野口雅弘のレビュー一覧
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没後100年の記念出版だという。前提知識などほとんどない。名前は知っている。社会の授業で習ったはずだ。「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」を略して「プロ倫」と呼ぶことなど勿論知らない。主専攻が法学であることも初めて知った。展覧会への公的支援は手続きが間違ってなければよいのか、中身もみるのか。形式合理主義か、実質合理主義か。合理性にも複数の絡み合いがあるという考え方。愛知トリエンナーレの問題を指しているのではあるまい。「一人称で語れない政治理論は非政治的である」キャスターに中立を求める報道に意味はない。平和主義は非現実的か。原子力発電は現実的か。現実的解が信条的解を排除すべきではない。本当に「現実的」かはわからない。読んで知識がついた実感はない。ただ、何かは変わった。
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「ヨーロッパ近代」と格闘したマックス・ウェーバー(1864-1920)について、その生涯と研究、政治への関わりなどをコンパクトにまとめた好著。とくに日本への影響については、独自の1章「マックス・ウェーバーの日本」(「マックス・ウェーバーと日本」ではなくて「の日本」)を立てて論じられており、面白かった。1931年にクルト・ジンガーが来日し、大塚久雄もジンガーの講義に接してウェーバーのテクストに本格的に取り組んだと書かれてあったが、同時に下村治も聞いていて彼はケインズの『貨幣論』やジョーン・ロビンソンの『不完全競争の経済学』に興味を持ったそうだ。こうした対比も興味を惹いた。
また「あとがき」でも述べられているように、本書はウェーバーのテクストを「ゴリゴリと読み解いていく」タイプの「ウェーバー学」ではなく、多くの周辺人物との対比などを上手に交えながらウェーバーが問題にした論点や対立点を浮かび上がらせていく方法を取っており、そのため各章の扉に掲げられた「関連年表」もかなり独自のものとなっている。また世界各国でウェーバー没後、どのように受容されてきたについても多くのページが割かれており、類書にはない本書の特徴と言えよう。
たとえば第3章「自己分析としてのプロテスタンティズムの自己分析」ではウェーバーとレンブラント、エーリッヒ・フロム、ベンジャミン・フランクリン、そしてフィッツジェラルドが取り上げられる。「ウェーバーはもちろんフィッツジェラルドを読んでいないし、フィッツジェラルドもウェーバーを読んでいたわけではないだろう。しかし、ウェーバーが両親の相克から「二つの規律のはざま」を書いたように、フィッツジェラルドもギャツビーとデイジーに託して相克する二つのビジョンの物語を書く。そして高度化する資本主義社会における空虚さに目を向けながら、かつての理想の喪失を語ろうとするとき、この二人の眼差しは交差する」(p.92)など。
こうした対比がいくつもあってそれぞれ面白いのだが、いかんせん新書の分量。掘り下げが少し浅いのが気になった。 -
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日本では最近の流行だが、官僚制批判は西洋における官僚制の登場当時からある点、行きすぎた官僚制は民主主義と対立するが、官僚制がなければ民主主義が維持出来ない点、官僚制は人のいかんによって業務の処理の仕方に偏差が出ないように規則で規定されている、つまり、『「脱官僚」とは人の決断やその決断をもたらした根拠を巡る党派的な争いが顕在化すること。この大きな不可を担う準備がないと、これまで行政組織の中で慣行となってきた物の非正当性を告発し、議論を提起することはできる物の、それを収束することができなくなる。あるいは、政治主導の名の下で、一貫性無く問題をつつきだし、決定出来ないので協議事項ばかりを増やして、いたずらに政治不信を高めることに他ならない』いたずらに官僚を敵視して民主主義を傷つけるようなことはすべきではないなと改めて思う
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少し前に話題になった政治思想史家による官僚制論です。
本書は、社会保障拡充の要請と相反する形で社会に蔓延する「官僚制批判」が生じた経緯やその本質について、思想史からアプローチすることで新自由主義批判へと接続した、一風変わった1冊です。
