【感想・ネタバレ】どくろ杯のレビュー

あらすじ

『こがね蟲』で詩壇に登場した詩人は、その輝きを残し、夫人と中国に渡る。長い放浪の旅が始まった――青春と詩を描く自伝。

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ネタバレ

沢木耕太郎がたいていの紀行文には旅の目的地が設定されているが、しかし、金子光晴の放浪三部作は目的地が設定されていない稀有な例であると書いていたので、いつか読みたいと思っていた。この時代の知識人、詩人には、マルクス主義よりもアナーキズムのほうが影響力をもっていた。しかし、震災後に大杉栄、伊藤野枝などのアナーキストも大量に虐殺された。(朝鮮人の虐殺は金子には見えていなかった。)アナーキストにはつらい時代の到来によって金子光晴も海外に弾き飛ばされるように放浪に出たくなった、出ざるをえなくなったことが読み取れた。

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2025年01月19日

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関東大震災からはじまる、妻森三千代との5年に及ぶ東南アジアとヨーロッパ放浪の記録。
ひさびさに読んでみたが、圧巻の迫力は変わらず。

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2017年09月12日

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いつも思うことなのだけれど、この時代のひとたちは「恋愛をしてみよう」と決めてから恋愛をしているような気がする。感情としては同質のものだとしても、入り方が決定的に違うような気がする。それだから妙に冷静だというか、自分の感情や行為に対して客観的であるように感じられるのだろう。(『ねむれ巴里』に続く)

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2013年09月13日

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山崎ナオコーラがオススメしてた詩人のエッセイ。昭和頭かな?第2次大戦が始まる前、中国に渡航した際の話。この人、気が小さい割にやることは大胆(笑)みたいな。けど、しがない男の気持ち満載で身につまされる。こういう、すこし前の日本人のエッセイとか読むと、今と違う文章文体に頭が開発されます。おもしろい。

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2012年05月11日

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「こがね虫」の詩人・金子光晴の、関東大震災で全てを喪失してからの生活を書いたエッセイです。この人の暗さは、安吾のカラッとした冷たさと違って、ジメジメうじうじしているのですが、読んでいると何だか一緒に泣いてあげたくなってしまいます。この人も文章が巧い!
(関係無いですが、↓下にある「みんなのタグ」欄に石田衣良とあるのが気に入りません)

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2010年10月01日

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金子光晴の自伝的小説。
どろっとしたものがずっと流れているよな、
そんな小説。
わくわくドキドキまるでなし。
淡々とすさまじい人生。

結婚して、奥さんが不倫して、
その奥さんと恋人を引きはなすためにパリを目指す。
激☆貧乏旅行。
上海→香港→シンガポール
そしてパリへ。

他にもジャカルタや蘇州にも足を伸ばす。
詩人が絵をかいてお金を得る。
『どくろ杯』は言ってみれば出発編。
『ねむれ巴里』、『西ひがし』と続編がある。

1920年代後半からはじまるたび。
不思議なのは、80年近く前のことなのに、
金子光晴の感じていることが、
すごく生き生きしていて、
私が上海や香港で感じることと重なると言うこと。
発展しても、時間が流れても、
その町の根底にあるものはそう簡単には変わらないのかもしれない。


楽しい旅行記だと思ったら大間違い。

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2009年10月04日

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美しい言葉を読むのは

食べ物を
体内に取り込むような

むさぼるのではなく
少しずつ浸透するような

そんな気持ちで読みました

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2009年10月07日

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虚飾さえめんどくさくなった老人の半生記。もう本当にどこを読んでも面白い。詩人ならではのやわらかく切れのある文章。

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2009年10月04日

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なんていうかこの時代の魔都上海にめっちゃ行きたいし興味がわいてきた。詩人金子光晴の7年にわたる目的のない旅の軌跡。「どくろ杯」の正体には本当にびっくりだけど、当時の上海らしいアイテムだなあ。

あと、比喩が素晴らしい。美しさとはまた別だけど、何かピースがかっちりはまりこむような爽快さがあるきれいな比喩が多かった。

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2015年05月29日

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知人の勧めで読むことに。なんと言ったらいいのか言葉が出ない。暗い淵に今にも顔を押し付けられそうで、ただただ読んでいて苦しかった。が、途中で本を放り出すこともできなかった。

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2013年10月22日

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圧倒的だった。正直、何と感想を述べるべきか判らない。

著者が詩人として世に出た後、関東大震災が襲う。胸が塞がれるような記述が冒頭に続く。
夫人となる森美千代との出会いがあり、婚姻、子供の誕生。夜逃げを繰り返すような生活の中、家族を放って上海へ遊ぶ。帰国すると、彼女に若い恋人出現。結局、妻と彼が復縁しないように距離を置くことを目的に旅が始まる。
洋行すると宣言しながら、大阪、長崎に長く留まり、なんとか上海へ。いかがわしい文章をガリ版刷り、いかがわしい売人に託したりする、綱渡のような生活。旅情など望むべくもない。放浪、風天というか、逃避と呼ぶべきか。そして著者を含め、何処にも居場所のないような人間が沢山登場。
微に入り、細に入り、かつ冷静な自己分析は、じっくっり読ませる文章だった。
しかし、可愛い子供と離れ、日本の文学や詩人の世界と連絡を絶ってまで、何故、旅を続けるのか、判らない。この答えはは寧ろ、美千代夫人に何故、著者に付いて行ったのかと聞いてみたい。とても理解しがたく、摩訶不思議。
近いうちに、続編も読んでみようと思う。

