あらすじ
いつ、なにが起きるかわからない――
緊急事態宣言? それならばと余った牛乳を大量に煮詰め、「日本版チーズ『蘇』」に挑戦。巣ごもりの気晴らしには「ふきのとうの春巻き」「山椒の実の牛すじ煮込み」、知人から届いた新鮮なほやで「ほや飯」を作ってみる――
コロナが変えてしまった世の中でも、人の信頼、味を守る工夫をみつめ、
考えながら進む人は強い。食べる現場はここにある!
気になる「いわしバター」って?
「クッキングパパ」も絶賛した平松さんオリジナル傑作レシピ「パセリカレー」
ってどんな味?
美味しいレシピ満載!「週刊文春」人気連載最新刊
解説・石戸論
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
★大好きな渋谷のVIRONとBunkamuraが出てきた!嬉しい
★にんにくのピュレ美味しそう〜〜〜バゲットにステーキにつけて食べたいいい
★この前深大寺行った時「TOM」行けばよかったなあ。ジジロアたべたい。
平松さんの描写力ほんとうにすごい、牡蠣嫌いだけど牡蠣ごはんおいしそう
Posted by ブクログ
平松洋子作品で初めて読んだ本。
一つ一つが短く、電車の中で読むのに向いてる。ご飯の描写が多い。とても読みやすいが、一気読みするべきではないと思う。一気に読むと途中で飽きる。毎日少しずつ読むのが良い。
Posted by ブクログ
あ、コロナ禍ってたしかに必死だったよな
暮らしも食も、制限されてしまい、苦しかった
エッセイストの方々はとくに生きるを文章化して、暮らしの糧にしているだろうから辛かっただろう
そんななかでも、あえて普段ならやらなかった長時間かかる料理をしてみていたり、こだわって取り寄せしてみたり、人生を楽しむってこういうことなんだと感服した
Posted by ブクログ
もうすっかり忘れかけていたコロナ禍独特の空気感とか息苦しさを思い出してクッと胸の奥が痛んだ。それと同時にそんな中で楽しみをと思い、おうち居酒屋をやったりパンケーキを作ったりした細やかな日々を思い出した。
今度、いわしバターを自分でやってみようかな。
Posted by ブクログ
コロナ渦前後のエッセイ。オイルサーディンを豪快にコッペパンに挟むあの人が忘れられない...。暑い日の台所事情や、日本各地の美味しそうなものなど、家にも外にもわくわくするエッセイが詰まっている。
Posted by ブクログ
「サンドウィッチは銀座で」など、これを食べにあそこへ、というタイトルでずっときたシリーズ。新刊は「いわしバターを自分で」。このタイトルだけで、コロナ禍の日々のことだ、と気付く。
あのなんとも息苦しかった日々、毎日怯えたように、萎縮して暮らすしかなかった期間。
2020年5月半ばだったろうか、スーパーでカゴを持ったまま、売り場に立ち尽くしたことがあった。なんにも思い浮かばない。何を食べたいのかわからない。何を作ればいいのか、何を買えばいいのか、皆目見当がつかない。外食がほぼ不可能で、ちょっとした息抜きもできないから心に余裕が生まれない。
あの絶望感は忘れられない。
平松さんも同じように迫り来る閉塞感を味わっていた。店から消えるマスク。閉まってゆく飲食店。破綻していくあれやこれや。負けじと見つける細々した楽しみ。
読みながら「そうそう」とうなずきまくった。
蘇、作った作った。応援したくてテイクアウトもたくさんした。
八百屋のおにいさんの声のところで、「素晴らしい、こういう人はちゃんといたんだ」と涙が出た。そしてそれをちゃんとキャッチする平松さんもやはり素晴らしい。
あの日々が遠くなりつつある今、生活者の視線と確かな筆力で淡々と綴った(しかも「生きる」ことに直結する食にまつわる)エッセイは、もはや現代史に遺るであろうあの日々のことを後世に伝える歴史書だ。生活のことは歴史に残りにくい。けれどあの右往左往と、そこををくぐりぬけたことは確かに記録されねばならぬ、と思う。
灰色のような日々だからこそひとしおに嬉しく感じる、旬の野菜や到来物のまぶしさと共に。
Posted by ブクログ
この人の文章力や取材力に魅せられて、最近時々読んでいる。
本書はコロナ禍の、特に最初の緊急事態宣言の頃に書かれた文章を多く載せる。
鰯バターや、パセリカレーのレシピも魅力的だが。
きゅうりが干せるということも目からうろこだが。
やはりあの頃の閉塞感がよみがえって、ちょっとつらくなった。
いや、自分など、失職の心配もなく、今思えばのんきな身分だったと思う。
本書で取り上げられている生産者や町の食堂の経営者をはじめとする食に関わる職業の人たちが、その間どんな苦労をしていたか、どんな知恵を巡らせていたか。
そのことに思い至って、改めてため息が出た。
本書で紹介されている枝元なほみさんの「夜のパン屋さん」の試みは、最近新聞記事でも見かけた。
協力してくれるベーカリーから閉店間際で売れ残った商品を集め、夜の街頭で売るという試みだ。
売るのは、ビックイシューを売っていた人たち。
ということは、コロナ前後から、このプロジェクトはずっと継続していたということだ。
なんというパワフルな人だろう。
自分の場所でできることを探して、着実に前に進んでいる人がいる。
世の中にはすごい人がいるものだなあ、と思う次第だ。
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文章が好き ◯
作品全体の雰囲気が好き ◯
内容結末に納得がいった ◯
また読みたい ◯
その他
ふきのとうのゲップ(「待望のふきのとう」)からの、ウニ弁当のじんわり涙が出てくるお話し(「うに弁当を久慈で」)。
この振り幅にノックアウト。
出会えてよかった、平松洋子さん。
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著者は無類の食いしん坊とみた。
向田邦子を少し彷彿とさせるような…。
パセリカレー、今度作ってみよう。
たぬき豆腐を出す居酒屋にも行きたい!
