしてしまう機械の歯車になっていることが楽なのである。自分の信仰を問われる一文であった。
 やはり、文法的なことで、138項に「人称代名詞と一口に言っても、一人称三人称の間には、根本的な違いがある。「ich」という人称代名詞の正体は何なのか。べろんべろんに酔った不良少年も祝日信者たちの前で演説するローマ法王も自分の事を「ich」と呼ぶ。」とある。日本語で「あたし」とか「俺」とかなどの社会のしがらみのなかで体臭をはなつ日本語と比べて、ドイツ語の「ich」無色透明なので、初めのころは本当に三人称で自分の事をしゃべっているような感じがした。」と言う。
著者は朗読の為に、世界各地を旅行しているのも凄い。昨日、日本からベルリンに帰ったのに明日はアメリカだと言う。驚いてしまう。彼女は僕とどう年配の作家さんなのである。
あともう一読しなければならないなあと思わせられてしまう。

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2022年10月08日

Posted by ブクログ

ネタバレ

ベルリン在住で、日本語とドイツ語のニヶ国語の小説を発表している多和田さんの、"言葉"に関する日記形式のエッセイ。
小説の中で多和田さんはよく言葉遊びを取り入れておられる。生まれてからずっと日本在住で日本語しか話さ(せ?)ない私にとって、それは新鮮で斬新で、いつもクスッと笑ってしまう。
ドイツから見た日本、ドイツ語と比較した日本語、というように俯瞰して日本並びに日本語を観察しておられるからできる技なのだろう。特に印象深かったことをピックアップ。

●時代と共に日本人が遣う日本語も変化し、遣われなくなり消えていく日本語も少なからずある。実際遣っている我々は、そんなものかと時代に流されている感があるけれど、多和田さんはそのことを大変危惧されていた。
●日本語の発音の響きと字の形。日本人にとっての当たり前を掘り出して注目し、時に心配もする多和田さんの日本愛はかなりなもの。日本在住の日本人以上の愛情を感じた。
●文章が縦書きなのは日本だけとは驚いた。韓国はともかく中国も横書きとは。日本は東アジアの中でも特に古いものを残す国、と世界の中で言われていることにも驚いた。やはり島国だからかな?
●日本の敬語について。敬語を遣った質問の場合、単刀直入に訊くのでなく間接的な言葉を遣うことが多い。例えば「砂糖をお使いになりますか?」という表現。砂糖は道具でも召使いでもないのに何故"使う"なのか?一方ドイツでは「砂糖が欲しいですか?」と単刀直入に訊くそうだ。何故日本人はわざわざ回りくどい言い方をするのだろうか。つくづく不思議である。敬語の言い回しは日本人にとっても難しい問題。
●日本語や英語等の言語に主語はいらない説には感心した。確かに話し言葉にわざわざ主語なんて付けない。付けるのは教科書くらいかな。あと、詩は助詞を抜かした方が勢いも出てきて好き。好みの問題かもしれないけれど。
●多和田さんの場合ニヶ国語だけでなく、そのニヶ国から張り巡らされている別の無数の言語との関係性を見ておられる点が面白い。
●花から花へ飛び移るミツバチのように、様々な国の言語や文化を吸収し、また別の国へと運び、多和田さんなりに混ぜ込み、多和田文学が創られるのだろう。今年はコロナの影響で飛び回れず、ウズウズしておられるかな。

多和田さんの頭の中で、ニヶ国の言語が其々の主張をして対話を重ねることにより生まれた"言葉"は、我々日本人を刺激する。
多和田さんが日頃感じる、異国の中の日本語に対する疑問や解釈の発想がとても面白かった。

時折内容の高度な箇所もあったけれど、大学時代の教授の講義を聴いているみたいに思えて、とても懐かしくもあった。
また続編が出ないかな。
次回があれば、出来の悪い教え子なりに多和田教授の講義に付いて行きたい。

