あらすじ
12世紀頃、経済・政治・軍事、あらゆる点において最も発展した地域であったにもかかわらず、その後、主導権と覇権を握ったのは、中国ではなく、アメリカを含む西洋諸国だった。どうしてなのだろうか。その原因を中国社会の特異性、インドのカースト社会、仏教と一神教との相違など、精緻な思想で読み解く。イエスの誕生と死を根底に置いた西洋文明の成長を描いた「古代篇」「中世篇」に続く第3弾。
「問うこと」にこそ知性の働きの中心はある。本質的な問いは素朴な疑問に由来する。
中国社会とインド社会は、互いに拒絶し合っていると言ってよいほどに影響関係が乏しく、また外見的にもおよそ似ていない。にもかかわらず、両者を同じ平面に位置づけることができるのである。いや、それどころか、その「同じ論理の平面」こそが、両者の間の影響の少なさや対照的な社会構造を説明することになるだろう。その平面を規定しているのは、贈与(とその展開)の原理である。(本文より)
目次
第1章 世界史における圧倒的な不均衡
第2章 新大陸の非西洋/ユーラシア大陸の非西洋
第3章 受け取る皇帝/受け取らない神
第4章 「東」という歴史的単位
第5章 解脱としての自由
第6章 二つの遍歴集団
第7章 カーストの内部と外部
第8章 救済のための大きな乗り物
第9章 「空」の無関心
第10章 曼荼羅と磔刑図
第11章 インドと中国
第12章 カーストの基底としての贈与
第13章 闘争としての贈与
第14章 自分自身を贈る
第15章 双子という危険
第16章 贈与の謎を解く
第17章 供犠の時代の調停的審級
第18章 国家に向かう社会/国家に抗する社会
第19章 三国志の悪夢
第20章 驚異的な文民統制
第21章 国家は盗賊か?
第22章 華夷秩序
第23章 人は死して名を留む
第24章 皇帝権力の存立機制
第25章 「母の時代」から「父の時代」へ、そしてさらなる飛躍
第26章 文字の帝国
第27章 漢字の呪力
第28章 「天子」から「神の子」へ
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
社会システムの方法論を用いながら西欧の覇権を規定する論理的形式を炙り出す試み。文庫本3巻目の本著では、主にインドと中国の違いを比較しながらその共通の論理平面を探り、特に不条理な謎に満ちながらも洋の東西を問わず長きにわたり実践されてきた「贈与」の原理を参照点としながら、西欧との違いを際立たせていく。
(以下冗長極まりない要約)
第1章
人々は、素数の規則性を考察する時と同様に、世界史を概観した時に「東洋と西洋の影響力の非対称性」に素朴な疑問を抱かずにはおれないだろう。なぜ西洋が東洋に対し優位性を持ったのであってその逆ではないのか。ジャレド・ダイアモンド「銃・病原菌・鉄」に準えてその直接的な原因を列挙しつつ、著者はさらにそれらの原因の原因、究極の原因を模索する。ダイアモンドが挙げた軍事や政治制度などの西洋の相対的優位性は、鋳鉄や火薬などの技術面で当時の最先端を走っていた中国に対しては妥当しない。ではなぜ差異は生じたのか。
第2章
前章に続きダイアモンドの論を引きながら西洋優位の「究極の原因」が探られる。西洋がインカやアステカに対する優位は、食糧生産に適した環境と社会間の競合がもたらした政治制度の発達の賜物だが、これらはダイアモンドが鋭くも指摘したように、東西に長いヨーロッパ・ユーラシア大陸と南北に長いアメリカ大陸との間の地理的条件の差異により多くが説明できる。しかし同様の地理的条件を持つ中国はなぜ西洋からの侵略を許したのだろうか。中国の宮殿は平面的な広さを、西洋のゴシック建築は立体的な高さを指向したと言えるが、なぜ「高さ」が「広さ」を凌駕したのだろうか。
第3章
旧約聖書「創世記」にはカインがアベルを殺す有名なくだりがあるが、神のアベルに対する厚遇を考慮するとカインにも酌量すべき余地があるように思える。それでもなおカインに責めを帰すべき理由とは何なのか。
アンドレ・ガンダー・フランク『リオリエント』によれば、世界の歴史で長きにわたり優位を保っていたのは中国だった。しかし資本主義でグローバル化の覇権を握ったのは西欧である。ヴェーバーの〈家産制〉の典型である中国の皇帝の権力を裏打ちしていたのは、再分配の論理を国家外にまで拡張した〈贈与の中心化〉に基づく朝貢システムであり、従属国からの贈与とそれに対する皇帝からの返礼を重要な契機としていた。一方、一神教のユダヤ教では、贈与される側=神が人間に対し完全に超越的であるが故に神の返礼は要請されておらず、むしろ神がなんらの返礼も施さない、ひいては受け取ることさえしないというそのことこそが最も重要な〈返礼〉とみなされる。神からの返礼がないことに不満を覚えたカインが呪われたのはこのためだったのだ。中国という権力システムは、一神教が克服すべき対象とした〈贈与と返礼〉を積極的に活用することで維持されていた。
第4章
〈贈与と返礼〉を否定したユダヤ教だが、一方でイエス・キリストは「贖い(罪の代償、身代金)」として神に捧げられ、その代価として人類は許しを得ている。ただキリストは神の子すなわち神自身でもあるはずであり、この場合神は人類の罪の代償を自分自身に対して支払っている、つまり人類の借財を立替払いしてることになる。そうすると、神がキリストを現象世界に遣わしたことは、すでに罪深い(借財を負っている)人間に対する追加融資に該当し、しかも神はその返済を要求しないのだから、人間は神に対して計り知れない負債感を抱くことになる。この「罪の代償を求める神への贈与と、その反対贈与を期待する人類」という構図は、中国の朝貢システムと同様の論理に基礎付けられるように見える。しかし、神のキリスト派遣が、〈原罪〉の代償を支払う能力のない人類に対する追加融資であり、人間はそのキリストを神への返済に充て罪が許されたとするのであれば、なぜ神は最初から原罪を帳消しにしなかったのか。ここに中国の互報的な朝貢システムとの差異がある。
