【感想・ネタバレ】愛という名の支配(新潮文庫)のレビュー

あらすじ

どうして私はこんなに生きづらいんだろう。母から、男から、世間から受けてきた抑圧。苦しみから解放されたくて、闘いつづけているうちに、人生の半分が終わっていた。自分がラクになるために、腹の底からしぼりだしたもの――それが“私のフェミニズム”。自らの体験を語り、この社会を覆い尽くしている“構造としての女性差別”を解き明かす。すべての女性に勇気と希望を与える先駆的名著。(解説・山内マリコ)

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Posted by ブクログ

学術書でないからこそ伝わってくるものがありました
顔と名前しか知らず著書を初めて読みましたが、自分の頭の中にあるイメージのようなものを、どうしてそう認識しているのかを立ち止まって考えてみる必要性をあらためて感じました

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2024年04月02日

Posted by ブクログ

30年近い時の流れがあった筈なのに、まったく古さを感じないどころか、まさに今の世ではないのか、、?日本は前に進んでいないのか?と愕然とした。

著者が心身を削られ続けた実体験から苦しみもがいて深く考察し、様々な人間関係や経験を経て、あまりにも身近過ぎる母娘の問題を俯瞰できた時、フェミニズムの普遍的かつ根源的な考えと社会の構造の問題に至ったのは、驚きと共に感慨深い。

家族からの精神的な支配は、苦しく切なく絶望的だ。
子供はそこから逃げられないのだから。

この問題は、今も昔も、我々の足元にもあり、広く世界中にある。
虐待や暴力や差別は連鎖していくのか。
断ち切るには。

ガレー船の例えはとても秀逸だ。
音頭をとって洗脳してくる人、いる。

三倍働いて、何倍もの成果を上げたならと、やっとの思いで甲板によじ登って、やっと同じスタートラインに立てる、かに見えるそんな世の中で、その後も手を踏まれたり頭を押さえ付けられたり引き摺り下ろされたりする。
土俵に上がりさえすれば、同じ扱いをされるなんてのは幻想だ。スタートラインなぞ存在しない。
疲れ果てて、擦り減って、絶望する。
戦い続けるのは中々にしんどい。

もう同じ土俵で戦わず、船を降りるか、船を壊すか、全員でボイコットか、漕いで前に進む(資本を拡大させ続ける)以外のルールを、、、いい方策がないものかと現実逃避で夢想する。
(いや、船を降りて自由に泳ぐのは悪くないのだけど、問題解決はしていない。船のような環境が至る所にある限り逃がれられない。あと、他者が船の上で虐げられているのを遠目に見て見ぬフリをするのは無理なのだ。いつでもどこでも自分も同じ目に遭う可能性がありふれているから。)

退出するしかないのか。

しかし、それでも、何度でも甲板に上がって、数を増やして、声を上げ続けなければ。
ルールを変える為には、まずは現状のルールを超えていかねばならないのだろう。
独立国家を樹立せずに、共生する限りは。

疲れるし、疲れた、もう嫌だ、、、、
それでも、やっぱり自立して、戦おう。何度でも。
世の中を変えたい。次の世代のために。
多くの先人が勝ち取ってきてくれたものをもっと良くしたい。
私は好きな方角へ進みたい。
皆が好きな方角に進んでほしい。
そういう世にするために、まずは力を合わせたい。
そう、全員が同じ方角を目指さなくてよい。
と思えた読後。

優しく鼓舞してくれる大先輩の愛に触れられる本だった。

また、後半に語られる、これまでの日本のフェミニズムは別の思想に組み込まれて語られてきてしまったという指摘は興味深かった。
私もフェミニズムはシンプルな人権思想でよいと思う。
他の問題が合わさると、問題の本質がぼやけてしまう。

著者のあとがきで、タイトルをどちらにするか迷われたという、もう一方のタイトル案は、まさしくこの世に蔓延る呪いであり、明確な支配だ。
ゾッとするし、耳から離れない。
力強く払い退けられる腕力と、軽々と逃げられる脚力と、流されてしまわずに「世の中を変えるのだ」という強い意志を持ち続けたい。

「小さく小さく女になあれ」

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2023年04月10日

Posted by ブクログ

フェミニズム入門にぴったりの一冊。フェミニズムに合わせて窮屈に生きるのではなく、自由に生きる術としてフェミニズムを使いなさい、と書いてあり、心強い。

30年ほど前に書かれたものなのに全く古びてない。それだけ文化の中にある差別が変わってないということなのだけど、これから自分由来でないしんどさに出合ったとき、お守りとしてくり返し読みたい。

