あらすじ
16歳のとき初めて一人で旅した秋田県男鹿半島、檀一雄の墓に参った福岡県柳川、吉永小百合と語り合った伊豆の修善寺……旅先での風景を前に、「あの頃」と「いま」が交錯する。JR東日本の新幹線車内誌「トランヴェール」で人気を博した連載などから35編を収録、『深夜特急』の著者が気の向くままに歩き続けた、国内旅エッセイ集。〈電子オリジナル版〉は沢木耕太郎撮影の写真が収録されています。
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会社員時代の出張で新幹線を利用していると、トランベールっていう冊子に連載されていたのを駅弁の紹介コーナーと並んで楽しみに読んでました(今も連載されてるのでしょうか?)。本の大きさといい重さといい手触り装丁が紙の本として旅のお供にぴったり。電子書籍も荷物にならなくていいけどこういう感じの本だと紙の方がいいなぁと思ってしまいます。一気に読むのでなく一編一編味わって少しづつ読むのが楽しかった。それにしても心にしみる文章です。完璧な予定を立てて滞りない旅行よりも思いがけないものとの遭遇の方が感動が上回るエピソードは実感します。コロナ後の自由になってきた世の中でまた用心しつつ、思いがけないものとの出会いができる隙間のたくさんある旅に出よう。
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新幹線の車内誌などに掲載されている「旅の
つばくろ」エッセイ集の続編です。
コロナ禍でのマイクロツーリズムを実践する
国内旅行の紀行文集です。
とは言っても、有名観光地を巡るのではなく
沢木氏の過去の経験から「心に引っかかった
地」をぶらり訪れる内容です。
それなのに、その「引っかかり」の理由も解
明されなかったり、そもそも最終目的地に辿
り着けなかったりと、割と「テキトー」なの
です。
しかしそれが「旅」なのだと著者は言います。
沢木耕太郎がそう言うと、非常に説得力があ
ります。
そう、旅は「テキトー」でいいのだと納得す
る一冊です。
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国内旅の沢木耕太郎さんのエッセイ。過去の旅を辿る今の旅が、あるきっかけから交錯する時の何とも言えない喜びや感動がリアルに伝わって来た。
まるで一緒に旅しているかのよう。
娘さんとの偶然のすれ違い、お土産に買ったこけしに詫びる気持ちなど温か。
じんわりと心に染み渡るエッセイだった。
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旅のつばくろシリーズ第二弾。短いエッセイの中に濃縮された人生の悲哀。名人の域に達したと言える筆者の絶妙な筆致。さあ、旅に出よう。
なぜ一つの旅、短いエッセイからこれだけ奥深いものが引き出せるのだろうか。どこか人生の悲哀を感じつつも小さな驚きと感動がある。
山口瞳に教わったという紀行文を書くための要諦、特に「滞在中ひとつの店に何回も行く」が秀逸。
筆者の心象風景。黒塀と丸型ポスト。それがとある町を旅してふと見えてくる場面。
さほどの分量ではない本だが無限の感動を持った1冊。
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沢木耕太郎の最新作といえば、新潮8月号9月号に掲載された超大作「天路の旅人」ということになると思うが、その発表の1か月ほど前に発刊されたのがこの本。前作「旅のつばくろ」の続編。「旅のつばくろ」はJR東日本の車内誌トランヴェールに連載されたもので、仙台に単身赴任してる最中に毎月楽しく読んでいた。今回の続編も一部読んだことがある文章もあったと思うが、仙台生活も終えて2年半経つのでほとんど初見。一つ一つが短く簡潔なのでとても読みやすいが沢木耕太郎の魅力は満載。読んで行きたい場所がいくつも増えたことは嬉しい限り。
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沢木耕太郎(1947年~)は、ノンフィクション作家、エッセイスト、小説家、写真家。著者が、1974~75年に香港からロンドンまでを旅した記録『深夜特急』(発表は1986~1992年)は、当時のバッグパッカーのバイブル的存在としてあまりにも有名。1979年 『テロルの決算』で大宅壮一ノンフィクション賞、1985年 『バーボン・ストリート』で講談社エッセイ賞、2003年菊池寛賞、2006年 『凍』で講談社ノンフィクション賞を受賞。
