あらすじ
今度はどこに連れて行かれるんだ?
絶好調カジタツ・マジックがまたもあなたを翻弄する。
ゲーテ『若きウェルテルの悩み』の影響で、憂鬱青年の自殺がブーム化した昭和九年。
旧制二高生の金谷青年は、同書を愛読していた友人・堀分の不審な自殺の真相を追う。
時期を同じくして、彼の下宿先、大平博士邸から貴重な化石が盗まれ、“東北反戦同盟”を名乗る謎の組織から身代金要求が……。
巧妙な伏線トラップ+爽やかな青春小説の妙味。著者が心血を注いだ〈旧制高校シリーズ〉第二弾。(解説 楠谷 佑)
トクマの特選!
カバー・口絵イラスト やまがみ彩
〈目次〉
プロローグ
〝睡りぐすりをのみし友〟
〝日は翳るよ〟
〝探偵は玻璃の衣裳を〟
〝どこから犯人は逃走した?〟
〝流れてやまぬ〟
〝泣きても慕う......〟
インターミッション
〝柔和にして暴虐〟
エピローグ
解説 楠谷 佑
感情タグBEST3
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Posted by ブクログ
● 感想
解説に「外連味はないものの」とあったのもプラスで、真相にそこまで意外性はなかったものの、よいミステリだった。意外な犯人への期待値が低かったので、大平の妻が真犯人という、それほど意外性のない犯人でも期待外れ感はなく、むしろ伏線の多さなどを冷静に判断することができた。
堀分の死が自殺とは思えない。その死の真相は?という謎から始まるが、この真相そのものは、特異体質が原因で、眠らせようとしたというもの。
このミステリの構成として、大平の妻が研究所設立に大平が費やした財産を取り戻そうとする犯罪と、大平がTHDのメンバーであり、また北原郁子の父であったことから、THDと北原親子にも財産を残すため、ひそかに嘘をついていたこと、この2つが重なって、真相が分かりにくくなっている。
作品中でも、秋津という刑事が「チグハグ」と言っているが、この2つの嘘のせいで真相が見えにくくなっている。大平の嘘がなければ、妻が夫の財産を取り戻そうとするという単純なプロット。しかし、大平の妻があまりに大胆かつ冷淡に殺人をするので、そのほかの部分との印象の差があり、これは意外性になっている。
大平がTHDのリーダーであるという真相は、意外性は全くない。北原郁子の本当の父という点もあまり意外性がない。ここは、THDのパンフレット等を大平の奥さんが利用できるようになるという読者に対するミスディレクションと、高塚にアリバイ工作をさせることで、読者の目を高塚に向けさせるミスディレクションになっている。
結論的に見ると、大平がTHDのリーダーで、大平の妻が財産を奪おうとして犯罪をしていたという、ひねりが全くない構造となっている。これを多数の伏線を貼り、嘘の見せ方を工夫することで、よくできたミステリとして見せている。メインの犯罪以外に、登場人物が様々な事情により嘘をついていて、筋が混乱するというのはクリスティっぽい手法。技巧的な佳作といえる。
総合得点は、意外性についての期待値が下がっていたという点もあり、おまけの★4で。
● サプライズ ★☆☆☆☆
外連味はないという前提で読むのであれば、大平の奥さんが犯人というオチでもがっかりはない。堀分に毒を飲ませた犯人としては、大平の妻、高塚、郁子あたりが容疑者になるが、このあたりの誰が犯人でも外連味はない。サプライズを狙った作品ではない。
● 熱中度 ★★★☆☆
サスペンス感はあまりない。日記形式で読みやすくはあるが、熱中度も高くはない。
● 納得度 ★★★★★
伏線は多いし、大平の妻の犯行は納得度が高い。大平がTHDのリーダーであるという真相も納得度が高いし、北原郁子親子の立ち位置も納得度が高い。納得度の高さが梶達雄ミステリの長所であるように思う。
● 読後感 ★★★★☆
金谷と郁子が結婚し、幸せに暮らしていたようで、読後感はいい。
● インパクト ★★☆☆☆
伏線は巧みではあるが、大筋はごく単純なミステリであり、インパクトは薄い。
● 偏愛度 ★★★★☆
そもそも、梶達雄ミステリは結構長い間、読みたいと思っていたという経緯もあり、偏愛度は高い。読後感もいいし、伏線も巧みで、よくできた作品。好きな作品である。
● メモ
カウンター飲み屋「奈加子」で、金谷から「推理小説」として読めるものとして、昭和9年頃に書いた旧制二高生時代の日記を渡される、という設定。
日記の中で示される謎は、若き日の金谷の親友である堀分の自殺の真相。堀分には退寮処分があるなど、自殺の動機が一応はある。しかし、退寮処分から既に1か月が経過しており、もはや自殺の動機とはなり得ない。本当に自殺だったのか?