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2023年03月27日

Posted by ブクログ

田嶋氏の思い出を通してこの国の女性の在り方について綴られた所では、気持ちが憂鬱になり過ぎてどうしようかと思いました。でも後半の部分で色々な選択が可能な社会に、この国も少しずつ変わって来ているとのメッセージがあり少し救われた気持ちになりました。家事は家族全員でやっていきたいと思います。

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2021年12月05日

Posted by ブクログ

これ、ほんとに30年前に書かれたの??
冒頭から、この話最近の〇〇さんの本人にもあった!のオンパレードで、言葉はわかりやすく辛辣で、読んでいてゾゾ〜っとなった。この社会の構造はあまりにも根深い。

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2021年10月29日

Posted by ブクログ

とてもいびつなイメージのあった田嶋陽子先生だったが、
これを読んで、う~んと唸ってしまった。
書いてあることが、いちいち思い当たる。
一番頷いたのが次の部分。

「抑圧されていると、
自分が腹の底でなにを感じているのか
わからなくなってしまいます。
自分の気持ちがつかめません。」

そうなんだよね~
私もずっと何が好きなのか、全然わからなかった。
優等生にはなれても、好きな事が分からない不幸。
って、不幸だったことも分からなかったけれど。

親の影響とか、社会の暗黙の了解とか
そんなもので、無意識に自分が自分を縛っている
分かっても、なかなかほどけないのが辛い。

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2021年08月04日

Posted by ブクログ

素晴らしいですね。愛情という美しい言葉で束縛されるということ。誰も他人を支配していい理由なんてないのに。

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2021年04月06日

Posted by ブクログ

去年だったかVogueで田嶋さんのインタビューを読み、遅まきながら著書を読んでみました。元は1992年出版なので、メインとして語られているのは自分の母あたりの「主婦ドレイ」の話なのだが、女性の不払い労働を基本に成り立っているという社会への批判は引き続き有効だなあと思わざるを得ない。

そんな中で、家事や子育てをしている自分が嫌になり、ちょっと暗い気持ちになってくる。「女性が輝く」だの「少子化を食い止める」のも、結局は男性に都合のいい社会を作るためのスローガンじゃないかと思えてくるし、そんな社会を長続きさせるためなら、いっそこのまま少子化が進んで人間なんて絶滅してもいいんじゃないかと。そんなラディカルに考えなくてもと言われそうだが。

ちなみにこの文庫本には2019年現在の山内マリコさんという方の後書きがあるのだが、私が田嶋さんに抱いていたイメージ(タケシの番組で男性陣と対等に議論するも、なんだか悪役キャラで終わる)をずばり言い当ててくれている。また今回著書を読んで、やっと田嶋さんの生い立ちや主張を知れてすっかりファンになった点も同じ。

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2021年02月13日

Posted by ブクログ

首の鎖が長いか短いかの自由しか女には許されていない。
男らしさにあって女らしさにないもの、それは自分らしさ。

この本は、フェミニズムという言葉に引いてしまう人や、
田嶋陽子を男相手に怒ってるおばさんという誤ったイメージを持っている人、
自己啓発中の人、
そしてとにかく男女問わず若い人に読んでほしい!!

田嶋陽子さんがこの本を書いたのは30年前だけど、
今も日本はたいして変わっていない。残念ながら。

自分らしさと女らしさの狭間で嫌になったり
女だからと我慢したり、言えなかったりやれなかったりしたこと、やりたくないのにやったことがたくさんある。
なのでこの本は読んでいて辛くもあり、そうなんだよって納得しまくったり、やり場のない怒りを感じたり、すごく忙しかったけど、読んで良かった。
何なら20年前に出会いたかった。

私ができることはわずかなので、
自分らしく生きる(そうしてるつもりだけど)。
女らしさとか母親だから~とかに惑わされない!
そして自分の家庭には軍隊構造を持ち込ませない!!
娘にも息子にも、自分らしく楽しく生きる姿を見せたい!!

読んでいて書きたいことが溢れて収拾がつかないのでこの辺で終わり。

男性はこの本を読んで何を思うんだろう?そもそも手にとるのかな?

