あらすじ
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子どもを産まないと決めたが、ある日「1人ぐらい産んでおいたら?」と姉に言われ不安が止まらなくなった著者は、
同じ選択をした17人の女性たちに会いに行くことにする。
ある人は家族について、ある人は仕事について、ある人は韓国という社会について、
彼女たちが語る「ママにはならない」理由に、一つとして同じものはなかった。
出生率が「1」を切る現代の韓国で、子どもを持たずに生きる女性たちの悩みと幸せ。
目次
プロローグ
インタビューに参加した人たち
第1章「子なしで生きる」と100%確信して決めたのか?――自分の心と、「母性」について考えたこと
誰もがママになりたいと思うものなのか?
産むか産まないか、そう簡単には決められない
妊娠や出産は人生をドラマチックにするための演出じゃない
妊娠中絶について
子どもが嫌いだから産まないのですか?
ママになることへの恐れ
ある日「マンマ・ミーア! 」を観ていて
親にならないと大人になれないって?
子なし人生のゆとり お金と時間はこう使う
わが子の代わりに世界中の子どもに手を差し伸べる
第2章 出産するのは私なのに、なぜ非出産はすべての人が納得しなければならないのか?――配偶者、両親、友人たちとの関係について
配偶者とはどうやって合意しましたか?
子どもがいないという理由で別れるなら
結婚は四方からの攻撃だ! 義両親からの圧力
結婚は四方からの攻撃だ! 実家の両親の期待
避妊はどうしてますか?
もし、男性が子どもを産めたなら…
オー、わが甥っ子!
猫を飼う嫁として生きること
子どもがいてもいなくても いつだって友達でいられたら
両親のせいなのかと聞かないでください
あらゆる無礼とおせっかいのオンパレード
「じゃあ、なんで結婚したの?」という質問に答える方法
第3章 韓国でママになることは何を意味するのか――子なし女性の就職とキャリア、そして社会構造について
子なし夫婦の家事分担
「子どもを育てるために必要な金額」を計算してみたら…
非出産がキャリアに及ぼす影響
子なし女性と産休・育休
子なし女性の求職が大変な理由
地方で子なしで暮らすこと
バラエティ番組で育児を学ばないように
ノーキッズゾーンに行かない理由
子なし夫婦のための政策は必要か?
韓国で子どもを産みたい日はくるか?
エピローグ
訳者あとがき
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
私は第一子を出産したばかりだが、同じ女性として、本書の内容に共感することばかりだった。子どもを産んでも、産まない選択をしても、女性に悩みは尽きないなぁと思った。
Posted by ブクログ
子どもを産み育てる理由は聞かれないのに、子どもを産まないという意見には理由が問われることに違和感を持っているので、自分と同じ人はいなのかなと思って読んでみた。本当は、子どもを産み育てる理由について知りたかったけど、そういう本が見つからなかったので。
Posted by ブクログ
たくさんのことを考えた読書だった。産みたくないわけではないが、何も考えずに産めるほど簡単な選択ではない。産むならちゃんと育てたい。子供は社会からの預かり物で20年経ったら社会に帰すと言うけれど、子のスキャンダルは親の責任問題として捉え続けられる社会のどこが預かり物なのか。韓国の社会では日本よりも深刻に捉えられている少子化問題。でも、社会が困るから産む、という選択もできない社会。気持ちが痛いほどわかって、何度もページを繰る手が止まった。
p.22 「子供を生まずに暮らしたい」と決めたわけじゃないんです。ただ私は仕事が大切です。頑張る力が100あるとしたら、子供がいれば90を使わないといけないだろうし、他のことには10位しか使えないですよね。現実的に見て、両立は無理だと思う。
