あらすじ
一地方官の娘として育った作者が,父につれられ京へ上る時の紀行から始まり,『源氏物語』を手にして「后の位も何にかはせむ」と,几帳の蔭で読み耽った夢みがちの少女時代,そして恋愛,結婚,夫との死別,五十代の侘しい一人住いを綴って日記は終る.平安時代が次第に翳りをおびてくる,そうした社会に生きた一人の女性の記録.※この電子書籍は「固定レイアウト型」で作成されており,タブレットなど大きなディスプレイを備えた端末で読むことに適しています.また,文字だけを拡大すること,文字列のハイライト,検索,辞書の参照,引用などの機能は使用できません.
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Posted by ブクログ
菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)作。康平3年(1060年頃)成立とされる。高校古文の教科書で読んだ覚えのあるような、等身大の薬師仏を作ってこっそり祈る、あの作品です。
どこかのファスト教養系書籍にて「源氏物語が読みたくてたまらない女子の推し活日記☆」みたいな感じで紹介されているのを見たことがありますが、そんな謳い文句で『更級日記』という作品を表現しようとは、いささか言葉が浅すぎるのではないでしょうか。
「あづまぢの道のはてよりも、猶おくつかたに生ひいでたる人…」という冒頭文から始まり、序盤では上総(今の千葉県)から京へと移り住むまでの旅が描かれます。約90日にもわたる長い旅路のはずですが、その描写は意外なほど淡白で、京に着くやいなや叔母から『源氏物語』全54帖をすんなり入手してしまいます。
「好きな物に囲まれて過ごすだけの人生って幸せ!」という作者の気持ちは、現代人にも通じるものがあるかもしれません。まして、本を好きなだけ集めて、好きなだけ読んで人生を過ごしたいと考えている愛書家にとっては、共感できる部分も多いでしょう。
『源氏物語』全巻を手に入れて家へ帰る場面で描かれる、作者の「はしるはしる(胸がドキドキ)」という感情は、まるで古本屋で掘り出し物を大量に見つけて購入し、ウキウキしながら家へ持ち帰る、あの気持ちと完全に一致します。
……と、ここまで読んだだけでは、たしかにただの推し活日記かもしれません。しかし、更級日記の本意はここからです。主人公の身には乳母の死、実家の火事(愛猫の死)、姉の死などと不幸が重なり、あれだけ熱中していた物語への熱も、いつの間にか冷めていってしまいます。
光源氏のような強者男性に憧れていた気持ちもやうやう薄れ、気づけば成り行きの相手と結婚することになっていました。生活に不自由はないものの、どこか退屈な人生です。夫の不在時には素敵な男性と出会って心が揺れたりもしますが、結局は自分とは縁遠い存在だったりします。
年を重ね、神仏への信仰に心が傾くようになってからは、子どもの頃にただ華やかな物語へ憧れ、仏の教えをおろそかにしていたことが、しみじみと悔やまれるようになります。思い描いていた華やかな暮らしとは裏腹に、毎日はただ淡々と過ぎていきます。あれ、私の人生って一体何だったんだろう……。
『更級日記』は、そんな夢想ばかり抱いていた若き日の自分を振り返り、その勘違いを反省する作品だと言えるでしょう。ですから、推し活日記というよりは、人生を清算する終活日記に近い作品だと私は思います。
作品には夫の死までが描かれていますが、ラストは「泣いて過ごすだけの日々です」とでも言わんばかりの形で終わってしまいます。なんというか、読後の無常感が半端ではありません。目を輝かせて京へ“推し活遠征”した夢見る少女の姿から始まった物語が、まさかこのような結末を迎えるとは。人の一生とは、なんと儚いものなのでしょうか。
中盤に登場する「鏡を奉納した話」で伏線が張られ、晩年の記において「泣きながら映った影こそ、この時の私のものだった」とそれが回収される場面は、かなり鳥肌ものです。題名『更級日記』の由来も終盤でほのめかされますが、このあたりは読んでいてかなり胸が締め付けられます。
ともかく、女流作家の作品ということもあって、中古文学の中でも比較的取っ付きやすく、読みやすい作品です。結末こそもの悲しいですが、せめて京へ向かう旅の部分だけでも読んで、序盤のときめきはぜひ味わっていただきたいと思います。
比較的文量も少なく(岩波文庫版で本文70ページほど)、通読するのもそれほど苦ではありません。1000年近く前に書かれた作品ですが、間違いなく現代人の心をもぐっと掴む一冊でしょう。おすすめの古典、その1です。
Posted by ブクログ
当たり前だが、受験のために古典に触れるのと純粋に古典を楽しむのでは、作品に対する印象が異なる。入試を突破するために古文の勉強をするとなれば、文章は問題として映るわけで、おのずから内容を楽しむという気持ちは失せ、問題が求める答えを提示するために勉強していくことになる。