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2020年08月02日

Posted by ブクログ

1992年に書かれた本、今でも全然話が通じちゃうから、いかに社会がジェンダーの観点で変わってないかよくわかる。読んでて新しい発見もあったりして、私もこの社会のよくわからん価値観に染まってるんだなぁと改めて思ったり。
読んでて、出てくる内容と、私の家の典型的な家父長制、家事労働をやらされる奴隷として存在する母、がぴったり当てはまっちゃうもんだから、深くうなずきながらページをめくりました。今はできないけど、いずれ自分の足かせを外すためにも、ちゃんとそんな家族にも向き合わなくちゃいけないんだろうなと考えました。
まぁとりあえず、私は私の人生を生きるし、母にもちゃんと自分の人生を生きてほしいと思うのでした。

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2020年06月19日

Posted by ブクログ

ネタバレ

「男らしさ」にあって、「女らしさ」にないもの、それは「自分」です。学生が言っていました。男の学生は、「男らしさ」と「自分らしさ」が重なると。女の学生は、「女らしさ」を生きることと「自分らしさ」を生きることが重ならないと。

なぜ、思春期の女の子に、わざわざそんな無防備な服装をさせるのか。しかも、未来にそなえて活発に活動しなければならないそんな時期に、それだけ危険なことも多い時期に、なぜ、「動きやすいように、また、からだを守るためにも、ズボンをはきなさい」ということにならないのでしょうか。

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2020年03月29日

Posted by ブクログ

ネタバレ

文庫の初版が平成元年みたい(多分)だから、だいぶ古い本です。この頃現代作家のフェミニズム文学や、男性が書いた新しいフェミニズム系エッセイをだいぶ読んだので、これを読むことでフェミニズムの原点みたいなものを理解できました。
田嶋陽子さんが訴えたのは、私の母親くらいの、団塊世代の主婦たちが、夫や社会の男たちにそうとは自覚せぬままに支配され、女だからという理由で手足をもぎとられ、家内ドレイになっていることに気づくべきだ、ということ。私はその子どもの世代なので、団塊世代の女性たちがいかに家事育児といった家庭内の無償労働を強制されてきたかよくわかる。時代が変わっていく中で、彼女たちは「本当は私も社会で活躍したい。自由になりたい。女に生まれなかったら、こんな思いをせずに済んだのに。」と思いながら、良妻賢母であることを求められ、なにせ自分たちが団塊世代で競争が激しかったから、子どもたちは競争に勝ち抜かせたいと、教育に熱心にならざるを得なかった。
私はそんな母の影響を大いに受けて育った。私の母は主婦として家事をこなしながら、常に正社員として働いていた。それでも給料は安く、どんなに頑張っても男性の補助的な仕事しかできなかったので、私と姉には、男性と対等に働ける仕事に就きなさい、とずっと言い続けた。母は、どんなに給料が安く、パートの方が時給が良いように見えても、長期的に見て正社員の方が良いと判断し、正社員として就職することにこだわっていた。夫婦仲は悪くなかったが、経済的に夫に依存せざるを得ないことをよく嘆いていた。

田嶋陽子さんは、「女に生まれて損した」と思ったことがない女性は、社会に根強くはびこっている構造的な差別に気づいていない。と言う。制度を作っている男性が、女性が活躍できないように(意識的にせよ無意識的にせよ)しているのだから、奴隷船の甲板の下で無償労働(オールをこぐこと)をさせられている女性が、甲板の上に上がるべきだ。男女雇用機会均等法などで、女性が活躍できる世の中に変わりつつあるが、まだ今は、女性が甲板の下で無償労働をこなしながら、ときどき甲板の上に上がって男性と対等に働くことが許された段階に過ぎない。女性は男性の何倍も頑張らないといけない状況だ。
↑この比喩は、私にはとてもよく分かる。
私自身は、母が望む通り、男女平等の仕事に就いて長く頑張ってきた。しかし、甲板の下でも一生懸命にオールをこいできたし、今も漕いでいる。そしてオールを漕げなくなったとき、なぜか罪悪感を感じなければならない。家庭の中で、妻であり母である女性が、家事も育児も完璧にこなすことが当たり前だという社会の風潮はなくなってはいないからだ。
しかし、社会が変わってきた恩恵はずいぶんと受けた。育児休業もたっぷりと取らせてもらったし、休業中の保障も十分だったと思う。(育児休業を延長した場合の社会保険料を自己負担せずにすんだのが大きかった)。短時間勤務も利用したし、保育料も途中から無料になった。かつて、先輩たちは仕事を手放さない代わりに、働いた給料のほとんどを保育料に持って行かれていたらしい。
田嶋陽子さんのような女性が、結婚も出産もしない人生を選び、闘って社会を変えてきたからこそ、私は結婚も出産も仕事も…と欲張って生きることができた。