p.51 オーストラリアの社会的研究者エリカ・ミラーは『妊娠中止:生産性をめぐる感情の政治史』で妊娠中絶に伴う女性の羞恥心、罪悪感、悲しみといった感情が「自然な」ものではなく、政治的な産物であると指摘する。例えば、妊娠中ですを経験した女性を、自分の「生まれてこなかった子」を絶えず哀悼する存在として捉える「胎児中心的哀痛」は1980年代中盤に反妊娠中絶運動が表面化するにつれ現れたフレームで、結局これが最終的には妊娠中絶経験を説明する支配的なフレームとして認知されるようになったと分析する。「羞恥心」や「羞恥心を与える」こともまた妊娠中絶を経験した女性の変更を取り締まり処罰するためのやり方だと言うのだ。エリカ・ミラーは「妊娠を中止した女性を評価しようとする従来の固定観念さえなければ、女性が妊娠を中止しても羞恥心や罪悪感を持つ事はなくなる」と語る。
p.67 子供というその巨大な不確実性に耐えられないんですよ。子供が生まれてから再編成される人生以外にも、まずその子がどんな子なのかわからないというのが私にとってはあまりにも未知の恐怖ですし。映画「少年は残酷な弓をいる」なかを見ると、めちゃくちゃ怖くなりますよね。母に「私の子が、到底手に負えないような子だったらどうする子か?」と聞いたら、楽観的に「あんたたち2人のこがそんなはずない」って言うんですよ(笑)。だから「ママ、それどういう意味?私はまるで宝くじのスクラッチを擦るみたいな気分ですごく怖いと言ったんです。
p.72 「あ、私は自殺する自由をなくしたんだ」私がはっきりと覚えていたのは、記事を書いたのが母親だと言うことと、この一文だった。この壮絶な告白が心の片隅の長いこと堂々巡りを繰り返していた。私はきっとこれまでに必死で絶対的な感覚を感じることができないと言う事実に、安堵と喪失感を同時に覚えた。
私は今も時々そうした恐れを感じる。「マンマ・ミーヤ!」は大好きだけれど、この作品を思い浮かべる時、心の片隅に寒々しい風が吹く事はどうすることもできない。いわば「普遍的な」ストーリーに私が属さないことを悟り、世界の大勢の人たちが私が知らない世界をに生きているんだと感じる時、なぜか焦りを感じたりもする。
でも、今はこう思う。どうせ誰もがすべての物語に属せないように、世界を完全に理解しようとすることもまた、私の幼稚な願いに過ぎなかったのではないかと。私は、この世界の自由を選び、この世界に向かう扉を閉めた。私の属するストーリーはあまりに小さくてむしろ寂しいかもしれないけれど、私の場所で自分のストーリーを始めることしかできない。
p.80 子供のいる人たちは私が属せなかった社会を構成し、その中で私よりはるかに様々な欲望と直面し生きていく。それが必ずしも良い意味での「成熟」では無いにしても、子育て前には見えなかったものが見えるようになったと言う違いを認めるのはたやすかった。
「ヤングアダルトニューヨーク」をもう一度見た私は、コーネリアとジョシュの混乱にも共感したが、2人の前で思いっきり我が子自慢をしていた友人夫婦の人生にをもう少し注目してみた。新たな若い友人達と付き合うのに忙しい2人を除いて、夫婦はあるホームパーティーを開く。サプライズイベントに寄ってきて気分を害したコーネリアに子持ちのママがこう言う。
「子供ができてからなんだか距離ができたみたい。これが私の人生なの。子供がいると寂しいし疎外感を感じる」
家の中の賑やかなゲストたちを見て、コーネリアは呆れるが、今私もわかる気がする。子供がいない人に寂しい時があるように、子供がいるから寂しい時もあると言うこと。それぞれの人生にそれぞれの問題や孤独があるけれど、それでもお互いを理解しようとする気持ちが関係をつないでくれる。そして、その理解の幅を広がることを私たちは成熟と呼ぶ。