ヘーゲルの図式では、自由な主体として承認される範囲が東洋(ただ一人が自由)→ギリシア・ローマ(特定の人々が自由)→西洋ゲルマン社会(万人が自由)と拡張・普遍化していく。しかし、ゲルマン社会においてキリスト教の原理が普遍化したとするヘーゲルの視点は、19世紀前半の知見の枠内にとどまるうえ、インドと中国を完全な連続体と見ている。
キリスト教と仏教の伝播を比較すると、後者の西進がある地点で停止したことに気づく。一神教が仏教の深い浸透を阻んだのだ。また仏教は発祥地のインドではむしろ衰退するという空洞化の様相を呈する。さらに、仏教はインドから中国に伝播したのに、その逆の経路を辿る重要な思想・宗教はなかった。
バラモン教が土着宗教として普及していた原始仏教の時代、初期の仏教集団は極めて平等主義的であった。逆に言えば当時のインド社会は極めて差別的だったからこそ仏教が支持されたのだ。そのインド社会を規定する「カースト」は、分離(結婚・接触の制限)、分業(職業集団間の移動の制限)、ヒエラルキー(職業集団の序列化)を特徴とする。またこれとは別に、身分を規定する「ヴァルナ」があり、バラモン・クシャトリヤ・ヴァイシャ・シュードラ・不可触民の区分があるが、これらのヒエラルキーにおいては浄/不浄という差異に加え、〈贈与〉が重要な要素となっている。最も価値が高い贈与は神への供犠であり、これはラモンにのみ許された。一方キリスト教には、前述のようにキリストの磔刑が神への供犠という解釈に収容できない過剰がある。インド社会では供犠を至高とし、キリスト教社会では供犠が否定されるのだ。
第5章 解脱としての自由
西洋が実現した(個人の)「自由」と、インドの「解脱」はどこが違うのか。差し当たり前者が社会内部の自由であるのに対し、後者は社会外部への自由であると言えるが、仏教では現世の「一切皆苦」からの解脱は結局「八正道」という凡庸な生活を指すという。では解脱とは何を意味するのか。
原始仏教では解脱は広義の所有の放棄、すなわち〈無我〉により媒介される。個人の所有物は必ず変滅するのだからこれに執着することは不幸だとされ、所有の無効を主張する。これを行為にまで拡張したのが「ヨーガ」である。
仏教が生を苦と同一視しそこからの解脱を目指す理由は、生を輪廻とみるからである。輪廻は因果関係(=「縁起」)が支配する連環であり、後に結果を残す行い(=「業(カルマ)」)が個々の生の帰結を決める。この因果性の原体験として機能したのが「贈与」であり、善業は正の贈与、悪行は負の贈与として観念されたと推測できる。とすれば、この贈与のネットワーク、互報の関係性に巻き込まれることこそが一才皆苦の「苦」の原点なのではないか。
ルイ・デュモンによれば、カーストのヒエラルキーは「浄/不浄」のダイコトミーにより規定されている。自然の暴力的な連環からの距離が遠い菜食主義者のバラモンは浄性が高く、農民や奴隷などの食物生産者は低い。どのカースト同士が浄/不浄の関係にあり、また贈与の義務を負うのかは明確に判定可能であり、弱者からの強者への贈与を強者による弱者の捕食と同一視すれば、ここに食物連鎖と同様の関係が見て取れる。しかし実際のヒエラルキーの頂点が弱肉強食の世界で頂点に立つべき戦士や王(クシャトリヤ)ではなく、祭司(バラモン)なのはなぜなのか。これは、食物連鎖の頂点に立つと思われた人間もさらに上位の神々による捕食を恐れなくてはならず、人間の代理物としての供犠をバラモンが神に対して行うことで(神を欺くことで)これを防いでいると考えられる。
では神を欺くのではなく、真にこの輪廻の苦から解脱するにはどうするかといえば、仏教やジャイナ教が説くように一切の所有物を放棄し、所有の欲望から解放されることで贈与と返礼の連鎖を脱却するのである。では、贈与はどのような意味で必然なのか?
第6章
イエスの教団とブッダの教団は隣人愛/慈悲を教義の中心に置くなど共通点も多いが、他者からの施しに対する態度は前者が饗応を布施に限定したのに対し、後者は豪勢な饗応を積極に受けたという違いがある。イエスは当時のユダヤ教指導者に対立する社会革命家としての性格を帯びていたため人々の集まる場に出ていく必要があったのだ。またイエスはサドカイ派の神殿を中心とした再分配システムの破壊を試みたが、一方ブッダはバラモンの供犠を中心とする支配に批判的ではあったがなんら攻撃的な行動は起こさなかった。イエスは当時のユダヤ立法を放棄(止揚)し隣人愛に置き換えたが、ブッダはバラモンによる法を受容したのである。
仏教が輪廻からの解脱を唱えるのは、人間の他者に対するあらゆる行為が負の贈与であり、罪の意識と負債感を伴うからだ。しかし一方、イエスが「不思議なピクニック」で行った贈与の奇蹟は、むしろこの贈与がもたらす束縛を、喜びに満ちた贈与そのもので克服したものと解釈することができる。これは、仏教が〈存在論的水準〉すなわち「何かを引き起こすこと」と、〈倫理的水準〉すなわち「それに対して罪や責任がある」という二つの水準を一連のもとに捉え、これを回避するには外部すなわち「涅槃」に出る他はないとしたのに対し、イエスはこれら二つの水準がカントのいう「第二アンチノミー」にすぎず、他者に負債感を与えることなく施しは可能であり、且つその行為を強制されずに自発的に喜んで与えることができるのだ、ということを示したと言える。
第7章
大乗仏教における「大菩薩」はあえて涅槃に入らず未成仏のままの菩薩らが目標とするロールモデルだが、これは神の国から現象世界に降下してきた神の子イエス同様、「人間化したブッダ」と言えるか。涅槃も神の国も超越的な永遠の世界だが、前者が菩薩たちにとり修行して目指すべき対象であり、プラトニズムの極致として積極的に志向されたのに対し、後者はキリストにとって人間という有限で不完全な身体性を有するために脱却すべき対象だったのではないか。キリストは十字架の上の断末魔の叫びの中で、神への明確な不信を表明した。彼自身が、神自身が、神の救済、ひいては神の国を信じていないのだ。
〈古代編〉第9章で述べられたように、個人としてのカエサルは普遍概念としての「皇帝」の成立のために死なねばならなかった。同じように、キリストが人間として殺されることで、一神教の抽象的な神としての普遍概念、第三者の審級が定立されたのだが、一方でキリストは神としても死ぬことで普遍概念としての神が偶有的な個人に過ぎないことも示していた。つまりキリストの死は普遍性と個別性が相互に入れ替わる極限の地点に位置するのである。
