あらすじ
謎の位牌を握りしめて、百合江は死の床についていた――。彼女の生涯はまさに波乱万丈だった。道東の開拓村で極貧の家に育ち、中学卒業と同時に奉公に出されるが、やがては旅芸人一座に飛び込んだ。一方、妹の里実は地元に残り、理容師の道を歩み始める……。流転する百合江と堅実な妹の60年に及ぶ絆を軸にして、姉妹の母や娘たちを含む女三世代の凄絶な人生を描いた圧倒的長編小説。(解説・小池真理子)
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Posted by ブクログ
直木賞受賞の「ホテルローヤル」しか読んだことがなかったこともあって購読。
人に薦めるのは「ホテルローヤル」だとしても、ずっと溺愛するのは今作だと思った。
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すごい!これは一つの伝記のような物語。冒頭から引き込まれるタイプの話では無いけど、百合江と里実の幼い頃からの話を読んでいるうちにのめり込み始め、時々ある現代の描写に戻ってくると誰が誰の娘だっけ?この男性は?と確認しに戻り、また先を読み続ける。彼女の数奇な運命、親も含めた周りのひどい人たち。
タイトルのラブレス、愛されない、愛のないというのは誰を指しているのか。心当たりが多すぎて…百合江と里実の親、宗太郎から綾子、高樹親子、里実から小夜子そして、ハギ
百合江は許し、里実は許さないタイプ、姉妹のコントラスト、小夜子と理恵、そしてそれぞれの姉妹、絹子と綾子。理恵とババの関係、よかったな。そこからペンネームもきてたのね。百合江も里実も生活力があって逞しく、春一の情けなさ、宗太郎の身勝手さと自由さ、それを受け入れるユッコの懐の深さ
綾子がちゃんと生きてて、幸せに暮らしていたのは救い。百合江はもっと理恵とコミュニケーションをとった方がよかったんじゃないかな。そして、最後に百合江のそばにいる男性は石黒かと思いきや、宗太郎ってことでいいのよね?
Posted by ブクログ
ラストシーンは3回読み返した。
「溢れんばかりの愛と、愛になれなかったものたちが…」胸に迫って3回泣いた。
死に向かっていく杉山百合江が握りしめている位牌。彼女の壮絶な波瀾万丈な生涯を通し、姉妹、娘たち、母親の人生も描かれていた。
極貧生活の開拓小屋から出立し、病院のベッドに横たわるまで、百合江は生き抜いてきた。
私には、許せない人たちがたくさん出てきて、幾度も怒りに震えたが、百合江は全てを赦してきたのだ。
彼女の寛容さ、強さは誰も敵わない。
百合江の人生は、決してみじめではなかった!
今年のベスト上位に入る
Posted by ブクログ
私は正直に言うと、百合江さんは流されすぎ。と思ってしまいました。ゴミクズ男たちに怒り狂って復讐してやればいいのに。実の子なんだから探し出して会えばいいのに。なぜ、運命に抗わない??「しなやかに生きる」とかいえば聞こえはいいかもしれないけど、ただすべてを諦めているだけじゃないの?