p.100 もちろん合意して結婚すればすっきりしていていいですよね。お互い避妊施術をしてから結婚するとか。でも、いざ結婚してから、子供は無理だと思うかもしれませんよね。それはその人個人の過ちでも何でもない。結婚生活の環境、そう思わせる結婚相手、義理の親との問題なんかが複雑に絡み合って「あ、ここで自分を守るためには産むわけにはいかない」という決定につながることもある。自分の体に対する権利じゃないですか。
p.115 「もしかしたら離婚することだってある」と思いながらも、一緒に楽しく暮らしてきた人と別れるのは、できることなら「そこまで」はしたくないのだ。経済的に独立できるのとは別に、日常を共有する連帯感を分かち合ってきた相手と離れたり、断絶したりするのは簡単な問題ではない。でも離婚について私の漠然とした男それはインタビュー参加者と話をするにつれて、徐々に薄れていった。とても気の合う今のパートナーと出来る限り長く一緒にいられたらと思うと同時に、絶対に離婚したくないと言う脅迫観念も消えた。
もし私たちの気持ちが離れるのだとしたら、それは2人の関係の賞味期限が切れたからであって、私が配偶者を「パパにしてあげられなかった」せいじゃない。そして、私たちがいつか何らかの理由で別れる日が来るとしても、離婚は結婚の失敗ではなく、ただ1つの時期の終わりに過ぎず、その時間が全て無意味になるわけじゃないことを、私は以前よりももっとはっきりと理解できるようになった。
p.120 義両親の大部分が「さりげなく」孫の話を持ち出した事はあったが、妻である女性当事者がひどく不快になったり負担を感じることなく、その話題から抜け出せた点が興味深かった。ここに影響与えた要因として次のことが挙げられる。
①配偶者が両親から精神的に独立している、②配偶者が両親から経済的に独立している、③子なしに対する配偶者のつよい意思、④女性の収入が配偶者よりも安定していたり、高い場合。この中で2つ以上の条件が当てはまると、女性たちは義両親によって出産ストレスを受ける割合が低いか、全くない場合があった。
p.154 結婚して引っ越しをしてから、私はずっと1人で家にいて、夫は早朝から出ていて夜遅くまで仕事で帰って来ません。毎日泣きながら「こんな暮らしするために結婚したんじゃないのに。みんな私に子供産めたので夫の食事を作れたの、いったい私って何?」と思っていました。マンションの10階だったんですけど、ここから飛び降りたらみんなリセットされて新しく始められるような気がしてならなかった。そうしているうちに猫を飼い始めて精神的なクッションができたんですよね。今ではもう猫が私の1部であり、アイデンティティーのように感じられることもありますけど、私がこの存在たちにものすごい愛情があるのかどうかはよくわからないんです。でも、全部投げ出して、逃げ出したい時も、「この子たちがよろしくお金稼がないと」と思わせてくれる装置みたいな。ケアする対象がいるっていうことが私を正しく生きる他についてくれるような気がします。親としての気持ちをこういうものなんでしょうね。
p.157 セウォル号惨事以降、時が流れ遺族を非難する言葉に傷つき、非難する人たちの中に子供を持った親もいるというのが理解できなかった私は、ハンナの話を聞いて、人が他人の痛みを理解するのに必ずしも「同じ」経験は必要ないと言うことがわかった。大事なのは、その対象が人の子なのか、動物なのか、あるいは私の子なのか、他人の子なのかではなく、愛そのものを理解すると言うこと。それから、私はこの存在を愛するからこそ、他の人が愛する別の存在のことをまた大切に思うことができるのと言うことを、ハンナは私に教えてくれた。
