あらすじ
重たい文学全集はいらない。
日本近代文学は、いまや誰でも今ここでアクセスできる我々の共有財産(コモンズ)である。そこにはまだまだ見知らぬ隠されている。日英仏の文化とITに精通する著者が、独自に編んだ文学全集から、今の時代に必要な「未来を作る言葉」を探し出し、読書することの本質をあらためて問う。
【目次】
はじめに
文芸オープンソース宣言
寺田 寅彦『どんぐり』
織り込まれる時間
夏目 漱石『夢十夜』
夢をいきる時間
柳田 国男『遠野物語』
死者への戦慄
石川 啄木『一握の砂』
喜びの香り
南方 熊楠『神社合祀に関する意見』
神々と生命のエコロジー
泉 鏡花 『海神別荘』
夢と現実の往還
和辻 哲郎『古寺巡礼』
結晶する風土
小川未明『赤いろうそくと人魚』
死者と生きるための童話
宮沢 賢治『インドラの網』
インドラとインターネットの未来
内藤 湖南『大阪の町人学者富永仲基』
アップデートされる宗教
三遊亭 円朝『落語の濫觴』
落語の未来
梶井基次郎『桜の樹の下には』
ポスト・ヒューマンの死生観
岡倉 天心『茶の本』
東西翻訳奇譚
九鬼 周造『「いき」の構造』
永遠と無限の閾
林 芙美子『清貧の書』
世界への信頼を回復する
谷崎潤一郎『陰鬱礼賛』
闇のウェルビーイング
岡本 かの子『家霊』
呼応しあう『いのち』
他
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Posted by ブクログ
「日本近代文学は、いまや誰でも今ここでアクセスできる我々の共有財産(コモンズ)である。そこにはまだまだ底知れぬ宝が隠されている。」(本書の帯より)
帯に記されたこの言葉と、本書の冒頭に示されている「文芸オープンソース宣言」だけでも、一読の価値がある。とくに、文学の教育、言葉の教育に関わる人たちには読んでほしいと思っている。
高等学校国語科再編において、文章を「論理的な文章」「実用的な文章」「文学的な文章」の三者に大別し、科目ごとに扱いうる「〇〇な文章」を限定したことが話題となっている。この分け方には「文学的文章では、論理は学べない」といった偏見が見え隠れするが、一方でそれに対して反論する側の言葉のなかにも、「実用的な文章で学べるものは、表面的な『型』やスキルだけだ」といった偏見が見られる。この議論に関わる人びとが、皆、それぞれに自分がふだんから「ジャンル」に対してある種の偏見を持ち、それをベースに何かを言い合っているような…そんな印象を受ける。
本書で紹介されるいくつもの文章と、それに対するドミニク・チェン氏の読み解き、そして新たな着想を示した文章を見ていると、このような分類もそれに対する(偏見に満ちた)議論も、まるで意味がないということを軽やかに提示されているような気がする。
誰がどのように分類しようと、私たちの目の前に広がるのは、「底知れぬ宝」が隠された数々の先人の蓄積なのだ。その「底知れぬ宝」をいかに読み解き、新たな創造へとつなぐことができるのか。そのことを、真っすぐに考えさせてくれる本である。