あらすじ
日本各地に言い伝えられる「妖怪」から江戸・明治期の絵師・河鍋暁斎、
「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげるまで令和版「妖怪談義」。
「水木しげる作品」がウケ続けているわけは?
柳田國男が『遠野物語』で描いた「河童」「山人」…
「幽霊」「妖怪」「おばけ」の怖さ
「私は京極だが、京極は私でない」のはなぜか?
目次
はじめに
第一談 世界の半分は書物の中にある
第二談 水木“妖怪”は何でできているか
第三談 水木漫画と日本の“妖怪”文化
第四談 「怪しい」「妖しい」「あやしい」話
第五談 柳田國男と『遠野物語』の話
第六談 河鍋暁斎はやはり画鬼である
第七談 幽霊は怖いのだろうか?
第八談 「ことば」と「おばけ」との関係
第九談 日本語と“妖怪”のおはなし
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Posted by ブクログ
講演集。京極さんの妖怪話は面白いねえ。でもこれは普段小説で書かれていることと同じなんですね。出力法が違うだけ。実にぶれない。
妖怪とはなにか。日本語の特性は妖怪に通じる。おばけとは幽霊とは怖いとは信仰とは。面白いねえ。
Posted by ブクログ
小説はすべて誤読です。(29ページ)
ネットの海で唯一神的な解釈の暴力をふりかざす人間に出会ったら、この言葉を思い出そうと思う。
書楼弔堂でもこの辺りに言及したシーンがあったように思うけれど、京極夏彦にこう端的に言われると安心する。土井善晴の「一汁一菜でよいという提案」に出会ったときと同種の。権威に弱いので。
死の対義語が誕生ではなく生である文化が多い
→定規が生、定規の端が死であるとしたら、その先に見えない定規をくっつけてしまっているようだ
語彙は解像度である
Posted by ブクログ
京極夏彦さんの講演は2回だけ伺ったことがあります。
京極さんのお話は小説と同じようにとても引き込まれ面白かったので、今回そんな京極さんの講演の本が発売されたと知り、すぐに読みはじめました。
いくつかの講演でお話しされた内容が収録されており、どれも楽しく読むことができました。ただ、読んでいるとどうしても京極作品(とくに百鬼夜行シリーズ)がちらついてくるので、もう何度も読んでいるのですが再読したくなります。再読し出すととても長いのですが、これはまたしちゃいそうだと思いました。
Posted by ブクログ
あやしいどころか理路整然と明晰に、「おばけ」と「ことば」についてご教示賜りました。日本語のいい加減さこそが概念操作を高めて解釈の幅を広げる、これが「目に見えないものは、いる」と水木先生のおっしゃるところのお化けや妖怪の解釈に通じるんですね。確かに、京極さんが著作において一貫して述べておられます。葬式とかお盆とかの意義、これに関してもなるほど。死者のためではなく、生者が別れの悲しみを乗り越えて前に進むために催すイベントですか。先祖を送り、あるいは年に一度御霊に会うために、遠路はるばる縁者が集うんですものね。
Posted by ブクログ
「おばけ」と「ことば」に関しての圧倒的な情報量。しかも論理的で丁寧な語り口だからとても読みやすくて内容がすっと入ってくる。これだけの内容を原稿なしで講演するなんてすごいことです。このコロナ禍の時代、アマビエのような妖怪の存在が重要になるということがよく分かる。どこかで読んだことがあるような気がするけれど、京極夏彦さんは森博嗣さんと似ているような気がする。久々に、定価以上の価値が十分にあると思えるような本でした。
Posted by ブクログ
各地で行われた著者の講演集。
本との向き合い方についての論が印象深い。
どんな本でも面白がろうとすることが大切。読書とは能動的なもの。
膨大な知識量がありながら、分かりやすく言語化できる著者の表現力はさすがです。
Posted by ブクログ
読んだら忘れてくれと言うものだから、務めて立ち止まらず読み進めるようにしてみた。とは言っても、妖怪との距離のとり方というか、妖怪を見る視点のようなものがとても面白くて結局あれこれ考えてしまったけれど笑
Posted by ブクログ
行けなかった講演会の内容が読めたので嬉しい。
老いること、生と死、怖さとはなにかなど読んでいてうなずける話も多く楽しかった。
小説は作者の意図なんか気にせず好きなように読んだらいいというはなしで書かれていた、『作者なんて、道に落ちていたら踏んでもいいくらいのものです。』には笑った。
Posted by ブクログ
京極夏彦氏の講演集。各地で行われた講演会9回で話された内容を文章にしてまとめてあります。基本中心題材は題名のとおり「ことば」と「おばけ」で、京極さんの考える妖怪というモノの概念がわかります。以前に読んだ、『地獄の楽しみ方 17歳の特別教室』の内容をもう少し詳しく、妖怪寄りにした話が多いかな。