読後しばらくは、百合江さんの諦めたように見える態度に納得いかなかった。
でも、暫く考えて、百合江さんはきっと「諦めた」のではなく「赦した」のではないかと思うようになった。小説では一度もでてこなかった言葉だからこれは私の独自解釈だけど、「赦す」ってのがテーマの1つなのかなと思った。百合江さんは許して受容しているんだと思う。人の弱さ。貧しさのどうしようもなさを。
それは全桜木作品に通底するテーマだろう。出てくるキャラ全員ほぼどうしようもない人間なんだけど、それが悪いように描かれていなくて、著者の人間に対する愛を感じる。
とくに、男がもう最初から最後まで全員ゴミクズすぎて、私は最後の爺さん2人には「なんで今更そこで出てくるんじゃーい!」って感じで怒り心頭だった。あの老人ホームの爺1の告白ほんとに自分のためって感じで許せない。ラストででてきた爺2もなんかなんでいまさら出てきたのって感じで納得いかない。
でも、百合江さんは許してる。
ただ諦めることと、赦すことは、違うんだと思う。ちゃんと起きた出来事を、心の中で受け入れているというか。それが幸せ、なのかもしれないと思う。
でもその割には、「信仰」みたいなテーマは一切登場しないんだよね。百合江さんは何を拠り所に、壮絶すぎる人生の色々な出来事を許したのだろう。
その拠り所が、小説では描かれなかったから、読者の私は、若干、怒りのやりどころに困っているのかもしれない。
2つ目に感じたのは女の悲しさ。これは本作ではなく、桜木作品全般のテーマ。言うのも野暮なんだけど女って結局男に求められ愛されてこそ幸せなんだなあ、と思う。そしてそのことが悲しい。だってその業のせいで不幸呼び寄せちゃう、弱い立場に置かれることが多くあるから。受け入れることが愛みたいな、被支配欲や自分のなさ、みたいなものの、業の深さよ。男は分かりやすくクズなんだけど、女はその点でクズ。つまり人間全員クズなわけですよ…。そしてそのクズさを包み込んで優しく許してくれるのが桜木作品なわけですよ…。
3つ目。女の幸せ。これをよんで、女の幸せというものの定義を自分なりに改めて、することができた気がする。女の幸せとはつまり惚れた男の子どもを産むことなんだろう。その1点だけだろうと思う。その好きな男が父親としてはクズでも、子供のことでうまくいかないことがあって不幸に見える出来事が起きたとしても、好きだと思えた男の子供を産むことができたら、女としては幸せなんだと思った。
久しぶりにすごい小説を読んでしまった気がして読み終わってしばらく違う世界にいるみたいでした。
中盤からはページをめくるたびに涙してしまいました。もうこれ以上登場人物を悲しい目にあわせないで…と。
桜木先生の作品によくある「なろう小説」的テンプレートは、『北海道。昭和。貧困。男ゴミクズ。女はそれに流されながらも強く生きていく。』で、この小説もそのテンプレを踏襲しているのですが、ずっとずっと思っていたより重厚な小説でした。おしんに浪花節と韓国ドラマを混ぜたような濃厚さでした。
Posted by ブクログ
あなたは、他の人の人生が”幸福だったか、不幸だった”かを判断できるでしょうか?
なかなかに難しい質問からスタートした本日のレビューですが、いかがでしょう。この問いに答えるには『幸福』とは何か?という非常に難しい質問に答える必要もありそうです。
ところで、この世には”大河小説”なるものが多数出版されています。或る人物が、いつ、どんな場所で、どんな境遇の中に生まれたのかから始まる物語は、そんな人物がどんな青春時代を送り、どんな人生を送ったのかが記されています。そんな人生にはまさしく喜怒哀楽の日常があり、山あり谷ありの人生の中でこんなことを成し、こんな風にこの世を後にした…その人の人生のすべてがそこにまとめられています。