しかし社会はまだまだ変わる余地があると思う。私は職場では女性だから損をすると感じることはあまりないが、子育てをしているとオカシイと思うことが多々ある。小学校のPTAを支えるのは99%お母さん。授業参観やイベントにはお父さんがたくさん来るようになったのに、彼らは下働きはしない。今はお母さんたちもほとんどの人が働いているだろうから、学童保育に入れないのではないか?と心配したらそんなことはなく、小学校1、2年生のお母さんの多くは、小学校が終わる3時前には家にいるような仕事を選び、子育てを優先させている。子どもが自立したあと仕事を再開しようとしたときは、非正規雇用がほとんどだ。そして彼女たちはそれを損したと思っていない。母親なのだから当たり前だ、と考えたり、仕事を続けられなかった自分を責めたりする。
この社会構造を、今の若い人たちが甘んじて受け入れないでほしい。ちょっと、最近のアイドルやアニメの文化が、多様性が浸透してきた一方で、女性はやっぱり胸が大きくて目が大きくて髪が長くてさらさらで、可愛いのが一番!みたいになっているから、なんか逆行しているようで嫌だ。それがラクだからと、女性性を武器にして生き延びようとしないでほしい。

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2025年08月23日

Posted by ブクログ

― 子どものころ耳にした、「どうしてお母さんだけが、朝昼晩、茶碗のおしり、なでていなきゃならないの」とか、「ハンコひとつで殺される」とか、そういった母のことばは私の心にグサーッと突きささっていて、それはそのまま、私が成長するにしたがって痛みを実感させられることになる世界につながっていきました。

感的に田島陽子を毛嫌いする人は性格の悪い人であるという、人間観察のバロメーターみたいに考えていた時期があった。私だけわかっているという勘違いした自己特別視である事は否定しないが、価値観の転換に対する拒絶やキャラクターとしての田島陽子のディスり易さに乗っかった「浅い奴」として感じていたからだ。

その価値観は随分変わり、フェミニストとして未だに揶揄される部分は残るが、女性に対する差別とは具体的にどういうものか、企業におけるハラスメントやコンプライアンスという観点でも明確に定義され声を上げやすくなってきている。家庭における男女の在り方はまだまだ課題だし、社会においても完全に平等とはいかないが、時代は変わってきていると言えるのではなかろうか。勿論、まだまだ、おっさん集団が決めていくおっさん世界はそこかしこに残ってもいるが。

― 「男らしさ」「女らしさ」は男と女が二人で一セットになることを想定してつくられた期待像です。男の側からつくられた社会規範ですから男の人により有利なようにつくられています。「女らしさ」のマイナス・イメージは、女が「女らしく」なることで健全な人間性が抑圧された結果、生まれる行動や気持ちのもち方です。「女らしく」生きることは成長に歯止めをかけることです。一方、「男らしさ」のマイナス・イメージは、ここにあげたものを見ただけでもよくわかりますが、話し合いよりも力を好み、戦争をよしとし、戦争をひき起こす資質でもあります。

― 女にしかできないこと、すなわち、「母性」でやれることをしようというのは、逆から言えば、みずから自分に足枷をはめることであり、そうして自分の世界を狭めることで男の領域をおかさないよう、男に憎まれないよう、社会を刺激しないよう努めてきたということです。気持ちはわかります。男社会に盾突くのはとてもこわいですからね。「母性」で生きていれば、この男社会はぜったいに許してくれるし、慕ってくれます。男たちは、「母性」だけで生きる女たちをバカにし蔑視しながらも、重んじてもくれました。ですから、女はそういう状況を手ばなさないで、なんとか「母性」を前面にかかげたまま、解放されたいと思ってきたのです。けれども、それはちょうど、鎖を断ち切りもしないで、自由になったと飛びまわろうとして、足をとられて前につんのめってしまうのとおなじで、少しも状況の改革にはつながりません。女が「母性」に固執するかぎり、それは女みずから自分の能力を限定することになります。それでは女はいつまでも自由にはなれないということです。

