あらすじ
深夜におよぶ激務、たび重なる不祥事、「官邸主導」でゆがむ人事。近年では、官僚を志望する東大生も激減しているという。しかし、明治以来の政治・経済を動かし、日本社会の枠組を創ってきたのは、霞ヶ関のエリート官僚たちであり、そのパワーは今も不滅である。「官僚」とは、一体どんな人々なのか。その歴史と生態を、自らも官僚体験のある現代史家が、計量的・実証的に明らかにしていく。
明治初年の「官員さん」のうち、薩長出身者はどれほどの割合を占めたのか。華族・士族・平民の内訳は、どう推移したのか。上級官僚の実父はやはり官僚だったのか、あるいは軍人、商人が多いのか。帝大卒優位のなかに食い込んだ私学は?
また、戦前の「革新官僚」と言われた人材のなかには、政党主導の戦後官僚社会であればたちまち弾き出されるような個性派や情熱家も多かった。毛里英於莵、奥村喜和男、菅太郎といった「奇才」や、女性官僚の第一号などの群像を紹介。
戦後は占領政策により「天皇の官吏から公僕へ」「中央集権から地方分権へ」と改革が進むなか、各省庁の「家風と作法」はしっかりと守られ、新たな「吏道」も探究されていく。
「文庫版のあとがき」として、平成・令和の変遷を加筆。〔原本=『官僚の研究:不滅のパワー・1868―1983』1983年、講談社刊〕
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
戦後までの官僚史をデータを元に整理されたもの。時折挟まる官僚制度への私見は、官僚を経験した著者の解像度の高さもさることながら、1983年に描かれながらも今に通底する鋭い内容も多く、令和になった今でも興味深く読める。
個人的にはオーラルヒストリー的な語りが特に刺さりました。
Posted by ブクログ
戦後、農業の高度化により農村人材が都市部に大量に流入した。それにはじまる地方から大都市部への人口流入は現在首都圏においてますます盛んであり、地方の諸産業のなり手不足まで招いてしまった。これは日本の安全保障上においても脅威であるはずなのに、マスコミは東京一極集中を肯定するかのような報道に終始している。問題意識は希薄であると言わざるを得ない。
私はこの一極集中政策に疑問を抱いており、それの一翼を担っている官僚に不満を抱いている。
戦後日本の繁栄を築いたのは革新官僚が戦中から構築していた産業政策による重工業化が成功したからなのだろう。
しかし現在の競争力の低下はその第 2 次産業から金融や IT 産業の転換に失敗したからである。その原因はアメリカからの圧力もあろうが戦後、日本の産業界を牽引してきた官僚の失政も多分に含まれる。その官僚制はどのような制度のもとで思考をする集団なのかを知りたくて本書を手に取った。
感想としては腑に落ちないというものだ。
明治維新から大体占領期までの官僚制の趨勢が書かれているが、詳細に記されているのが、官僚養成機関の東大との関係の箇所等あまり関心を抱かない箇所が多く、私が期待していた産業政策に官僚がどのように深くコミットしていたのかという箇所は少ない。
また著者は、官僚を政党政治の勃興時や戦中の軍部の台頭時には、官僚はその対象の下請け的存在にならざるを得なかったと記しているが、これは特に軍部の台頭時の箇所においては、戦争責任を軍部に押し付けているのではないか、と疑義を抱かざるを得なかった。
確かに軍部の下請け的機能を請け負っていて、官僚集団が政治の舞台において主導権を握っていたわけではないのは間違いないだろう。しかし、内政において産業政策や治安維持等の技術的なことは官僚の力が絶対的に必要であり、国家の権力が極限的に高まった戦中期は官僚の力も相対的に上昇したと考えるほうが自然であるからである。だが、本書では重要と思われる戦中期後半の官僚の政策については触れられていない。
ところで著者は官僚出身の学者であるが、思うに官僚的思考の人物とはまさにこのことなのだろうなと感じさせるのである。
まずはエリート意識である。例に漏れず著者は東大出身であるが、東大の卒業生は愛校心が薄いと嘆いている。しかし東大に対する著述は本書のかなりの部分を占め東大に対するこだわりをかなり感じるのである。
もう一つは前述したが責任を曖昧にすることができる力である。官僚の権力を認めるような記述が多いのにも関わらず官僚は政治に翻弄されてきたと述べる。この二律背反制は自身の経歴がエリート街道を歩んできたことの誇りを隠すことができないからではないかとすら感じる。
官僚が知的にも優れており優秀な集団であることは否定できないであろう。しかし、それを担保に政策が有効であるか、国民の厚生を高めるかというのには疑問が生じる。
本書はこの疑問を答えるための書とならなかったことは残念だ。