あらすじ
ひょんな場合で偶然再会することになった「花ちゃん」と「なごやん」。あの『逃亡くそたわけ』から数十年後、富山県を舞台に、家族を持ったふたりの新たな冒険の幕を開ける。
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Posted by ブクログ
最初から最後まで花ちゃんの呟きがそっくりそのまま胸に沁みる。病気、コロナ禍、親の死、家族。
富山を舞台に、まったく今の自分とは関わりのない、そう小説なのだから関わるはずもないのだけれど、わかるわかるわかるとなりながら読む。近しくもないのに近い、なんなら自分なのではないかという感覚。
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何も考えずに借りたら「逃亡くそたわけ」の続編だった!
富山が舞台。コロナ禍中の家族の話。
半分自伝のような感じと思われる。流れ的にちょっと心配したのだけど、変に不倫とかの話にならなくてホッとした…。
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『逃亡くそたわけ』の単純な続編かと思いきや、富山を舞台にコロナ禍の日常を描く冴えた視線のエッセイとも言うべき作品だった。いくつも振り返りたくなる省察が含まれていて、それでいて「たびのひと」と呼ばれるよそ者の視点から富山のローカルな日常のあれこれが民俗的に描かれていて、物語性のなさがちっとも気にならず、夢中にさせる良作だと思う。とてもいい。
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精神疾患を抱えながら日々を生きていくってなるほどこんな感じなのかもしれないなぁと、リアルを感じた。
症状の波をうまく手懐けながら、でも時々大きな波にのまれそうになって慌てたりしつつ暮らす主人公と、その苦労やしんどさを肌感覚でわかろうとしながら共にいる家族。
そこにはかけがえのない絆があるけれど、だからといってすべてが分かり合えるはずもなく、時にはお互い傲慢になったり、相手に受け入れられない一面をみたりもする。
日々、気持ちを泡立たせながら些細な、時には大きな出来事を過ごしていくことが、まっとうに生きるってことなのかな。
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アキオちゃんは俺だ。「あたし」もそうかもしれない。と思わせる旨さ。
地方都市のリアリティを見事なまでに言語化している。さらに、移りゆくコロナ禍における誰もが持った漠然とした不安感が、ストーリー本編にさらりと編み込まれているのがとても良い。
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すごくすごく良かった。
全体的に「わかるなぁ〜」って感じで、ここ数年の2019〜2022年を舞台にしていて身近な感じも珍しくて良かった。コラムみたいな感じ。
あと、福岡出身の主人公が富山で暮らすという地方感も良かった。富山が識れて面白かった。
『まっとうな人生』は『逃亡くそたわけ』の続編で、実際に主人公の時間が経過して今現在という設定になっている。
『逃亡くそたわけ』の内容はすっかり忘れたけど、問題なく読める。
大事なのは時間の経過ということであって、内容ではない。
『逃亡くそたわけ』から『まっとうな人生』までの時間経過はそのまま私を含む全ての人に経過した時間で、
だから『逃亡くそたわけ』を読んだ時の私が若いゆえに共感し、月日を経て年をとった私が年をとったからこそ『まっとうな人生』に共感する。
その事実が、すごいなと思う。
特にp64〜73の(5) が良かった。
全文引用して紹介したいくらい、共感した。
「そうなんだよ」ってなった。
そして、それは、やっぱり時間が経って私も老いたから分かるんだとも思った。
昔の自分を思い出した。
20代の頃、私は家族や親しい人の死を体験したくないから誰よりも先に死にたいとしょっちゅう考えていて、そんな時に父が「若いと感度が高いからな、怖いよな。でも俺もお母さんもまだまだ死なないし、まぁもうちょっと待てば今度はお前が年をとる。そうすると良くも悪くも感度は鈍くなるんだよ。他人の死なんて大した事じゃなくなる。それでそうやってどんどん鈍くなって自分の死を迎えるんだよ。人間はそういう風にできてるんだ。だから今死ぬ必要はない。大丈夫」って。私は「鈍感になるなんて耐えられない!」ってなったけど、結局父の言う通り鈍感になった。
人生ってすごいなとしみじみ思う。
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面白かった!