堀分の自殺報道と併せて、東北反戦同盟の秘密大会への手入れがあったが、首魁を取り逃がしたという記事がある。これは伏線。加えて、30歳過ぎの身元不明男性の自殺死体が発見されるという記事も紹介されており、これも伏線。
事件の前日、金谷は郁子の母が経営するミルクホールを訪れたが閉まっており、誰か客がいるのを窓越しに見ていた。さりげなく書かれているが、これも伏線。
この辺りの注釈部分に、大平が反戦につながる思想を持っていたり、郁子親子もそういった思想を持っている可能性が示唆されている。
堀分が薬品に対して特異体質だったことから、少量の睡眠薬でも死ぬ可能性があることが、小竹刑事との会話で分かる。堀分が飲んだ睡眠薬は、藤木という運転手が持っていたもの。
小竹は特高の刑事。大平家にTHDの分子の一人がいるとの情報があった。
THDのビラが「平易簡明な語り口」とあり、大平の文章と似通っているという伏線になっている。
大平が家を売却し研究所を設立。財産を処分し、つつましく生活しようとしていることを金谷に告げる。これが、大平の妻の財産略取の動機でもある。
秋津という刑事が、堀分の自殺を疑う。致死量を超える睡眠薬がなくなっていたことが引っかかる。
大平家では原人の骨がなくなっていたことが分かる。
ここで、研究所の会計を担当する三隅という男が登場する。堀分自殺事件の日に大平邸を訪れていた。この三隅を、大平の妻が殺害し、弟が三隅になりすまして財産を奪う。殺害された本物の三隅は、謎の身元不明の自殺死体として発見されている。
本物の三隅を、大平の妻が迎えに行ったところを須藤(ゴリ)が目撃している。
三隅の話。判子を自分の名前の下ではなく三隅の名前の下に押そうとしたり、早く用事を終わらせようとしていたという発言がある。これは、大平ではなく、大平になりすました高塚が対応していたという伏線。この三隅もすでに、大平の妻の弟に入れ替わっている。
大平の妻から、金谷は文献整理等の謝礼金を受け取る。これは、大平の妻が気が利くいい人ともとれるが、真相を知ってから見ると、金でしか自分より下の立場の者を縛れないと考えていることの現れにもなる。ダブルミーニングとなっている。
照代は、書庫の方で人の気配を感じたとある。これは外から侵入者があったようにも取れるが、真相としては大平の妻の動き
この段階での秋津の推理。犯人は骨を盗むために堀分を眠らせようとして睡眠薬を入れた。しかし特異体質の堀分は死んでしまう。そこで自殺に偽装したというもの。
秋津は、この事件にチグハグしたものを感じている。いろいろな人の証言が細かいところで追加されたり訂正されたりしている。このあたりは、登場人物の事件に関係ない嘘をミスディレクションとしてちりばめる、クリスティっぽい印象
THDと名乗る者から、「骨を返してほしければ2000円を用意しろ」との脅迫状が届く。ここで、大平が「THDの名を騙って」と言っている部分は、自分がTHDのトップであり、THDが犯人でないと知っているという伏線となっている。
2000円を運んだのは大平の妻。高塚、藤木、金谷が取り囲むが、犯人は2000円を奪って逃走する。
東京から客が来る。ここで、金谷の大平の妻に対する印象。「気位が高く、冷たいようでいて、だが、神経がよく行き届く人」。だが来客があると、人の気をそらさない快活な活動性が加わる。郁子は「生まれ落ちた環境とか、幼い頃に受けた教育というのは、一生抜け落ちないものね」と評する。これらはすべてダブルミーニング。ここまでを読んで素直に解すると大平の妻への称賛だが、真犯人が大平の妻であると知って読むと、すべては抜け目ない性格を示唆した伏線とも読める。
郁子のアリバイ作り。このあたりは、郁子もTHDのメンバーであることの伏線となっている。もっとも、郁子が真犯人と思わせるミスディレクションでもある。
このあたりで、先入観にとらわれず捜査を進める秋津は、大平の妻を疑う。弟は気が小さく姑息。大平の妻は、「小さい頃から人の目の色を読んで器用に立ち回る女の子だった」など。これも真相を知った上で読むと伏線だが、ここではむしろ単なる噂として描かれている。