そんな物語を読むと、その人物が何を成し遂げ、何に苦悩したか、また、人によって人生の頂点がいつだったのかを第三者的に感じることはできます。一方で、小説と違って、リアル世界においては、他の人が、自らの人生をどのように感じていたのか、そう、”幸福だったか、不幸だったか”を本人以外が知ることはできません。そもそも自分の人生が”幸福だったか、不幸だったか”はあくまで、その人個人のことであり、他人がとやかく言える資格はありませんし、そもそもその人の心の内側を覗けるわけでもありません。私たちが、他人の人生を記した”大河小説”に魅かれるのは、自らが決して体験することのできない他人の人生の中に、自らが生きていく上で”幸福だった”と言える人生を送るためのヒントを知りたいからなのかもしれません。
さてここに、”北海道、極貧の、愛のない家”で生まれ育った一人の女性を中心に親子三代に渡る家族の暮らしを描いた”大河小説”があります。戦後間もない時代から60年に渡るそれぞれの時代を描くこの作品。『わたしは食べて働いて歌ってさえいれば』と思う主人公がさまざまな境遇の中に生き抜いていく様を見るこの作品。そしてそれは、人がこの世を生きることの幸せというものに、あなたが思いを馳せることになる物語です。
『休み時間に電話ちょうだい』という『従姉妹の理恵からメールが入ってい』たのに気づいたのは主人公の清水小夜子(しみず さよこ)。そんな小夜子が電話をかけると『うちのお母さんと連絡が取れないの。ちょっと様子を見に行ってもらえないかな』、『電話に出ないの。里実おばさんに訊くのがいちばん早いんだろうけど。おばさんだとほら、いろいろあったから』と言う理恵。『伯母、杉山百合江の生活保護申請手続きを進めたのは、小夜子の母の里実』でした。『札幌に出たきりになっている理恵』を思い、依頼を引き受けることにした小夜子は電話を切り『階段の踊り場を見上げると』そこには鶴田の姿があります。『総務課の課長補佐だったころからのつき合い』という鶴田は『小夜子とのことがきっかけで』妻と別れた後、小夜子とも一旦切れますが、『五年前から、再び会うように』なりました。『四十五歳で妊娠』、『三日前、更年期の相談で婦人科を受診した際に告げられた』事実を『まだ鶴田に伝えていない』小夜子は、子どもの成長と自分たちの年齢感を思い『自分たちが人の親になれるような気がしな』いでいます。そして、仕事が終わった後『母の里実に百合江の部屋を教えてほしいと頼』む小夜子に、『なんか、嫌な予感がする』という里実は小夜子に同行して百合江の暮らす『古い町営住宅』へと向かいました。『若いころはクラブ歌手で、子供の目にもずいぶん美しく華やかに見えた伯母の、おそらくここが終の棲家だ』と目の前の住宅を見る小夜子に『いい年して、ひとりでこんなところに住まなきゃならないなんて、みじめよねえ』と言う里実。そんな里実は『事業に失敗したあとストレス性のめまいで倒れた』百合江の『生活保護の手続き一切を取り仕切』りました。そして、『インターホンを押』すと『どちら様でしょうか』と『みごとな白髪の老人』が顔を出します。『百合江の部屋に男が ー といっても相当な年配の老人だが』と驚く二人。『どうぞ。奥の部屋にいらっしゃいますから』と招き入れられ部屋に入ると『終末に近づいた人間の饐えたにおいが室内に充満してい』ます。そして『おそるおそる次の間を覗』くと、『開いたふすまの向こうで、百合江が布団に横たわってい』ました。『おばさん、小夜子です』と声をかけるも『動く気配』のない『百合江の左手には黒い漆塗りのちいさな位牌が握られて』います。そんな中、『姉さん』と『小夜子を押しのけ』里実が百合江の枕元に膝をつきます。そんな母親の姿を見て『はっと我に返った』小夜子は『バッグから携帯電話を取り出し、救急車を呼』びます。そして、『百合江の手から位牌を取ろうと指をこじ開けている』『母の両肩を掴』むと『ちょっと、そのままにしておいてあげて』と、手を払いのける小夜子。『両手を畳につき尻もちをついた格好で小夜子を睨』む里実…という〈序章〉から始まる物語に登場するのは主人公の百合江と里実の姉妹。そんな百合江が中学生だった頃に舞台を遡る物語、親子3代、60年に渡る女たちの凄絶な人生の物語が描かれていきます。
