【感想・ネタバレ】テヘランでロリータを読むのレビュー

あらすじ

全米150万部、日本でも大絶賛のベストセラー、遂に文庫化! テヘランでヴェールの着用を拒否し、大学を追われた著者が行った秘密の読書会。壮絶な彼女達の人生とそれを支える文学を描く、奇跡の体験。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

著者の手に文学が渡れば、最強の力を発揮する…

革命期のイランで、
欧米の名著を読み続ける著者のゆるぎない信念が伝わってくる本。

_文学の力に対する私たちの無私の信頼によって、このもうひとつの革命が生み出した、重苦しい現実を変容させることができるかどうか見てみる

著者は、文学教授として働いていたけれど、宗教を政治イデオロギー化して特に欧米色のあるものを徹底的に排除するホメイニー政権下で大学を追放され、
すべてを無くしたときにあらわれた自由に踏み出し、
文学の研究に熱心に取り組んでいると思った7人の女子学生を自ら選んで家に呼び、最終的に約2年間に及ぶ小説のクラスを個人的に開く。

クラスの目的は、
フィクションの作品を読み、議論し、作品に反応すること。

作品の選定基準のひとつは、作者が文学の決定的な力を信じていること。

そんな彼女たちとの会話や、それ以前に大学で教えていた時の学生とのやり取り、

革命政権、そしてイラクとの戦争が日に日に勢いを増す中で、それが日常化していくこと。

_どんなに劇的な状況も決まりきった日常になってしまうことに驚かされる。

そうしてあぶりだされるのは、
イスラームによる支配が生み出した矛盾の中心にある葛藤。女性の。

_彼女たちのもっとも親密な隣間もっとも個人的な夢が体制によって奪われている

だから、

_戦争革命といった大きな問題よりも、私生活での矛盾や拘束のほうがより身近な間題だった

と。


ナボコフのロリータ、フィッツジェラルドのギャツビー、ジェイムズ、オースティン…

_『断頭台への正体』でナボコフがつくりだしたのは、全体主義体制における実際の肉体的苦痛と拷問ではなく、絶え間何恐怖の中にある悪夢のような生のありようである。

_芸術と文学は贅沢品ではなく必要不可欠なものだった。ナボコフがとらえたのは全体主義社会における生の感覚である。そこでは、偽りの約束に満ちた見せかけの世界の中で、ヒトは完全な孤独におちいり、もはや救い手と死刑執行人の区別もつかない。

_好奇心はもっとも純粋なかたちの不服従である

_ハンバートが悪人なのは、他人と他人の人生への好奇心を欠いているからだと私は言った。…ハンバートは大方の独裁者同様、みずからの思い描く他者の像にしか興味がない。


_「道徳の再考の形態は、自分の家でくつろがないことである」テオドール・アドルノ

_想像力によってつくりだされた偉大な作品は、ほとんどの場合、自分の家にありながら異邦人のような区分を味わわせます。最良の小説はつねに、読者があたりまえと思っているものに疑いの目をむけさせます。とうてい変えられないように見える伝統や将来の見通しに疑問をつきつけます。私たちはみなさんに、作品を読むなかでそれがどのように自分を揺るがし、不安な気持ちにさせ、不思議の国のアリスのように、ちがった目でまわりを見まわし、世界について考えさせたかを、よく考えてもらいたいのです。

政治色強めの作品よりも、フィッツジェラルドや、マーク・トウェインのほうが「不穏」だと読む。

_「『ギャツビー』が裁判にかけられているのは、この作品が私たちを当惑させるからです—少なくとも一部の人を」

そう、大学のクラスで、ギャツビーを裁判にかけるという事態に。
その時大学も学生の間でイデオロギー対立が過熱していて、
でもこの裁判に、イスラム教原理主義の学生がギャツビーを提訴する立場で正面から法廷闘争していること自体が、小説のありがたさを象徴しているようにも思う。

ギャツビーを擁護する著者(教授)の主張も示唆に富む。

_「…こうした作品において、想像力とはすなわち共感の能力のことです。他者の経験のすべてを体験することは不可能ですが、フィクションの中でなら、曲悪非道な人間の心さえ理解できるのです。いい小説とは人間の複雑さを明らかにし、すべての作中人物が発言できる自由をつくりだすものです。この点で小説は民主的であるといえます。民主主義を主張するからではなく、本質的に民主的なものなのです。多くの優れた小説と同じように、『ギャツビー』の革新にも共感があります—他者の問題や苦痛に気づかないことこそが最大の罪なのです。見ないというのはその存在を否定することです」

小説の訴えかける不注意、共感の欠如が、現実世界と重ねられる。

「世界を白か黒かの二分法でしか見られない人々、みずからつくりだした虚構の正当性に酔いしれている人々」を思い出させる、と。



『高慢と偏見』の中心をなすのが会話、ダンス的な小説の構造にふさわしい、という。

_小説入門講座で私が強調したかった点は、小説という新たに誕生した物語形式が、いかに人間のもっとも重要な関係をめぐる基本的な通念を根底から変え、ひいては人間と社会、仕事、義務との関係に対する伝統的な姿勢を変化させたかにあった。