THDの小冊子が配布される。相変わらず平易で親しみやすい口語体で書かれており、大平が書いたことを示唆している。
金谷と郁子は遠足。そこで奥山(フケ)に会い、郁子は芥川全集の2巻を、たまたま出会った奥山(フケ)に渡す。これはすべて芝居。郁子と奥山(フケ)はTHDのメンバー。書類の受け渡しに金谷は利用されていた。それをほのめかすことを郁子は金谷に伝えている。
大平が入院。癌で余命がさほど長くないことが分かる。大平はこのことを以前から知っており、研究所設立もこれが原因の一つ。
三隅が財産を奪って逃走したことが分かる。大平の耳に入れないように、秋津が個人で捜査。三隅の家から、2000円を奪った際のバッグが見つかる。これは、大平の妻が仕込んだもの。
THDとして奥山(フケ)が捕まる。北原郁子親子も行方をくらます。
大平は、秘密の書類を処分するように高塚に指示。大平の妻もそれを見るチャンスを得る。大平の妻の弟から連絡があったとして、妻は弟のところへ向かう。
小竹は藤木をTHDの大物として捜査。それを裏付ける書類が見つかる。藤木は、大平の妻を連れて行ったあと逃走。大平の妻の弟は死体となって発見される。これが偽三隅。
須藤(ゴリ)と高塚は、ボートの事故で死亡。
秋津は事件の真相を見抜く。大平が死ぬ。ここで、問題編に当たる日記は終わる。
解決編。犯人は骨を盗むために堀分を眠らせたのではない。骨を盗むチャンスはいくらでもあった。三隅が偽三隅でないことを見抜かれないように堀分を眠らせた。全ては大平の妻の犯行。大平の妻は贅沢な暮らしを続けるために犯行に及んだ。この犯罪は、大平が研究所に投げ出した金を、ひそかに取り戻そうとする奥さんの犯罪だった。奥さんはその後も三隅と出会わないように、堀分に家を出るよう勧めていた。
堀分は砂糖に入った睡眠薬を飲んだ。砂糖の中身が増えているという伏線があった。
堀分は死んだ日、普段より長く夕食後に話をしていた。それから部屋に戻り、睡眠薬入りのコーヒーを飲んで倒れる。それを奥さんが偽三隅に伝え、訪問。このため、20分遅れた。奥さんはこの後、堀分が死んだあとに自殺に偽装する工作をする。この姿を女中が見ていたので、奥さんが来客中の大平にお茶を出したとか出していないとかのチグハグがあった。これも伏線。奥さんは砂糖の量を間違える。
奥さんは工作後、窓から部屋に戻る。奥さんが偽三隅を見送ったというのは、奥さんにアリバイを作るための嘘。
2000円騒ぎで犯人が消失したのは、奥さんが犯人だとすると謎ではなくなる。監視態勢が大げさになりすぎて、犯人が消えたように見えたのは奥さんにとって誤算だった。
秋津はこういった推理から、三隅がどのような人物だったかを確認するため、本物の三隅と奥さんを目撃した須藤(ゴリ)に会おうとした。
奥さんは偽三隅を殺害し、自殺に見せかけ、すべての罪を押し付けようとした。仙台の大平邸で殺害し、車で死体を運んだ。奥さんは藤木に金を渡して失踪させた。
エピローグでは、東京で藤木が発見されたことを知り、自供。奥さんは藤木と後に東京で会い、殺害するつもりだった。
2年後、金谷は北原郁子親子に偶然出会う。そこで、大平がTHDのリーダーだったことを知る。大平は研究所の設立のほかに、THDの資金の確保と、北原親子の生活費の確保を考えていた。郁子は、本当は大平の娘だった。「先生は、奥さんばかりのものじゃないんです! 私や母にとっても大切な人なんです」というセリフがこれの伏線。
大平は、本当の売却価格と偽りの価格との差額を、THDの活動資金と北原郁子親子の生活費とした。大平は高塚にアリバイ作りを頼んでおり、偽三隅と会ったのは大平。
このミステリは、夫の財産を奪おうとした単純な動機ながら、冷徹で大胆な大平の妻による犯罪と、THDのリーダーである大平による嘘の2つが重なっており、チグハグな状況が生まれるという構成となっている。
最後は、金谷が郁子と結婚していたことがわかり、加奈子の女主人は、この日記=ミステリを、郁子を容疑者と疑わずに読めるというオチでエンド