仏教と相補的な関係にあるバラモン教の行動基準を示した「マヌ法典」では、男性のライフサイクルが学生期→家長期→林往期→遍歴期の4つのフェーズを辿るとされる。ヴェーダ(バラモン教の宗教書)によれば、人間は神々への供儀の材料として神々から人間界に返されたものだが、そもそもなぜ人間に神への供儀の義務があるのか。バラモン教の協議によれば、人間は世界内に存在を開始したことで超自然的な存在者たちに義務〈リシ〉を負っており、供儀はその債務の履行だというが、なぜ人間の存在が債務なのだろう。マヌ法典によれば、浄/不浄の程度は食物連鎖の贈与の連環からの距離で決まるのだった(第5章)
が、しかし社会構成員がみな浄性の高い禁欲的な職業を選択すると社会システムが崩壊してしまう。これを防ぐために反禁欲的な生を含む前述のライフサイクルが案出されたのだ。これは「(多数の)例外を伴う普遍規定」という憲法9条に見られるようなやり口であり、普遍性が維持されているという体制を維持しつつ、例外を積み重ねることで実質的に普遍性を骨抜きにしているものと言える。「人生全体が浄である」という普遍性に例外を加え、ある程度不浄にも触れうる家長や戦士、生産者としての活動を可能にしているのだ。
こうしてみると、ヒエラルキー内の浄/不浄の差異は相対的なものでしかなく、最上位のバラモンですら不浄な食物連鎖、贈与の連鎖の完全な外部にいるわけではない。仏教(やジャイナ教)とは、この連環の外に完全に離脱した隠遁者たち(最上位のバラモンよりも上、最下位のシュードラよりも下)による宗教なのであり、バラモン教のヒエラルキーが必然的に生み出す「外部」に対応した宗教なのではないか。
第8章
仏教はカーストの不平等性を否定する一方、そのヒエラルキーに依存することでしか存在できず、カーストの論理を徹底することでその外部に飛び出している。しかし結局その外部はカーストにとって無害且つ非撹乱的な外部にすぎなかった。この仏教の「外部性」を体現するのが「僧」である。しかし出家僧が仏教思想の純粋な体現であるとするならば、仏教はごく少数しか救済の対象にできないことになる。この矛盾に対応して出現したのが在家を重視する「大乗仏教」であり、「他者を救ううことで自らも救われる」という自利利他円満の教えを旨とした。
出家者の共同体に依存しない大乗仏教を信仰的に支えたのがブッダの遺骨を収めた「仏塔」である。骨はいくらでも細分化され分配可能である上、キリストの血や肉などの〈聖遺物〉が「生ける死者」を連想させるのとは対照的に、過去の生への連想を極小化してしまう。キリストの聖遺物が感覚を直接的に刺激して「いま・ここ」にある〈具体性・特異性〉を際立たせるのに対し、ブッダの骨は細分化され偏在し、且つ観想によってのみ把握可能な〈抽象性・偏在性〉を喚起し、ひいては「法(ダルマ)」の抽象的な真理性をも担保している。白川静によれば漢字の「眞」や「久」は死体の形に由来するが、これは感性の変化を超越し身体性を否定し、身体の領域から死の領域に移行することが「永遠・永久」であると考えられていたためだ。これと同じ想像力がブッダの骨にも働き「法」の普遍性を喚起させたのだが、そこにはキリストの聖遺物には見られた特異的・単独的なものへの止揚はないのである。
大乗仏教においても結局は「少数派のみが救われる」という構図は不変だ。それは、仏教が前章の「例外を伴う普遍性」、例外が支配的となるがゆえに存続する形式的な普遍性であるからだ。カースト制度にとってこの少数の例外が実在せずともシステム自体は影響を受けないため、インドから仏教は姿を消したのだ。
仏教徒(出家者)は社会システムであるカーストの外部性という意味で不可触民と双対的な関係にあり、アガンベンの〈ホモ・サケル〉の例でもある。ホモ・サケルの殺害は、殺人を禁止する普遍法の例外として位置付けられたが、アガンベンは西洋法がまさにこの例外状態を内部に取り込むことで真の普遍性を獲得したという。当初ホモ・サケルは生を剥き出しにした〈自然状態〉として形式化された〈法的状態〉の完全な外部にあったが、例外的に法的状態と自然状態が互いに包摂し合う状態が生まれ、さらにその例外状態が普遍化することで最終的に両者は一致する。この「例外が普遍化された状態」とは、主権者がその主権が及ぶ限りにおいて、全ての他者をホモ・サケルとして扱うことが許される状態だという。
つまりホモ・サケルは殺しても罰せられない存在であり、その典型が無実の罪で殺されたイエス・キリストである。神の子でもあるキリストは信者の信仰の普遍性の基礎だが、人の子でもある彼は十字架上で神への不信を叫ぶ。この不信は神への信仰という普遍性に対する究極の例外といえ、このことでキリスト教徒は常に不信に陥らぬよう自らを点検しつつ信仰を続けなければならないという緊張状態に置かれる。これがアガンベンのいう〈例外の普遍化〉であり、キリスト教ではこのように例外(ホモ・サケルとしてのキリスト)と普遍が完全に一致する一方で、仏教は社会システム/体制と距離を取るため普遍性と例外性が無害に分類されているという違いがある。
第9章
仏教においては他者の眼差しが回避されることで仏像の穏やかな眼差しが残されるのに対し、キリスト教の絵画の表象ではアダムとイヴのように「自らが他者の眼差しの対象であることを知る者」が描かれる。これはブッダの骨が拒絶する〈求心化ー遠心化作用〉をキリストの聖遺物が明確に喚起するのと軌を一にしている。
仏教にはキリスト教やイスラム教がもつような経典=統一的なテクストがなく、シッダルダのみならずその弟子の言説までも含めた多種のテクストが増殖し存在している。この違いは一般的に、一神教が実体の存在を志向し存在を探求の主題とするためテクストの存立根拠を超越的唯一神に求めるに対し、仏教が実体の非存在=「空」や「無」についての認識、つまり〈悟り〉を志向していることに帰せられる。だがこれが実は逆だとしたら?
