【感想・ネタバレ】鎌倉幕府抗争史~御家人間抗争の二十七年~のレビュー

あらすじ

源頼朝亡き後、誕生したばかりの鎌倉幕府は異常ともいえる内紛と流血、果ては将軍までもが非業の最期を遂げる時代を迎える。その質実剛健のイメージとは裏腹に、なぜ「鎌倉武士」たちは仲間うちで殺し合いを繰り返したのか。北条時政、北条義時、梶原景時、和田義盛、比企能員……御家人同士の抗争劇から浮かび上がる鎌倉時代初期の政治史と、武士たちのリアルな生き様を活写する決定版。

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Posted by ブクログ

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の余韻に浸りたくて、御家人抗争に特化したこの本を選んだ。ドラマと史実の違いも面白く読めたし、かつての仲間同士が殺し合うバトルロイヤルをもう一度楽しむことができた。
 記述は『吾妻鏡』と、より信頼できる他の史料に依っているが、ところどころ北条時政の性格を「人のいい田舎のおじさん」のように評しており、史料からは個々の性格はほとんどわからないと思うので著者の主観及びドラマのイメージではないかと思われる部分もあった。

 最後のまとめに27年にわたる御家人抗争の原因は「源頼朝が死んだことに尽きる」、「武士は戦闘員であり殺人に対するハードルが低い、というよりも無い」という指摘があり、まさにシンプルなこの「殺るか殺られるか」という思考回路が数々の悲劇を招いた結論としてとても納得した。

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2025年05月21日

Posted by ブクログ

源頼朝の薨去から承久の乱までの27年間の、
鎌倉幕府における御家人間での抗争を詳細に描く。
・旧国名図
序 殺し合いの時代
第一章 十三人合議制の成立と抗争の開始
第二章 梶原景時事件と広域武士団
第三章 比企の乱と北条時政の独裁
第四章 北条義時の台頭と和田合戦
第五章 源実朝暗殺と承久の乱への道
第六章 承久の乱
第七章 伊賀氏の変と御家人間抗争の終焉
結 兵の道の虚実 あとがき 参考系図、参考文献有り。
――解説編――古代・中世日本の基礎知識

かつて頼朝の下で共に戦った者たちは、彼の死により、
殺し合う抗争時代を生きることになった。
現代語訳『吾妻鏡』を読んだとき抗争があちこちに
見られて、すごい世だなぁと思っていましたが、
その中から御家人の抗争を中心に集め、
他の資料で補完すると、それはそれは壮絶なものでした。
「兵の道」の倫理観と「勇者」たちの現実。
古代・中世武家社会の常識の凄まじさ。
主人の命が下れば、肉親であろうと親友であろうと、殺す。
政権上位の争いは、即、御家人たちにも影響してくる。
合戦になったら勝ち組と成り、恩賞を得ることは大事。
なんたって「私的武力集団」だから殺すも殺されるも当たり前。
まさに殺られる前に殺るの時代。
そんな「殺し合いの時代」を終わらせるとした北条泰時。
確かに彼の治世18年間は、平和な時代だったらしい。
でも彼の卒去後、再び「兵たちの戦い」が起こり出す。
ここまで興味深い内容だったから、その後の宝治合戦や
二月騒動、霜月騒動なども書いて欲しかったなぁ。
それでも、北条政子のゴッドマザーぶりがなかなか凄かったし、
当事者たちや一族の血筋、殺され滅ぼされたその後の
血筋の行方が書かれているのも良かったです。

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2025年01月22日

Posted by ブクログ

頼朝の死から承久の乱までの時期を対象に、鎌倉幕府における御家人間抗争の経緯を辿る。叙述内容は吾妻鏡が中心。個々の事件について余波まで含めて整理されているので、通史的に理解しやすい構成になっている。

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2023年06月01日

Posted by ブクログ

なぜ鎌倉武士たちは仲間うちで殺し合いを繰り返したのか、鎌倉時代初期の政治史と、武士の現実が書かれています。

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2023年05月06日

Posted by ブクログ

源頼朝の死去から北条政子の死去までの鎌倉幕府の混迷期が描かれていて興味深かった。
巻末には古代中世日本の基礎知識が書かれていて親切。

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2022年11月24日

Posted by ブクログ

ネタバレ

鎌倉時代の初期は抗争の歴史(教科書にでない)
現代政治史では時々の失策やきっかけで勢力図が
塗り替えられることがありわかりやすいが、他の
時代に比べて鎌倉時代は政治バランスがそのまま
抗争史なので推理しやすいのでお勧めです

頼朝の死後、武力を集めて作られた楽園=鎌倉は
大揺れとなり、頼朝から遠ざけられていた気配の
時政勢力は政子の引き立てもあり上昇するが、頼
家を掌中にする比企との衝突を避けられなかった

比企族滅後はこの世の春だったが、息子の政範の
急死でバランスが崩れる・・・義時に北条嫡流の
眼が生まれ様子を窺う時に時政と牧の方はミスる
畠山重忠を咎無く誅殺
義時は慎重に地盤を作り数年後に執権就任、同時
期に強い勢力である和田義盛の上総介申請を危機
と感じ和田合戦=族滅を引き起こした

義時は時政が思い上がりやり過ぎた事と政範死去
が無ければ「江間姓」で北条本家に使われたダケ
だったと思う(´・ω・`)

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2022年08月26日

Posted by ブクログ

源頼朝の死後から北条政子の死まで、ここまでの血で血を洗う争いがあったとは知りませんでした。いかに頼朝のカリスマ的指導力による鎌倉幕府だったのかがうかがい知れます。また将軍2代目・3代目までもなんと不安定なことか。北条氏による安定的な執権政治になるまで、御家人たちは疑心暗鬼に陥っていたことでしょう。

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2022年08月22日

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