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今を生きる人全てに読んでほしい
読むのが辛くなる内容ではあります。だからこそ多くの人に、生産性が最も重要だと、そう思わせる社会で生きている人に読んでほしいと思いました。
Posted by ブクログ
1996年7月に起きた障害者施設での殺傷事件のルポタージュ。
事件の経過、犯人との接見、被害者家族の感情、障害者福祉の現状など丁寧な取材が書かれていました。
当時のニュースを見て、秋葉原通り魔殺人事件、神戸連続児童殺傷事件など、何度も起きている殺人事件の延長で捉えていたと思う。理解不能な極端な優生思想によって起きた事件、気の毒だけれど自分の日常からは離れた所で起きた事件と認識していました。
「優生思想を突き詰めると能力主義にたどり着く」文中に出てくる言葉。現代社会ではあらゆる場面で生産性、効率化、能力を測る言葉を目にします。自分は上手くできない人々に苛立ち排除しようとしていなかっただろうか。
様々な場面が思い浮かび、自分の中にも犯人と同じ思想の種が存在しているのではないか?と急に自分事になる気がしました。
障害者にとって生きやすい社会は、皆にとっても生きやすい社会というような話がありました。 間違いを許さない社会、分断を煽り、個々人の「正義」を振りかざし糾弾する場面を見るたびに、生きにくさを感じるようになりました。自分は常に被害側にいるわけではなく、気がつくと加害側にいるのではないか?
自分の言動、多様性、包括性について見つめ直す機会になりました。
Posted by ブクログ
国が植松死刑囚を死刑にしたら、植松死刑囚が被害者である重度障害者にしたことと同じではないか。
そう思いながら読み進めていたら、森達也さんをはじめ、有識者全員が同じことを言っていた。
イチケイのカラスで「裁判官は、社会の医者だ」という言葉が出てきて、この裁判に、その言葉が届けばいいなと、心からと思った。
亡くなった被害者は、匿名の誰かではなく、命ある患者だった。
後半、植松死刑囚が「重度障害者は不幸をばらまく存在」等の言葉を発するようになった背景を探るくだりで、その価値観の出どころは日本の教育に原因がある、という流れから、日本の教育、主に障害者教育(特別支援教育)に迫る場面がある。
この章がほんとうにきつかった。
今、わたし自身が教育行政に関わっていて、その立場として絶対に直面しなければならない章だと思って、頑張って読んだけれど、ものすごく時間がかかった、ほんとうに辛かった。
ずっと頭と心がごうごうと音を立てていて、なかなか、文字が、意味が、頭に入ってこない。
この、「ごうごう」の正体は、わたしの中にある差別意識の塊なんだろう。読んでいる間、その塊をずっとちくちくと刺されていて、その塊が刺されるたび、ごうごう、と音を立てていたのだろう。
作品としては、「全員の心の中に植松死刑囚はいる」、つまり、「みんな差別意識を持って生きているから、それをまずは自覚しましょう」というのが結論だ。
わたしはこの作品を読んで、彼の動機の背景にある生い立ちなんかを探りたかった。
でも、結局裁判でも、生い立ちや施設での労働環境や生活についてはほとんど明かされなかったんだね。
亡くなられた方の数が19人という時点で死刑は確定。責任能力の有無、そこだけに焦点が絞られた。
「意思疎通ができない重度重複障害者は生きていても仕方がない」という植松死刑囚の価値観と、「19人も殺した優生思想の人間は死刑」という国の価値観とは、いったい何が違うんだろう。
きつかった教育の章について改めて。
自分の仕事や価値観を正当化したい面もあるけれど、障害児教育は差別意識だけではない視点もやっぱり必要で、わたしは特別支援教室も、特別支援学校も必要だと思うんだ。問題は自治体ごとの差なんだと思う。
作中に「子どもが普通学級を希望しているのに普通学級に入れない」という家族が出てくるのだけれど、その「普通学級に入りたい」という意思表示を子どもができる時点で、自分の気持ちを表出する力があるんだな、と思う。一方で、明らかに特別支援学級にいる方が活き活きとしているのに、親の希望でどうしても普通学級に入れたい、となって、普通学級でうまく過ごせない子もいる。
作中にも、普通学級で不登校になって特別支援学級に入って楽しく学校生活を送れるようになった子も出てくる。
今わたしが関わっている小学校は、そこの特別支援学級に希望をもって、わざわざ引っ越してくる方がいるほどだ。
でも、背景には、引っ越す前の自治体で、特別支援学校を提案されたけれど、それに納得できずに転入されてきた経緯があったりする。
今の子どもの状況と保護者の意向が合致すれば話が早い。トラブルも起きない。この作中に出てくるのは、いずれもそこが合致している、つまり、保護者が子どもの状況をしっかり見て、きちんと子どもの気持ちを代弁できている場合なのだ。
行政が苦労するのは、保護者の意向≠子どもの障害の程度だ。
インクルーシブ教育自体には賛成だ。