大乗仏教がその理論の最も高い完成度を見たナーガールジュナの「中観派」は、小乗諸派の「説一切有部(「法」は現象と独立して常に存在する)」を批判し、「縁起」すなわち因果的・時間的な継起関係を論理的な依存関係へと昇華させ、全ては非時間的で論理的な相関から生じるのだからそこから切り離されれば全ては「空」でしかなく、あらゆる「法」もこの相対的な縁起のネットワークに還元されてしまい実体的には存在しない、と主張する。中観の思想は相対関係のみに着目し、〈中=中道〉を構成するその両極を共に否定する。そして一切は空であり「善」や「幸福」もそれ自体としては存在せず、そのような非存在を追い求めることこそが生の苦しみの原因だとする。それらが実は幻想だと認めることが輪廻からの解脱、「ニルヴァーナ」なのだ。しかしこれは、変えるべきは現実の社会ではなく個々の主体の認識だということであり、翻ってはいかなる社会構造をも恣意的に正当化することが可能だということになる。
しかし一切の実体を縁起(関係性)に還元しても、空とならないものが残る。関係性を測定するための差異を測る「物差し」自体は空へと解消されないのだ。それはあらゆる差異が渦巻いているはずのこの「空」が、あらかじめ同一性の領域に囲い込まれていることによるのではないか。この差異への無関心こそが仏教の特性であり、あのブッダや菩薩の「他者を排除する眼差し」の正体なのではないか。
第10章
量子物理学においてある領域でエネルギーが最低状態に落ち込んだ場合、そこは全くのら真空ではなく「ヒッグス粒子」と呼ばれる物質で満たされた「ヒッグス場」が存在する。このヒッグス場により物質に質量が生まれ、また4つの力(重力・電磁力・弱い核力・強い核力)に非対称性が付与されているのだが、「何もない(=エネルギーが最低)」状態においてすでに「何か(ヒッグス場)」が存在しており、それを取り除くことで逆にエネルギーが増加してしまうというパラドックスがここにはある。これは、前章で見た中観派の〈空〉がまさに「何もない」状態であるということと相容れない。
仏教の教義「諸法無我」「諸行無常」「涅槃静寂」「一切皆苦」は何れも〈空〉を第一義的に重要視しているが、逆に仏のイコンや幾何学模様で空間がびっしりと埋められた曼荼羅には〈存在〉への執着と拘泥が見られる。つまり〈空〉を追求することは、あらゆる事象がそこで展開する場としての〈地〉を所与の背景として前提することと同じなのではないか。〈空〉における多様なものの間の均衡性は予めこの〈地〉によって規定されているのではないか。
抽象画家マレーヴィッチは空白を描くことでそこで多様な存在者が配置される〈地〉を可視化しようとしたが、著者はこれをキリスト教の伝統の産物ではないかとする。彼が描く幾何学的図形にデフォルメされた労働者や農民は、人間性を否定されてホモ・サケルのように殺された磔刑のキリストの似姿なのではないか。
とすると、仏教の曼荼羅のキリスト教における対応物は磔刑図だということになるが、それでは曼荼羅が涅槃へと衆生を導く至福の図であるのに、なぜ磔刑図は見るものに苦痛の感情を呼び起こすのか。最も鮮烈な磔刑図として「イーゼンハイムの祭壇画」が挙げられるが、そこでは曼荼羅と対照的にのっぺりと真っ黒な背景が描かれている。パウロによればキリスト教信者は個人の肉体を脱してキリストの身体としての共同体=教会に入らねばならないのだが、この真っ黒な背景こそはこの共同性の表現ではないのか。個人の身体が共同体の内に消え去るその瞬間を捉えることで、個人であり共同性であるキリストの身体を描くことができるのだ。
これをヘーゲルの議論を用いて一般化すると、ヘーゲル『大論理学』では、〈純粋有〉と〈純粋無〉が、一方が他方に移行してしまいつつも、相互の区別を失なわず絶対的に区別されたままであり、且つ相互に分離され得ず「一方が他方において媒介されることなく消失する」という〈生成〉の関係にあることが「真理」である、とされる。ここから、「教会」を統一的な共同体として際立たせるために、その否定的対立項である「個人(の肉体)」を抑圧され破棄されたものとして描かれねばならないのだが、その「あらかじめ抑圧されている」という状況が〈生成〉される過程そのものを可視化した試みが磔刑図なのだということができる。
仏教では全ての存在者の基礎となる〈一者〉として差異化され得ない〈空〉を論理的な原点とするが、キリスト教ではその〈一者〉に相当する教会を成立させるために、否定的に「あらかじめ抑圧されている」者として規定される〈他者〉を顕在化させており、〈一者〉と〈他者〉の本源的差異が原点になっている。〈何もない=空〉の成立のためにあらかじめ無視して抑圧しておかなければならないヒッグス場に対応するのが、十字架の上で死ぬキリストの身体だと言える。キリストは、超越的な〈一者〉であり同時にその〈一者〉の支配が構成されるために抑圧されていなければならない〈他者〉でもあるのだ。
第11章
仏教の曼荼羅とキリスト教の磔刑図は、ともに包括的な社会システムのイメージであると言える。ニクラス・ルーマンによれば、社会システムの基本的な機能は〈複雑性の縮減〉、つまり世界の過剰な複雑性の中から許容・承認すべき可能性を限定することにある。つまり社会システムの内部では論理的なコミュニケーションは限定されその一部しか発現しない。そしてその社会システムがどれほど複雑で多様な環境を認識できるかは、そのシステム自体の内的な多様度・複雑性に比例するのだが(アシュビーの最小多様度の法則)、その際にシステムが対象を「何ものか」=意味として同定する際、〈体験加工〉という否定の能力を用い、「他のあり得た可能性」を破棄することなくこれを保存し、それらから対象を区別しているのだ。これに照らせば、あの複雑な曼荼羅は複雑性が縮減された後のシステム内部の複雑性の表象であり、対してシンプルな背景に描かれる磔刑図は、個人が消滅して共同体が現れるという、複雑性の縮減が起こるまさにその瞬間を描いたものだということができる。
東洋に対する西洋の優位を論ずるにあたり、これまで中国とインドを統一的に「東洋」として扱ってきたが、それでは中国社会とインド社会は似ているかといえば全くそうではない。中国では西洋がなしえなかった統一的大帝国が早期に出現したが、インドでは小規模な王国や首長社会、部族が小競り合いを繰り返しながら乱立し、政治的な統一は確立されてこなかった。始皇帝の中国統一と同時期にインドを統一したマウリア朝は、秦のような近代的官僚システムや度量衡・文字・言語の統一を全く欠いており、そのような統一がもたらされたのはようやくイギリスの植民地となってからである。というよりもむしろ、イギリス統治以前には「インド人」という社会的実体は存在していなかった。
こうしてみると中国とインドは全く対照的である。今日の中国の経済的な発展は中国の集権的な支配構造に拠る所が大きいが、それは同時に民主化の阻害要因でもある。反対にインドの多元社会は民主主義に適応的であったが経済発展は中国に後れをとった。この違いはどこから生じたのだろう。それはやはり「カースト」であろう。
第12章