福岡育ちで他県にいる自分にぴったりだった。
「ばかばい」言うなぁ。
脳内で。
メールでキレられてそれを許せない、ものなのかー。
あの頃の出口の見えないトンネルの感じ。
思い出した。
数字が増えていくと、麻痺していくよね。
遠くのニュースより近くの状態が気になるもの。
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花ちゃんとなごやんが「まっとうな人生」なんて…置いていかないで、私と一緒に逃げ続けようぜ…という気持ちで読み始めた本。
花ちゃんもなごやんも結婚して新しい家族と生活を持っている。マジか。偶然再会する2人。マジか。
始まるコロナ禍と、交流と、家族と、ただ毎日が過ぎていくだけを描いた小説でした。でもそれが人生というか、まっとうに生きるってなんだろうなあと、私も思いました。1日1日を積み重ねるしかないんだろうな。
こういう、特に大きな事件が起こらない小説って眠くなってしまう(得意じゃない)のですが、絲山先生の文章は本当にスッと入ってくる。不思議。くそたわけからまだ2冊目だけれど、やっぱり好きかもと思った。オシャレじゃない、カッコつけてない、別にエモくない「繊細さ」。それをそのままの形で味わえる気がする。
私は福岡は分かるが富山の辺りは全くの無知で、地元民が読んだらそういう意味でもより楽しいんじゃないかなと思いました。
「昭和の男(失礼)」も一部感じたがアキオちゃんは素敵な人だったし、なにより娘の佳音ちゃんがキュートだった。清涼剤みたいな感じ。下品な言い方かもしれないが、花ちゃん、子育て大成功だよ、と心の中で拍手を送った。
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「逃亡くそたわけ」の続編といえば続編。本作単品でも十分に面白いが、前作を読んでいるとより細かいところの意味合いが感じ取れる。
一言でいうと家族の小説。ちょっと詳しくいうと家族を含めた様々な世代の老若男女のコミュニケーションの難しさ、大切さを問う小説。
最後の章は特に含蓄に富んだセリフが続く。
主人公の娘がある意味この小説のキーパーソン。発想や発言が非常に魅力的でキュートな女の子だ。この子の視線、この子が主人公の小説が読みたくなる。
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言葉の使い方が絶妙。
精神疾患を抱える主人公の気持ち、共感できる。
ー元気な時は想像力が不足しがちだ。落ち込んでいる人に面と向かって「出口のないトンネルはない」とか「明けない夜はない」などと言ったりする人もある。あるよ。出口のないトンネルはブラックホール。明けない夜は宇宙。ー
すごく響いた。
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待ってましたから。
里のそばになるので。
聞き慣れた地名や国道その俗称等
懐かしさも含め包まれている感覚
表紙のごっちゃ感もイイのだけど、いろいろ思い出す。
そして、最初のイラスト風地図も何度も見直すし。
目次が年月なのでコロナの足音を(それぞれの感覚ですが)感じます。
富山弁、博多弁。
花ちゃんとなごやん、の再会。
芝犬の小太郎。
コロナの世界。
〜違う水槽に憧れる〜
わかるぅ。
シナリオ。
大雪。
アタシも大好き野鳥と、離島。
盛りだくさん‼︎まっとうって⁉︎
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ページを捲ると真っ先に目に飛び込んで来るのは富山県地図。
テンション爆上がり。
本作は、富山のガイドブックと言っても過言ではない。
立山連峰に黒四ダム、称名滝、大和にファボーレ、サスの昆布締めに完璧過ぎる富山弁。
我が地元・富山の全てが懐かしく、歓喜の雄叫びを上げそうになる。
物語は双極性障害を持つ37歳の花ちゃんと夫のアキオ、娘の佳音を中心に描かれる。
コロナ禍の富山の様子がそのまま描写され、ノンフィクションの様な味わいだ。
家族の死や友人との仲違い、喪失と再生を繰り返しながら日々を生きている彼らに元気を貰える一冊。
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『同じ鍋をつついた後で食べる雑炊はおいしい。けれども同じ相手であっても自分が参加していない「よその家の昨日の鍋の雑炊」は食べられない。』『アジヤオコゼの味がきれいな直線だとしたら、カツオやサバにはかっこいい角がある。ブリには角がひとつもない。』ちょっとした言い方がうまいなあ。
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年末ランキングのどこかで目にして、どうやら”逃亡~”の続編らしいってことを知り、それは是非読まないと、ってことで。同作を読んだのが比較的最近だっただけに、登場キャラのことも結構覚えていて、ナイスタイミング!って感じ。コロナによるあれこれが、がっつりリアルタイムで物語化されているんだけど、筆者は日記より小説の体裁を選んだ、ってことやね。その主人公として彼女たちが選ばれた訳だけど、それが実に上手く機能している。またいつか、彼女たちの後日譚にも触れられると良いな、と。