p.158 30歳を過ぎた40歳に向かっている間にわかったことがある。女友達その友人関係は大体結婚を中心にして1、出産を起点にしてもう一度再生される。ライフスタイルを暮らしているエリア、関心事、親密度、時間的余裕、金銭的余裕、自由と責任の問題まで、お互いに変わってくる部分がどんどん増えるからだ。子供を産む前までは、「勇仁会」「勇仁ビー」だった関係が、子供を産むと「土曜のランチだけ会える友人A」「家に遊びに行かないと会えない友人B」になってしまうのは、よく水によくあることだ。
p.160 何をそんな細かいことをと思われるかもしれないが、こればっかりは経験しないとわからないことだ。自分がこの友人関係でライブ吉田楽しみがなく、この友人たちとの関係を維持することだけが、今の位置を守る意味なのかと気づく瞬間、モヤモヤしてくるのだ。私もまた、自分以外は皆子供のいる友人達と集まったりすると、ほとんどしゃべらない。聞いているだけでも忙しいからだ。
子供のいない大人の日常は、大体において平穏である。事件や事故は仕事関係では起こるものの、全く異なる仕事をしている友人に説明するようなことでもなく、通勤や組織でのストレスを感じている人たちの前で、贅沢な愚痴を言っているように思われるかもしれないと思うと口をつぐんでしまう。
でも、子供の友人たちとの生活は、いつも新しいながらも普遍的な話題がある。子供が1年生になって、スイミングに通いだして、大会に出て賞をもらってきて、お友達と喧嘩をして辛い思いをして…。周辺の人間関係はママ友関係でもあり、担任の先生やママ友の話を聞かされる。友人の子供たちが大きくなり、私は自分の日常に存在しないこうした話をとても興味津々に聞いたものだった。でもその話に混ざることのできない壁を感じるために、妙な気分になる。拍手してわらって聞いてはいるけれど、会話にまざる資格のない傍聴者になったように。
p.162 女友達との関係に、結婚や出産が重大な亀裂を起こすのは、この過程で女性がだんだんと自由を失うから。夫が妻を家に閉じ込めていると言う話ではなくて。もちろんそういう話が全くないと言う話でも持たない。女性が結婚で今まで暮らしていた地域を離れて、配偶者の縁故や職場のある地域に引っ越す場合は、その反対に比べて非常によくあるケースだ。そうやって物理的に距離が生まれる。もちろん子供を産んだ女性に何よりも足りないのは時間である。
p.163 人生の国分寺市の不一致は、女性が子供を産むと思って最も克明に表面化する。時間研究はママたちを、特に家の下職場で働く母たちこそ地球上で最も時間が足りない人たちだと言うことを物語っている。者たちの人生が大変な理由は、単純に「役割過負荷」のせいでだけではなく、社会学用語で言うタスク密度(task density)が高いからだ。すなわち、ママ達はいくつかの役割を同時にこなすが、それぞれの役割に置いて処理すべきことがあまり多く責任は重い。
この本ではその後続いて専業女性たちも時間に追われるのは同じだと言う。「頭の中で24時間ずっとテープが回っている」みたいにすべきことが一気に頭に浮かぶ現象を学者たちが「汚染された時間(contaminated time)」と呼ぶ。
p.167 「親しい友人だったけれど、今はそれになるしかない」関係の変化を淡々と受け入れることも大人の生き方なんじゃないか。いちど結ばれた縁だからずっと維持しなければと力むのは、友情から得られる喜びよりもストレスの方が大きくなってしまうかもしれないし、ストレスが不満を越えて憎しみにつながるかもしれない。大切なのは、この関係でお互いを最小限でも尊重することができるかどうかだ。
