あらすじ
樺太(サハリン)で生まれたアイヌ、ヤヨマネクフ。開拓使たちに故郷を奪われ、集団移住を強いられたのち、天然痘やコレラの流行で妻や多くの友人たちを亡くした彼は、やがて山辺安之助と名前を変え、ふたたび樺太に戻ることを志す。
一方、ブロニスワフ・ピウスツキは、リトアニアに生まれた。ロシアの強烈な同化政策により母語であるポーランド語を話すことも許されなかった彼は、皇帝の暗殺計画に巻き込まれ、苦役囚として樺太に送られる。
日本人にされそうになったアイヌと、ロシア人にされそうになったポーランド人。
文明を押し付けられ、それによってアイデンティティを揺るがされた経験を持つ二人が、樺太で出会い、自らが守り継ぎたいものの正体に辿り着く。
樺太の厳しい風土やアイヌの風俗が鮮やかに描き出され、
国家や民族、思想を超え、人と人が共に生きる姿が示される。
金田一京助がその半生を「あいぬ物語」としてまとめた山辺安之助の生涯を軸に描かれた、
読者の心に「熱」を残さずにはおかない書き下ろし歴史大作。
※この電子書籍は2019年8月に文藝春秋より刊行された単行本の文庫版を底本としています。
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Posted by ブクログ
序章。樺太に赴くロシア軍女性伍長クルニコワは、かつてソビエト時代の大学で民族学を専攻し、日本と領有を争っていたサハリンこと樺太の論文や資料に目を通していた。その中には旧式の蝋管レコードにはサハリン・アイヌの歌、五弦琴トンコリ演奏、昔話が記録されていた。そして後に登場するポーランド人学者ブロニスワフ、樺太アイヌのシシラトカ、ヤヨマネクフの名も記されていた。
実は私は何十年も前に、ロシアで発見された樺太アイヌの巫術(トゥス)を記録した蝋管レコードを、日本の孫世代の遺族が聞いて記憶を蘇らせる、というテレビ番組を見たことがあり、とても強い印象を受けました。多分それ以来、ほとんど知らなかった樺太・千島のアイヌや樺太の先住民、ニヴフ(ニクブン、ギリヤーク)、オロッコ(ウィルタ)に興味を持ったのだと思います。
本編が始まると、帝政ロシアおよびソビエトと日本帝国によって翻弄される樺太アイヌ、ヤヨマネクフを軸とする波乱の物語が描かれる。
第二章になると、帝政ロシアでポーランド独立運動に関わって逮捕され、サハリンに流刑懲役服役するポーランド人ブロニスワフの物語になる。
ヤヨマネクフの物語には、二葉亭四迷や金田一京助、大隈重信、白瀬矗といった明治・大正時代の有名人が登場して、読者としては興味が尽きません。
実は、金田一京助が樺太で子供達からアイヌ語を収集する様子を描いたエッセイ(おそらく抜粋)は、小学校の国語の教科書で読んでおり(先述の巫術の蝋管レコードよりはるかに前です)、この時アイヌ民族という存在がとてもエクゾチックに響いて、とても強い印象を残したのでした(記憶に残る唯一の小学校国語教材かも)。
一方、ブロニスワフは樺太でアイヌと深く交流し民族学学者となり、アイヌの少女イペカラの五弦琴トンコリの演奏を序章に現れた蝋管レコードに録音し、アイヌの妻チュフサンマを娶る。ロシア帝国がソビエト革命で倒れ、ブロニスワフは祖国ポーランド独立を目指す決心をし、身重の妻と子を置いてロシアに渡るが、武力を行使してポーランド独立を目指す弟の一派と対立し暗殺されてしまう。
ヤヨマネクフはロシア領の樺太で漁師をしながら幼馴染シシラトカらと共にアイヌやロシア人子弟のための学校を作るが日露戦の勃発で頓挫する。日露戦で南樺太が日本領となり、再びアイヌや和人のための学校を設立する。その後、ヤヨマネクフは世界最初の南極点到達を目指す白瀬矗の探検隊に「犬係」として応募するが、ノルウェーのアムンゼン隊に先を越され、南極点到達は断念する。ヤヨマネクフは南極点到達により「滅びゆく民族」とみなされていたアイヌの存在を世界に知らしめる気概から、断念に強く反対するが同僚の犬係アイヌのシシラトカに諌められる。帰還後、金田一京助を編者として、口述によるアイヌ語と日本語の自伝「あいぬ物語」を刊行する。