インドの文化を規定するカースト制度そしてバラモン教はどのように形成されたのか。このことの社会科学的な説明の代表例はマルクス主義である。マルクス主義は宗教を社会構造の変動を説明する独立の要素とはみなさず、事後的に規定される従属変数の一つとして扱う。宗教とはエリートによる階級的支配を正当化する「おとぎ話」であり、恣意的な経済的利益の配分を正当化するための観念体系に過ぎないとしたのだ(これに反論を試みたのがマックス・ヴェーバー『プロ倫』)。このマルクス主義の主張と最も適合的な宗教が、階級支配を正面から正当化するバラモン教だと言えそうだ。しかしF・フクヤマが指摘するように、インド哲学ほどの豊かな形而上学を持たなかった中国の方がはるかに政治的権力の大きな領域を持ったのであり、またそもそもインドのヒエラルキーの最上位は物理的暴力や経済力ではなく儀礼の力のみをもつバラモンであったことからすると、マルクス主義の主張をそのままインド社会に当てはめることは困難だ。よって著者は上部構造(思想・宗教)を下部構造(経済)の従属物とみなすマルクス「主義」ではなく、宗教も経済と同様に人を支配すると述べたマルクス自身の主張に戻るべきだと説く。
資本主義は様々な宗教に寛容であるがゆえに普及したが、それには労働市場の参加者に自由であるという前提が必要だ。カースト(ジャーティ)は厳格な分業を特徴としており自由な個人という思想とは相容れない。カースト体制は経済的分業のみならず儀礼的な〈贈与交換〉のシステムでもあるが、そこでは職業上互いが互いを必要としあう通常の関係性とともに、女性の交換の禁止に見られるように相互依存の関係を最小化しようとするベクトルも働いている。カーストは、この二つの力の働きにより自己充足的な小さなコミュニティとしてまとまり、外部から孤立した島の如きものとなる。
さらにその内閉化からの逃走する第三のベクトルとして、食物連鎖の隠喩としての贈与の連鎖がある。下位のカーストは上位に対して食物として観念的に現れるが、それは人間の存在が神に対する原初的な〈負債〉であり、神々(エンマ)に食われることが人間の「返済=反対贈与」であるのと同様、下位カーストが上位に自らを贈与することが、神に対する負債の返済となるからだ(そして最上位カーストのバラモンが返済の代わりに執り行うのが供犠である)。
これら三つの力学のうち、最もインド社会を規定するのは第二の力であろう。カースト制度は贈与交換のネットワークでありながら、自らを制限し否定する強いベクトルをもつ。この贈与好感の輪廻から逃れようとすれば仏教となり、内部に留まりつつもこれを否定しようとすればカーストになるのだ。
この贈与交換は何のためにあるのかは大きな謎である。「ポトラッチ」や「クラ交換」などの原初的共同体の儀礼的贈与交換において対象となるものは、ほとんどの場合経済的には無価値なものばかりであるからだ。しかし考えてみればそもそも我々が親しい者に対して行うプレゼントも、実用的なものよりはむしろ価値に関して疑わしいものが相応しいとされるのではないか。これはなぜなのだろう?
第13章
野田秀樹の劇「THE BEE」は贈与交換の両義性、つまり贈与には相手に対する愛情と敵意の両方の側面があることを示す。レヴィ=ストロースも敵対関係と互酬関係には連続性があると述べており、儀礼的贈与を「平和的に解決された戦争」と呼ぶ。贈与には競争的な性格があり、グループ間の葛藤が贈与という形式で表現されているのだ。
マルセル・モースは贈与は「殺しあうことなしに対立する」ための手段であるという。そして贈与には提供の義務・受容の義務・返礼の義務が伴うというのだが、そもそもなぜこれらの義務が生ずるのだろう?そもそも贈与対象はしばしば有用なものでなく、むしろ有用性から乖離したものの方が相応しいとされるのだ。モースは贈り物には「ハウ」なる精霊が含まれているからと説明するが、これは問いを別の形(レヴィ=ストロース「浮動するシニフィアン」=何でも指し示すことのできる記号)で表現し直しただけである。問われるべきはなぜそのような実体が孕まれているように感じるか、だ。それは、贈与する側とされる側の双方に生じる義務感、贈与交換を内側から支える互酬性=相互性そのものなのではないか。
しかしそれでも謎は残る。それほど互酬が大事ならば、(現実の市場経済で見られるように)贈与された瞬間に等価物を返礼すれば良いではないか。しかし現実に贈与交換でそのような行為をすれば、それは相手をいたく傷つけることになるだろう。贈与と反対贈与の間は、ある程度の時間による分離がなされ、それぞれが単独の行為であるような様相を呈することが必要とされるのだ。互酬性が肯定されつつ否定されるという二律背反はなぜ必要とされるのか?
第14章
マーシャル・ジェヴォンズ「経済学殺人事件」には「経済的原理に反する行動をとる未開人社会があるはずはない」という前提が敷かれている。しかし「最後通牒ゲーム(AとBにある金額が渡され、Aがそのうち一定額をBに渡す。Bがこれを受諾すればABともその通りの分配金得られるが、Bが拒絶すれば双方ゼロ)」の実験結果が示すように、経済学が前提とするような合理性が人間の行動を一般的に規定するというわけではない。しかも、儀礼的な贈与交換が一般的であるような社会では、一方は相手方に最大限の取り分を提示し、提示された側はこれを拒絶するという、互いに寛容さを誇示するような行動が見られるという。経済的利益は贈与が行われる主要な理由ではないと言える。
レヴィ=ストロースの「南フランスの大衆レストランの食事のしきたり」では自分のテーブルにあらかじめ置かれたワインを隣席のグラスに注ぐ慣習が紹介されているが、レヴィ=ストロースは、どのような社会関係にも「行為を呼びかけ」る側面があり、構成員はこれにより緊張を強いられているが、ワインを注ぐ行為はこのどっちつかずの局面を終わらせる効果があるのだという。グレゴリー・ベイトソンも、人間社会には「コミュニケートしないことのコミュニケーション」というメタレベルのコミュニケーションがあり、このような自己否定的なコミュニケーションよりは、むしろ当たり障りのない会話のような通常のそれが好まれる、と論ずる。こうした会話は経済的に無効用な贈与交換に似ている。動物にはこのような行動は観察されないが、人間社会でだけこのようなことが行われる理由については、著者は贈与交換(とその至高の形態である婚姻)と狩猟とが原初的に深く結びついているからだとする。
では贈与では何が贈与されているのか。モースによればそれは「贈与者自身」、つまり贈与者の人格、贈与者が「何ものであるか」が外化されたものだという。だからこそ、市場交換では売買された対象物を転売しようと廃棄しようと非難の対象にならないのに、贈与交換でそのようなことをすれば贈与者の人格を傷つけることになるのだ。贈与物は贈与者の主体から切り離されることのない贈与者の拡張であり、贈与するということは贈与者の自己性を受け手の他者の核にまで延長することなのだ。
パプアニューギニアの「モカ/テ」と呼ばれる贈与交換は、贈与する/される側双方の相互承認を媒介する機能を持つ。贈与物は贈与の関係の外部にその価値の基礎を置くようなものではなく、贈与の関係そのものに基づいているのだ。だがそれでも前章の「互酬性の二律背反」は解決されぬままだ。なぜ贈与は互酬を志向しながら拒絶するという背反性を持つのか?