ダンスには歩みよりが必要であり、絶えず相手の必要性とステップに合わせなければならない。

人間ってなんなんだろうねー。

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2025年02月23日

Posted by ブクログ

2003年に発行され、日本語訳版が出版されたのは2007年なので、些か時代遅れなのですが…
今まで自分が読んできた本の中でTOP10に入る素敵な本でした。
イランと中東諸国の対立構図、また元米大統領トランプ氏の経済制裁撤回による中東諸国の核兵器使用の危険性は現在進行形で存在しているため、数年前の本という気がしないと思います。
また中東情勢に関わらず、この本でたびたび触れられている、宗教やイデオロギーの対立、国間のパワーアンバランスは今この瞬間も世界中で緊張状態を作り続けています

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2024年07月17日

Posted by ブクログ

激動のイランを冷静に見つめた記録。
そして女というだけで抑圧されながら文学を手に自分らしく生きる道を模索する筆者とその生徒たちの記録。
ページを捲れば捲るほどイランが暗黒の道へと進んでいく。
その延長線上にあるのが今のイランなのだ。
今、イランで女性たちが命を懸けて声を上げているのはこの作品で触れられるような数々の女性への酷い仕打ちの積み重ねであることが痛いほどわかる。
胸が張り裂けそうだった。

でも今このタイミングで読んで良かった。
イランを知るために映画を観るのも勿論良いけどこの本から始めても良いのでは。
私はこの本を強く推したい。
あと文学批評本としても完成度がとても高いのでそういった意味でもオススメ。

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2023年07月09日

Posted by ブクログ

とても長いので時間はかかったが、読み終わることができた。不思議と挫折しようとは思わなかった点が、この本の素晴らしい点だと思う。改めて、文学が持つ力を教えてくれた。さらには、想像がつかなかったイランという国、ひいてはイスラム教という宗教も教えてくれた。様々な文学作品が筆者に染み込んでいる様が、とても美しく、また健気だと感じた。

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2023年05月08日

Posted by ブクログ

ネタバレ

革命後のテヘランでは『ロリータ』を含めて文学を読むことは大きな困難を伴った

1995年の秋、勤め先の大学を辞めた著者は、優秀で勉強熱心な女子を選び、読書会を催すという夢を実現する。「作品の選定基準のひとつは、作者が文学の決定的な力、ほとんど魔術的な力を信じていること」(P35)

ロリータ
ギャツビー
ジェイムズ(主に『デイジー・ミラー』と『ワシントン・スクエア』)
オースティン(『高慢と偏見』)

を取り上げつつ、自身と周囲の環境や想いを作品と重ね合わせ血肉にしていく。

最初から最後まで体制に命が特に女性の命が軽く扱われ煩悶するばかりの中、著者や学生が閉じられた場所といえども文学に触れ討論をしていたことに安堵しました。

個人的には第二部の『ギャツビー』の裁判に、これほどに私は文学を必要としたことはないんじゃないかと心を打たれました。なぜ世界に文学が在り続けるのか、人が求め続けるのかを心で感じることができた気がします。

解説は西加奈子さん。西さんの著作『i』で本作を引用されてるんですね。

第一部
著者曰く自国における「私たちの生活に一番ぴったりくる小説」(P11)として『ロリータ』を教材に選択した。選ばれた女学生は義務付けられたヴェールとコートの下には個性と信条に合わせた服装で著者の家に集う。

「ハンバートは大方の独裁者同様、みずからの思い描く他者の像にしか興味がない。」(P85)

第二部
時間を遡り、著者がアメリカからイランに戻り教職に就いた時期が語られる。新しい英文科長にマイク・ゴールド『金のないユダヤ人』を授業で扱いたいと願い出る。外国語書籍の本屋が政府により閉鎖され、進歩的な新聞も閉鎖される中、著者の受け持ちの講義が始まる。

『グレート・ギャツビー』の価値観に戸惑う学生たちに「小説を読むということは、その体験を深く吸い込むことです。」(P183)と著者は語りかける。

状況が悪化する中、期せずして授業で『ギャツビー』を裁判にかけることになる。

状況は悪化の一途を辿る。

「政府はどうにか全国の大学を閉鎖し、教員、学生、職員を粛清した。殺された学生や投獄された学生もいた。単に姿を消した学生もいた。テヘラン大学はおびただしい失望と悲痛の場と化した。」(P248)

第三部
1980年9月、戦争が始まった。この戦争は1988年7月末まで続く。

「この戦争はわれわれにとって大いなる祝福である!」というスローガンが掲げられる。

戦争と失業の中、著者は本を読みまくる。2人の子どもに恵まれる。研究会の仲間と仕事をするようになり、その後また大学で働くようになり『デイジー・ミラー』と『ワシントン・スクエア』を取り上げる。

