あらすじ
播磨の悪党の首魁には大きすぎる夢だった。おのが手で天下を決したい――楠木正成と出会った日から、大望が胸に宿った。軍資金を蓄え兵を鍛えて時を待ち、遂に兵を挙げた。目指すは京。倒幕を掲げた播磨の義軍は一路六波羅へと攻め上る。寡兵を率いて敗北を知らず、建武騒乱の行方を決した赤松円心則村の生涯を通じ人の生き方を問う感動巨篇。
第一章 遠い時
第二章 意 地
第三章 妖霊星
第四章 決 起
第五章 原野の風
第六章 遠き六波羅
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Posted by ブクログ
所謂「『太平記』の時代」(=鎌倉幕府末期から建武新政、南北朝時代となる14世紀)に題材を求めた時代モノの小説である。
題名だが、「末裔」という語の「裔」の字を「すえ」と読ませる。『悪党の裔』で「あくとうのすえ」だ。
本作の主人公ということになるのは赤松円心という人物である。
“赤松”という姓は、室町時代の歴史に登場する例を比較的頻繁に見掛ける。播磨国、現在の兵庫県の南西側に相当する姫路城が在る街等が知られる辺りとなり、現在でも「播州」と地名に関せられる場所が見受けられるが、その播磨国の西寄りな辺りを赤松家は本拠地としていた。赤松円心より以前の赤松家に関して、余り詳しいことは伝わっていないらしい。赤松円心以降、室町幕府で重きを為すようになって行くのだが、その赤松円心の動きが本作の筋になっている。
所謂「『太平記』の時代」(=鎌倉幕府末期から建武新政、南北朝時代となる14世紀)に「悪党」という用語が多用されている。本作の赤松円心もその「悪党」を号している。
正統派たる「主流」の武士が土地と農業を基礎として伝統に基づいた戦い方をする人達だとした場合、「悪党」は「非主流」ということになるのかもしれない。土地と農業に留まらず、商業や流通等にも経済基盤を求め、戦いとなれば可能な限りの手段で敵対陣営に抗うのが「悪党」である。赤松円心は自身をその「悪党」と規定している人物である。
その「悪党」たる生き様を如何貫こうとしたのかという辺りが、本作の物語であろう。
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北方太平記。本作は、播磨の悪党、赤松円心の半生。歴史知識としてはほとんど知らない人物。大塔宮護良親王、楠木正成、足利尊氏、新田義貞という名前は少しは知ってはいるが、赤松円心もまた実は鎌倉幕府を滅ぼし天下を動かした人物の一人だった。慎重でしたたかな武将だったのだと思う。その分なかなか起たず、じりじりしたが、とうとう起つところではすかっとする。さて、下巻、どんな風になっていくのか? 北方太平記、深く楽しむために、大本の『太平記』読みたくなってきた。三十年ほど昔に読んではいるが、全く中身忘れているw
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北方氏の作品「楠木正成」と同時期の攻防が赤松円心視点を中心に描かれている。
最初の頃は策ばかり巡らしてなかなか自分では動かないところをまふで家康みたいに感じでいましたが、他者を陥れたり虚言による策略を使わない真っ直ぐさが全然違うと思い直しました。
とはいえ、これはあくまで北方氏がそういう意図を込めて書いたからだろうから、時代がどう評価を下したのか下巻で書くにしよう。
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北方謙三の小説が無性に読みたくなった。思い立ったらすぐにだった。すぐさま購入して、ただひたすら読み進めた。北方氏の物語に没入した。
『悪党の裔』は、鎌倉時代後期〜南北朝時代が描かれる。本作では、播磨の悪党である赤松円心が、高田庄の代官の館から出発した荷駄を襲う場面から始まり、京都の蓮華王院での戦いで退却を余儀なくされるまでが描かれる。
この時代についての知識はほとんどなかった。それもこの本を読もうと思った理由の1つだ。現時点で61作も放送されている大河ドラマだが、南北朝時代を題材にしたものはたったの1作しかない。1991年放送の『太平記』のみである。そういった点でもあまり認知されていないと言えるだろう。
しかし、そんな南北町時代も北方氏の物語を通してみると魅力的に映る。主人公の赤松円心は50歳を超えているが、おのが手で天下を決したいという大きな夢を持っていた。楠木正成と出会がキッカケとなり、この大望を果たすべく、ひたすら機を待ち続ける。銭を集め、兵糧を蓄え、兵を鍛えて…。そして、時は来たる。元弘の乱である。
赤松円心、楠木正成、護良親王などの生き様を是非見届けて欲しい。
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R4.9.18~9.24
(感想)
鎌倉時代末期(南北朝)から室町時代への革命を牽引した赤松円心の物語。
赤松円心とは何者か、「悪党」とは何だったのか、赤松円心から見た楠木正成とは、悪党から見た足利尊氏とは…。そのあたりがわかるといいなと思って読み始めました。
上巻を読んだ上で、まず、「悪党」を他人に説明できるほどは理解できていない。
悪党とは、幕府側が、地方で組織的に野党や盗賊のような活動を始めた豪族をそう呼び始めた、ということか。(そこには「反幕」という思想的な定義はあったか?おそらくなかった)
悪党と呼ばれる立場の彼らは、幕府とその領地運営システムに不満を持っていた。そこで賄賂・野党・盗賊のような活動で財をため込みながら、革命を願っていた?というところか。そのよりどころとして朝廷の存在があったと。
しかし、赤松円心は朝廷の力を利用して倒幕を目的とし、楠木正成は朝廷の権威復活までを目的としていた?そう読み取れる。気がする。
ではどちらのタイプが正統な?「悪党」なのかがまだ理解できていない。
下巻に続く。
ただ、物語、人物描写は結構好きなタイプの歴史小説です。
吉川英治の私本太平記を読んだだけでは、足利尊氏がどの程度赤松円心を意識していたかが分からなかったが、この本では二人の関係性がより近く描かれそうで、期待してます。
Posted by ブクログ
主人公円心の生きざまともいえる「悪党」とは「悪党としての誇りを、人に自慢できるのか。誇りは、ひそかに抱くものよ。やはり、おのがため、としか言えぬな」と楠木正成に語っており、本書でも中々動かぬ円心は自分の手で時代を変える大きな野望を持っているようだ
故に近隣の情勢だとか誰かとの共闘等と言う目先の事では行動せず、ひたすら武器を集め・部下を鍛える下準備が徹底雄している
因みに現在の歴史研究でいうところの「悪党」とは、朝廷・幕府の訴訟において原告が被告を糾弾する際に使用する呼称が「悪党」であり、そんな生き方や階級・職業の存在が集団でいた訳ではない、いわゆるレッテル張りである