本書は、JR東日本の車内誌「トランヴェール」の連載(現在も継続中)をまとめて書籍化したもので、2020年4月の『旅のつばくろ』(41篇を収録)に続く2冊目(35篇)。
私は、1980年代にバッグパックを背負って海外を旅し、沢木耕太郎の作品は、上記の各賞受賞作をはじめ、『敗れざる者たち』、『流星ひとつ』、『キャパの十字架』、『旅の窓』、『チェーン・スモーキング』、『世界は「使われなかった人生」であふれてる』、『作家との遭遇』など多数の作品を読んでおり、最も好きな書き手は誰かと問われれば迷わず沢木の名前を挙げるファンである。
なぜ沢木がそこまで好きなのかというと、ある著書の解説に、「沢木耕太郎という人は、今までの自分が知り得ていた世界、あるいは想像し得た世界にいる誰とも似ていなかった。会いたい人に会うこと。行きたい場所に行くこと。書きたい何かを書くこと。誰とも群れず、何にも属さず、しかし、あらゆる世界や人々と柔らかく繋がっている。」という記載があるのだが、そのような沢木の生き方・スタイルに惹かれるからなのだと思う。
そして、本書では、会津、秋田、伊豆、日光などが出てくる(また、さりげなく吉永小百合や井上陽水らが登場したりもする)のだが、結局、沢木がどんな生き方をしてきたかが書かれているのだ。
また、沢木はあとがきで、「春になり、やがて夏が来ようとしているいま、私たちにも、そろそろ飛び立つことのできる季節が訪れたような気がする。・・・自らの責任において、移動をするかどうか判断する、私が飛び立つ季節が訪れたような気がするというのはそういうことだ。・・・無難を求めて大勢に盲目的に従うのではなく、何事も自らの責任において自らの行動を決する。そんな習慣が、ひとりひとりの身につくようになるとすれば、この災厄にも、大きな意味があったということになるのかもしれない。」と、新型コロナに関わる環境の変化を慎重に言葉を選びながら書いているのだが、沢木はこれまでも常に「何事も自らの責任において自らの行動を決」してきたはずで、我々にエールを送ってくれているのだ。
様々な意味で、実に沢木らしい一冊と言えるだろう。
(2022年7月了)
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五色沼 私も以前近くまで行ったけど、太陽が出ていないから美しく見られないだろうと諦めたことがある。翡翠。どんな天気でも見えるものだとしたら、、あの時見ていれば。沢木さん的にはこうゆう感情が次回の旅の動機になるのだろう。
全てが計画通りの旅もいいけれど、たまたまの偶然に遭遇するための、ちょっとした隙を作るのも悪くないと思った。
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「旅のつばくろ」の続編。
旅に生きる?著者のエッセイから紡がれる小話は生き生きとしており、まさに旅に出たいと思わせる内容となっている。
深夜特急しかり、彼の文体に潜む「旅への渇望」が垣間見えたのかもしれない。それを解き明かすという意味でも、エッセイ本としてはとても読み応えのある一冊。
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作者による外国への放浪の旅ドキュメント「深夜特急」が好きで、実際に旅には出向かずとも心の何処かで旅へのあこがれを抱き続ける自分にとって本書はスケールは違えども醸し出す旅へのあこがれに共通するものを見出す。纏まった日数を要する海外旅行ではなく国内旅行を題材としてくれているのでより旅への動機付けをしてくれる。
作者の言う「黄金刻」を見つける旅にでかけたいものだ。ただ、それには作者のような深い知識、経験、好奇心を持つことが必要だとも思うが、これが難しそうだ。結局、作者の提示する本を手に取ることがとても気楽な旅行気分を楽しむことかな、とも思う。
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自分もいつか著者のような旅ができるようになれたらいいのになーと思いながら読み進めていました。無理に興味のない観光地に足を運ばない、気の向くままにふらふらと、スマホも持たず…(できるかな?)
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旅のつばくろシリーズ、第二弾?
