あらすじ
くまにさそわれて散歩に出る。「あのこと」以来、初めて――。
1993年に書かれたデビュー作「神様」が、2011年の福島原発事故を受け、新たに生まれ変わった――。「群像」発表時より注目を集める話題の書!
2011年。わたしはあらためて、「神様2011」を書きました。原子力利用にともなう危険を警告する、という大上段にかまえた姿勢で書いたのでは、まったくありません。それよりもむしろ、日常は続いてゆく、けれどその日常は何かのことで大きく変化してしまう可能性をもつものだ、という大きな驚きの気持ちをこめて書きました。――<「あとがき」より>
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Posted by ブクログ
2011年3月11日東日本大震災。
直後、「被災地に対して、自分のできることをする」が流行った。
正しいと思う、でも、選択肢は多くなかったと思う。
被災地で身体を使い救援にあたるか、多めのお金を出すか。
実質的にはこの二つしかなかったと思うんだけど、なぜか芸術系のひとたちの「被災地の人を歌で励ます」的なものが流行って、関東の片隅で、自分は、首を傾げながらも、銭湯に行ったり計画停電に備えたり、自分としてはかなり多めの募金を振り込んだりしていたのだった。
「結果として励ますことになる」なら良いのだけれど。
川上弘美はもちろん違う。
励ましでもなく、説教でもない。
川上弘美の「神様2011」は、1993年に書かれた「神様」を書き直したもの。同じお話である。
川上弘美らしい、異空間に読者を連れて行く書き出しは変わらない。
「熊にさそわれて散歩にでる」。
しかし、散歩に出たはいいが、2011年では、それが、放射線量マイクロシーベルトを気にしなければ成り立たないものと変わってしまっていた。
これは結構、心を抉られる。
これは物語内の日常が変わっただけじゃなく、現実の日常が本当にこうなったわけだから。
福島だけではない。
新聞には毎日、各都市の前日のマイクロシーベルトが掲載されている。
これが2011年3月11日から変わってしまった、私たちの日常だ。
東日本大震災以前に戻ることはできないけれど、では、私たちはこれからどうしたらいいのか。
自分はどうするべきなのか。
いつの間にか異界へ連れ去られている、川上弘美の作風色濃いふうわりとした物語に、大変大変重いものを突き付けられた感じがする。
私は、放射線量を気にして日常を送りたくはないし、どの人にもそんな日常がこれから起こらないよう、ちゃんと考えたい。