あらすじ
高校生・二階堂京子の弟を襲った一つの事件。
次第に明らかになっていく真実、壊れていく家族、そして孤独。
家を出て障害者施設で働き始めた京子は、さまざまな出来事や人々との出会いを通して
「正しさとは何か」を考え始める。
最後に京子が導き出した「正解」とは?
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Posted by ブクログ
本書を入手する前に、牛島薫子さん(@Pro_Wresler)ご自身のnote「狂気とは何か」を読んでいたので(「『悪を与えよう』でまともな登場人物が少ない理由です。」とツイートで紹介されていた)、そういうバイアスもかけつつの読書でした。
何かわかりあえない。ちょっとズレている。
淡々とした京子の語り口に対して抱くのはまさしくそういった小さな違和感で、その違和感は時に耐え難いほど大きくもなるのだけれど、それでも彼女が何がしかの答えに辿り着くのを見届けたいという気持ちを失わずにいられたのは、決して他人事ではないからなのかも。私もまた、誰かに違和感やズレを感じ「させ」ながら生きているんだろうな。
また、本作最大のテーマは「障害者と健常者の分断」。
病気や障害に対する偏見と差別は社会の至る所に蔓延っており、そのような感情を原因とした痛ましい事件も数多く起こっています。少し前にもTwitter上で「『努力』しない障害者」への批判とそれに対するたくさんの反論を見ました。
様々な形で現れる社会の断絶に対し、著者は敢えて強烈な言葉を投げかけます。曰く、「障害者は生きていてもいいのか?」と。
誰もが答えるはずです。「いいに決まっている」
しかし、それは恐らくこう問い返されるでしょう。「どうやって?」
こうなると途端にしどろもどろになってしまう。「どうやって?いやその……そりゃアレですよ、十分な福祉を受けるとか、なんかこう、社会全体で支援していくんですよ。……多分」
社会全体と言いつつ、その「社会」には自分自身も含まれているという意識が自分には欠けていることを思い知りました。
臨床心理学を専攻していた学生時代に障害者施設での仕事も経験し、双極性障害の当事者でもある著者の手による劇薬のような小説。自分の中に新しい視点の芽が生まれたように思います。
と、ここまでつらつらと駄文を綴ってきましたが、実はわたくし京子の最後の台詞の意味が全く解っておりません。
え???「悪」ってなに???結局どういうこと???
彼女の言葉について、これからも考え続けていかなければならないなあと思う次第です。