第15章
双子の誕生を危険視する原初的共同体は多い。そのうちの一つザンビア北部のンデンブ族では、双子の誕生を女性の贈与としての婚姻の失敗であるという含意があるという。双子という概念は物理的に「二」でありながら社会構造上の座は「一」であるという「意味作用の機能障害」を呈しているが、このような概念をレヴィ=ストロースはその意味するところが決定不能であるとして〈浮動するシニフィアン〉と呼んだのだった。この議論には構造主義の「意味作用における差異の優劣」、すなわち「一つのシニフィアンの同一性はそれ自体では認め難く、それを含むシニフィアン全体の系列の中でしか把握されない」という前提に立つが、しかしそこには「差異が機能するためには、そこにおいて差異が設定される「全体」を必要とする」という重大な反例がある。差異の前提となる「全体」自体は、差異を媒介とせず直接に同一性を持つほかなく、シニフィアンのあらゆる同一性は差異を媒介として付与される、という原則が破られてしまうのだ。ここで、それ自体指示内容を持たない〈浮動するシニフィアン〉はそれが補填されることで差異が機能しシニフィアンが作動するための「全体」性を構成しているということもできる。
分析哲学者のソール・クリプキは、名前とは対象の性質についての「確定記述」の束であるとする「記述説」を批判し、「確定記述」では捉えきれない対象の性質があるとして「反記述説」を提唱した。アインシュタインの確定記述(相対性理論を発見した、など)を列挙した後、実は相対性理論が別人の発見によるものだということが判明しても、「アインシュタインはアインシュタインではない」ということにはならない。アインシュタインとは「アインシュタインと呼ばれるものである」としか言いようがない。アインシュタインに属する諸性質に同一性を与えているのは「アインシュタイン」という名前の方なのだ。
「贈与物は贈与者自身の分身であり、贈与物の受け取りは他者の承認である」であるのだとしたら、他者の承認とは「他者を名前で呼ぶこと」に他ならないのではないか。反記述説によれば、一つの名前で呼ばれることがその個体の同一性(アイデンティティ)の全てである。他者のある特定の性質(〇〇が上手である、〇〇が綺麗だ、など)のゆえに肯定するのであれば、それは他者の性質のみを部分的に承認しているに過ぎない。全体的な承認とは、記述に還元できない何か、すなわち「名前」の承認でなくてはならないのである。しかしその名前が意味しているところのものといえばそれはまさに「名前」であり、トートロジーつまり無内容に他ならないが、では何が承認の対象とされているのか?
他者を愛する際、ポジティブな要素のみをその理由にするのであれば、それは愛という全的な承認とはならない。これに対し、否定的な性質つまり欠点は、相手の全的な承認の至高の理由(「そこがいいんじゃない!」)にまで高められうるのだ。
「アインシュタイン」という名前で指し示されるのは、アインシュタインの本質が、それが持つ性質のいずれでもないということ、そしてそれらの性質のいずれを否定してもアインシュタインでありえたこと、アインシュタインが他でもありえたこと、に他ならない。つまり名前が本来さし示しているのは、対象の同一性(…である)よりも差異性(…ではない)なのであり、必然性(AはAでしかない)以前に偶有性(A以外の他でもありえた)ということである。
差異性や偶有性は否定的な様相なので、現実の中に具体的な像を結ぶことはない。しかし欠点はまさにポジティブな性質の欠如を示しており、このような否定性や不在性によって本来は現象しえない差異性や偶有性が間接的に表現される。愛が差異性や偶有性への指向性だとすれば、他者への全的な承認が欠点の承認によりもたらされるのは、このような形でのみ差異性や偶有性が具体化されるからなのだ。
しかし名前の実際の使用により指し示されるのは、これとは全く逆に「まさにこれ」という対象の同一性と必然性なのはなぜか?通常の二項対立は異なる二つの実体間の対立だが、これとは別に「一者」の内部での〈原本的二項対立〉がある。アインシュタインの内部には「…である可能性」と「…ではない可能性」の二項対立があるのだが、人がアインシュタインの名前を呼ぶ時には後者の可能性はすでに排除されている。名前が同一的で一義的な実体と結びつくには、この原本的二項対立は最初から排除されていなくてはならないのだ。双子が危険視されるのは、一者がそれ自体において二者であるというこの原本的二項対立を触知可能な身体として現前させており、シニフィアンの機能を阻害する事態を呈示しているからなのだ。
第16章
そもそも贈与とは何か。日常言語学者のギルバート・ライルによれば「理解する」とは〈分割(文節化)〉することである。一つの実体をより小さな部分へと分割し続けていくと、最終的に最早二つの「積極的な」部分に分けることができない極限、つまり「一つの部分と無との間の分割」に至るほかない、という。アインシュタインを「ユダヤ人」という側面(部分)p1とそうではない側面q1に分割し、さらにp1を「物理学者である」という側面p2とそうでない側面q2に分割する…と続けていくと、ゴールに辿りつくのは、piという側面に対立するqiが最早これ以上の分割ができない「無=0」になった時だ。この無=0こそが、反記述説で確定記述の束に還元尽くせないとされた部分なのであり、逆に言えばこの「無」自体が一つの部分であるかのように扱われ積極的に実定されなくてはならない。こうして一者1は、確定的に記述できる部分(p1, p2, p3…pi)と無(qi)にの二項に分割される(1=1+0)のであり、この1と0の対立が前章の〈原本的二項対立〉なのだった。この無0があらかじめ排除されている限りでその一者の同一性が定義可能なものとなるのであり、一般的な二項対立(A/非A)に先立ってこのいわば不明瞭な二項対立、〈原本的二項対立〉が存在すると言える。これは言ってみれば「1個以上だが、2個未満である」ような項の間の関係であり、我々が二項対立を意識する時にはそれはすでに排除されていなければならない。双子が忌避されるのは、この本来は立ち会うはずのない、1であるのか2であるのかが不明瞭な両義性を現前させてしまうからだったのだ。
13章で見たように、贈与を受容することはそれ自体でミニマムな反対贈与なのだった。Aの主観では、自分の贈与①(A→B)に先立ってB→Aの贈与②がすでに行われており、①はAにとっては初めから反対贈与、つまり①の贈与によって②が遡及的に存在することになっている。どうしてこのような「お返しの義務感」が生ずるのか?贈与の授受の主体は共同体ユニットを代表する個人だが、その際には共同体ユニットを〈拡張された私〉とみなす意識、〈われわれ(家族・氏族等〉とは何者かというアイデンティティへの自覚がなければならない。すると、儀礼的贈与交換が成立する必要条件の一つは氏族等の共同的ユニットを支配する〈第三者の真級〉が措定されていることであろう。
