あらすじ
「子どもの本屋さん」からの依頼をきっかけに、『チョコレート工場の秘密』訳者が島根県の山奥・美郷町で学ぶ16名の前で教壇に立つ。テーマは芥川のアフォリズム「最大の奇蹟は言語である」。日本語がどれほどの天才か、奇想天外な熱弁をふるううち、生徒たちの瞳は輝き、見事な達成がもたらされる。人が育つことの原点はここにある。
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自然に囲まれた田舎の小学校で翻訳家柳瀬尚紀が授業を行う。言葉遊びを通して日本語表現への好奇心を誘う。言葉は相手の心を慮る優しさと傷つけてしまう暴力が共存する。私たちは怒りや憎しみに自制心を失うことなく、そして自然という力に謙虚さを忘れてはいけない。自身を優先する驕りはいつしか自身を貶める。だからこそ言葉は、虚飾の道具ではなく、本心を少しでも吐露する勇気に輝きを放つ。"いいね" は言葉を不健康にしていくのではないだろうか。凡庸でもいい、心と向き合う姿勢に本来の言葉は表出する。
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言葉の大切さがしみじみと分かる本だと思う。「日本語は天才である」という筆者の言葉にもあるように、漢字の由来や日本語の言葉遊びなどに触れるうちに、どんどん言葉の世界が広がっていくことが実感できる。子どもたちがいろは歌を応用した言葉遊びに引き込まれていく様子が印象的であった。自国の言葉に対する理解や尊敬の念を持つことが、相手を大切にする関係性のあり方、そして利他的な心を養うことに繋がっていくのではないだろうか。教師という仕事のあり方について考えさせられた一冊。子どもって、本当にすごいな。
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著者は、翻訳不可能と言われた20世紀最大の小説『フィガネンズ・
ウェイク』の翻訳で有名ですが、最近は、ロアルド・ダールの子ど
も向けの一連の小説の翻訳に注力していたのだそうです。
このロアルド・ダールの翻訳が縁になって呼ばれたのが島根県の過
疎の村にある邑智(おおち)小学校でした。そこで16名の小学六年
生を相手に二回の特別授業と、一回の空想授業(手紙の形式をとっ
た紙上授業)を行うことになります。
子供を持ったことがなく、学校で教えたこともなく、子供と関わる
ことのなかった著者が初めて引き受けた小学校の授業ですが、この
授業における著者と子供達との交流の様子がとにかく素晴らしい。
生徒:今までで一番楽しかったことは何ですか?
柳瀬:今までで一番楽しかったことは今ですね。
生徒:今一番大事にしているものは何ですか。
柳瀬:きみらに対して、ちゃんと誠実に答えられているかどうか
が今一番大事。
ここにあるのは、目の前にいる人とちゃんと関わり合おうとしてい
る一人の大人の誠実な態度です。著者は子供を子供扱いせず、一人
の人間としてきちんと向き合い、関わり合おうとしています。
そうやって真剣に向き合い、関わり合う中で著者が子供達に伝えよ
うとしたのは、言葉というものの持つ力であり、日本語の持つ可能
性でした。『日本語ほど面白いものはない』というタイトルどおり、
日本語ではこんなことができるんだと手を替え品を替え紹介しなが
ら、言葉がいかに奇蹟的な存在であるか、中でも日本語がどれほど
天才的な存在であるかを繰り返し語ってゆくのです。
同時に、「間違えて、覚えて、また間違えて、覚える。どんどん間
違えてください」と著者は子供達の背中を押します。「いいんだよ。
まちがえて、まちがえて、生きてゆくのだから」と。
言葉の力に触れ、間違えていいんだと解き放たれた子供達は、たっ
た二回の授業で、驚くほど書く文章が変わります。例えば、二回の
授業を終えた後に、岡山怜美(おかやまれみ)という子がつくった
以下の文章。
おおきなゆめをもちお
かをのぼっていこうか
やまにそびえるきぎや
まちにともるあかりま
れにみるかぜのながれ
みなみらいのたのしみ
文頭をつなぐと「おかやまれみ」となっています。授業で紹介され
た言葉遊びを自分でも試してみたというものですが、小六の少女が
