【感想・ネタバレ】ハレルヤ(新潮文庫)のレビュー

あらすじ

五月の晴れた日に、お饅頭のようなかわいらしい子猫と出会った。親猫はおらず、病院に連れて行ったところ、特別な猫であることがわかって――。花ちゃんと名付けられた子猫が、元気に走り回るようになるまでを描いた「生きる歓び」。それから十八年八カ月後、花ちゃんとの別れが語られる「ハレルヤ」。青春時代を振り返った川端康成文学賞受賞作「こことよそ」など愛おしさに満ちた傑作短編集。(解説・湯浅学)

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Posted by ブクログ

ネタバレ

4編の作品とあとがき。
   (あとがきも素敵な作品だった)
これらはエッセイだと思う。
「、」は「読点」でいいのだっけ? この「、」の打ち方が独特なので、最初は読みにくい感じがした。そのうち慣れた。
表紙の写真がすてき。著者に寄り添って立つ花ちゃん。とてもかわいい三毛猫さんだ。

私は猫と長いこと暮らしているので、「かわいい〜」「癒やされる〜」だけではないと知っている。
生き物なので、老いるし病気もする。家はボロボロになるし手間もかかる。それが猫だもの。
存在してるだけでかわいい。いとおしい。美しい。
安心して暮らせるように心を込めている、つもり。
この著者が、本当に猫たちを愛して一緒に生きてきたと伝わるので、時々辛くなる。そして安心する。
読みながら私の愛する猫たちをおもう。
今そばにいる猫たちの中に、天国の猫がいる。

心に残る言葉があった。
◎猫は心に過る感触をそのままもつ。記憶は生きるのに必要だからあるので、生き物は全員記憶する能力をもつ。
言葉は記憶の、逆に阻害要因になるかも。人間は心に過る感触を言葉にしようとして、薄めたり逆にしたりしているかも。
それを忘れたら生きていけないようなことは、言葉を介在させずに記憶する。
◎チャーちゃんは何も言葉を残さなかったから、人間としての宿命で心の奥の声を探り続けることになった。それは祈りだからそこに言葉はなかった。光と風と波だけがあった。

人とおしゃべりする時って、何かのワードから違うことを連想して、「そういえば」とか「関係ないけどね」とかって話が展開していくと思う。
物語としての柱を持たないエッセイの場合、私はこのように頭に浮かんだことを次々と書くようなものが、わりと好きだ。
最初の話からズレていったり、また戻ったりする感じ。この本はそうだ。
そして著者の傍らには猫がいる。いつも。

音楽、映画、本、聖書、死んだ尾崎、街、父、小説のこと。。。。。
著者の記憶とその言葉。その時は気づかなかった言葉。言葉にするということ。
本は、ただ読めばいい。「この感じ!」っていうのを人と共有したいと思っちゃうけど、言葉は難しいね。
おだやかで、たまに熱くて、ちょっと切ない感じの本でした。

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2023年09月16日

Posted by ブクログ

ネタバレ

片目がなく瀕死だった三毛猫の「花ちゃん」が著者に拾われ、18年生きて亡くなった。
様々な飼い猫たちの看取りと見送り。
猫かわいがりなのに感情が駄々洩れているわけでなくどこか遠い。
ベレーのお帽子を乗っけたような柄の花ちゃんが著者の足元で表紙写真に写っている。赤ん坊のころに膿を押し出し目薬を点して必死に治したという片目の目力は強い。
「こことよそ」を収録したことで著者が企図した「気まま。」という雰囲気が出ている。

P47 短い命を生きることだけがチャーちゃんちゃんのしたことで、短い命の子は言葉を残さず、最後の呼吸で月を見上げて鳴いたらそれっきり飛び散って、光や風や波になる、姿も形も動作も残さず光や風や波になった。祈りと同じだ。

P92 「コイズミ」「コイズミ」とメンバーの一人の名前を呼んだそのアクセントが頭に強いアクセントがあったのがわたしはとても横須賀ローカルな感じがしたがたんに尾崎の癖だったのかもしれない。

P103 テクノロジーはどれだけ発達しても昨日の写真を撮ることはできない、それは本当か、
「この社会の核には「悲しみ、懊悩、神経症、無力感」などを伝染させ、人間を常態として委縮させ続けるという当地の技法がある」(酒井隆史)
【中略】昨日の写真は撮れなくても昨日がなくなるわけじゃない。昨日がなくなると思っているそれが人を常態として無力感で委縮させる。

P129 子猫は一般的に手足が細く、しっかり足場を確かめるためにいっぱいに前足を伸ばすその姿が、わたしはいつもヤモリを思い出す。

P150 「一生懸命やってあげたじゃない」という言葉は、本人に対しては猫が死んでしまったことへの慰めにはならない。その現実の慰めにはならなくても、そういう風に気にかけてくれる人がいるということは、別の意味での慰めにならないというわけではない。

P155 (「世界」にとっては別として)「生命」にとっては「生きる」ことはそのまま「歓び」であり「善」なのだ。ミルクを飲んで赤身を食べて、段ボールの中を動き回り始めた子猫を見て、それを実感した。 

P168 「年寄りミュージシャンは気まま」「年寄り猫は気まま」

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2022年10月02日

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