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2020年09月27日

Posted by ブクログ

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 『地球にちりばめられて』で知った著者。2冊目。こちらはエッセイ。

 その昔、野沢直子が一時帰国をして『笑っていいとも!』に出演したことがある(御存知と思うが、野沢直子は日本で売れた後、武者修行とばかりにアメリカに渡り、現地で伴侶を得て当時はアメリカのショービジネス界で頑張ってた。今も?なのかな?)。

 その時、「今、日本って、なんでも2文字で言っちゃうんですねー」と驚いていた。何のことかと思ったら、「早い」「遅い」「長い」などが、「はやっ!」「おそっ!」「ながっ!」っとなっていると。
 全然気づかずにそうした表現を使ってたけど、そうかー、久しぶりに海外から日本に戻ってくると、そういう違いに気づくんだーと、言葉を駆使する芸人の鋭い感性に感心したもの。
「じゃあ、タモリさんのことも、”タモっ”って言っていい?」とボケまでかます達者ぶり(笑)

 前置きが長くなったが、本書の著者もドイツで暮し、日本語とドイツ語他、他言語を操る御仁。日本に居るだけの日本語だけの話者には気づかない多くの発見があって実に楽しい。

 日記風に、1月1日から4月の中旬まで毎日なにかしらの記述がある。
 三日坊主でもない、この中途半端な期間は、著者が自著『雪の練習生』のドイツ語翻訳に取り組んでいる期間だそうだ。日本語をドイツ語に訳すに際し、改めて両言語間の暗くて深くて溝に思いを馳せることになる。
 翻訳作業の苦労も滲み出ているが、むしろ新たな言語的な気づきに一喜一憂している日々が楽しく綴られている(「喜」のほうが8割、9割と多いのが良い)。

「ほぐすことのできない単語に矛盾する形容詞を付けて」遊んでみたり、広辞苑や岩波古語辞典、果ては『アレ何?大辞典』なる面白そうな辞書まで引いて、日々、言葉と格闘する様がおかしい。

 著者が日本語もドイツ語も堪能で、ドイツ在住ということもあり、現地で朗読会なるものも開催しているのも興味深い。著者本人が自作を読み聞かせるなんて、あまり聞いたことがなかった。朗読に際しての著者の気付き、驚きも面白い。

「初めて他人に向かって自作を声に出して読む時は、少し動揺し、読み方までよろめく。自分が書いたものがそういう形で外界にさらされることに対する驚きが毎回ある。」

 印刷物になった言葉だけでなく、こうしたヴァーバルな体験もしながらの考察ゆえに深みがあり、日本語のみならず、多くの言語に対する尊敬あるいは思慕の念が随所に感じられる。

「文章を物質として見る。単語一つ一つを物として観察する。単語は自分の心が外に溢れ出したものだと考えるのは思い込みで、単語はわたしの生まれる前から存在し、独自の歴史を持ち、わたしが死んでも全く悲しまずに、存在し続けるだろう。」

 自分の生み出した文章、作品ですら、古くから伝わる単語、言葉自身が紡ぎ出しているかのような物言いが謙虚でいい。

 そうして過ごした凡そ4か月間。毎日が気付きの連続で、読みながらどんどん付箋紙を貼りつけていって、こりゃえらいことになる!?とちょっと焦った(いつもブックカバーに貼り付けてある付箋紙が足りなくなる!?)。後半、各地に旅に出たりして紀行文的な内容になると前半ほど、言葉や表現を考察したりすることが少なくなり、気楽に読み流せる度が増してちょっとホッとする(その旅程自体は、翻訳作業に関わるものだったり、朗読会関連だったりして、言葉関わる日常であるが)。

 こんなにして、日々言葉とがっぷり四つに組んで出来上がる『雪の練習生』のドイツ語訳。そちらを愉しむ機会が無いのは残念だが、せめて原書(日本語)のほうは、いずれ読んでおこうと思った。

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2018年10月30日

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