あらすじ
2016年7月26日、知的障害者施設「津久井やまゆり園」で19人が死亡、26人が重軽傷を負った「やまゆり園事件」。犯人は植松聖、当時26歳の元職員だった。なぜ彼は「障害者は生きるに値しない」と考えるに至ったのか。地元紙記者が、37回の接見ほか丹念な取材を続け、差別を許容する現代日本のゆがみを浮き彫りにした渾身のドキュメント。
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Posted by ブクログ
社会人1年目に起きたこの事件。去年の大学生の頃なら、一ミリも疑わずに許されないと言い切ったはずなのに、働いてお金を稼いで納税する大変さを知ったからなのか、なぜか、こう言う気持ちになってしまう人がいることは、わからなくもないなと思ってしまったのだ。
そしてそう思った自分に、びっくりした。ああ私も大人に染まってしまったと。
全然共感のかけらもできない、狂ってるとしかいいようがない。
でもそういう考えに共感、もしくは、絶対反対と言えない人たちへ、ちゃんと説明できるように、反論を勉強するために読んだ。
犯人について深く知らなかったが、
別に家庭環境が荒れていたわけでもなく、
学校でいじめられていたわけでもなかった。
だから本書は問う、社会のあり方が彼をそうさせたのではないか?
それは教育のあり方、最近まで支持されていた(偉人らが支持していたと知りショック)優生思想と優生遺伝子政策、福祉施設のありかた、死刑制度。。
この事件が問うべきテーマを網羅し、問いかけてくる。
正直頭でわかる部分と、でも自分や自分の家族だけはと思ってしまう部分とあり、だから差別のない心は難しいし、常に自己啓発しないといけないと思った。
でもたしかに、指摘の通り社会では分断されて隠されているので、知らないだけ、かもしれない。
うまくいえないけど、この事件とその背景や社会構造をちゃんと勉強したいと思う。
〜〜〜〜〜〜〜〜メモ〜〜
犯人の生い立ち
・小学校教諭の父、漫画家の母
・経済的に恵まれた一人っ子
・小学生2年生で、すでに知的障害者への差別的な作文を書いている
・友人が障害者に怪我させられる
・中学では不良な友達もできるが反抗期として親は気にしないし落ち着く
・勉強は中の下
・クラスのリーダー的存在だが短気
・大学で先生になるために教育学部へ
・当初は真面目だったが、大学2年生頃からドラッグに手を出す
・教育実習も高評価。でも教員採用試験は受けなかった
ホームで働いてから
・就職は友人に紹介されてホームへ
・最初は楽しんでやりがい持って働いていたが、2年目くらいから否定的なものに
・暴力をふるう職員もいるらしい、人間的でない、家族は疲れて見える、など
・入所者からたたかれたり、葬式の途中で入所者がおやつと叫んだり、職員が軽い暴力をふるう姿を見たり、家族が障害者年金をギャンブルに使って、溺れた入所者を助けてもお礼を言われない。
・トランプ大統領やドゥルテ大統領の思想に傾倒していく。障害者への税金は無駄だ、社会に不要だなどと周囲へ主張を始める。自分が重度障害者を殺したら、トランプはいいねをくれると吹聴していた。
・米国で流行っているイルミナティカードにハマる。自分はカードの預言者だと信じ込む
・革命家への憧れ。発言力を増すための美容外科。
逮捕後
・精神鑑定は、自己愛性パーソナリティー障害
・「社会の役に立たない重度障害者を支える仕事は、誰のためにもなっていない。だから自分は社会にとって役に立たない人間だった。事件を起こして、やっと役に立てる存在になれたんです。」
・被害者は匿名報道だった。兄弟が障害者だとバレたくない家族もいる。遺族から報道しないでと言われる。神奈川県警は異例であるが、「この国に障害者を受け入れる土壌はまだない」と匿名発表を決めた。
・犯人はもし自分が歌手や野球選手になっていたら、事件を起こしていないと答えた。自身が優れた人物で有意義な人生を送っていれば、楽しくて事件は思いつかなかったと。
優生思想