各章では、政治思想、社会学、文学などの官僚制に関する幅広い知見が紹介されていますが、中でもM・ウエーバーの官僚制論についてはかなり根源的な考察がなされており、その再評価が本書の目的の1つともなっています。
まず第1章では、「官僚制」の語源そのものが、その保守性等を批判するロマン主義の言説によって提起されたものであり、官僚制批判は時代を超えた普遍性を有するものであることが確認されます。一方、続く第2章では、平等化を志向する民主主義にとって、官僚制が不可欠な条件となっていることが説明されます。
そして第3章では、官僚制の「正当性」の問題が扱われます。個人的にこの章が一番面白かったです。
まず、「合法性」による形式的合理性によって正当性を確保する官僚制は、福祉国家下では分配の理念にコミットする必要があるため、実質的合理性を担わなければならなくなり、その意味で正当性の危機に陥ることを著者は指摘します。一方で、経済成長の持続する段階では、この矛盾はあまり表面化せず、行政は価値判断を避けるために社会領域のシステム化を進めていきます。ちなみにこの点を批判し、システムと対置される生活世界の保護を論じたのがハーバーマスです。
しかし、経済成長が失速するにつれ、官僚制は正当性の危機を顕在化させ始め、官僚制批判が生じやすくなります。そしてこの危機的状況は、次第に新自由主義との親和性を強めていき、政府の責任領域が縮小することで、更なる官僚制批判を呼び込んでいきます。
このような新自由主義による正当性の危機の取り込みを回避するために、著者は、M・ウエーバーの知的態度に立ち返り、形式的合理性と実質的合理性の対抗関係をそのまま耐え抜くような、粘り強い地道な合意形成を志向する必要があると結論付けています。
この結論は、官僚制の弊害を克服するために強固なリーダーシップを要請する言説が、現代に存在しない硬直的な官僚制を前提にしていることを指摘した第4章においても繰り返されます。続く第5章では、これらの議論を引き継ぎながら、新自由主義への防波堤となり得るM・ウエーバーの再評価が行われ、本書を終えます。
以上が主な内容ですが、従来行政学によって論じられてきた「官僚制論」という地味なテーマへの回路を、思想史によって切り開く本書のスタイルは、大変有意義に感じました。
ただ、テーマと関わりの薄い蛇足的な説明が多い点、不必要なまでに思想家を羅列する点など、構成や文章表現には少し読みづらさを覚えました。
官僚制論に関心の無い方にもおすすめな1冊です。 -
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【読書】世の中で「官僚」という言葉が良い意味で使われるのはまずない。特に現在は脱官僚を掲げて政権を果たした民主党政権において、その傾向は特に強い。そんな中で本書は、官僚制についてマックスウェーバーの政治思想に注目しつつ、幅広い分野の政治学者の考え方を整理しながら論じており、予想以上に面白い本であった。「官僚たちの夏」のような焼け野原の戦後日本を高度経済成長に導いたような官僚像は終焉し、90年代以降、官僚への批判が噴出し、現在もその傾向は続いている。著者は、政治思想史から見ればそれは現在特有のものではなく、また日本特有のものではなく、18世紀ごろから一貫して続いているものだという。また、不平等や格差への意識が強くなると、そこから平等な、均質でムラのない標準化された取扱が求められるようになる。その過程でそれを可能とする中央政府が強大化し、画一的な行政システムが進展し、官僚制度が構築されていく。しかし、それが硬直化してしまうと、デモクラシーの必要条件であった官僚制度が逆に敵になってしまう。そんな中でいわゆる新自由主義的な発想から小さな政府を志向する動きが出てくる。政治主導といっても、結局は全てを政治で行うのであれば、著者がいうように全てが政治調整になり、物事が進まなくなる。結局は政治と官僚の適切な緊張関係の下でお互いのやるべきことをやるということなのだろう。最近まだまだ仕事で足りないところも多く、一人で落ち込むこともあるけど、また一つ勉強になる本であった。
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本屋の平積みから購入。
野口さんは自分より10歳若い政治学者。文章もやや生硬なところもあるが、ご愛敬か?