◆ 端的なまとめ
夫の財産を取り戻そうとする冷酷な妻の犯罪と、左翼運動組織「THD」のリーダーである夫の偽装という、二重の“嘘”が重なり、事件の真相を複雑に見せているミステリ。
謎の中心は、ある学生の不自然な「自殺」だが、それは特異体質による予期せぬ死であり、犯人の目的は別にある。多数の伏線とミスディレクションによって、シンプルな真相を技巧的に見せる構成が特徴である。
◆ 評価(要素別)
意外性 ★☆☆☆☆
犯人の意外性は低めだが、あえて外連味を排した構成
論理性・納得度 ★★★★★
動機・行動・伏線の整合性が極めて高い
熱中度 ★★★☆☆
サスペンス感は薄いが、日記形式で読みやすい
伏線の巧みさ ★★★★☆
些細な会話・新聞記事・人間関係に伏線を潜ませる緻密さ
読後感 ★★★★☆
苦味のある事件を経て穏やかな結末が得られる構成
総合評価 ★★★★☆
「技巧的な佳作」。派手さはないが、重層的構成と納得度の高さで読ませる一冊
◆ 総括
トリック重視や驚きの犯人を期待すると拍子抜けするが、「人物の動機」「嘘の重なり」「伏線の妙」で読ませる、地味だが骨太なミステリ
一見平凡な真相を、構成と技巧で魅力的に仕上げた作品であり、クリスティ的な「嘘と混乱」の演出に近い。知的な読者にこそ評価されるタイプの良作である。
◆ あらすじ(端的整理)
旧制高校時代の親友・堀分の「自殺」の真相をめぐり、語り手の金谷が過去を回想する形式で物語が進む。堀分は特異体質により少量の睡眠薬で死亡したが、それは大平の妻による計画的な犯行だった。
大平の妻は、夫が研究所に投じた財産を密かに取り戻すため、研究所会計の三隅を殺害し、実弟にすり替える。堀分は、偽三隅の存在を見抜く恐れがあったため、眠らされ、結果として死亡。自殺に偽装される。
一方で、大平は左翼組織「THD」のリーダーであり、その活動資金を隠していた。この夫婦それぞれの嘘が複雑に絡み合い、事件を分かりにくくしていた。
物語の終盤で、金谷は真相を知り、郁子(大平の実の娘)と結婚していたことが明かされ、事件の全貌が静かに収束する。
◆ 核心
「冷酷な妻の犯行」と「理想主義者の夫の偽装」が交差する、嘘と伏線が巧妙に絡んだ二重構造ミステリ。
◆ トリック
『若きウェルテルの怪死』のトリックは、「複雑に見える事件の真相が、実は極めて単純」という構造トリック型である。以下、主要なトリック要素を整理して解説する。
◆ トリックの中核:「堀分の自殺は偽装、しかし本当の死因は予期せぬ事故」
堀分の死=事故死を自殺に偽装
堀分は薬物に対する特異体質を持っており、微量の睡眠薬でも死に至る。
大平の妻は、堀分に睡眠薬を盛って一時的に眠らせ、偽三隅(弟)と対面させずに追い出すつもりだった。
しかし、特異体質のせいで堀分は予想外に死亡。それを「自殺」に偽装した。
骨泥棒=犯人像という誤誘導(ミスディレクション)
表向きの動機として提示されるのは「研究用の原人の骨の盗難」。しかしこれは本筋と無関係で、実際には、堀分の死と三隅の入れ替えを隠すための犯行が主目的
◆ 入れ替わりのトリック:「研究所の会計担当“三隅”がすでに別人」
大平の妻は、本物の三隅を殺害し、自分の弟を三隅になりすまさせた。
これにより、財産や金銭の流れを妻がコントロールできるようになる。
偽三隅の人物描写(話し方、印鑑の押し方、態度)などに不自然さを匂わせ、伏線とする。
偽三隅の死体は「身元不明の自殺者」として新聞記事に登場(伏線)。
◆ アリバイ・時間差のトリック:「奥さんは来客中のはずなのに、裏で偽装工作」
堀分が死亡した後、大平の妻は「来客対応中」とされていたが、実は堀分の部屋に回り込んで自殺に見せかけた工作をしていた。
女中の証言で、「お茶を出した」「いや出していない」など小さな齟齬が伏線となる。
◆ サブトリック:脅迫状・THDの影
「THD」を名乗る者からの脅迫状(2000円要求)は、大平の妻による攪乱目的の自作自演
大平は「THDの名を騙って…」と漏らすが、これは自分がTHDのリーダーであるという伏線