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平松洋子『いわしバターを自分で』文春文庫。
『週刊文春』連載エッセイの最新刊。連載は2019年12月から2021年9月。いつもと趣が違うことに驚きを隠せない。コロナ禍による巣籠もり生活のためか、いつものような外の店で仲間や友人、知人とワイガヤの食事場面が殆ど無いのだ。
『いわしバターを自分で』というタイトルからして巣籠もり生活を象徴しているようだ。気になるいわしバターとはそういうことか。
それでも平松洋子のエッセイは美味い。コロナなど何するものぞと言わんばかりに様々な食材を使いこなし、新たなレシピにも挑戦。ほや飯とパセリカレーは一度食べてみたいものだ。
本体価格670円
★★★★
Posted by ブクログ
普段あまり馴染みのない食材も上手にお料理されており食べてみたいという気持ちになった。お友達から色々食材が送られてきて楽しそう!
コロナ禍の街の様子など、ああそんなこともあったなと懐かしく思えた。
Posted by ブクログ
食べ物に関する短いエッセイがたくさん。
この趣を理解するにはもっと知識も経験も積まなければ……!と悔しいような気持ちになるものもあった。
食に対する造詣の深さや探究心には恐れ入るし、わたしももう少し美味しいものを食べることに労力や時間をかけようと思った。
料理の際の表現も面白い。
「にんにくを懐柔する」「にんにくってこんなに性格がよかったのね」
表題の「いわしバターを自分で」はコロナ禍初期の日々を日付順に綴った日記形式になっていたものの一部。
いわしバターの作り方の所に思わず付箋を貼った。美味しそうすぎます。絶対いつか作る。
飲食店が次々に閉まっていって、お気に入りの店を思ってもどかしくなる気持ちが切なく懐かしい。
最初はこんなだったよなあ、と、過去の話みたいに思えていることがちょっと嘘みたい。
おなかがすくエッセイでもありつつ、こういう風に歳をとりたいと思わせられる平松さんの魅力がたっぷりでした。
食べることは生きることだなあ
Posted by ブクログ
食に関するエッセイストによる、エッセイ集。週刊文春で19年12月から21年9月にかけて連載されていた。途中から新型コロナ禍真っ只中となり、当時の飲食店関係者の苦闘が描かれつつも、何とか前向きに明るく食についての想いが綴られる。
豪華な食材よりも、身近なものや自分でも簡単に作れるものが中心。コロナ禍も含め、生活と人に根ざしたエッセイで、非常に読みやすい。
Posted by ブクログ
第一部は、身辺雑記風。
第二部は新型コロナの日々。平松さんも取材で飛び廻る訳も行かない。馴染みやご近所のお店の苦労が語られる。コロナが落ち着いたら、こんなことあったねと読めるんだろうか。
平松さんも配信ライブ鑑賞するんだ、と読むと、「生きていると言ってみろ」の曲が出てきた。僕は泉谷しげるプロデュースの「昭和の歌よ、ありがとう」CD、DVDで中村中の歌で聴いたけど。そうか、友川かずきの歌だったんだ。
「ダンチュウ」記念号で平松さんとクッキングパパが掲載されている号は、持っているけど、その後のコラボ漫画は見落としているなあ。
とりあえず、ピーマンの塩炒めは作ってみた。もっとまねしなきゃね。
最後に一言。はやく美味しいもの食べに元気に駆け回る平松さんの文章が読みたい。
Posted by ブクログ
星をつけるなら3.5。
3でもなく、4でもなく。
読んでいると、だんだんとお腹がすいてくる。
面白い話と、まあまあな話が繰り返し押し寄せてくる。
時々、ハッとすることばも散りばめられている。
Posted by ブクログ
「肉まんを新大阪で」あたりでもういいかな…と思って続刊を買ってなかったのだけど、「コロナ禍の食い意地に効く!」の帯に興味を引かれました。
コロナ禍の…にあたる部分は全体の三分の一くらい。突然の非日常の中でも、著者の視線はやはり鋭く面白い。
しかし、早く日常が戻ってきて欲しいと思っているうちに、コロナが日常になってしまった。