最終章、第二次世界大戦終戦直前、戦闘のなかった樺太にロシア軍が侵攻し、日本軍と戦闘が始まる。イペカラは五弦琴トンコリを生業としていたが、戦闘が起こったある日に森に迷い込み、トナカイに騎乗する日本兵源田により一命を取り留める。源田はイペカラを連れて日本軍陣営に戻る途中、ロシア兵クルニコワを撃って負傷させ捕虜とする。途中イペカラは五弦琴を弾くと、クルニコワはかつて蝋管レコードを聴いたことを告げ、それがイペカラの演奏だったことを知る。陣営にたどり着く。源田はそこで日本の敗戦を知るが、ロシア軍との戦闘が始まってしまう。源田は樺太の先住狩猟民オロッコ(ウィルタ)の出自を持ち、「立派な日本人となる」教育を受けており、銃弾によりバンザイを叫びながら息絶える。イペカラも「アイヌが滅びることはない」と叫びながら負傷する。日本軍はロシア軍の投降呼びかけに応じて戦闘は終わる。
この序章でロシア兵クルニコワをチラッと出したまま途中には全く現れず、やっと最終章に現れて、五弦琴トンコリの演奏者イペカラと出会い、蝋管レコードの記憶が共有される件にはグッとくるものがありました。既に消え掛かった最初のストーリーの記憶が、長編の最後にデジャブのように蘇らせられる手法は、もつれた糸がほぐれるような開放感と快感があります。
途中、アイヌ女性のトンコリ演奏の描写がとても抒情的で美しいです。現代の音楽と比べたらトンコリの演奏はきわめて素朴なのですが(私の知る限りは)。
この小説のキーワードは「熱源」です(タイトルなので当たり前ですが)。ブロニスワフは祖国ポーランドのロシアからの独立運動、ヤヨマネクフやシシラトカは「消えゆく民族」、「異族人」と不当にみなされている民族の存在感や誇りを、色々な形で取り戻したり誇示するための、行動の原動力となる経験、学校設立や南極点探検、女性の入墨シヌイエなど。行動ではなくともイペカラ、源田も強い言葉で訴えています。
登場人物の強い熱源については、個人的には少し物足りなさも感じました。ブロニスワフがかなり幸福な樺太生活を始めていたのに、あまり信用できないポーランド独立派の学者を頼りにして、同行を約束していた妻子を置いてロシアに戻るあたりの動機。
また、ヤヨマネクフが南極点到達断念に対して猛烈に反対する動機。
かなり穏健なポーランド独立運動や、滅び行く民族としてのやや漠然とした(身体や生命の危険を伴わない)危機感、それなりに幸福に思える樺太の家族生活などを考えると、これら独立運動、南極点到達への固執といった、非常に強い意思が必要なはずの行動に至る動機としては少し弱いような気がしました。これは人により様々かと思いますが。
実は先立ってアニメ版のゴールデンカムイを見ていました。時代的に重なる部分があるのですが、ストーリーを比べると、熱源はかなり真面目な内容。各種の事実をあまり曲げないでフィクション化しているようです。ゴールデンカムイはアイヌ文化を紹介するけれど、アイヌ民族の危機感は前面には出さず、エンターテインメントとしてのストーリーの面白さに重点があるようです。漫画版は見ていないのですが。
アイヌ語について、ほとんど知らないでいうのも烏滸がましいのですが、出てくる日本語の横に振られた樺太のアイヌ語のルビが、北海道のアイヌ語と同じなことに時々気になりました。樺太のアイヌ語とは異なっていたんじゃないかな?
Posted by ブクログ
アイヌ民族が日本とロシアの戦争に巻き込まれていく様がリアルに書かれている。
しかし文明を受け入れずにいることで淘汰される命もある。
アイヌの人が生き残り、アイヌ文化のアイデンティティを守るためにはどうすれば良いのか?
