あらすじ
昭和の終わり、南河内に暮らす一族の娘に縁談が持ち上がる。女性は25歳までにと見合い結婚する者も多い時代。本人の考えを他所に、結納金や世間体を巡り親戚中の思惑が忙しくぶつかり合う。その喧噪を、分家に暮らす4歳の奈々子はじっと見つめていた――「家」がもたらす奇妙なせめぎ合いを豊かに描き、新人らしからぬ力量と選委員が絶賛、三島由紀夫賞&新潮新人賞ダブル受賞のデビュー作。(解説・町田康)
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Posted by ブクログ
よかった。
4歳の幼児を視点人物にしているが、その記述は三十数年後に回想しながら行っている。
ために、当時は見えなかったあれこれを分析する冷静さと、当時見えた世界の豊饒さと冷酷さとが、混じって融合して。
文体がいい。
インタビューによれば文体について、作者は石牟礼道子「椿の海の記」からの影響を語っているが、題材からはどうしたって中上健次を思い出さざるを得ない。
土地や口調からも。
どうなんだろうか。
しかも、少女の見た世界、という視点設定ではあっても、実際は母久美子の強烈さが、裏テーマ。
となると、中上健次の「鳳仙花」のような今後が想像される。
ネットで知っただけだが、実際、次作「骨を撫でる」はそんな感じらしい。
解説の町田康の分析も的確で、母久美子の〈自分も家も諦められない〉中間の辛さ。
また彼のいう〈合理的な狂態〉って、なるほど文芸作品におけるその括り方って、確かにあるよな。
個人的には、年齢的にはちょっと違うが、マッカラーズ「結婚式のメンバー」や野溝七生子「山梔」のような不幸な少女の系列に加えたい。(その大元はひょっとしたら、ルナール「にんじん」とか? 少年だけど)
いかれころ、は、クレイジーな時期、ではなく、踏んだり蹴ったり、という河内弁らしいが、どっちの意味でもよさそう。
p47〈遠くにある山の連なりは、久美子が時折作るパイのふちのようだった。〉
p68〈女という言葉にも黒い影がついて回るのに私は気づきかけていた。〉
p83〈結婚と自殺は幼児の頭の中で一緒くたになった。〉
p93〈久美子やシズヲが言う言葉は呪いのように私にしみついていた〉
p96〈久美子はわけのわからない矛盾の嵐だった。もっと後の時代になれば気分障害だとか病名がつくくらいの危機的な状態にいた。〉〈嵐のすべてが私の体に流れ込んできて、身動きできない真綿の海であっぷあっぷした。母を幸せにしたい。〉
p113〈割った詩の心は半分以上久美子に支配されていたけれど、残りのぶんは私のものだった。そこには志保子や美鶴、末松にシズヲ、お墓でしか会えない一族の血が流れていて、私を久美子だけのものにさせなかった。〉
p125〈それが志保子の「お宝一式」の全部だった。〉
p138〈「ほんま私は、いかれころや」〉
p139〈何度心の中で「いかれころ」と唱えたかわからない。確かに、卑下ではなかった。してやられた風を装い、反骨精神を奮い立たせて、災厄に対抗するために、やせ我慢をして鼻で笑い飛ばした。〉
Posted by ブクログ
幼女の頃の記憶を回想し、家族・一族の歪みや窮屈さをとらえる構図。家族とは何か問われる今の時代らしいテーマだと思う。
大人は子供を半人前と考えて子供の前で油断してさまざまなことを晒し、それを子供は繊細な感覚で正確に捉えている。
子供を主人公とする作品は、子供が観察者として最適だからなのかと思わさせられた。言葉にしないだけで子供はたくさんの情報を頭に抱えている。
心の移ろいよりも情景の描写が多く、言葉にせずとも様々なものを感じさせる。また、全体の不気味さや暗さに胸が詰まると思えば、草花の描写が美しくそのバランスが素晴らしかった。静かな作品ながら、するすると読ませる力がある。
志保子のカゴの中身がわかるシーン、最後のシーンは特に秀逸。