〈われわれ、私〉が他に自らのアイデンティティを呈示するとき、「われわれはp1,p2,p3…である」という自己定義をいくら繰り返しても、原初的に排除されているqi=0をそこに組み込むことはできない。つまり、〈われわれ〉は、〈われわれ〉自身であるために必要な「肝心な何か=qi」を欠いている、という感じを抱かざるを得ない。ではそれはどこにあるのかと言えば、〈われわれ〉にとって疎遠な場所、すなわち〈他者〉に他ならないだろう。すると〈われわれ〉はそれを他者から与えられなくてはならないことになる。贈与を駆動する力は、このように〈われわれ〉の本来的な自己疎外の構造、すなわち自己自身であるために不可欠な何かが最初から〈他者〉に握られているように感じられる構造にあるのだ。贈与は、だから、〈他者〉の〈われわれ〉に対する承認であり、〈われわれ〉がその承認を受け入れたということを表現する最も確実な方法が〈他者〉に対する反対贈与である、というわけだ。そして、贈与者は被贈与者に対するアイデンティティの基礎づけという権威を及ぼすことになる。
では、贈与が互酬性を求めているように見えながらそれが同時的・直接的で完全なものになった時はかえって破綻するのはなぜか。完全な互酬とはいわば市場経済における売買であり、売り/買いは同一行為の二側面であるのに対し、贈与/被贈与は二つの独立の行為であり、両者の間には時間の経過が必要になる。売買における参加者は対象物の授受と支払い義務に拘束されており完全な〈他者〉とは言えないのに対し、贈与とは贈与者が被贈与者のアイデンティティを定義する権威的・優位的な行為であり、〈他者〉にしかし得ないからである。原初的に失われているqiは他者からもたらされねばならないのだ。恋人の愛が絶大な効果を持つのは、その愛が〈私〉の内に恋人の心を惹きつけてやまない曰く言い難い魅力の核があることを教えてくれるからであり、そして同時にその恋人がいつ心変わりするかわからないという不気味な〈他者性〉を残しているからこそなのである。このように儀礼的贈与交換は、原本的二項対立の水準に由来する「排除」、すなわち〈私〉の単一的アイデンティティを根本的に規定不能に陥らせるようなqiが引き起こす一連のダイナミズムと言える。
しかしまだ謎は残る。モース『贈与論』で紹介されるマオリ人の贈与交換では、贈与は「第三の人物」を介して行われる。クリスマスプレゼントもサンタクロースからもたらされる。なぜこのような第三の人物が登場しなくてはならないのか?
第17章
ホモ・サピエンスの10万年の歴史のうち、9割は狩猟採集生活が占める。初期の農耕民族は狩猟採集民族に比べ栄養状態も悪く寿命も短かった。にもかかわらず農耕が定着したのは、食糧生産の方が単位面積あたりの生産カロリーが高く、また定住により出産間隔が短くなり人口が増加しやすくなったためである。逆にいえば、人類には移動・遊動への強い傾向が備わっており、狩猟採集はその抑圧だということができる。そして、結果として生じた余剰食料の蓄積が、水平方向に授受されれば「贈与」となり、垂直方向に向けば「供犠」となるのだ。
アイスキュロスの悲劇「オレステイア」では、互酬的な贈与交換に依拠する正義に加え、その互酬的等価性を判定し保証する第三の審級が登場し、復讐(反対贈与)の連鎖をメタレベルから調停しているが、これは農耕の開始とともに起動した機制だ。
共同的ユニットが贈与交換によってい関係し合う社会(A型システム)では、その共同体は贈与交換で連帯しており、贈与の連鎖でつながり合うユニットのみが「内部」とみなされる。これに対し、第三者の審級を有する社会(B型システム)に移行すると、「第三者」の位置に立つ調停者の審級の対象となるユニットは全て同一の準拠的な共同体の「内部」となり、抗争の対象はその「外部」となる。A型のシステムの典型がカースト制度であり、そこではカースト間の接触は厳しく制限される一方、贈与を通じてカーストが相互に融合している。つまり内部/外部の区別について両義的なゾーンが決して消え去ることの無いよう慎重に配慮されているのだ。これに対し、華夷秩序を基盤とする中国はB型システムの非常に大規模なケースということができる。
ではA型からB型への移行はどのように生じるのか。古代ギリシアの「メゾン」という慣習や「ギリシア七賢人」の伝説では、「価値あるものは神に捧げられるからこそ価値をもつ」という循環論的なロジックにより、対象に超越的な価値が付与されることが示唆される。
第18章
シェイクスピアの戯曲『トロイラスとクレシダ』では、第三の人物からの視点を介入させて初めて意味を持つような男女の交歓が描かれる。互酬的な二者間で完結しそうな関係に、わざわざ第三の人物を想定し自らをその第三の人物との関係に置くのである。
文化人類学の研究対象となる社会では、しばしば「交叉イトコ婚(基準となるおじやおばの性別が父母とは逆)」が選考され「平行イトコ」は忌避される。交叉イトコは必ず異なるリネージ(血統)に属しており、女の贈与である結婚は異なるリネージ間でしか成り立たないからである。だがレヴィ=ストロースは、母方交叉イトコ婚が父方交叉イトコ婚より選好されることに着目し、後者は2つのリネージ間で〈限定交換〉、すなわち2ユニット間での互酬的交換に相当するのに対し、前者では多数のリネージを一方向的に循環する〈一般交換〉が得られるとする。著者はこの一般交換を作動させる力が、BがAから受け取った女性を、Aの向こう側にいる第三者Xに由来するものとして受け取ろうとすることの結果であると指摘する。父方交叉イトコ婚では贈り手と受け手が限定交換の中に閉じてしまい、第三者の介在する余地がないのだ。
復讐を正義のための義務とする互酬的贈与交換に基づく社会システムから、調停的審級機能を持つ社会システムへの転換はどのように行われるのか。後者の大規模な形態が秦以来の中華帝国であり、その特徴は比類のない広大さにある。そこでは朝貢関係に代表される、贈与の連鎖を皇帝へと中心化した大規模な再分配システムが権力を裏打ちしており、特権的な一者である皇帝は審級者として朝貢の形で贈与の関係を最大限に利用している。これに対しインドのカースト制は、システム全体を背骨のように贈与の連鎖が走っているが、それ以外の贈与の関係は可能な限り排除されている。中国のような再分配システムと調停的審級はどのように生じたのか。白川静によれば「正」の本来の意味は「他邑を征すること」であり倫理や規範とは直結しない。そして征服者の最も重要な任務は賦税の徴収であった。つまり「正当」な支配や政治が、被支配者に対し「贈与」を強制することを意味していた。さらに中国では、他国を征服することは非征服者が奉じていた神を「客神」の形で自分たちの神を中心としたコスモロジーに統合することを意味した。最初の中華帝国・秦は、韓非子に代表される「法家」の哲学、すなわち「信賞必罰」…身分に関係なく命令違反者は罰し功績者は褒賞することを奨励していたが、これは互酬的な贈与交換/復讐の原理を国家が独占的に行使することに他ならない。これが中華帝国の完成である。