p.180 ヨンジの話を聞いていると、「あんたはそんなに偉いのか?」と言う思考の反論パターンは韓国社会でよく見られるコミニケーションのやり方の1つだと思った。端的な例としては、私はベジタリアンではないがベジタリアンに向けられた非ベジタリアンたちの怒りにはどうしていいか分からなくなる。他人の人生を侵害していないにもかかわらず、少数派の生き方を選んだ人たちは、簡単にヘイトの標的となり、彼らの選択は絶えず疑われ、干渉されるうちに、その選択の価値を卑下するようになる。女性に「気が強い」と言うフレーズを当てはめて男性を被害者扱いするのは、子なし夫婦を見下すときによくあるやり方だ。
p.181 子供はない女性は「けしからん女性」で、子供を生まないことに同意した男性は「いい人」と評価されるのは、「子供を生まない女と暮らしてくれる男は実に懐の深い男だ」と言う認識から来ている。でも、男性なら誰でも子供が欲しいと言う言葉に込められた真実は、男たちは子供と言う存在を渇望しているからと言うよりも、自分の体1つ傷つけることなく姓まで引き継いでくれる子供を簡単に手に入れられるから欲しがると言うのに近いはずだ。そして子供がいないと家族が完成しないし、そういうからこそ維持する価値があると信じている人たちは、本気で子供を望まない夫婦がいると言う事実と、子供がいなくても彼らが幸せな家庭を保てる可能性を信じようとしない。
p.183 だから、この子夫婦に干渉し、お節介を焼く人たちは、そろそろ気づいて欲しい。相手にとってあなたは本心を打ち明けるほど親しい人ではなく、あなたの意見に特別な価値はなく、相手もまたあなたに言いたい事はたくさんあっても我慢しているのですよ、と言うことを。それでもあだこうだ言いたいのなら、ユーチューバー「ミラノンナ」で有名なファッションコンサルタント、チャン・ミョンスクさんのインタビューでもまず読んでみることをお勧めしたい。
p.185 結婚が楽だからしよう、その疑いもありませんでした。生徒の中でお互い保障された関係で同じ未来の何かを築きあげていくには。それから実家から離れたい気持ちもありました。私は大学から一人暮らしを始めたんですけど、両親は「わが神所有物」と思っている幸だったんで辛かったですね。小さいことから言えば「こういうのは持ち歩くな」「夜おそくに出歩くな」と言ったことから。でも結婚は、親に、もう「この子私の子」ではないことを狂わせる1番簡単な方法だったんですよ。だから私は結婚後のほうがずっと自由なんです。
p.195 我が家の場合は夫が料理をして私がゴミ捨て、公共料金支払い、日用品注文などを担当している。皿洗いと洗濯を一緒にして、掃除は…できる限りしない。私は汚いのに我慢できる度合いが似ていることが一緒に暮らす人との仲を決める重要な要因だと思っている。時々ウェットティッシュで埃だらけの床をざっと拭くたびに、我が家にはい拝する赤ちゃんでもいたら絶対こんな風に暮らせなかっただろうと思いながらとしていた私は、ジャヒョンの話を聞いて深いシンパシーを感じた。
p.243 ステルシング=性関係の途中で相手に内緒でコンドームの避妊器具を取り除いたり破壊したりする行為
p.265 不便だと感じる存在がいなければ楽ではある。障害者の移動権構想に向けられる多数の健常者たちからの厳しい視線もそうだし、ひいてはファストフード店やキヨスクの使用がスムーズにいかない老人の後に立った若者たちの舌打ちもそうだ。私もまた、毎日心の中で嫌悪と戦いしょっちゅう負けているものとして告白するならば、嫌悪をすることは簡単だ。難しいのは、理解である。自分と異なる存在について理解する事は一瞬でできることではないし、一度「理解」したからといって、無条件にそれが続くわけでもない。すぐに沸き起こる怒りを鎮めなければならないし、この社会の中で私が持つ権力は何なのか振り返ってみると、ある線を超えないために堪え続ける事しかない。
p.275
Q非婚者や子なし既婚者が増えている流れの中で、育児休暇や学資金支援など、子持ち既婚者中心の社内福祉制度に変更したり追加したりする事はありますか?