でも、障害の程度に関わらず全員普通学級で、というのは違うとわたしは思う。
特別支援学級でぐぐっと伸びる子だって見てる。学校が、どのくらい普通学級と特別支援学級の交流の機会を持てるか。どうやって交流の機会をもつか。交流の機会に、どのように関わるか。目指すのはそこではないかと思う。
学校の中でも、特別支援学級を持たない学校は、画一的で目指す目標が高い印象がある。
これでは、やっていけない子がどんどんやっていけない思いを持ってしまう。自信を失ってしまう。自分なんて、と、そんな風に思いやすい。自信を失って、コミュニティを広げられなくて、凝り固まった思考からなかなか離れられない。どんどん、自分だけが置いていかれている気持ちになってしまって、周囲を羨み、自分を貶める。そんな自分を守るために、誰かを貶める。こんな思考回路に陥ってしまう社会構造こそが、無意識に優生思想を生んでいるのではないだろうか。
Posted by ブクログ
事件についての詳細と、加害者や被害者の思考や、とりまく環境なども詳しく書かれていて、誠実で丁寧な内容でした。(丁寧すぎてちょっと長いけど)
また、優生思想についての問題も多く語られており、事件を通して障害を持つ当事者の差別問題も知れて大変勉強になりました。
優生思想については、両者の言い分のどちらにも正がある難しい問題だと思うので、反優生論のみではなく、より中立的だとより良かったのではないか。
近年の反差別や平等などの思想が一人歩きして、生活レベルでの実利との差が開きすぎて生まれた事件のような気がしました。
差別に対する怒りも理解出来るけど、平等が正当であるという、確固たる理由もないところに問題の本質があると思う。
Posted by ブクログ
個人による日本における大量殺人事件「やまゆり園事件」。元職員の男がなぜこんな凄惨な事件を起こしたのか、だけにとどまらず、この社会に潜む病理に切り込んだ一冊。
確かに犯人・植松の思考は、常人のそれとは違う。でも、異常者と言えるほど、突飛な発想ではないようにも思える。特に、障がい者の家族のしんどさや職員の疲れた様子を鑑みて、それを軽減させたいという思いはなんとなくわかった(だからと言って、勝手に命を奪ったり傷つけたりするのは言語道断だが)。でもこれが現実なんだろうなと。
そして、奪われて良い命などないという原則によって行われている裁判のはずが、死刑を求刑している(命をうばいにいっている)のが、最大のジレンマで、思わず唸ってしまった。事件の詳細や裁判の様子、やまゆり園や被害者に関する情報にとどまらず、障がい者を取り巻く社会の状況に目を向けて議論を進めているのが、本書のすごいところ。とくに、障がい者の子どもを特支に入れるか通常学級に入れるか、は私たち教育者にとっても大問題。
引き続き考えていきたい問題が山積している。
p.236 スケート植松の命
生きるには値しない。命は無いと、植松の独善に従うのであれば、植松自身の命の価値はどう考えれば良いのか。あくまでも私たちと等価であるはずの命に死をもたらす刑罰だからこそ、黙過たくない。
植松は生きるに値しない、とみなし、彼を処罰することはできない。植松の主張とそっくり重なり、否定したはずの彼の過ちを肯定することになるから。この取材で幾度も聞いたかパラドックス。落とし穴が待ち受ける。死刑によって、私たちが植松の命を奪う意味を、本書の終わりに通ってみたい。
p.268 支援と管理が逆転
身体障害者の大半は最重度の「障害支援区分6」で、言葉での意思疎通が難しい人が少なくない。暴れるなどの強度行動障害がある人もいる。
支援のあり方を模索し続ける桜の風でも、支援のつもりが、入所者を意のままに行動させようとしている時がある。入所者が管理の対象になるという主客が転倒した状態に近づく。
ある30代の男性入所者は、散歩や体操への関心が薄かった。職員はやる気を促すための策を練った。1日1回運動したらシールを1枚あげ、平日に毎日続けて5枚たまったら好物の缶コーヒーを飲むことができるという約束を交わした。
やがて支援の歯車が狂いだす。「運動に行かないとシールをあげないよ」「シールもらえなくていいの」。本人の頑張りを引き出すためのシールが行動を操る手段に逆転する。
ある時「シール5枚」を達成できず、落胆する男性の姿を見かねた職員から相談を受けた副施設長の佐野良は「来週は頑張ろうと励まして、きょうは缶コーヒーを飲んでもらおう」と助言した。
「支援計画が崩れる。いいんですか」と問い返す職員を、佐野は論した。「あなたは仕事で嫌なことがあったら、気分を晴らすために飲みに行ける。缶コーヒーをお預けにするのは、楽しみが奪われてつらい思いをしている人に、飲みに行っては駄目と追い打ちをかけるのと同じだ」
佐野が自戒を込める。「現場では、支援と管理が逆転していても、気づきにくい時がある。少しでも油断をしていると、本人の行動を制限すると言う危うさをしないかねない。」
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