“謎の位牌を握りしめて、百合江は死の床についていた ー。彼女の生涯はまさに波乱万丈だった。道東の開拓村で極貧の家に育ち、中学卒業と同時に奉公に出されるが、やがては旅芸人一座に飛び込んだ。一方、妹の里実は道東に残り、理容師の道を歩み始めた…。流転する百合江と堅実な妹の60年に及ぶ絆を軸にして、姉妹の母や娘たちを含む女三世代の凄絶な人生を描いた圧倒的長編小説”とうたわれるこの作品は、桜木紫乃さんの最高傑作とも言われる作品でもあります。内容紹介にある通り、”女三世代”を描く大河小説の色合いを色濃く感じるこの作品では、冒頭の現代(刊行は2011年8月)を舞台にした物語が展開する一方で、〈序章〉に続く〈1〉では、時代を一気に遡り、『昭和二十五年十一月一日、標茶村は標茶町になった』と起点となる時代から60年前に場面は一気に遡ります。物語は、章が進むに従って数年おきに時代が進んでいきます。こういった複数の時代を取り上げる物語ではその時代、その時代を表す表現の登場が時代感を巧みに演出してくれます。
では、まずはそんな時代を表す表現を抜き出してみましょう。
・〈1〉: 昭和二十五年(1950年)、百合江15歳、里実11歳
→ 『板張りの部屋がたったふたつの、粗末な開拓小屋だった。電気が通っていないので日が暮れたらランプが頼りだ』。
※ 『開拓小屋』という表現も時代がかっていますが、『ランプが頼り』というのも時代を感じます。
・〈2〉: 昭和三十五年(1960年)、百合江25歳、里実21歳
→ 『チリ地震による津波の痛手は街の低い場所に多数残っていたが、復興の気配が見え始めてから半月が経とうとしていた』。
※ 1960年5月23日にM9.5という規模で発生した津波は日本へと押し寄せました。北海道から東北の沿岸部を壊滅させた事象を登場させる桜木さん。ちなみに、本文中に昭和三十五年と特定する表現は少し後に登場します。まずは、有名な事象で年代を敢えて書かずに読者におおよその時代を特定させる中に物語を展開させるという絶妙さを見せてくださいます。
→ 『トランジスタテレビから、日米安保条約が国会で承認され、デモ隊三十三万人が国会を包囲したというニュースが流れていた』。
※ 『トランジスタテレビ』って何?というこの表現に続くのが『日米安保条約』と『デモ隊』の登場です。この年にも当然他の出来事は多々あります。しかし、敢えてこれを選ぶ桜木さんがこの作品に帯びさせたい時代感が垣間見えます。
・〈3〉: 昭和三十八年(1963年)、百合江28歳、里実24歳
→ 『舞台では生バンドで協会理事長が「憧れのハワイ航路」を歌っている』。
→ 『綾子は満面の笑みでうなずくと、大きな声で「情熱の花」を歌います、と言ったのだった』
※ 岡晴夫『憧れのハワイ航路』は1948年、ザ・ピーナッツ『情熱の花』は1959年にそれぞれリリースされています。これだけでは時代特定はできませんが、これらはどちらかと言うと時代感を感じさせるものだと思います。それが、次の表現の登場で効果的に効いてきます。
→ 『椎名林檎の曲に指先でリズムを取りながら理恵が言う』
※ これは、現代の描写の中に登場する一文ですが、過去の時代の曲が複数登場する中で『椎名林檎の曲…』と、時代をジャンプする感覚が読書に軽妙なリズムをつけてくれます。このあたりも上手いなあと思います。
・〈4〉: 昭和五十年(1975年)、百合江40歳、里実36歳
→ 『皇太子夫妻が沖縄で火炎瓶を投げつけられたという話題が、新聞やテレビのトップニュースとなってすぐのことだった』。