最後の話はとても重要な問題提起だ。「母性」という身体性を切り離して解放されなければ、単身赴任も残業も、女性には難しい。しかし、子供が求めるのは、通常は父ではなく母である。ダブルインカムで転勤を拒む女性総合職は特権階級にも見えるが、これを知った上で、母子や夫婦を切り離して転勤させるのは暴力的な人事に見える。こういう個別ケースを解決しないと、出産を分担として生得的に負う女性性に対する社会分業の平等化は進まない。子を産まぬ事でおっさん社会のルールに対抗するしかないのだ。そろそろ、出産を含む生理機能を完全に外部化する、という方向性もなくはなさそうだが。

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2025年04月09日

Posted by ブクログ

フェミニズムにずっと関わってきた田嶋氏の30年前の著作.その時から今まで声を上げ続けていたにもかかわらず,ほとんど変わらないこの現実に愕然とした.
書かれていることは本当に当たり前のこと.同じ人として生きることがこんなに難しいなんて.

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2021年05月11日

Posted by ブクログ

評価:3と4の間くらい

今でこそフェミニズムの流れになってきているもののまだまだだな発展途上だなと感じる今日この頃。
田嶋陽子さんの時代なんて、今よりも
女はこうあるべき論が振りかざされてた時代だったはずなのに、その世に良い意味で流されず逆行して自分らしさを確立してる姿はかっこいい。

特に、女性は差別されてることすら気づいていない
っていう文面があって、そうかも…とも思った。
もはや当たり前すぎて遺伝子レベルで組み込まれてるんじゃないかくらいで、でも恐ろしいなと思った。そういう潜在意識がある限り、男性が牛耳る世の中からは変えれない。

あと、母と子の目線でも共感できる部分が多かった。
例えば、
母に対して意見をするとき、まず涙ぐんでしまう。先に感情が出てきてしまってものが言えなくなる。それはうまくいかないときの恋人との関係に似ている。

あとがきでもあったが、この本がすごいのは、
わかる人だけにわかればいいというスタンスではなくて、むしろ 差別されてるなんて思いたくはなくて、差別されてることを気づかないフリしている、すべての女性に向けられているところ。
まず、痛みを伴うけど知ること、でも向き合うことで自信をつけてラクに生きていいよ という応援メッセージもでもある気がする

ビシバシ言うけど、女性の1番の味方 という感じが本から伝わってくる。


メモ

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2020年09月22日

Posted by ブクログ

諭し、語りかけてくれるような文体なのに内容はズバズバとしかしわかりすぎて、最近の本かと思ったら1992年刊行の本で、エッ日本…時計壊れてんな…というそのネジを回していくのは間違いなくわたしたちの世代なのでしょうね。
結びのエールに田嶋先生の優しさが全て詰まっていた。

わたしも少女時代は田嶋さんのことを声の大きい人だな…なんでそんな言わなくてもいいことをわざわざ言うんだろう…と苦手意識を持っていたものだけど、この本を読んでその誤解というか過去のイメージが雲が晴れるがごとく変わった。
この人は「そんなの聞きたくない人」のためにずっと語っていたんだ。

この本のいいところはあくまで田嶋さんの経験から培われたフェミニズム、ただ「私が楽になるための」フェミニズムであったこと。それは学識がなくてもなめらかに頭に入ってくる。わかりやすくて、すっと受け入れられる。
エトセトラブックスvol.2と合わせて読むとなお充実した田嶋陽子ワールドに浸れる。

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2019年12月26日

Posted by ブクログ

田嶋陽子さんというと、どうしても「ビートたけしのTVタックル」でのお姿が浮かぶ。フェミニストでいらっしゃるけど「モテない女のヒガミだ(プロローグより)」という、たたかれ役をコミカルに受けているタレントさんだと。

本屋でこの新潮文庫を見つけたとき、失礼ながら「本もお書きになっているんだ」
ま、大学教授でいらしたし、著書のあるのは当然なのですけど。30年前初発行の本なのに古びていない「ヒガミ」なもんですか!ほんとにまじめな本でございました。

わたくし『愛という名の支配』のタイトルに惹かれました。いま「介護のタダ働き」になりかかっていて「どうしたらいいのか」と悩んでおりますので、つまり「夫婦という名の当たり前のタダ働き」(笑)