A育児休暇って狙って使えるわけじゃないんですよ。その人たちは完全に休んでいるわけじゃなくて、別の種類のストレスと直面しているわけです。だから、補完するのならさまざまな休暇理由を認めるべきだと思います。私は休暇を取りやすい職場と取りにくい職場と両方経験していますが、ちょっと別の仕事や勉強してまた戻ってきたいときに、それが合理的な理由ならば休職扱いにするべきだと思います。特に無給の休職は会社と人材問題さえ解決すれば何とかなると思うので。会社側からしても、お金がかからない福祉なわけですし。
p.279 私は長期間ケアを必要とするミッションを人生に持ち込みたくないというのが非出産の1番大きな理由だ。しかし、韓国に暮らすと言うのは、出産についての動機が得られにくかったり、ほとんどなくしてしまったりする経験するものである。
p.287 深刻なミソジニー社会で出産はもちろん、恋愛や結婚そのものを否定する4非(非恋愛、非セックス、非婚、非出産)世代まで登場している以上、出生率はさらに急速に下がっていくのではないだろうか?女性が人間として尊重されて、弱者に平等な権利を享受できない世界なら私たちが想像する以上に、もっと早く消滅するかもしれない。
p.291 子供がいなくて寂しいのではなく、子供を持たない人生が、1つのあるべき選択として社会から受け入れられないことが寂しいのだと。
韓国の超少子化の原因は、子育て世帯の経済的不安、広がる経済格差、不動産価格の高騰とそれに伴う非婚・晩婚化、儒教文化の根強い社会への抵抗、個人の人生を重視する風潮、女性のキャリア断裂など、複合的な問題が絡み合っている。
p.292 昨今、「女性の身体の自己決定権」と言う言葉を有する者によく耳にするようになった。2019年4月11日、韓国の憲法裁判所は中絶を禁止する憲法違反とする歴史的な判決を言い渡した。違憲として刑法改正に道を開くことで、「女性が自ら判断する権利」を重んじた判断だ。
一方、図らずも去る2022年6月24日、アメリカ連邦最高裁判所では、1973年に女性が人工妊娠中絶を選ぶ憲法、憲法上の権利を認めた「ロー対ウェイド判決」を半世紀ぶりに覆す判決が下された。州によって中絶の禁止や制限を容認するこの判決に対し、国内外で激しい反発が起きている。
私の人生の最終決定権を「私」にあり、「私」であるべきである。そしてそれを決定する際に、パートナー以外の他の誰の許可も理解も求める必要はないし、誰かを説得する義務もない。出産とは切り離して考えることのできない妊娠中絶問題に関してもそれは同様と言えよう。
家族の形態もさまざまに変化している中、先ごろ日本では大阪地裁による同性婚を認めないのは合憲とする判決が下されたばかりだが、シングルマザーや事実婚を始め、多様な生き方やパートナーシップ、働き方をするママやパパが存在するべきである。ママに罪悪感を抱かせない社会ありきで少子化対策を講じるべきであって、意識を変えるのは社会の方だと著者も主張する。もし、ノーキッズゾーンならぬノーシルバーゾーンができたらどう感じるだろうか?弱者やマイノリティへの差別や排除が懸念される一方であからさまなヘイトやミソジニーも増加し、社会における分断は溝を深めている。社会で私たちがまずできる事は、産む産まないの二分法では見えない複合性を理解するためにも、こうしたインターセクシャリティを認識することではないだろうか(インターセクシュアリティ:人種、階級、ジェンダー、セクシュアリティー、ネーション、アビリティー/ディスアビリティ、エスニシティー、年齢など様々な要素の交差する権利関係と社会的立場の複合性を理解し、説明する概念)。弱者の心や身体、魂に暴力的な攻撃を向けることのない社会を見つめて、あなた、配偶者と、パートナー、恋人と、親兄弟と、話し合っていけたらと願う。
Posted by ブクログ
本が付箋だらけになった
冒頭から救われる思いで読んだ。
私は著者やインタビュー対象者たちのようにしっかりとした考えを持って自分の人生を生きてはいないが、わたしたちが悩み、話題にしてきたすべてのことについて触れられていて驚いたし、多くの話に共感できた。