このような強力な再分配システムはどのように生じるのか。まず贈与では常に贈与者の側が優位であり、受贈者側は反対贈与をせざるを得ないという「負債」感を抱くが、この負債感は現実に相応の負債がないにも関わらず生じることがある。事前に「懇請の贈物」と呼ばれる予備的な反対方向の小さな贈与が行われることで受贈者に負債感が呼び起こされるのだ。すると一方向的かつ直線的な反対贈与が大規模に行われ、贈与の終点では凄まじい富の集積が起こる。この最終者の手前にいる部族の長が「ビッグメン」であり、人々の尊敬を集めることになるのだが、この贈与を継続して受け取るためには自分がそれに足る人物であること、つなり人々に恩恵をもたらす能力を持つことを証明せねばならない。それがビッグメンから人々に対する大盤振る舞い(蕩尽)であり、最初の贈与を正反対に戻ってゆく。この振り子のような贈与の流れは、広域的・集権的な権力の発生を防いでいるかのようだ。ここからどのような飛躍によって中国の再配分システムが生じるのだろう。
第19章
歴史的に見れば中国では中央集権的な官僚支配が、インドでは諸王国の乱立状態が常態であり、両者では歴史的デフォルト状態がちょうど逆になっている。中国とヨーロッパの差異を循環論法に陥らずに説明できる要因として地形(中国は平坦、ヨーロッパは山岳や河川で分断)が挙げられるが、その前提としてそもそも国家建設行為とは何を意味するのか。
人気ある歴史物語『三国志演義』に通底するテーマは第一に「中国は単一の帝国でなくてはならない」である。ヨーロッパの封建制とは異なり、中国では地方に拠点を築くだけでは
領土内の正当性を保つには足りず、中央政権の奪取を目指さなければならなかった。そして第二に「帝国を維持するために〈幇/幇会〉という完璧に利他的な連帯が必要だ」であり、桃園の義盟や「水魚の交わり」などの理想的関係を形成することが正当な帝国の条件とされた。
また『三国志』が説くのは、戦争に関して有能であるということは、支配者=皇帝の資質の最重要要件ではない、ということだ。しかし逆に中国の地形に着目すれば、中国において帝国的規模の統一が早期に確立しその後も維持されてきたのは、戦争に都合の良い地形的基盤があったからだと言える。軍隊におけるメリトクラシーの徹底が文民の任官にも適用された結果として官僚制が発達し、また戦争状態を思想に適用することで「諸子百家」が成立することになった。秦が採用した「法家」思想は、戦争における信賞必罰の理念を内政に転用したものだ。だが、結局は戦争により覇権を握った秦は短命だった。三国志が物語るのは、帝国の統一性の維持にあたって戦争の論理とは異なる原理が機能していたことを含意するのではないか。
第20章
毛沢東の「大躍進政策」を批判し失脚した彭徳懐のエピソードが示すのは、毛沢東に対する中国人民の従順さとともに、彭徳懐にクーデターを起こさせなかった「文民統制」の驚くべき堅牢性である。現在も人民解放軍には政治委員が張り付いており、単独で軍事行動は起こせない。ローマ帝国のカエサルやリビアのカダフィとは対照的に、軍人の権力や権威が文人のそれより劣後するというのは中国史全般に見出される特徴だが、その地形に照らしても軍事力が重要であったはずの中国でなぜ文人の優位が起こったのか?軍事国家の秦に、何が付加されて文人優位の漢になったのか?
秦は戦争の論理を内政に転用した法家思想を重んじたが、一方で「焚書坑儒」の古事に見られるように儒家を弾圧した。しかし両親に対する義務を重んじる儒教は、本来中国社会の基本単位である「宗族」と呼ばれる父系血縁集団のイデオロギーの基盤となるはずだ。商鞅ら秦の指導者らが儒教を厳しく弾圧したのは、皇帝を権力の中心に置く社会システムの編成のためには、家族や親族への愛着をキャンセルし、法家の信賞必罰により皇帝へのそれへと変換しなくてはならなかったからだ。
漢が秦と異なるのは、儒教とそれに承認された親族単位を復活させた点だが、法家の思想は絶えることなくその後の中国にも受け継がれている。儒教には家族の連帯だけでなく皇帝への服従を動機づける二重性があった。また、中国の諸地域から世襲的な支配が根絶され、これに代わり全国的に一律な行政期間が導入されたことで、法家的なものが継承された。漢の高祖が導入した「郡国制」でも、土着の領主や王は地方を支配するだけでは身分を保証されず、中央政府の中で地位を持ち承認されなければならなかったように。こうして儒家と法家は中国社会の中で接続されてきたのだが、時に儒教として、時に中国共産党のような権威として現れるこれらの機制を接合する概念として「天」が考えられる。これに実効性を与える何らかの社会的メカニズムがあるのではないか。
第21章
モンゴルはチンギス・ハーン即位の時点で相当に「中国化」していた。中国は絶えず外囲の蛮敵の侵略に晒されてきたが、不思議なことに中国の文化や制度にその痕跡はほとんど認められず、逆に侵略者の方が中国(漢族)の伝統を採用した。これはなぜか?
中国帝国の皇帝となるべき資格については一種の二律背反(アンチノミー)が認められる。「誰もが皇帝になれる(e.g.隋の文帝、唐の高祖)」が、逆に「どんなに力があってもなれない者はなれない(e.g.韓信、彭徳懐)」のだ。
経済学者マンサー・オルソンによれば、皇帝の権力の発現過程は市場原理によって説明できる。地域を略奪する小盗賊団同士の争いから、一つの盗賊団が規模を獲得するようになり、それが最大規模に達したものが国家である。国家が行う略奪が「税」である。そして、国家は近視眼的な収奪よりも公共財を社会に提供し安定的な秩序をもたらした方が利益が大きいことを学習する。国家的盗賊の収入を最大化する最適搾取率が模索されることになるのだ。しかし、F・フクヤマによれば中国の歴史的な税率は、国家が公共財(特に国防)を提供するレベルの水準に遠く及ばず、理論上可能なはずの大きさの権力を行使していない、という。さらに、徴税権を委託された末端の役人や政治家が勝手に中間搾取し、中央政府が得るべき利益を削減してしまい、完全な独立支配を阻んでいるという事情もある。中国の国家権力はオルソンのモデルとは異なる論理に基づいているのだ。
それはやはり〈天〉ではないか。溝口雄三の考察によれば、中国の〈公〉の概念には日本の「おおやけ(多数者間の公平な分配)」の意味のほかに、それらを超える普遍性を指す〈天〉が追補されているという。〈天〉は〈公〉よりも外延的に広い範囲を指示しており、その〈天〉に基礎付けられて初めて〈公〉に道義性が宿るのだ。
(文字数の関係上第22章以降は再読メモへ)