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2012年03月18日

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「めりけんじゃっぷ」の谷譲次を彷彿とさせるファンキーな生き様、そんな生き様にはおよそ似つかわしくない詩人らしい流麗な文体。時代背景を考えれば考えるほど、この金子光晴ってオヤジの海外放浪記は素敵すぎる。自らの血の一滴を振り絞るように、人間の底知れぬ奥深さを抉ってみせます。続編の「ねむれ巴里」「西ひがし」も一気読みだな、これは。

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2011年02月02日

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しらけわたった天地が、悠久につづいて、かなしさが霧のように茫々と立ちこめている。感傷だけが、ひそひそと溝河のせせらぎのように底にながれている。

↑5年前の自分が線を引いていた箇所

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2010年08月12日

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日本て変わったなぁという気持ちと
人間て変わらないなぁという気持ちと、両方。
大正から昭和初期にかけての時代の空気に触れて単純に今との違いに驚いた。
成功も失敗も自己責任だよというドライな個人主義がないかわりに
目も当てられないような貧富の差や階級の差がある。

40年も前のことを振り返っているからか、
あくまで淡々とぶれも乱れもない確かな筆致で、
波乱万丈な内容とのギャップが素敵。
漢学の深い教養に裏打ちされている硬質な文体の合間に
詩心爆発の溢れる寸前で抑制された情緒を湛える色気のある文章が混じって
魅力的。この人の観察眼と文体は大好き。

続編の『ねむれ巴里』、『西ひがし』も読みたい。

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2010年05月09日

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すさまじい、としか感想の浮かばない、とんでもない放浪記だ。昭和のはじめ、金子光晴は、生まれたばかりの子供を日本に置いたまま、妻の森三千代を伴い、上海を皮切りとする5年間におよぶ放浪をはじめる。潤沢に資金があるわけではない、どころか、旅先でお金を稼がないと暮らしてもいけないような状態での放浪である。放浪する、というより、むしろ、どうやって「生きのびる」かがテーマになるような貧困の中での放浪だ。そのようなすさまじい放浪であるにも関わらず、筆者はそれを、あっさりと、むしろ淡々と記述している。それは、筆者がこの放浪記を書いたのが、旅を終えてから40年を経た後の筆者の人生の晩年であったからだろう。まるで他人事のように、「そういうこともあったよね」というような感じで書いている。おそらく、そうでなければ、およそ読むに耐えないような旅行記になっていたのではないだろうか、と思う。この「どくろ杯」は放浪記の第一巻。もちろん、続きを読んでみるつもりである。

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2011年07月25日

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『こがね蟲』で詩壇に登場した詩人は、その輝きを残し、夫人と中国に渡る。長い放浪の旅が始まった青春と詩を描く自伝。〈解説〉中野孝次

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2009年10月04日

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主人公とその妻の放浪。戦前の話でまだ海外に行く日本人は少なかったであろうが、活路を見出そうとする貧困者に交じり上海に上陸する。無銭に近い状態で縁故を頼り、また見捨てられもせず、香港やジャワにも渡る。目的地はパリなのに費用がなく遠い。自然だけでなく、女衒や影の実力者など生々しい。街のすえた匂いまで漂ってきそうだ。2025.7.14

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2025年07月14日

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大正期の詩人が妻と共に上海へ旅立つ話。

子供を日本において、金もあまりなく上海に行ってしまうクレイジーな筆者が、当時の混沌とした上海の生活を描く。

改行が少ない文字がびっちりの本だが、美しい文体でなせまか読めてしまう。

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2022年06月15日

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自伝三部作の第一弾。

詩集『こがね蟲』でデヴューをかざるも、先ゆきが見通せない境遇にあった著者が、妻となる森三千代と出会い、彼女とともに上海へわたり放浪生活を送った経緯をつづっています。

関東大震災のあと、画家の卵だった牧野勝彦のさそいにおうじて彼のいる名古屋に寄宿することになった著者は、文学や芸術に傾倒する若い仲間たちに囲まれて暮らしていたところ、牧野から三千代を紹介されます。女流詩人となることに願っていた彼女は、『こがね蟲』によって詩壇に登場した著者に寄り添うことになったものの、貧乏な生活は彼女のあこがれていたものとは異なり、著者のもとを出てしまいます。しかし著者は、そんな彼女に対する瞋恚ですらも、デカダンスのなかに溶かしてしまい、彼女のほうもそこから飛び立つこともできないまま、二人は上海へと旅立ちます。

「いずれ食いつめものの行く先であったにしても、それぞれニュアンスがちがって、満州は妻子を引きつれて松杉を植えにゆくところであり、上海はひとりものが人前から姿を消して、一年二年ほとぼりをさましにゆくところだった」と著者が語る上海で、著者たちはそうした境遇の日本人たちと交わりながら、異国での放浪生活をつづけます。

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2022年03月31日

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お金がなくても働かなくてもなんとかなるもんだ。底辺の生活が凄まじいのに、のらりくらり。ついてく三千代さんがすごい。
人間の料理法って、支那人怖いなぁ。

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2014年05月21日

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ネタバレ

「こんな人間には(金子光晴本人)、誰もかかりあわないことだ。避けることだ。」でこの小説は終わっている。私もそう思う。谷崎潤一郎の痴人の愛」
の主人公を彷彿とさせる。「うんこの太そうな女」には腹をかかえて笑った
不意打ちを喰らったのだ。写真の風貌も飄々としていて面白い。
どん底と言うよりは能天気な金子ワールド

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2012年12月15日

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高田連のライブで、吉祥寺のさかえ書房がAUショップになってしまったときいて再読。

爪をたてて生きる。

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2011年10月29日

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詩人が残した自伝めいた紀行文。タイトルに象徴されるように、おどろおどろしくも生命力に溢れた一時期の上海のイメージが言葉から立ち上がってくる。

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2009年10月04日

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