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さすが、文学賞作家絲山さん。心に刻みたい珠玉の表現で、コロナの日常を感性豊かに切り取って見せてくれる。舞台は「キトキト夫婦旅」以来の富山。大好きな散居村や棚田の景色が天然色で鮮やかに目に浮かぶ。絲山さんの表現心に刻んで再訪したい。「病気よりもっと薄気味悪い時代の演出としてのピンチに操られ動かされているような気がした」「今なんてもうそこらじゅうにファシズムの入口がある」「マスクの圧倒的な意味合いとしては私もマスクしておりますを表明して世間から非難されないようにするための、つまり人災から身を守る道具だった」「飛んで来たウイルスを防げないマスクに爆弾から身を守る役にたたなかった防災頭巾思い出す」「あたしの個は集団に埋められることに強く反発する。集団が全体になるとき、自由は我儘という言葉に置き換えられる」3年間の不気味な空気感、得体の知れないモヤモヤを抉り出して提示されたみたいなスッキリ感。
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主人公の語り口が淡々としていて、彼女の感じ方や振る舞いに共感することが多かった。
そうやねぇって思いながら読みました。
自分も富山に他県(結構離れてる)からやってきてここで結婚し、今はなんとなく日常生活で方言使って生活してるけど、ここで生まれ育った娘のネイティブには敵わなくて…な感じなんで、読み進めていても親子の、夫婦のやりとり、会話もイキイキしていて楽しかった。
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花ちゃん視点で語る言葉や想いに共感すること多し。花ちゃんもなごやんも各々愛する家族を持ち穏やかに暮らしている。ホッとした。坦々たる平和な日常に、読者としては少々物足りなさを感じた。
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「逃亡くそたわけ」を呼んだのが9年前。
妙に印象的な話だった。
ちょうど息子の精神疾患がわかった時期だったせいかも。
2年前に読んだ「絲的ココロエ―――「気の持ちよう」では治せない」
では、これまで読んできたどの本よりも、鬱の内面が説明されている感じがした。
まさか「花ちゃん」が「なごやん」に再会するとはね。
まっとうな人生とは
『暑いときも寒いときも、からだが苦しいときも頭がおかしいときも、その気持ちをきちんと感じる。不安も恐れも受け止めるしかない。楽しかったら笑い、美味しかったらちゃんと喜ぶ。』
つまりそういうことよね。
まるでコロナの実況中継のような時系列で、現実にはまだまだこの先が読めないわけだけど。
アキオちゃんと娘の佳音との暮らし、なごやん一家、柴犬の小太郎(すごいな、こいつ)の存在が、まっとうな人生「きっと大丈夫」的な予感につながる。
富山の様子がいろいろと出来て来て、思わずGoogleを見てしまった。
私にも縁のある土地なので、もう一度訪れたい、と強く思った。
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読み終わってから一週間ほど経つが『消えない傷もある』という言葉が頭から離れない。本当にそうだから。『出口のないトンネル もある』し、『明けない夜もある』という言葉も、よくぞ言ってくれたと思う。
退屈な本と思っていた序章部分。 でも『沖で待つ』という清しい本を書いた筆力のある作家さんだから、何かあるはず、 このままでは終わらないはずと思ってページを進めていくうちに、主人公の花ちゃんが私の中にスッと入ってきた。そしてコロナ禍で花ちゃんが感じたことは、私や私の周りの真っ当な人たちが 強く心に思っていたことだった。
双極性障害という病を抱える花ちゃん。
『まっとうな人生』というタイトルを思う時、花ちゃんこそ、まっとうなのではないか と 読み終わって気付かされる。
平易でわかりやすい言葉を使いながらも的確に心情を描写していく文章に、純文学の香りを感じる。
作者自身も 双極性障害を長きにわたって患っていたとググって知った。作品に落差があって遠ざかっていた作家さんだったけれど それを知って 誤解が解けた。
この本の前作というべき『逃亡くそたわけ』を読んでみたくなった。
Posted by ブクログ
好きな作家さんの新刊だわーと思って読み始めたら、家族が移住した富山のお話でなんとなく親近感笑
そして、私ここまでダイレクトにコロナのことを書いている本初めて読んだなぁと思いました。
私にとって読書ってどこか現実逃避だから、無意識に避けてたのかもしれない。だから最近歴史小説ばっかり読んでたのかもしれない。って少し思いました。
でも、この時代を生きる人として書かないわけにはいかないですよね。そりゃ。書きますよ。
他県ナンバーを見た時の反応とか、フェスや旅行の話とか、すごくわかるなぁと。あと病院。うちもコロナ禍で家族が入院したし。
これも懐かしいといつか思えるのかな。
もしくはコロナ以前の暮らしにびっくりするようになるのかな。どうなっていくんでしょうね。
全く同じにはならないだろうけど、良い方にブラッシュアップされていくといいなと思います。