こんなにも美しい文章を作れてしまう。この子だけではありません。
他の子達の文章もどれも言葉が生き生きとしていて、素晴らしい。
言葉が持つ力を教え、間違えてもいいんだと背中を押してやるだけ
で、子供はこんなにも言葉の世界に開かれていくのですね。何か教
育の本質を教えられた気がしました。
著者の言葉遣いはとても誠実です。聞き手や読み手に対して誠実な
のは勿論、言葉そのものに対してもとても誠実です。人間にとって
最大の奇蹟である言葉の可能性をとことんまで追求する。それが言
葉に対する最大限の賛辞であり、敬意の表し方なのでしょう。
著者と子供達との交流に暖かな気分をもらえると同時に、言葉を大
切にしよう、目の前にいる人を大切にしよう、という気持にもさせ
られる一冊です。是非、読んでみてください。
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▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)
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一連のロアルド・ダール翻訳を世に出してみて、「子供」というも
のは決して侮れないと知ったこともある。読者ハガキに書かれてい
る感想の言葉がすばらしかった。工夫を凝らした訳語に対して、常
識にとらわれない新鮮な反応が返ってくる。少年・少女というもの
がどれだけの可能性を秘めているか、ぼくはいささか無知でありす
ぎた。
「言葉のはじまり」を考えるとき、ぼくの頭にはいつも、人間同士
が共通に持っている気持、通じ合っている気持というものが浮かび
ます。(…)なにかとても近い間柄同士で交わされている気持の通
じ合い方があって、そんな中から言葉が生まれてきたのではないか
とも思うのです。言葉はもともと暖かい関係の中から生まれてきた
のではないか、そんなふうにも考えたくなるときがあるのです。
言葉があるおかげでおたがいに通じ合える、言葉は他人に何かを伝
える。そしてもう一つ、当たり前すぎていちいち意識しないでしょ
うが、言葉は他人だけでなく、自分に何かを伝えるんですね。(…)
つまり、ほとんど一日中、話相手がいなくても言葉といっしょなん
ですね。いつも言葉がいっしょにいてくれるから安心できる。
言葉は生き物です。ですから、大切に、ていねいに、使ってあげな
くてはいけません。
「本」という文字は、「木」という文字に横棒が一本ついています。
この横棒は木の根もとを表します。本は、言葉を手に入れて文字を
手に入れた人間の根もとになってくれるんですね。
木の葉は次から次へと生い茂ります。言葉というものも、みんなが
どんどんしゃべったり書いたりすることにより、言葉が言葉をどん
どん生んで、葉っぱのように増えてゆく。「言葉」と書くようにな
った理由は、だいたいこういうことではないかと、古い国語の学者
たちは言っています。
芥川の文章の中に、(…)「最大の奇蹟は言語である」という言葉
があります。人間にとって、ほんとうに珍しく貴重な出来事は「言
語」、言葉を持ったことだと言っているんです。
「すごくいい」と言ったのは、言葉が、ええと、どう言ったらよい
かな…言葉が、そう、きみらの瞳みたいに生き生きしてる。言葉が、
きみらの瞳のように、ひたむきなんです。うそがない。ごまかしが
ない。
去年、坂井先生とゆっくりお話したとき、小六のきみたちについて
こうおっしゃっていました。
「みんな、力いっぱい遊んでいます」
いい言葉だなあ、と、心打たれました。「力いっぱい」という言葉
には、充実感があります。
何が「本」で、何が「末」か。
これはなかなか厄介な問題です。中学生になって、これからぐんぐ
ん大人になっていくきみたちは、将来、この難問に出会うことがし
ょっちゅうあるはずです。それは自分で決めなくてはいけない。自
分で決めるしかない。
きみたちなら大丈夫だと信じていますから、ああしろ、こうしろと、
ぼくは言いません。
きみたちなら大丈夫だと信じていますと言ったのは、きみたちの六
