あらすじ
「坂本さんよ、おまえさんは死んでしまったが、おれは生き残った」。坂本龍馬の「海援隊の思想」に影響され、三菱商会を創業した岩崎弥太郎。後藤象二郎、吉田東洋、ジョン万次郎、豊川良平、岩崎弥之助、石川七財、川田小一郎、そして、坂本龍馬… 師、ライバル、腹心たちを通して、岩崎弥太郎の企業哲学に迫る! 海援隊と三菱商会はなにが違ったのか? 巨大財閥の地盤はどうつくられたのか?
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Posted by ブクログ
岩崎弥太郎の変わらない意志の強さを感じた。一貫して「政治」ではなく「経済」で商売を興こそうとする意志だったことだ。生まれが学者一家、弥太郎は漢詩人だった所為もあるかもしれないが土佐勤王派の誘いに乗らず、自分のやるべき道(村民を助け、国民に潤い)を最後まで貫き巨大な三菱財閥を築いたことだ。当初より「世の中は全て人間関係だ」と悟り多くの出会いと政局の情報から事業を拡大させたことだ。その礎になったものは坂本龍馬の築いた「海援隊」であり、政治の世界に首を突っ込みすぎない体制で「新知識を持った知識人が社業の活性化を図る」人を生かし人材育成に励んだ事だろう。岩崎一家の家訓(特に斉家:自分の身を修める)
・人は天道に背かざること
・親たる者は常に子に苦労をかけざるやう心掛くべし
・他人の中傷を聞きて我が心を動かすべからず
・一家を大切に守るべし
・無病の時に油断すべからず
・富貴になりたりといえども貧しき時の心を忘るべからず
・人たる者は常に堪忍の心を失うべからず
Posted by ブクログ
「龍馬伝」で興味を持ったので読んでみました。
ドラマでは弥太郎と龍馬は幼なじみで常に弥太郎が龍馬を羨みそれをばねにして成長していったように描かれていますが、この本では龍馬が暗殺される年の1867年、長崎で初めて出会ったと書かれています。出会いは遅かったのですが、その後三菱商会を作るにあたって弥太郎は龍馬の海援隊を反面教師にしました。それは経済活動を政治と切り離すということでした。龍馬は切り離すことができずに政治に力を入れてしまったので、その後海援隊は失敗したのだと分析したようです。
弥太郎は版籍奉還前に藩札を大量に買い占めて利益を得たり、とにかく情報を一刻もはやく情報を手に入れて自分の会社に有利な手を打つことが上手い人だったようです。漢学者で知識があり人望も厚かったことが、激動の時代をうまく切り開いて渡っていくのに役立ったのでしょう。「圭角の人」と言われた弥太郎でしたが意外と誠実でまじめで家族を大事にする人でもあったようです。