Posted by ブクログ
コロナの事も書いてあるからか、小説と言うよりエッセイとか日記を読んだ様な感覚。
福岡や、金沢に住んでた事があるので、方言や地名を懐かしく感じた。
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富山の話、というから他何も知らずに読んだ。地名や方言や地方ならではの敵対意識を面白おかしく書かれている。砺波の散居村がみてみたい。
絲山氏が躁鬱病で入院した時期があることすら知らなかったので、赤裸々な生活日記、結婚されて九州から嫁ぎ富山へ来た作者のコロナ禍日記を拝見しているような気がした。
富山弁だったり、能登の旅行の話だったり、とても面白い。ただ躁鬱に関する描写はどうしても重い。
他の人には理解できない、と書かれていたがまさにそれ。
娘ちゃんの生理の時の気持ちの表現も面白い。また母の死に対して言葉にできない気持ちをとてもよく表現されていた。
アキオちゃんと、作者のバランスもなんとも言えずいい。「ああもうしゃーしか」と怒って出ていってしまう感じも笑
言葉が秀逸で、いくつか刺さった。
ほどほどでいいという言葉の裏には、あなたの努力に関心はないけれど私の期待するレベルは満たしてくれよ、という要求が隠れている。
異性の友達って、いちじくの天ぷらみたいなもんよ、
ご飯ですよ、家族は。
親というのはユニークではっきりとした存在で…言葉や冷たさ、いい加減さなど許せないことは一つ一つの事象と結びついて具体的だった。
若さは狭さだ。そして色の濃さだと思う。 p. 70
いつも使っているスーパーとは、家庭の冷蔵庫の延長線上にあるわけだから、身内の同然で愛着がどんどん増してくる。あまり行かないスーパーはよその家の延長だからよそよそしく見える。 p.82言い得て妙
お互いを識別しすぎないということは、他人の生活を変えようとしないことでもあった。… 人を人と思わない、というのはいい言葉でないかもしれないけれど、人を人としか思わなければ、それがちょうどいい距離感なのだった。p.190
人は死ぬと仏になるというけれど、残された者が少しずつ思い出を清めていくのだろうか。好ましいところだけをより分けてのこしていくのだろうか。そんなことは生きている者の都合で、その方が心地いいからなのだろうか。 p.212
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花ちゃんとなごやん、もっとアホっぽかった気がするんだけど…
「逃亡くそたわけ」読み直すか
コロナ初期の嫌〜な感じを思い出した。
ああもうしゃーしか
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「逃亡くそたわけ」の続編。
今回の舞台は富山県。
花ちゃん(正確には花田姓ではないが)となごやん、それぞれ伴侶と子供がいる。その二人が富山県で再会するとは。
二組の家族でキャンプをすることになったのだが、なごやんの愛犬が行方不明に。二手にに分かれて探すことになり、花ちゃんはなごやんの車に乗り込む。
再び珍道中?と思えば、そうはならず、だが富山県の様々な場所を舞台に花ちゃん家族の日々が描かれる。なごやん家族との交流も時折ある。
気になっていた花ちゃんとなごやんの体調だが、好不調の波はありつつもなこやんは仕事をしているし、花ちゃんも時々アルバイトをしながら家事と育児とをやっている。何よりそれぞれの伴侶が良い。特に花ちゃんの夫・アキオのキャラクターや娘・佳音の聡明さには救われる。
後半はコロナ禍の日々。あの頃の混乱は花ちゃんやなごやんだけではない。何が正しいかの物差しもどこに向かえば良いかの地図もない状態で皆がそれぞれの信じることで自分や家族や大切な人を守ろうと必死だった。
その一方で作家さんの思うところを花ちゃんやなごやんに代弁させたようなところもあり、頷きながら読んだ。
『うちの家族って、みんな真面目だよね』
佳音の言葉にこの作品の意味がが集約されていた。
Posted by ブクログ
逃走くそたわけ(2005年)から14年。
2019年から始まる物語。
年月を経て、青春の特別感は過ぎ去り。
小市民的に暮らす様子はそれなりに愛おしいけれど、14年前の繊細で未熟でラディカルな花ちゃんとなごやんが愛おしくて心地よかった。別物だと割り切ればいいと思いつつ。。
Posted by ブクログ
地理や言葉や日常、富山県満載です。
大きな事件は起きず、皆それぞれのポジションで淡々と精一杯生きています
まっとうとはこういうことなのかわかりませんが、清々しい気持ちになりました。
Posted by ブクログ
主人公の夫が、主人公に対して「なんでも自力でやりすぎる」と言って
「あんたは何でもわかろうとしすぎやわ。それで自分のわかった範囲で正しさを決めるが。自分がわかったことのなかだけで判断して、人をそこにあてはめるのはよくないわ。」
とつづける。
なんでもわかろうとすることが、
人を信用せず、頼れない、
ということに繋がっていることに
私自身もハッとした。
人に頼るって
経済的に頼りにするとかだけじゃなくて
すべてが大丈夫だと、なんとかなるもんだと
おおらかに構えておくことなんだろうなと思った。
数年後、コロナの時代はこんな感じだったと
読み返すのにいい本だと思った。