あとがきで、傾斜している河原を歩いていると、まっすぐ歩いているつもりでも傾いてしまうように、官僚制についても、自然と反官僚になることを、現在の官僚バッシングを前提に指摘している。(p179)
その傾きの計測をすると野口さんは謙遜されているが、自分からみると、官僚への応援の本とも読める。
主張は結語で要領よくまとめられている。自分として、納得した点。
①官僚制はデモクラシーの要件である。(p154)
一定の規模の政治体制で、公平平等な運営をしようとすれば官僚制は必然的に必要になる。
②正当性への問いは新自由主義によって絡め取られやすい。(p155)
p116にも記述してあるが、強いリーダーシップとぶれない政治家を目指すと、外にはタカ派、うちには小さい政府というのが、大衆に受けるということ。
そんな政治家、いろいろ思いつきますね。
③ウェーバーの官僚制は今日、新自由主義への防波堤として読むことができる。
新自由主義での民間の力を活用する、政府を小さくすることと、ナショナルミニマムを政府が確実に国民に提供することは、バランスの問題。
特に、東日本大震災という国難のときには、政府が責任をもって主導力を発揮すべき。 -
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「社会主義」と「権力と支配」を読んで「ま~難しく語ることで」と思い人の意見も聞いて見ようと手にした1冊!
著者があとがきで記載の通り、本書の特徴が弱点になっている。そこ読んでから買われるのもありかと。
個人的には整理つけるのにはそれなりに役立ったかなと、
以下、思ったこと
・派閥に対抗するために派閥が必要になる
・抗うことのために導き出した手段は、目的達成後、形骸化する。
・全てのことはコインの両面、いい面も悪い面もある
ウェバーの思想は上記のごくごく当たり前のことを痛感させる思想である。
ゾンバルトの「ユダヤ人と経済生活」読んだので「プロ倫」も読んどこうと思ったが、ちょっと食傷気味、、、 -
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711で購入する。最近、711で本をよく購入する。平易な文章は好感が持てます。正直、期待はずれです。官僚制に対する素朴な疑問は、いつの時代にもあります。これは、万国共通です。政治家は、その疑問に答えるべく、官僚を攻撃します。これも、万国共通です。しかし、攻撃は出来ても、その後の改革はうまくいきません。理由は簡単です。改革には、形式的合理性が不可欠だからです。官僚の持つ形式的合理性が、庶民の苛立ちの原因なのです。形式的合理性を持った政治家も、苛立ちの対象となるのです。改革に着手した途端に、庶民の支持は失われるのです。日本の状況を考えてみましょう。官僚批判により台頭した民主党は、何も出来ませんでした。彼らが無能だから失敗したとは思えません。でも、二つの失敗があったと思います。第1に、素朴な官僚批判により、政権を獲得した。その姿勢を政権獲得後も維持したことです。政権運営の混乱を招きました。第2に、その後、官僚批判の姿勢を覆したことです。政権運営のためには、仕方がないことです。多くの人は、何のための政権交代と思ったことでしょう。これは、民主党政権だけの問題ではないでしょう。。
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官僚制批判の歴史とは、官僚制の歴史と大きくリンクする。
その意味で本書は、そのタイトルを官僚制批判の論理と心理と置いているが、同時に官僚制自体がどのように捉えられてきたのかという歴史的な言説を追いかけた、思想史的なアプローチで官僚制を分析した一冊とも言える。
著者は官僚制批判の根源を、ロマン主義に求める。画一的な決定を下す官僚機構に対して、多元性を重視するロマン主義が反発するというのがその基本的な構図である。
とは言え、分析の中心は特にウェーバーである。彼は官僚制を「鉄の檻」と捉え、その形式合理性を指摘した。しかしながらテクノクラートによる支配は、ハーバーマス的な後期資本主義の中では政治化してしまう。著者はこうした事態に対して、これまでの日本はそれが上手くいっていたから問題とはなりにくかったが、それが不調に終わっているいま、リキッド・モダニティと呼ばれるかつてのような時代における、境界のはっきりとした硬直的な官僚制のあり方は転換期を迎えていると述べ、新たな官僚制の捉え方、そして新たなウェーバーの読み方の必要性について示唆を加える。とにかく、カリスマv.s.官僚制という二項対立を止めて、デモクラシーの実現の必要条件としての官僚制を前提にしながら考えるべきだということを、ウェーバーを基礎にして主張するのである。
とにかく読後感としては、面白いが、現実の官僚制に関して、思想史的アプローチで言えることはとても小さい、という感覚であった。我々のほとんどが、官僚制批判をしているかいないかに関わらず、官僚制をこの世から無くせなどとは考えていないわけで、必要だけどどう対処しましょうという話なのであって、そんなことは言われなくても解っているという感じではある。面白いけどね。