あらすじ
からだを手入れし、歩く。ごくふつうの生活を、大切に生きる
猫の母子から教わったこと。山菜を採り、うどんを作る春の行事。同窓会嫌いの弁。本を棄てる話。滋味ふかい最新エッセイ集。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
芥川賞の作品は寝て書いても完成させられるが、直木賞の小説はトラック数台分の資料を集めて読み込まないと書けない。一家統合の要の存在として15年生きたトラの命日は4月26日。南木佳士「猫に教わる」、2022.3発行、36編のエッセイ集。①脳の血流を良くするべく歩くには、ある程度の速度が必要だが、無理をすると膝を痛める ②65歳で定年退職後は、月~木、各4時間の非常勤勤務。金曜日は蕎麦と酒 ③里でのヤマツツジの開花と山のタラの芽は時期がほぼ同じ。ヤマツツジの花が咲けば、タラの芽を採りに。
Posted by ブクログ
新聞の随筆欄に寄稿した文章を再推敲してまとめられたエッセイ本。
身の回りの出来事や思い出が淡々と、鮮明に綴られている。信州の田舎で非常勤医として暮らす筆者の生活が目に浮かぶようだった。
Posted by ブクログ
滋味深く、人間味にあふれた本
地味でも不器用でも良いんだと、否定することなく背をそっと押してくれる。モスグリーンの一冊。
□治る病気で死ぬのは喜劇ですよ
□小説には全体をおおう色がある
□騙りへの傾斜
Posted by ブクログ
ぽつぽつと寡作で地味な作家さんですが、新しい本を見つけると気になって読んでしまう。
今もお元気で非常勤の勤務医をされているようで、そんな日常の一コマや、医者と作家という二足の草鞋時代の体調を崩した苦しい思いの綴りだったり、もっとさかのぼって幼い頃に母親を亡くし、思春期時代の新しい家族との葛藤や進学に関することなど、もうすでに知っていることも含めて、生きているといろいろあるけれど、それを乗り越えると穏やかな日々もあると思わせてくれると、人の人生でしみじみ感じさせてもらった。
Posted by ブクログ
著者作品、お初。芥川賞作家さんだったのね、知らなかった。
新聞に連載していたエッセイをまとめたもの。2020年から2021年の秋ごろまでの連載なので、読む前にコロナ禍の当時の世相を活写した高村薫の『作家は時代の神経である』や、真山仁の『タイムズ』、あるいは庶民目線の山田詠美の『吉祥寺ドリーミン』的な内容を期待した。当時の振り返りになるかなと手に取ってみた。
が、思ったほど時代に寄り添った記述はなく、コロナについても隣家の延焼で自宅の改築が「コロナ禍で建材の手配が遅れた」とか、「長男も次男もコロナウィルスの流行の影響で結婚式を挙げられなかった」と、2か所程度か。
もっとも、小説家の前に医者でもある著者、「病院や自治体の要請に応じる新型コロナワクチンの接種や問診担当医であるのを優先し、小説は書いていない」と、なによりコロナ禍の影響は受けてはいた。それでも、その間に医療に従事していたという緊迫感もなく、『臨床の砦』の夏川草介と同じ長野県下での医療関係者の筆致とは思えない長閑さがある。
いずれにせよ、コロナの影響下、上記の「小説は書いていない」は、本書を通底するテーマにも関連する。
それは、如何に人生という山を下山するか、作家という仕事を終わらせるか、そんな終活年齢にさしかかった著者の人生観が随所に滲み出ていて興味深かった。
逆に、時代を超えて、いつでも読める内容になっているのかもしれない。
老境に入らんとする今も、日々健康に留意し、歩くことを自分に課し(血流を促すことがうつ病やボケ防止に繋がる)、信州の山村で千曲川沿いを元気に闊歩する。
また表題の「猫に教わる」の章でも、「生きのびるための智恵を身をもって子猫に教える母猫の姿」を見て、
“静かに逝きたいだと?
いま、この瞬間を懸命に生きる春の野生が、老いてしたたかになった身の傲慢さを浮き彫りにする。
微かに反省しつつ、ふたたび、ただ、歩く。“
と、自然からの教訓を得て、また人生の活力を見い出していく日常が力みなく描かれている。自然が豊かな地方での暮らし、樹々や野生の生物や山林から享受できるものは、けっして山菜や農作物といった物的なものだけでなく、精神的な恩恵も大きいのだと感じさせてくれた。
「放した鳥の行方なんて知らないよ。
できればそんな文章を書きたいのです。」
「いまは小説を書いていない」著者の、新たな作品に期待しよう。