あらすじ
経済学者として優れた業績を残した著者は、昭和8年から同22年にかけて慶応義塾の塾長を務め、誰からも敬愛された大教育者であった。本書はその小泉が「平常心づいていること」を、平明にして力強い文体で記した球玉の人生論である。晴雨を問わぬ誠実と勇気を説く各篇は、英国流の爽快なスポーツマン精神に根ざし、読む者の品格と気骨を陶冶する。他に、良い文章の書き方や病気見舞の心得など実際有用の助言に富む。
(※本書は1988/11/7に発売し、2022/3/25に電子化をいたしました)
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
清々しい読後感。
著者である小泉信三氏は、戦前から終戦直後の慶應義塾長であり、明仁上皇(当時は皇太子)の教育係も務められた高名な経済学者。
本書は氏の新聞や雑誌への寄稿文を集め、昭和28年に書籍化されたものです。
氏の著作を読むのは「読書論」、「共産主義批判の常識」に続く3冊目で、いずれも普遍的価値を持つ名著だと思います。
ちなみに、「練習ハ不可能ヲ可能ニス」、「直ぐ役に立つ本は直ぐ役に立たなくなる本である(→すぐ役に立つ人間はすぐ役に立たなくなる人間だ)」という言葉はこの人のものです。
60年も前の作品のため、古風な文体とはいえ、決して難解ではなく平明で、かつ押し付けがましくもなく力強いエッセイの数々。
自らの心構えや行動、手本とすべき人のエピソード、スポーツと練習、仮名遣いや国語の問題など、ジャンルは多岐にわたりますが、品位を感じさせる文体には、澱んだ心を持つ私も背筋を正される思いがします。
とりわけ、最後の2篇「これからの皇太子殿下」「戴冠式の行われるロンドン」は、当時の明仁皇太子へのメッセージともなっており、皇太子の御大成を願いつつ注がれる温かな眼差しには、大いに心動かされました。
解説の阿川弘之氏の言うように、「読むものの品格と気骨を陶冶する」格調ある一冊だと思います。
Posted by ブクログ
昭和25年から発表された文章であるのだが、堅苦しい趣はまるでなく、優しい祖父が新しく社会に出向くであろう孫に対してゆったりと分かりやすく「平成の心がけ」を語るような本である。
筋道をたてて論理的に納得のいくように書かれており、とても読みやすい。また、書かれた時節柄、時折登場する人々も歴史上のお歴々であり、これもまた興味をひく。
仮名遣いや漢字制限も変更されたのだと改めて気付き、福沢諭吉の「帝室論」は興味あり、読んでみたい。
Posted by ブクログ
昔の慶應の学長が書かれた本。
一番印象に残っているものは「信なきものは去る」というもの。
落ち目だったり、旗色が悪くなっているときこそ応援すべき、というもの。自分もそうありたいということが多くかかれていた。
Posted by ブクログ
慶応義塾の塾長を務めた著者の訓話を集めた本です。
多少、修身道徳的な説教臭さは感じられますが、親しみやすく、それでいて格調を失わない、名文だと思います。
本書からもうかがい知ることのできる著者の人徳には、深い敬意を覚えます。もっとも、旧士族の道徳について、「明治期において多少とも世の表てに働いたものの家庭は、多かれ少なかれこれと同じようなものであったと思うのである」と述べることのできる境遇で育ったという幸運もあるのでしょうが。
Posted by ブクログ
さらっと読め、味わい深い良質なエッセイである。内容では、決議の尊重や言論の自由、国語改革への意見などだが、印象的なのは、「社用族」「畏怖と自由」である。「畏怖と自由」は共産主義が人が人に対して厳しいこと、それが社会主義の国で人が生きにくいことの本質であるとしている。「社用族」では人の金で飲み食いする者を戒め、戦後の賠償能力がないと言いながら、本国でもなかなか乗れぬ英国車を乗り回し、スコッチを消費することを赤面すべきであるとする。マルクス主義が力を得ている原因として、人が「愛するより憎むことによってよく結ぶ」としている点は本質をついていると思う。唯物史観についても、人の「責任をとりたくない」という気持に根ざしていることを指摘している(五十歩百歩)。福沢諭吉や英国の文化についても、多く言及し、都会的で自由や野球を愛する昭和のジェントルマンが書いた書物だなと思う。健全でしなやか、強い理性を感ずるが、当時の共産主義者や田舎者にとっては、「どうせ、こちらのことは分からない」という一抹の疎外感を抱かせたかもしれない。