※ 1975年7月17日に沖縄県糸満市で起こった、皇太子夫妻へ火炎瓶を投げつけるという”ひめゆりの塔事件”の記述からはじまるこの章。〈2〉と〈3〉の時間の開きが少ない分、〈4〉では、随分と先まで時代が進んだ感があります。そして、物語自体においてもさまざまなことがかなり進んだ未来が描かれていきます。
幾つか抜き出してみましたが、この作品の時代を感じさせる表現が極めて淡白なことに気づきます。”大河小説”ではこういった時代感を全面に出して楽しませてくれる作品も多い中、この作品で桜木さんはそこに重きを置かれていないことにも気づきます。それこそが、あとでも触れる、百合江と里実を中心に描く人生の物語です。
一方で、物語は60年の時代を描いていきますが、その舞台は桜木さんご自身が自ら暮らされている北海道です。桜木さんと言うと北国の仄暗い雰囲気感が何よりもの魅力ですが、この作品では釧路、弟子屈町が主な舞台となります。そんな舞台となる地を魅せる表現も見ておきたいと思います。
・『見下ろせば春採湖の湖面は晴れた空の下でも黒かった。海底炭採掘でできた低いズリ山と丘に挟まれた、ひょろ長い湖である。天然記念物の緋鮒はこの黒い湖にしか棲まないというのだが、小夜子はまだ一度も緋色の鮒を見たことがない』。
※ 春採湖(はるとりこ)は釧路にある汽水湖です。お住まいのある釧路の湖をさりげなく登場させる桜木さん。ディープな北海道を見せてくださいます。
・『川沿いの釧網本線付近では、乳白色の霧が生き物のように川上へと移動していた。窓から見える景色は、十メートル先の隣家も霞ませている』。
※ これは、実際に見た人でないと書けない表現だと思います。『生き物のように』移動する霧、雄大な北海道ならではの光景が思い浮かびます。
・『一番牧草の刈り取りが始まった農地にはいくつもの牧草ロールが並び、牧草畑は手入れの行き届いた芝生のように丘陵を夕空に繫げていた』。
※ これは万人が期待する北海道のイメージそのものだと思います。『丘陵を夕空に』と入れるところが北海道の雄大さを見せてくれます。
そんなこの作品は、兎にも角にも親子三代を描いた”大河小説”と言えると思います。現代を舞台にした〈序章〉の主人公は小夜子と理恵という三代目世代です。そんな小夜子は『四十五歳で妊娠』という衝撃的な立場にあることがスタート地点で明かされます。しかし、昭和二十五年という過去から始まる物語の主人公は百合江と里実です。ここで、主人公の親子三世代を整理しておきましょう。
・第一世代: 卯一、ハギ
↓
・第二世代(姉妹): 百合江、里実
↓
・第三世代(従姉妹): 小夜子(里実が母)、理恵(百合江が母)
姉妹、従姉妹と表記しましたが、これはあくまで分かりやすさのためのものです。特に第三世代の二人の境遇、関係性は実際はなかなかに複雑です。このあたりはネタバレを避けるため伏せます。本編でお楽しみください(笑)。
そんな物語は、内容紹介にもある通り、まさしく”波瀾万丈”な人生を送る百合江と里実の物語であり、長編小説として読み応え十分に描かれていきます。『板張りの部屋がたったふたつの、粗末な開拓小屋』で育った百合江に対して、生まれてすぐに、一旦、旅館を経営している卯一の妹の元に預けられた後で、極貧の実家へと連れ戻された里実。この幼き二人の境遇を描く〈1〉の物語は、すでに若くして凄絶な人生を歩む二人の姿を浮かび上がらせていきます。そんな中に『高校に進みたい。全日制が駄目なら夜学でも構わないんだ』と父親の卯一に願う百合江に待っていたのはまさかの『奉公』に出される未来でした。そんな『奉公』の日々のある日、『標茶町のみなさま、お待たせいたしました。これより三津橋道夫劇団の舞台が始まります』という舞台をたまたま目にした百合江。
『生まれて初めて観る踊りと歌芝居の世界は、貧乏や屈辱、百合江を取り巻くどうにもならないことのすべてを覆っていった』。
女歌手・一条鶴子との出会いは、百合江のそれからの未来を大きく変えていく起点となっていきます。