私も何年か前はそうだったわけだが、意味を完全に理解できなくても古典を素読し、やまと言葉の美しさを堪能することを趣味にしている友人の影響を受けるようになってからは、現代語訳に頼らず古文の醸し出す空気を純粋に楽しみたいと思うようになった。そうして今になってせっせと岩波文庫の黄帯を集めているわけだが、大変と思いつつもやはり楽しく、空虚な心が満たされていくように感じている。歳をとってくると、より自分が日本人であることが自覚されてくるからかもしれない。
古典の中でも、私の好みは優美な宮の世界ではなく、もっと泥臭いところにあったのだが、上述した理由から上古の文章をじっくり眺めてみたいと思い、受験勉強でしか触れてこなかった『更級日記』を読んでみることにした。私はそもそも文法や古典作品の扱いに詳しいわけではないので、岩波文庫の校注について批評することはできない。だから限られた知識でもって読み、抱いた感想をここに綴っていきたいと思う。
鄙びた地に生まれ育ち、父親の任地が変わるのを機に京に向かうこととなった書き手が、幼い頃から老いるまでに見た印象的な風景や場面を、自らの心情吐露と共に書き記したのが本書なわけだが、まず印象付けられるのが清廉とした風景描写だ。青く爽やかな山々の風景、山中、夜の闇の中、遊女の美しい声によって紡がれ響き渡る優雅な歌、庭に降り積もった白く優しく照りはえる雪、こういった趣深い場面が理想的かつ清らかに記されている。既に高齢であった貴族の女性の手としては幼く感じられる描写態度ではあるが、その幼さに菅原高標女の文学の素養が上手く混じり合い、唯一無二の世界が形成されている。田山花袋の紀行文を読んだことがある人なら、同じエッセンスを感じとるかもしれない。まあ、彼は平安文学から影響を受けたわけでもないので、私のこの指摘は的外れだと思う人が大半であろう。
清廉な自然描写と対比されるのが、彼女の身を取り囲む不幸の数々だ。幼き身で東国から知らぬ土地へ、粗末な仮小屋で夜を明かしながら向かう過酷な旅、乳母の死、火事、大切にしていた猫の死、そして幼き子を残して死んだ姉、出家して自邸の中でも家族と離れて暮らすようになった母親…。宮仕えをするようになったが家の事情で自邸に籠ることとなり、好きでもない男と婚姻を結ぶこととなり、その夫も死を迎える。幼少期から環境に振り回され、多くの死と別れを経験し、願望も叶えられなかった一人の女性の心にあったのは、仏事すら行わず没頭して読み耽った『源氏物語』の主人公、光源氏だった。
悲しみと無常の中に佇んでいた彼女が生きていくためにすがったのが、光源氏という一つの理想郷だった。多感な手弱女であった彼女は、現代の人々もそうするように、夢の中に希望を見出さなければ生きていくことができなかったのだ。「光る源氏ばかりの人は、この世におはしけりやは。」と現実を認識し、物語に浸ることもなくなった時期もあったが、その筆致から幼さと理想や過去の美しい風景を思う心が抜けることはなかった。子供のような願望、大人の感性と教養、混じり合うことのなさそうな二つの要素が、彼女の文才によってゆるやかに溶け合い、か細くあはれな世界が形作られている。よもや上古の文学がこれほどまでに美しいものだとは思わなかった。
改めて思うが、やはり古典は知識がなくとも原文を読むべきだ。他者のフィルターを通してしまってはもったいない。媒介者がどんなに優秀な翻訳者だったとしても、この美しさは確実に薄められてしまう。川のせせらぎのように流麗な文字の美しさをまず体感し、いにしえの香りを脳に焼き付けてから現代語訳を読んでも遅くはないと思う。まずは、得体の知れない感動を手にすべきなのだ。そこから、全ての道は始まる。
自分自身に言い聞かせ、私は今日も古典を読む。道の先に何があるかはわからない。しかしこの感動を胸に抱いていれば、何も恐れることはないはずだ。古代人達の叡智、感受性、視点、全てを受け止めてやると意気込みながら、この道を歩いていきたいと思う。
Posted by ブクログ
少女の見る、美しくも哀れな世界。
少女は、姫君の生まれ変わりたる猫と遊ぶ。
少女の姉は月明かりの夜更け、縁に出でて、「ただ今ゆくえなく飛び失せなばいかが思うべき」と問う。
翌年猫の姫君は火事で死に、姉も子を産みて死ぬ。
Posted by ブクログ
高校の時に授業で習ってから興味を持っていた古典です。筆者が「源氏物語読みたい読みたい!」と言っていたり嬉しさのあまり「皇后の位なんてどうでもいい」と言っているシーンは1000年経っても人間は変わらないんだなあと思えてきます。完全に理解はできませんでしたが、読んでよかったです。
Posted by ブクログ
私が、2つ目に通読した文語文学(始めて通読したのは土佐日記)。
源氏物語の世界に憧れ、上京(もちろん東京じゃなくて京都!)を望む少女時代は、
NHKの連続テレビ小説で描かれる現代っ子の心理にも通じる。
姉が月を眺めながら「私が今死んでしまったら.....」と話すシーンが、なぜか印象に残っている。