なんとなく違和感を抱いたりモヤモヤしたりしていた事柄の正体もわかったような気がして、また、自分の選択(この本のタイトルそのままの意味ではなく)についても自信を持てそうな気がした。
Posted by ブクログ
"会社で男性社員たちが「結婚したから子どもは何人ぐらいの予定なんだ」と、まるで自分に権利があるかのように軽口をたたいているのを目にするたびにちゃんちゃらおかしいと思ってました。女性は自分が妊娠と出産を体で体験しなければならないのだから、そう言えますけど、男性の意思決定はゼロだと思いますよ。"(p.105)
"子どもを産まない女性は「けしからん女」で、子どもを産まないことに合意した男性は 「いい人」と評価されるのは、「子どもを産まない女と暮らしてくれる男は実に懐の深い男だ」 という認識から来ている。"(p.182)
"韓国社会では女性が出産で何を失うことになるのか、こちらが話さないと誰もわかろうとしない。むしろ、「あなたが好きで産んだんでしょ」という言葉で喪失への責任転嫁がなされ、 女性は子どもを愛して献身的にケアすればするほど「新たな幸せを手に入れたのだから感謝せよ」と彼女の人生におきた損失を一緒に取り戻そうとはしてくれない。この問題の共同責任者であるべき男性が責任を見過ごしたり、避けたりするケースも多々ある。"(p.222)
"せっかく外出していても配偶者に30分ごとに電話して、子どもの上着はどこか、冷蔵庫のあれをあっためて食べてもいいかと尋ねる夫たちに呪いを!"(p.164)
Posted by ブクログ
勝手な思い込みだけど、
受験・結婚・出産などなど、日本におけるストレスは韓国で更に苛烈だと思ってる。
そんな中で子供を産まない、という生き方は、
相当にストレスフルなんじゃないかと思う。
何故産まないの?とは聞かれるけれど、
何故産むの?はあまり聞かれない。
何故?と聞かれると、聞いた方に悪意はなくても、
批判された様に感じてしまう。
こうあるべきなのに何故?と。
登場する女性たちが自分の生き方を真剣に、
とても誠実に考えていて少し後ろめたく感じた。
私、なんとなく生きてしまっているな。
私自身は子供が欲しいと願って授かって、
大変だったけどよかったと思っているけれど、
子供が欲しいという願いが
いつか誰かに知らず植え付けられた物じゃない、
と否定出来るほどには考えず流されてきた気がする。
我が子に子供を持たない、と言われたら、
私はあなたが生まれて嬉しかったよ、
と答えられるけど、だからあなたも、
と言わない様に自分自身の生き方を考えていきたい。
女性を産む機械扱いした国会議員、日本にもいたな。
そうね、キッズフレンドリーじゃなく、
ママフレンドリーな社会は誰にとっても
生きやすいかもね。
子供を持たない友人と会った時の、
場をわきまえない話題はやらかしたかも。
過去に戻って自分を殴り倒しに行きたいよ。
東南アジアの女の子達を支援してる弁護士さん、
子供達に多様な社会を教えている女性に共感。
見た事がないから想像も出来ない子供達に、
いろんな家族の形があっていいと教える活動は、
一人の子供を育てるのと同じかそれ以上に、
時間も根気も取られる活動だと思う。
素直に尊敬する。
いろんな事を考えさせられてまとまりません。
Posted by ブクログ
「選択的子なし」
それを韓国社会で生きていくうえでの難しさは日本以上だと感じた。
できないのではなく「つくらない」
その選択をする事の勇気。
せざるを得ない現実。
案ずるより産むが易しという言葉がああるけれどそんな生やさしいものでもなく簡単なものでもない。
ものすごく色々考えさせられる1冊だった。
Posted by ブクログ
私も「ママにはならないことにしました」
さすがに現代で面と向かってネガティブなことを言ってくる人は周りにいないけど、勝手にバリアを張って気にしてしまう自分もいる。
日本でこういう本を見つけられなくて、隣国で一定数同じ考えの人がいることに勇気づけられた。
Posted by ブクログ
他人の人生を侵害してないのにもかかわらず
少数派の生き方を選んだ人たちは、簡単にヘイトの標的になり、
という一文を読み、まさに!と改めて思わされた
Posted by ブクログ