『歌を教えてください。お願いします。弟子にしてください』。
そんな風に鶴子に懇願することから輝き出していくのが百合江の歌の魅力です。物語は全編通して、この百合江の秀でた歌唱力が百合江を救っていく様を描いていきます。そんな百合江に対して理髪店に嫁いだ里実は、上記した『生活保護申請手続き』もそうですが、それ以外にも百合江の細々とした世話を焼いていきます。
『老いてから何年ものあいだ仲たがいができるのも、お互いの存在が大きなものだったことに気づけるのも、ふたりが血の繫がった姉妹だからなのだろう』。
そんな姉妹は、
『いつかまた関係が修復できるという無意識の甘えに支えられ、姉妹はいつまでも姉妹だった』。
という特別な関係性、繋がりの中に長い人生を支え合いながら生きていきます。四歳の歳の差の姉妹が見せるお互いを思いやる気持ちをさまざまな形で垣間見せる物語。そこには、”大河小説”らしく、凄絶な人生を必死に生きる百合江と里実の姉妹の苦難の日々が描かれていきます。そんな二人の人生を描く物語の全容を読み終える中に、『この世は生きてるだけで儲けもんだ』という言葉に思いを馳せ、人がこの世を生きていくことの意味を感じながら本を置きました。
『わたしは食べて働いて歌ってさえいれば』
苦難の人生の中にささやかな喜びを感じて生きていく百合江と、そんな姉をさまざまな形で思いやる妹・里実の人生が描かれるこの作品。そこには、そんな二人を中心とした親子三世代の物語が描かれていました。時代を表す表現の登場が物語の真実性を高めていくこの作品。北国を絶妙に描写する桜木さんの魅力を垣間見るこの作品。
60年という時代の移り変わりを描く物語の中に、”大河小説”ならではの深い余韻を感じる、これぞ桜木紫乃さんの傑作!だと思いました。
Posted by ブクログ
ただただ、ありがとうの言葉で胸いっぱいになるような素晴らしい作品だと思います。
「ラブレス」のタイトルにこれほど大きな物語をイメージしていなかったので結末で心が揺さぶられました。
Posted by ブクログ
1人の女性の壮絶な人生を描いた小説。
色々な出来事があってたくさん苦労してそれでも前を向いて生きる主人公の姿に夢中になって読みました。
出てくる男性達はほぼ皆、ろくでなしでしたが女性達は色んな意味ですごかった。
タイトルからは想像できない内容でしたが、良い意味で予想外ですごく面白かったです。
久々に濃厚で読み応えのある作品が読めてすごく満足です。またこのような作品を読みたい。
Posted by ブクログ
読む手が止まらなくなった。
それぞれに筋のある女たちの物語だ。
北海道の気候がよく絡む。
芸は身を助ける。
勢いで読んだがもう一度読み返す。
以下引用
からりと明るく次の場所へ向かい、あっさりと昨日を捨てる。捨てた昨日を惜しんだりしない。
Posted by ブクログ
「ラブレス」なんて横文字のタイトルだから現代が舞台かと思ったらある種、連続テレビ小説のような女の一生ものだった。そしてとにかく面白かった。
冒頭ではまるで自業自得で生活保護を受けながら寂しくいまわの際を迎えているかのように描かれていた百合江だったけど、ずっとその人生を読んでいくと全然そんなことなくて、貧乏くじを引いてはそれを受け入れ卑屈にならずひたむき生きた人としか思えない。何で妹の里実があんなに悪しざまに対したのかがわからない。
Posted by ブクログ
ミステリーとは違うのに結末が気になってあっという間に読んでしまった一冊でした!
北海道の開拓小屋で極貧の生活を送る姉妹
流されるまま波瀾万丈の生活を送る姉の百合江と
堅実な計画で地道な人生を送る妹の里美
60年にわたる姉妹の絆や
母や家族、娘たちや夫
人生に深く関わった人々の群像劇のような物語
人生に苦しみ絶望感を味わいながらもそれでもなお時には小さな幸せを感じながら生きた!
「生きる」ことの尊さを教えてもらった作品だった!