・19世紀後半に優生学が学問として提唱される。ダーウィンの種の起源、自然淘汰による進化論から欧米で支持された。
・20世紀に各国で手術によって生殖能力を断つ断種法が成立
・日本も優生保護法が1948年に施行。目的は、「不良な子孫の出生防止」。96年まで続く。2019年、政府は謝罪。
・公益が大義で、善悪一体の思想
・平塚らいてうや福沢諭吉までも、その思想を支持した
・戦後人口抑制から、市川房枝や加藤シヅエらからなる委員会が強制法として優生保護法を主張していた(ショック)
・優生保護法はなくなったが、2013年出生前検査は認められた。障害を持つ家族は反対している
・でも出生前検査はしたいなってやっぱり思ってしまう自分。差別のない心って難しい
死刑制度について
・19人も殺したのだから死刑は当然と思う気持ち
・それは社会が犯人を生かしてはいけない、生きるに値しないと決めたからだ。それらは両立するのか?社会が求めた死刑は、犯人が19人を殺した動機となぜ違うと言えるのか
施設での仕事が犯人をそう思わせたのか
・事件当時、「気持ちはわかるけど、殺しちゃいけないよね」と言った職員
・身近に潜む、理解者であるはずの職員すら持ってしまう差別感情
・知らずと無意識に上から目線になってしまう
・自分の言うことを聞いてくれる、支配下に置いている気持ち、そんな自分は偉い
・支援か管理か
・学校で健常者と障害者を分ける。これが根っこでは?
・福祉施設が隔離されている。町の中にあるべきで分断するのは良くない。でも町の中に作ろうとすると反対される現実。
Posted by ブクログ
ずっと気になっている事件だった。「重度の知的障害者には生きる価値がない」という植松の主張への、明確な反駁を知りたかったからだ。人間の命の価値とは何か、という点に踏み込んで論じるものではなかったが、読みながら自問させられることも多かった。
本書の前半は、植松の生い立ちや凶行の顛末、遺族の心情や裁判など、やまゆり園事件という具体的事例について。後半は、優生思想や障害者を排除する分断社会、インクルーシブ教育などについて、日本の現状を解説している。
後半は、高度経済成長の中で生産性が重視され、障害者の隔離や不妊手術が行われてきたこと、対して80年代からの当事者運動の発展などにも触れられ、読み応えがあった。辺見庸が問う「死刑という『生体の抹殺』を黙認する我々と、自身で抹殺を実行した植松の距離は近い」とする意見は、なるほど、と思う。死刑=植松は生きる価値がない、と社会は価値づけているではないか、と。また、やまゆり園事件について、社会はちゃんと怒れていない、と指摘も耳が痛い。
あとがきの、抱樸の奥田さんの文章が非常に良かった。「いのちが大事」を当たり前とすることは、命を金科玉条のように仰ぎ、思考停止に陥ることではない。問いの前で呻吟し続けることだ、と。
Posted by ブクログ
植松聖の動機は結局わからないという印象を抱く人が多いが、本人から説明されつくされているが理解できないという印象をいだいた。
この本を読んで衝撃だったのはメディアが被害者の実名報道にとても固執していること。実名報道が通例なのだとされているけど、筆者である神奈川新聞取材者が書いてある通り、被害者家族はメディアスクラムを恐れていた。
その気持ちを無視して知る権利という、主語が曖昧な権利を主張するのは、なんというか怖かった。
報道されることで、周りからの目線、取材攻勢、あるいは施設に入れてしまったという後ろめたさを抱えながら生きてきたことに直面する辛さ、肉親が殺されたばかりの被害者家族をそういった状況に置くことに対することに無神経だと思った
かといって後半では障害者の生活のあり方について当事者である障害者自身の意志を尊重することの必要性を説いていて、違和感を覚えた。(当事者の意志を尊重することはとても賛成している)そうであれば、報道に関しては被害者家族の意志を尊重するべきではないか。
当事者の意志が尊重されるべきたと私は思う。
そこに関わる、第三者のメディアのあり方を個人的に考えさせられた一冊だった