これまで読んだどの作家とも全然ちがう。恋をしたみたい、とラージーエは笑いながら言った。(P362)

ラージーエ(ファーストネーム)は本名、彼女はもうこの世にはいないから安心して使えるのだそう。

停戦前に発射された最後のミサイルの一発が近所の家に落ち、数人が亡くなる。戦争は唐突にひっそりと終わり、和平は敗北と同じだったが国内の敵との戦いは終わっていなかった。

第四部
家での読書会ではオースティン『高慢と偏見』は楽しく読まれる中、1人の学生の結婚が決まる。革命に対する幻滅が深まり、日常の規制は緩和される。しかし作家協会のツアーバスが崖下に落とされそうになったり、流れる血は日常にありふれていた。

ソマリアやアフガニスタンをごらんなさい。あの人たちに比べれば、女王のような暮らしをしているじゃありませんか。(P513)

冒頭、著者のことわりがきに

この話に登場する人物と出来事には、主として個人を守るために変更を加えてある。検閲官の目から彼らを守るだけでなく、モデルはだれで、だれがだれに何をしたのか穿鑿して楽しみ、他人の秘密によってみずからの空虚を満たそうとする人々からも守るためである。(P8)

幸いにも、日本には検閲官はいないが後半部分はどこにいようと自戒すべきことと感じる。

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2023年04月18日

Posted by ブクログ

西加奈子さんのiでミナが想像するってこと、で触れていて気になった本、あとがきもよかった

深くて重くて、全然消化しきれなかったけど想像力の世界が持つ力についての言及は一貫しているなって思った。政治がそれらに関与するのは最も囚われているから、みたいな描写はそうだよなあと思った、私たちには力がある

んでいて何度も涙が溢れそうになって、ピンときた箇所でもメモしておけなかったところも沢山ある、一周じゃこの本を5%も味わえた気がしない(それでも読んでよかったとなるのだけど)

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2022年11月24日

Posted by ブクログ

イラン革命直後に母国のイランに戻った著者が、大学の教え子で優秀な6人の女性と秘密の読書会を行う。
著者はテヘラン大学で教鞭を取ったが、ヴェールを着用することを拒み追放されてしまう。
女性の価値が男性の半分以下ともされ、美人ということだけで逮捕され処刑されてしまうような社会で、文学を学ぶ意義を問う。本書で取り上げられる『ロリータ』『傲慢と偏見』などタイトルだけは知っている著書が多かったですが、政府側とすれば規制したいような内容なのだと思う。その中に彼女らは何を見出したのか。

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2021年12月12日

Posted by ブクログ

この本を発行できたことが奇跡だと思う。
読んでいてこれが現実だということを忘れそうになった。そのくらい私にとって彼女達の日常が現実離れしていた。

しかし彼女達の悩みに共感できることがあったり、ハッとさせられることもあった。
人の感情はとても単純だけど、社会や道徳、願望が複雑にしているのだと思う。

心の準備ができたらロリータを読んでみたい。

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2021年12月04日

Posted by ブクログ

簡単に言葉が出ない。

旅のお伴に選んだ本。ふとした時間に少しずつ読む。空港のロビーで、機内で、ホテルで。

本を開けば、女性が刻一刻と支配されていくイラン・テヘラン。法律が、女性の権利が男性の半分に制定される。簡単に処刑される。

大学で教鞭をとる著者が扱う英文学を通じてぶつかり合う学生の価値観、その学生らひとりひとりを取り巻く状況、家族、政治。決して踏み込めない刑務所や家庭で受けただろう扱い。著者の譲れない一線さえも奪われていく。

ロリータ、グレート・ギャッツビー、、世界中で読まれている名著と折り重なって綴られる回顧録。世界中で読まれるとはどういうことか。重たい石とかすかな希望。

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2025年11月20日

Posted by ブクログ

イラン革命後の抑圧された全体主義社会で、女の価値は男の半分と言われる中、女性だけで密かに行われた西洋文学の読書会の回想録。

文学とは、この本で描かれるように、読者が自らの人生の痛みや現実と照らし合わせながら読まれてきたんだな

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2023年09月23日

Posted by ブクログ

イスラーム革命後のイランで密かに開かれた女性たちの読書会。女性が学ぶことを厭う場所で学び続けることの苦しさを思った。学べば、どう生きるかを他者に規定される理不尽と、向き合わざるをえないから。

知ることは、自分の世界の狭さに気づくことだ。

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2023年06月29日

Posted by ブクログ

イランで英米文学を鏡に自らの苦悩や理想を引き出していく本書を、日本で読んで自身の闘い方(あるいは、闘わない姿勢への個人的な是非)を見出す。「読み」とは時に切実なものだ。空想の城は脆い。しかし反面では力強く、連鎖する。

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2022年10月23日

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