Posted by ブクログ
読むうちにだんだんいたたまれない気持ちになっていく。私は本多勝一の「北海道探検紀」に書かれた、昭和初期から戦後における、道東、オホーツク地域の開拓地を思い出していた。高度成長期の日本の都会で暮らしていたものには想像もつかない、ランプと薄板一枚の家の内側で、厳冬期を超す人々の姿が、そこにはあった。突然牛は死に、畑の作物は一夜で収穫不能になる。借金もある。
百合江が暮らしていたのはそういう場所だった。歌うことを夢見て、どん底の家庭から逃げ出すが、残された里実とて、地獄だったろう。しかし里実も、絶望的な現実を打開すべく、自ら立ち向かっていった。二人は離れていても消息を告げ合いながら、それぞれの人生を歩み、いつしか堅実な里実と、流れるように生きていく百合江の人生に別れていった。
一気読みで、とても途中で止めることができなかった、女たちの3世代にわたる壮大なドラマ。
母親のハギ、百合江、里実その子供たち。理恵と小夜子。誰が一番不幸かと言い合っても仕方ないが、百合江は、人生の最後に里実を圧倒する・・・。
「ラブレス」という言葉には、「一途」の意味もあるらしい。と、エッセイ「おばんでございます」に書いてあった。正確に覚えていない。誰が言ったのだったか。誰か教えてください。
Posted by ブクログ
運命には従いすぎなくとも、逆らいすぎなくともいいのかなと思えた。もっと流されるでもいいし、選んでもよいのだな。
人にはやっぱり、「あの出来事があったから、今のわたしがある。」みたいなことが、ひとつやふたつはあると思う。
色んな人間が居たけど、性格というか人格というか。みながみな、色んな環境下で色んな経験を積んでできあがった者だから、そりゃあうまくいったりいかなかったり、人生のタイミングとかもあるしなって思った。
わたしのばあちゃんも波乱万丈の人生だったようだけど、詳しくは知らないから、昔のばあちゃんを知ってる人に、話を聞いてみたくもなった。(小説には書かないけど!)
今のわたしは昔が想像できないけど、昔のばあちゃんは今の世の中なんて想像していなかったろうな。
こういう生活はたぶん実際にあったことなのだろうけど、わたしは新しいものを知ったかのような感じがした。
これはちょっと偏りのある言い方かもしれないけど、今は何から何まですぐに知ることができるし、「今どこ?誰といるの?元カレってどんな人だったの?」なんて聞くこともできるけど、「今どうしているだろうな、また会えるかな、もしかして?」って想いを馳せることは趣があるなあ。
自分史なんて書くほどじゃないって思う人が大概だと思うけど、みな偉大な話を聞きたいわけじゃないし、意外と面白いものが書けたり、つまらないと思っていた人生にも彩りがあったりするのかも?
長い目で見たらちっぽけなことだったり、豆粒や雪も積もり積もれば自分になる、財産になる。のかな。
個人的にわたしは里実っぽいとこあるから、気を付けなければ!?と少し思った。。
Posted by ブクログ
今思えばユリエとリエ、サトミとサヨコ、と名前の似てる親子だったのだけど、読んでるときはたびたび関係がわからなくなった。
それはたぶん、現在パートの里実と理恵の性格が、なんとなく似てるからではないか。
それにしても大河だったし、うらぶれた昭和感がたっぷり漂う大作だった。
出てくる男のなんと情けないこと。
里実は若い頃はしっかりものという印象だったけど、最後の方では結構イヤなおばさんになっていたな。
椿あや子の存在を、百合江はどのように知ったのだろうか。
Posted by ブクログ
貧しい開拓の村に生まれた女性の半生を描く大河小説。
「北海道の開拓の村」と聞くと明治を思い浮かべるが、
舞台はなんとザ・ピーナッツが流行した昭和の時代。
まずその設定に驚かされた。
クソビンボーな境遇から始まり、旅芸人となり、未婚の母となり、
数々の裏切りにあう百合江。
特に義母の嫌なヤツっぷりは全開で、思わずひっぱたきたくなるほど。
それでも百合江は、そんな困難な世の中をはんなりと交わして生きていく。
対照的な妹・里実のしっかり者ぶりといい、
登場人物ひとりひとりが丁寧に描かれていて、読後に余韻が残った。
