あらすじ
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ぜんぶ、言っちゃうね。
このままでは日本の歴史学は崩壊する!?
歴史を愛する人気学者の半生記にして反省の記――。
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歴史学は奥も闇も深い
●「物語の歴史」と「科学の歴史」の大きな違い
●時代が変われば歴史も変わる怖さ
●実証と単純実証は断じて違う
●皇国史観VS.実証主義の死闘
●教育者の一流≠研究者の一流
●修業時代とブラック寺院
●私は認められたかった
●「博士号」の激しすぎるインフレ
●「古代+京都」至上主義の嫌な感じ
●「生徒が考える」歴史教科書はNGだった
●歴史学衰退の主犯は大学受験
●私を批判する若い研究者たちへ
●唯物史観を超えるヒント
●網野史学にも検証が必要だ
●民衆からユートピアは生まれるか
●「日本史のIT化」は学問なのか
●次なる目標はヒストリカル・コミュニケーター
本書のテーマは「歴史学者」、つまり歴史を研究するということの意味について考えること――だ。(中略)聞きようによっては、同僚や他の研究者の批判に聞こえてしまうようなところもあるかもしれないが、もちろん個人攻撃や人格攻撃などの意図はまったくない。あくまで学問的な批判だと考えていただければよい。ここまで心中を正直に吐露したのは本書が初めてであろう。
幼年時代の私は、偉人伝などをはじめとする「物語」としての歴史にハマった。だが、本格的な歴史研究者を志すために大学に入ると、そこには「物語」などではない、「科学」という、まったく新しい様相の歴史が待ち構えていた。
学生時代の私は、史料をひたすら読み込む「実証」という帰納的な歴史に魅了された。その一方で、いくつかの史実をつなげて仮説を組み立てようとする演繹的な歴史のもつ面白さにハマった時期もあった。だが、実証を好む人々からは「仮説」というものは徹底して異端視され、しばしば私も批判されることになった。
さらに学びを深めるうちに、歴史学、歴史というものは決して悠久でも万古不易でもなく、それどころか、むしろその時代のもつ雰囲気や世論、世界の流れなどによって、簡単に姿を変えてしまう、ある意味恐ろしいものなのだという現実も知った。また、受験科目としての安直きわまりない「歴史」が、数多くの歴史嫌いを大量生産し、結果的に歴史という学問の著しい衰退を招いてしまっている事実にも言及したい。
こうした機微な話は歴史の授業や歴史学の講義ではなかなか話題にならない。(「はじめに」を一部改稿)
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Posted by ブクログ
個人的には大変面白い。
誰もが面白いと感じられるかは疑問符がつく。
興味を持って面白いと思う人は以下のような方であろうか。
・歴史に興味があり、これから歴史学を志す人
・大学で歴史をかじった人
・過去、歴史学を履修したことがある人
・蛸壺のような学会政治に興味がある人
まず、歴史学と歴史は全く別物と認識する必要がある。
歴史学科に入った時の違和感は以下に代表される。
三国志、戦国時代、幕末が好きなのに自分の好きな○○は研究対象にならないということである。
歴史は物語であり、歴史学は実証を元に構造化するということである。
とはいえ、歴史学も物語主義と実証主義かという2つの軸のバランスで学会は成り立っている。
学会は古文書などを元にした実証主義が大勢をしめ、実証主義もただ資料を現代語訳するだけ
となっているという実勢に批判が入っている。
現代までの歴史学の流れは以下になっているという。
1皇国史観の歴史学 (主な学者 平泉澄)
2マルクス主義、唯物史観の歴史学 (主な学者 石母田正)
3社会学史的アプローチの歴史学(主な学者 網野善彦 佐藤進 勝俣鎮夫 笠松宏至)
90年代の歴史学は唯物史観は影を潜め、網野史学を代表とするアナール学派が評判となっていた。
歴史学は抽象化、構造化が苦手な性質をもっており、社会学のフレームワークを持ってきて結論ありき
実証は後回しの状況には危惧をしていた。
網野史学への違和感は民衆は平和や自由を追い求めるという面をクローズアップするあまり、
結論に実証を紐づけるきらいがあった。
(極端な話 学会の趨勢がマルクス主義が社会学史に置き換わったような印象もあった)
歴史学は資料をもとにした実証的すぎる立場(物語性なし)、ある立場にしたがった物語的歴史学(実証少なめ)
どちらかに偏っていたように思う。
筆者は以下の手順を取って歴史学を論じるべきといっているように思う。
資料を元にした事実の確認→事実を元にした他の資料との整合性の確認→抽象化・帰納化→解釈
上記のような考えであれば統一理論的な解決はできないと思われる。
ボトムアップ的な考えで、「この条件であればこうという」「この考えは全体の一部」という
歯切れの悪い結論となると思われる。
しかし、ビジネス界隈では当然用いられる手法であり、歴史学でも取り入れられてしかるべきである。
Posted by ブクログ
「第二章 『大好きな歴史』との訣別」pp.93-94より
学説を大切にしながら、ものの見方というものは非常に純粋でなければならない。ブレてはいけないし、不純物が混じってはいけない。その一事を肝に銘じ、自分はその一点をきちんと踏まえられる人間だ、自分に詰め腹を切らせることができる人間だ、という一点に自信を持てた人間こそ、「私はこう思う」と伝える資格をもつ。