嶋田さんは女と男の関係(夫婦の関係)を、奴隷船(ガレー船)の船底にいる舟こぎ手と、甲板上の王侯貴族にたとえたて、わかりやすく説明しています。夫婦においては家事のタダ働きを(内助の功とかいうやつ)許しておいては、問題解決しないと。

でもぶっちゃけて言うと、なぜ日本の男性(特に昭和生まれ)は細々した生活一般(掃除、洗濯、料理、整理整頓・・・)が出来ないのだろう?という疑問に答えるのがフェミニズムの考えかもしれないとわたしは思いました。そうしつけられていなくても済む世界だったから、その方が得だったから、だからいつまでもバレないでほしかったと。

令和の世になり、社会的にいろいろの法律(機会均等・育児休業・・・)も出来てきてはいますし、うちの息子のようにひとりてちゃんとやっている男性もたくさんいます。特に若い世代はそうですね。

嶋田さんはわたくしと同じ歳、道理で昭和男のだらしなさををよくご存じで(笑)
しかし、日本の古い男の問題意識のなさだけではありません。まだまだ世界的にみると仕組みは変わっていませんね。

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2019年11月24日

Posted by ブクログ

本格的なフェミニズムの本を読むのは初めてかもしれない。
女の自分からしてもちょっとそれは言い過ぎじゃない?って感じの部分もあったけど(経験による個人差はあると思う)、今よりも昔の女性はずっと辛い思いをしてきただろうし、こうして声を上げてきた先人たちのおかげで少しずつでも確実に社会の風潮、考え方というのは変わってきていると感じる。
みんなそれぞれに苦しみを抱える社会の構造、制度に問題があるのであって、属性や個人を攻撃したいわけではない。

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2025年02月26日

Posted by ブクログ

「そこまで言って委員会」でおじさま達に噛みついていた強い女性の印象しかなかった田嶋陽子さん。
確かにこの本を読むと、彼女の強い主張に圧倒される。そこまで?極端すぎない?って思いながら読み進めたが読み終える頃には、なるほどなと感じた。
第四章ペニスなしでどこまで人を愛せるかで述べられた恋愛論には共感した。
この本は1992年に書かれた本で、読んでいて古いと感じるところもあったが、充分、現在にもそうであるべきと感じるところが大部分である。1992年には「このオバさん何言ってるんだ!」って思う人が多かったかもしれない。でも現在は共感する人の方が多いかも。それだけ時代は進んだのかな?まだまだか。
2005年版のあとがきにご本人も10年後に読んだ人が…と書かれていた。
まだまだ女性は住みやすい社会の実現途中の様な気がしますが、確実に進んでますね。
今の田嶋さんの考えも知りたいですね。

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2024年11月25日

Posted by ブクログ

ネタバレ

昨今のフェミニズムの流れで復刻版が出た田嶋陽子の著書。
特に母と娘の関係性の方が父と娘よりもフェミニズムで説明できることが多い、というのも昨今の流れ。
すごいのは、その主張を30年前に上梓してたということ。
今読んでも、全く古さを感じない。

一方で、彼女がよくテレビに出ていた時代から考えると女性の状況はあまり変わらないけど、男性の、特に若い男性たちの意識は少しずつ変わっている気がする。
ジェンダーギャップ指数は相変わらず低いけど、それでも前には進んでいる、多分。

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2021年07月25日

Posted by ブクログ

久々に田嶋陽子の名を見聞きした気がした。1990年代はけっこうテレビやメディアで見聞きすることが多かったけど。この本も90年代に出版されたものの二度目の文庫化。
上野千鶴子は何冊か読んでは腑に落ちるようなすごさを感じていたけど、ある意味90年代のフェミニズムの双璧の一方ともいえる田嶋陽子の本を読むのは初めて。この本は論というよりはエッセイで、もしかしたら聞き書き形式でライターが文章にしたのかなという感じもするくらい、しゃべっているのを聞いているような感じで読める。そのぶん読みやすい一方でまとまりに欠けるかな。
書題は、母との関係や男性との関係を取り混ぜてのことだと思う。読んでみると、田嶋陽子さんのフェミニズムって深く自分自身に根ざしている感じがした。つまり、世の女性たちのためでももちろんあるんだけど、自分がもがいていたなかで楽になれたのがフェミニズムのものの見方でそれを頼りにし研究もしていたということかと。それで愛という名の支配から逃れることができたから、今はフェミニズム関連の発言は控えめになってシャンソン歌ったりしているのかなと。

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2020年01月08日

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