あらすじ
「情報を制する国が勝つ」とはどういうことか――。世界中に衝撃を与え、セルビア非難に向かわせた「民族浄化」報道は、実はアメリカの凄腕PRマンの情報操作によるものだった。国際世論をつくり、誘導する情報戦の実態を圧倒的迫力で描き、講談社ノンフィクション賞・新潮ドキュメント賞をW受賞した傑作! (講談社文庫)
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Posted by ブクログ
この本のここがオススメ
「石油のようなわかりやすい経済的な利害関係がないことは、ボスニア紛争にアメリカ人の関心を引き付けるには、不利な条件でした。しかし、私たちは、もっと高度な視点から人々の心に訴えかけることにしたのです。それは民主主義と人権の問題です」
Posted by ブクログ
ドキュメント 戦争広告代理店
情報操作とボスエア紛争
著者 高木 徹
講談社
2002年6月30日発行
1990年代に起きたボスニア紛争。チトーなきあとのユーゴスラビアでは、スロベニア、クロアチア・・・と次々と独立をしていったが、3つめのボスニア・ヘルツェゴビナの独立の際、それに反対する新ユーゴスラビア連邦の実質主体国であるセルビアが非情なる軍事攻撃をしたとして国際的な非難を浴び、すっかり悪者になり、国連から追放され、後のコソボ紛争後には大統領が逮捕され、長期にわたって裁判にかけられる中、獄中死したという歴史がある。
現在(本が書かれた2002年)、セルビアの首都ベオグラード(旧ユーゴ時代からの首都)は暗く活気がなく、戦争の跡がそのまま残る建物が並び、ガソリンスタンドには貴重な燃料を求める市民の車列をなし、暗い地下道には露天の商店が軒を並べる。一方、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボ(オリンピック開催の地)は美しく、お洒落なカフェや世界のブランド品が並び、各国語が飛び交う。
どうしてこういう結果になってしまったのか?紛争時にしたことは、どうやら双方、大差なかったようだ。しかし、我々日本人を含め、世界中の人々がセルビア悪、ボスニア被害者、と思いこんでしまった。
その理由は一つ。実は、そこにアメリカの大手PR会社の存在があったからだった。
これは陰謀説とかの話ではなく、全て公になっているドキュメント。いかにPR会社がうまくPR戦を制したか、その全貌(とまではいかないけど)が書かれている。我々マスコミや広告関係の人間はもとより、誰が読んでも驚きの事実が出てくるし、この本を読むまで自分もまんまと騙されていたのだということを、殆どの人が感じることだろう。
最近、ネット上では、よく政府による情報操作だのなんだのって書かれている。例えば、安保法制の強行採決のマイナスを挽回するために国立競技場の見直しを直後に発表したことなど、その一つと言われる。しかし、日本ではアメリカのようなこうしたPR会社は存在しないと言ってもよく、電通のような大手広告代理店でも足下にも及ばない。ましてや、官僚や政党がやっている日本の情報戦力など、比較にならないと言える。それもよく分かる傑作本だ。
ボスニア紛争が他の国の独立時と比べ大きくなった理由は簡単。他の国はそれぞれ固有の民族が殆どだから。独立します、と宣言すれば反対する人は国内に少数しかいない。ところが、ボスニア・ヘルツェゴビナの場合、最大民族が4割強を占めるにすぎないモスレム人、次が3割強の人口を占めるセルビア人、そして2割弱のクロアチア人。モスレム人が独立を可決したが、セルビア人はそれに反対する。当然、セルビア共和国も自分たちと同じ民族だからなんとしても独立を阻止したい。セルビア共和国はボスニア・ヘルツェゴビナ内のセルビア人と連携して軍事介入をする。
アメリカの大手PR会社ルーダー・フィン社のワシントン支局、ジム・ハーフを中心とする3人のジムが、ボスニア・ヘルツェゴビナと契約してPR戦で勝負を挑む。俳優のような風貌で、英語が堪能、短い区切りで話すためテレビでの採用率が高いシライジッチ外相を“改造”し、さらにテレビ向けに話をさせるようにした。歴史学者であるが故にこれまでのいきさつを詳しく話そうとする外相に対し、その間にアメリカ人はチャンネルを変えてしまうと忠告し、今のことだけを話せなどと指導した。
そして、勝利を決めたキーワードとなった「民族浄化」という言葉を、最初に選んだ。セルビア人が、村々でセルビア人以外を追い出している、という事実を取り上げ、「民族浄化」をしていると外相に言わせ、アメリカを中心とする西側に情報発信した。日本でも、これについては印象深い人が多いと思う。この本には書いていなかったが、セルビア人が現地女性をレイプして自分たちの血を入れているという話も聞いた覚えがある。
また、追放した人々を収容する強制収容所があるという噂も利用した。実は、それは単なる捕虜収容所にすぎなかったが、アメリカのテレビ局を取材に向かわせ、鉄条網ごしにやせ細った男たちを撮影させた。それは強制収容所ではなく、撮影者側がある施設の外にいて、そこから侵入できないようにしている鉄条網だったことが後にわかる。しかし、強制収容所とは言っていないのででっちあげではない。その映像は世界に流れ、映像をTIME誌など各社が買った。
しかし、ジム・ハーフがすごいのは、ナチスによるホロコーストを彷彿とするこの事態について、決して「ホロコースト」という表現を使わなかったことだ。社内文書にすら使わなかった。あの虐殺に比べてこの程度のことでホロコーストという言葉を使うのは冒涜だという意識がユダヤ人にあるため、逆に反発を招いてしまうだろうとの配慮からだった。その読みは見事に当たった。彼はユダヤ人の団体にも働きかけ、モスレム人を応援するようにアメリカ政府に言ってもらうことに成功したのである。それが、大統領まで動かした。
ボスニア・ヘルツェゴビナの大統領などの手紙や演説もジム・ハーフが書いた。計算しつくされた内容だった。
連邦側(セルビア)も負けていない。大統領は、連邦の首相に、なんと、セルビア出身で今はアメリカ人となっている人物を起用したのである。彼は製薬会社をアメリカで興して大成功し、メディアの使い方にも精通している。その首相が逆襲を謀る。しかし、アメリカのPR会社が契約してくれない。
PR会社の助けがある国とない国。勝負はそこで決した。
以後も素晴らしいタイミングでいろんなことを仕掛けていく。
しかし、でっち上げはなにもない。誰かが何かを取材したり、言ったり、報告したりということに触覚を尖らせ、これと思った情報や出来事を利用する技術が素晴らしい。本当にプロ中のプロだった。
PR戦に負けた新ユーゴは国連から追放された。その後、コソボ紛争では遂にNATOの介入を受け、大統領は逮捕、そして哀れな末路。本の最後には、そのコソボ紛争でも、ジム・ハーフはPR担当をしたことが書かれていた。
アメリカのPR会社は、メディアを利用するだけではない。豊かな人脈を使い、あらゆる方面で戦略的に行動を行っていく。単なる「広告合戦」ではない。PR会社を雇えたか雇えなかったかの差により、人一人どころか、一国の運命まで違ってしまうわけである。
本