年生のときの「学級目標」を知っているからです。目にしたとき、
ぼくはほんとに感心しました。
「利他の行動」
「物事を追究」
「力を出し尽くす」
この三つですね。
(…)
この言葉さえ忘れなければ、これから先の人生で、何が「本」で何
が「末」かという問題を正しく解いていけるはずです。
強烈に印象に残ったボードレールの言葉があります。
天才とは、随意に再発見される幼少期である。
天才というのは、好きなときに好きなように思い起こす幼少期なの
だ、と、天才詩人は言っているのです。
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●[2]編集後記
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台風一過。東京は完全に秋になりました。夏の間中咲き誇っていた
百日紅の花もいよいよ終わり。柘榴の実が日に日に赤味を増してい
ます。もう9月も終わり。今年も残り三ヶ月です。
連休中、妻は娘と二人で出産の準備をしていました。いよいよ巣ご
もりの構えです。巣ごもりの準備をする時のかいがいしさは人間も
鳥もあまり変わらないようで、恐らく本能的なものなのでしょう。
家の中の整理をしているのでゴミも出てきます。古くなって汚くな
った木製のまな板を捨てようとしているの見て、これ削ればまだ使
えるなと思い、娘を連れて近所のDIYのお店に行って、鉋をかけら
れないかお願いしてみました。
600円でやってくれるとのこと。ワクワクしながら一部始終を見守
りました。するとどうでしょう。あんなに汚かったまな板が、鉋を
かけるたび、まるで新品のように息を吹き返していくではないです
か。伐り出したばかりのような新鮮な木の香りが蘇り、初めて見る
鉋屑を鼻に押し当てた娘も、「木はまだ生きてるんだね」となかな
か乙なことを言っていました。
何年たっても、どんなに汚くなっても、削ってあげれば命を吹き返
す木。そういう木の命を使わせてもらっているのだから、とことん
使ってあげないと申し訳が立たないですね。
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いまどき、こんなに素直な子どもたちがいるのかと思うような学級である。柳瀬先生が出前授業をおこなう様子のレポート。小学校高学年になって、自分の意見をのびのび言い合える、人の意見を馬鹿にしない、すれていないというのは稀有なことだと思う。特に、この漢字のこういうところがおもしろいとか、頭語だけ決めて詩を書くとか、確かにおもしろいんだけれど、授業でやられるとこっぱずかしかったり、自分にはできないとはじめから思ったり、まじめにやっている生徒を皮肉ったりというようなことが起こりがちだ。やっぱり環境なのかなあ。
Posted by ブクログ
『チョコレート工場の秘密』の翻訳者、柳瀬尚紀氏が
島根県のいわゆる「僻地」に出向いて、小学生に出張授業をする。
本書は、著者が授業をするまでの経緯と、
実際の授業を文章で実況中継したもの、
そしてかつて授業に参加したこどもたちが中学生になってから
行った「空想授業」について書かれている。
書店網の充実がむずかしい僻地で、移動する本屋を経営している
女性の熱意が実を結び、著者が島根県へやってくる。
著者は無類の僻地好き。
都市部にはもういないのではないだろうか、素直なこどもたちの存在に
いたく感動を覚える著者。
土地と著者が相思相愛になる。
日本人が外国語を学ぶには、まず日本語を学ぶことが必要だという。
とはいえ、なにも日本語を研究せよといっているわけではなくて、
身近なものに興味をもち、興味をもったらさらに次のステップに進んで
自分の世界を広げていこう、と教える。
そのきっかけが、自分たちが普段使っている日本語であるということ。
外国語の翻訳者がいうことだけに、説得力がある。
~本文抜粋~
『きみたちとぼくは初めて会ったのに、しゃべれば通じ合える。
実際に約束したわけじゃないのに、言葉は通じ合えるっていう約束を
もともと交わしていたんですね。』
そう、話せばわかる、のだ。
メールでコミュニケーションをはかる都市部の若者たちの存在を考える。