最近この手の本を読んでいます。思うにこれだけこの手の本を手に取る機会が増えたということは本書のような考え方や生き方を表明する社会になってきたとは言えると思います。
…まぁ現実はまだまだ言いにくいし理解してもらえないですけどね。それでも3、40年前のことを思うとかなり変わってきたとは感じます。
韓国社会も非出産にはまだまだ厳しい現実があるのだなとわかりました。日本の少し前くらいの感じかなと。一口に非出産と言っても考え方や向き合い方は人それぞれ。
非出産だからといってみんなが子供が嫌いなわけではなかったり、子供を社会で育てるという考え方を持っていることを理解してもらえなかったりと中々辛い状況があるのも日本とはあまり変わらないかなと感じましたね。
自分は最後の方に出てくるボラと同じような立場で障害を持っている兄弟がいます。そのことで私は子供を持たない選択をしたのでとても共感しましたが、これもまた繊細な部分で人それぞれの考え方と意見が出てくるところなので、私は他人に話したことはほぼありません。理解してもらえないと思ってますし理解を求めもしません。
また、出産した人が育児休暇を取ることで、独身や子供のいない既婚者がその人の分の仕事をカバーすることになる不満というのは私も独身の友達からよくグチを聞かされます。
体制の問題なのですが、現実にはどうしても休みを取る人に矛先が向きがちですね。
そこも日本と同じだなぁと思いましたね。
先日読んだ「母親になって後悔してる」(オルナ・ドーナト著)の方が子供が既にいるぶん深刻な気もしましたが、何が正解というのはないことなので難しいですね。
どの生き方を選んでも自分の選んだ道を後悔しないで生きたい。でもそれが難しいのも現実なんですよね。タイムスリップしてやり直せないし。
生きがたさというものをどんな立場にあってもできるだけ感じないでいられる人生をみんなが生きられたらいいのにと、不可能なんですが思わずにいられない読後でした。
Posted by ブクログ
これは子を持たないことを選択した女性が、世間から後ろ指を差されながらも幸せに暮らしていくといった安直な内容の本ではない。
韓国という超少子化の国で、人間としてどう生きていくかを考えさせられる内容だった。これはもちろん日本にも当てはまる。
私は今のところ子どもは欲しくないと思う。その理由の第一は産むまでの身体的負担、産む時及び産後の身体的ダメージ。第二は産まれた子どもに十分なお金をかけられるかの不安。第三に子どもが莫大なツケを支払うことになる日本への不安だ。
身体的負担に関しては、パートナーが産んでくれるのなら子どもがいてもいいという女性たちが少なからずいたことに、私と同じことを考えている人もいるんだと思い少し嬉しくなる。
産まない理由は人それぞれで共感したりしなかったりするのだが、決して著者は「産む」「産まない」のどちらかを肯定している訳では無いところに好感が持てた。
ただ、産まない派は少数派であるため、同意見の人達のインタビューはやはり安心できるものがある。
例えば、パートナーについて、もし産まないんだったら別れるとパートナーから言われたらどうするかと問われた女性が「別れますね」と即答したところ。
自分の苦しみと引き換えにパートナーの希望を叶えることはしないという自然体な生き方が良かった。
ちなみにこの女性のパートナーは、そんなことは絶対言わないだろうと思う。
ひとつ反省したのは、ノーキッズゾーンについての考え方。
私はノーキッズゾーンのある店を好む。静かに食事がしたいし、うるさい子どものいない環境で過ごせるならお金だって少し高く支払っても良いと思っている。
ただ、それが「ノーシルバーゾーン」だったらどうなのかと言われると、何も言えなくなる。
キッズは退けられても何も言えないが、シルバーは声高に自分の権利を主張するだろう。
これは、私が自分勝手な理由で何も言えない人を排除していたことと同義である。反省。
全ての人が安心して外出できる日はいつやってくるのだろうか。
いろいろ気付かされた本だった。
結婚して間もない頃、「子どもがいてこそ1人前」だのとくどくど私に説教した奴にこそ読んでほしい一冊。
(何も言わず聞いていたが、今でもときどき思い出すと腹が立つ。)