相変わらず旅情をかき立てられます。
若いころアルバイトでためたお金で、東北に旅した話。
そして数十年たって、その時の足跡をたどる旅。
取材などで訪れた場所、そのエピソード。
コロナが収束したらといっているうちに、
こっちはだんだん年を取り・・・
年々、腰が重くなるのです。
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前作にも増して旅情をかき立てられる35編のエッセー集。遠い記憶の穴を埋めるための東北旅行、北斎の版画に描かれた場所を探し求める日光旅行、江戸幕臣の紀行文を辿る23区内小旅行等々…心に残るエピソードばかり。読みながら、まだ携帯もない時代、時刻表だけを手に飛び回っていた頃が懐かしく思い出された。これまで旅先に残してきた心を回収する旅は、自分もこの先いつかできたらいいなと思う。スマホにもガイドブックにも頼らず一人、風の吹くまま気の向くままに…。
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会津若松、秋田、伊豆の湯ヶ島温泉、島根の松江、福岡の柳川、大分の臼杵、宮城の塩釜、福岡の朝倉市秋月などを訪れた時の様子と感想が書かれていました。
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著者は180cmもあるんだ。
そりゃ、若い頃はモテただろうな。
スマホを持たずガラケーというのも、好感度高し。
あんだけ旅してるのに、道に迷った時も地図アプリを見れば一発なのに、あえて(スマホを持たず)人に尋ねてそっから思いもかけずいろんなことに遭遇する楽しみが旅の醍醐味なんだとか、さすがだわ。
よく、通りすがりの人に道をきいたり、話しかけたりしてるみたいだけど、なんて幸運な人たちなの。
私も、道を歩いてたら突然、沢木耕太郎に道を聞かれないかな。
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「旅のつばくろ」の2巻目。
1巻目には、このエッセイが、JR新幹線の車内誌である「トランヴェール」に連載されたものであるという説明があったのだが、この2巻目には、その記載、すなわち、このエッセイの初出が全く記載されていない。それは沢木耕太郎のエッセイを味わう分には書いてあっても書いてなくてもどちらでも良い類のものであるが、何故書いていないのだろうか、と不思議な気がした。もしかしたら書下ろし?そんなこともなさそうだしな、と思いながら。
このシリーズは、国内旅行のエッセイである。
沢木耕太郎が書く旅行記といえば、何といっても「深夜特急」。外国を放浪するように旅するというのが、沢木耕太郎の旅行記のイメージ(少なくとも私にとっては)であるが、本書は趣がずいぶんと違う。旅先でよく歩いたり、あるいは、九段から九品仏までを歩く旅行といった独特の旅行記が混じったりもしているが、このエッセイの中での沢木耕太郎は、普通に電車に乗り、普通にバスに乗り、ある目的地を目指して(放浪旅行というのは、目的地がないのが普通)旅をする。だから、このエッセイに個性、ユニークさを出そうとすれば、旅のスタイルではなく(それは特色がある訳ではない)、旅の目的地ではない(それは日本国内の普通の場所)方法で出さなければならない。
そういった意味で言えば、この本に収められているエッセイは、必ずしも沢木耕太郎らしさが溢れたものではない。沢木耕太郎ではない人が書いたものである、と言われて読んだら、そう思ってしまうものも多い。しかし、エッセイとして面白くないという訳ではなく、沢木耕太郎が旅した場所に行ってみたくなるような魅力がある。旅の目的地やスタイルは普通であっても、そこに何を求めて、何を感じるかにその人らしさが出るのだろうと思った。
Posted by ブクログ
トーンが著者のラジオで聴いた語りのままで心地良い。
「旅先に心残りをつくるのも悪くない」「偶然の遭遇 すれ違い」「旅に出てから学ぶタイプ」「思いもよらずの為に隙間を作っておく」「黄金の刻 旅の神様」ー33のエッセイに出てくるこれらの言葉。旅はいい。
私も若い頃に著者の真似をしていた”旅のリュックにリンゴを…”の最初の話が出てきたのには感動。
Posted by ブクログ
とても読みやすいエッセイシリーズだと思う。
土地勘や全くない地域がほとんどだったり、自分自身の知識が浅い内容を色々出てくるが、栞を挟んで置くという選択肢が出てきてもおかしくないが、読み進めさせてくれる。(最近、本を読むのがしんどいと思う時間が長いがそれでも読める。)同じ経験はしていないが、「わかる!!」と思わせてくれることが多く記されている。
西日本中心のものが是非出てほしいと思う。
Posted by ブクログ
作者の沢木耕太郎さんが、16歳の時に一人旅をした東北地方を再訪する旅エッセイ。
当時を振り返り、出発前に少しの目的地を決めて、あとは行き当たりばったりで旅を楽しむ沢木さん。
深夜特急の頃から変わらないその姿勢が、短いエッセイのなかで伝わってくる。
期待してた場所が想像してたより、全然しょぼかった、、みたいなことも当然あって。
そんなガッカリした一日。でもその日の夕方のこと。トボトボ歩いてた鉄橋の上で、手前に見える丘に夕陽が差してほんの10分だけ黄金に輝いて。それまでのガッカリが全てチャラになったような気がしたそうで。
キュンの瞬間が分かりみすぎて。
Posted by ブクログ
ガイドブックやネットに頼らず、駅前の地図を頭に入れて歩き出しわからなけらば人に聞く。そういう旅を著者は続けている。そして思いもかけなかったものとの遭遇やそれに纏わる思索を端正な文章で世に送り出してくれる。
P181
行くか、行くまいか、迷ったときは行くにかぎる。なぜなら、すべては移動によって始まるから、だ。