Posted by ブクログ
文明に呑み込まれる種族はどう生きるべきなのか。
抗えないからこそ、やるべきことを考える。
ヤヨマネクフとシシラトカは南極を目指し、種族として名を残そうとした。又、どこの領地でもない土地に想いを馳せずにはいられなかったのではないか。
Posted by ブクログ
サハリンアイヌの話である、ということは事前情報で知っていたのですが、第一章の舞台が石狩川流域の対雁(ついしかり)だったことで、ぐっと話が身近になりました。
というのも、対雁は現在江別市にあるわけですが、江別市というのは小学校低学年から結婚するまで私が住んでいた場所なのです。
そして、樺太に住んでいたアイヌ人が宗谷に強制的に連れてこられたあげく、対雁に住まされたということを史実としては知っていたので、余計に興味深く読むことができました。
第二章はロシアからの独立を願うテロ行為に巻き込まれたポーランド人学生・ブロニスワフが、冤罪によりサハリンに流されるところから始まります。
こちらはまったく馴染みのない話ですが、第一章の勢いでぐいぐい読めます。
優れた人間、劣った人間というのはいても、優れた人種、劣った人種というのはない。
環境に合わせて進化しているはずなのだから、一種類だけが優秀というのでは進化の多様性を否定することになるではないか。
何度も作品の中で語られる、アイヌ人の、ポーランド人の想い。
「文明ってな、なんだい」とヤマヨネクフの問いに、親代わりの総頭領が答えたのは「たぶんだが、馬鹿で弱い奴は死んじまうっていう、思い込みだろうな」
翻って大隈重信がブロニスワフに言った「弱肉強食の摂理の中で、我らは闘った。あなたたちはどうする」に対して「その摂理と戦います。弱気は食われる。競争のみが生存の手段である。そのような摂理こそが人を滅ぼすのです。だから私は人として、摂理と戦います」と答える。
優劣優劣優劣
他と比べないと自身の評価が定まらないのは、実は苦しい。
日本人に呑み込まれようとしているアイヌ人と、ロシアによって消されようとしているポーランド。
生まれたというだけで、生きていていい。
土地を、言葉を、文化を奪われずに生きるために戦う。
これ、史実をもとにした小説なんですよ。
ヤマヨネクフは日本名・山辺安之助として南極に行っているし、ブロニスワフはポーランド人のアイヌ人研究者として名を残しています。
彼らの周囲の人たちもそれぞれに、人としての尊厳を守るために戦います。
戦いというのは武器を持って暴力で…だけではないことがわかり、胸が熱くなりました。
Posted by ブクログ
【私、私たちを生かせるもの】
国家制度の中で、多くの民族は消えていく。引き裂かれ、同化され、あるときは誇りを失い、あるときは抵抗し、そんなプロセスが今も続いている。
この本は、樺太を中心とした人々の生き様が書かれている。
先日、ミャンマーの今、についての講演を聴いた。
「不当な命令と権力に対しては、義務として服従するな。」
今の市民の抵抗運動の根底にあるのは、アウン・サン・スーチーさんがずっと訴えてきた、このガンディーの精神であることを学んだ。
抵抗を権利として論じたジョン・ロック、その西洋の思想とは異なり、義務としての不服従を規定する。
国家は人がより良く生きるために人間が組織したものだったはずなのに。
「力とは、こういうものではありませんか。破壊や死を伴い、どこかで歯止めが効かなくなる。」
19世紀後半から20世紀前半、国家間の文明を賭けた戦いに翻弄されるストーリーの中で発される言葉は、今に生きる私たちにとって、現実的過ぎる。
時に人間でなくなることを強いる国家とは、いったい何なのか。
わたしたちはこの国家制度の中で、戦うことにどのような意味があるのか。
希望は、「力の摂理」が人の世界の摂理なら、人が変えられる。
「力の摂理」下では、時に「人間らしい心の動き」を人間がすることを許さない。
人間のための組織であったはずの国家は、いつどうやって変貌したのか。もともとうまくいっていなかったのか。
国家形成と発展の過程で、ある人々が誇りとしていた暮らし方を否定し、文明の名のもとに消滅する。
国家の本質はいったい何だったのか。
文化的アイデンティティ、民族的アイデンティティ、そのための戦い、自由の希求、そんな議論や行動もあるけれど、実際私たちを活かしているものは何なのだろう。
日々の暮らしに実体としてあるもの。目の見える関係でつながっている人間。私たちはそこから多くのエネルギーを得ているのかもしれない。身近な人から生き方を教わり、何かしらの思いや拠り所を受け継いだり、それが複数の文化グループであることは矛盾しない。
「生きるための熱の源は、人だ。」
様々な社会の変化に適応してきた、樺太アイヌ・ヤヨマネフク。彼の気づきを受けて、私も考える。
「強いも弱いも、優れるも劣るもない。生まれたから、生きていくのだ。すべてを引き受け、あるいは補い合って。生まれたのだから、生きていいはずだ。…自分が確かということさえ知っていれば、そこに人(アイヌ)は生きている。それは摂理であってほしいと願った。」
例えば私の場合、日本人でありながら、同時に人間である。そのことをやめさせない摂理を実現すること。それなくして私たちは根源的に生きられないのだと。
「戦争も何もかも、生きてる人間が始めたんだ。生きてる人間が気張らなきゃ、終わんないだろ。あたしもあんたも、まだ生きてる。なら、できることがある。」
ニュースで報道されている戦争以外にも、世界各地で国家、民族の名のもとで犠牲者が後を絶たない。人間らしい心の動きを止められている人々がたくさんいるということか。
私は民族や国家の違いを越え、たくさんの友情や優しさ、温かさを受け取ってきた。
どこに生きる人間も、同じ人間としてつながることをやめないこと。想像することを続けること。広めること。