あらすじ
教育はしばしば失敗するし、学校は本質的に退屈である。にもかかわらず、学校や教育は世界を広げてくれる――。教育の目的から、学校の役割、道徳教育やAI社会まで、広い視点と多様な角度からとらえなおす。
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Posted by ブクログ
読みやすい、分かりやすい。そして、時事ネタも。
・教育とは、誰かが意図的に、他者の学習を組織化しようとすること。
・条文より…素案は「人格の完成」ではなく「人間性の開発」だった。「一人ひとりが未来の新しい社会を作り出していく主人公のような存在になること」が目指されている。
・「偏向」よりも「教育内容の過度の画一化」の方こそ警戒すべき。
・学校は、この世界がどうなっているかということを、言葉や記号を使って子どもたちに学ばせる役割を果たす。
・高卒で仕事ができる人は、自分でお手本となる人を見つけて成長できる。経験から学ぶ人。大卒の人は、自分で勉強をする人が、仕事ができる人になっていく。
・精神的な距離が遠くなると道徳的無関心が生じる。
・AIが導き出した最適解を拒否することの正当性を主張する論拠を提示することは、困難になるはず。
Posted by ブクログ
教育基本法 第1条「教育の目的」
教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
「形成者」とは=「社会の一員になっていく」「社会に適応していく」つまり「年寄の時代遅れの価値観を押し付ける」「企業が使い捨てにできる従順な労働力を期待する」ということではなく、「一人ひとりが未来の新しい社会を造り出していく主人公のような存在になること」が目指されている。
学歴が低いと、チャンスが与えられず、いつまでも下積み仕事ばかりさせられる。ボンクラ東大卒に「東大卒」という肩書だけで重要な仕事が与えられて、なんとかそれをこなしているうちに、いつの間にか「さすが東大卒」といわれるようになる、といった感じの現象です。
「善人が悪をなす」会社ぐるみの犯罪など。
一人ひとりの社員はごく普通の人で、仕事場ではみんなとうまくやり、命じられたとおりにそつなくしごとをこなし、普通に暮らしている。仕事の中で、法令違反が日常的なルールや慣行になっていたりすることがある。悪をなしているという自覚すらない可能性も多々ある。
「世界に中心はない」
人は自分が見えている世界を基点にものを考えるから、世界の中心に自分がいるようについ思ってしまう。
人は誰もが世界の片隅でいきている。片隅で生きている人間が世界を理解するためには、いろんな立場や支店に立って、世界を見ようとする努力が必要。
1958年の学習指導要領「道徳」
社会生活の中で、人は多くの悪に直面しないわけにはいかない。われわれは誘惑を受ければ、悪に陥りやすい弱さをもち、また、集団の中においては、友情や義理の名のもとに悪に引きずり込まれたり、悪を見逃したりするものであるが、悪を悪としてはっきりとらえ、勇気をもってこれに臨む強い意志や態度を築くことに努めるとともに、みんなで力を合わせて悪を退ける工夫を続けていこう。
→目の前の社会に問題があることが率直に描かれていて、特に集団に流されがちな日本の社会を変えていこうという強いメッセージを感じる。この時代の少し前には、日本の国民がみんなで体制に同調して、あの無謀な戦争に突っ走っていったから。
いつの間にか、日本の道徳教育は「社会に順応しなさい」に変化している。
学校で学ぶ知は、仕事の中でも役立って、社会の富を増やす。豊かな文化をみんなで享受する基盤にもなる。
Posted by ブクログ
学校は長い廊下で、その先に広い世界が広がっている。また、世界の縮図をコンパクト化した内容を学校で習っている。色々な発見や気づき、可能性を得るためにも必要なところである。学校の知の本質は、身近な日常経験とは切り離されているので、つまらなくても仕方がない。
上記のようなことが書かれており、学校や教育についてわかりやすく整理されてまとめてある。
本書にも出てくるように、教師の大きな仕事は「子どもをやる気にさせること」である。小学生に対して「将来につながるから…」と言っても、学習意欲は向上しない。身近な経験との関連に気づかせる、調べたくなる問いをしかけるなど、うまく「学習したい」と思わせることが大切だと改めて感じた。
・同じものを見ても、知識のあるなしで経験の質が違う。
・ヨーロッパの格言「地獄への道は善意で敷き詰められている」
・知識を持つことは、その対象に対する想像力を発揮させることができるのうになるということ
個別最適化はゴールが揃わない!という意見も出てきていたが、確かにと思うところもあった。自分なりに考えたい。