同時期に出版された『ホテルローヤル』で直木賞を受賞しているのも納得の筆致。
個人的には『ホテルローヤル』よりも本作のほうが好きだ。
気になった点を挙げると、
百合江の子どもが理恵
里実の子どもが小夜子
という名前の構成。
この4人が同時に登場すると、親子関係が少し分かりづらく感じた。
おそらく漢字の形や文字数のバランスの問題だろう。
Posted by ブクログ
内容が濃く重かったが、すごく印象に残る本だった。
とにかく、登場する男がクズばかりでイライラさせられる。特に主人公の百合江が結婚した男とその母親は、鬼のようなやつらでめちゃくちゃ腹が立った。そのやつらが、何の罰も受けずに生きた展開には少しガッカリというか憤りを感じてしまった。
百合江が、めちゃくちゃな事をされても、何もかも赦すというか受け入れてしまう人柄にもモヤモヤさせられた。
Posted by ブクログ
よかった。最後の再会はやさしい男性と縁があったのかないのか何と言っていいのか難しいシーンだけど、会えてよかったのだと思う。割り切れない想いとか忘れらない人との思い出や後悔が残ることもまた人生なんだと思う。悲しいけれど。
Posted by ブクログ
謎の位牌を握りしめて、百合江は死の床についていた。開拓村標茶で極貧の家に育ち、中学と同時に奉公に出されるが、旅芸人に飛び込んだ百合江、地元に残り理容師になった妹の里実との関係を軸に、子供の小夜子と理恵、親の酒呑みの夫と駆け落ちして5人産んだ文盲のハギと女三世代の壮絶な人生を描いた話だった。道産子としては開拓者の苦労を忘れてはならないし、こういうこともあったのではと思わされた内容だった。「どこへ向かうも風のなすまま。からりと明るく次の場所へ向かい、あっさりと昨日を捨てる。捨てた昨日を惜しんだりしない。」
Posted by ブクログ
ラブレスって題名から若い人の話かと思ったら大違い。
北海道だし、昭和だし
たくましい女性、だらしない男性
50年を超える期間の話
人を描きたかったのは伝わる
不倫とか、未婚の妊娠とか、あまり気持は良くない
良かった、面白かった、一気に読んだ
Posted by ブクログ
タイトルに惑わされてはいけない
愛いっぱいの百合江だったのだ、と。
北海道開拓村の貧困家庭で育った一人の女性の一生。
壮絶なのに、カラリとした生き様がすごい。
小池真理子氏の解説が素晴らしく、心に沁みる
Posted by ブクログ
最初は、中々話が掴めなかったけど読む事に引き込まれていった。
家族の愛に一定の形はなく、様々で自由な愛の形がある。
少し暗いけど、とてもいい作品を読むことができました。
Posted by ブクログ
2013年第19回島清恋愛文学賞
恋愛文学賞を受賞しているけれど、ラブレス
愛がない
北海道の開拓民の家に生まれた女性の生涯は、
生まれた家にも嫁いだ先にも愛がない
そんな女性の一生を 歌う事が好きだった彼女に合わせて昭和歌謡曲を挿入しながらの大河小説
父親、弟達、奉公先の主人、結婚した男
いずれも手の負えない男達に
文句も言わずにその人生を受け入れる
愛がなくても生きるしかない
愛がなくても生きてはいける
ただ一人、好きだった男は娘の出産前に何処かへ居なくなる
好きだった男の娘は、行方もわからず
彼女の人生に息苦しさを感じるのは読み手で
彼女は人生を送り続けているだけなのかも
昭和中期くらいまでは、こんな人生の女性も
多かったのかもしれない
Posted by ブクログ
読むのに時間がかかった、、。
初めは読みづらいなと思う箇所もあり、人生のリアルさだと思うんだけど、汚さとか女性のやり切れなさとか、実家の両親のしんどさとか、田舎の付き合いとか、、男女関係とか、、。でも嫌な気持ちとかはなくって、だんだん百合江と里実の人生の続きを垣間見る気持ちですんなり読めた。
救われない話だったけど、ラストだけはいい思い出となったんじゃないだろうか。
Posted by ブクログ
開拓時代を過ごした女性の一生が波瀾万丈で足早に描かれていたけれど、それがその時代を生きてきた体感なのかもしれない。
個人的に最後までユリエさんの人物像が掴めずに終わってしまったけれど、信じられないような体験を重ねる度に生き直してきたのかもしれない。
実母の孫への手紙が辛かった。