森田洋司のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
先に読んだ内藤氏のイジメに関する著作と合わせて読むと、双方の限界点が見えてくる。
内藤氏は、あくまで学校という共同体を信奉する限り、いじめは深刻化するという。
森田氏は、学校という、社会性(市民性)を育む場の可能性について、言及している。
つまり、両者では学校に対するスタンスが180度違うのだ。
森田氏は諸外国のいじめ対策について詳しく、そこから、傍観者と観衆を市民として育成した欧州各国の取り組みが功を奏していることについて記述は説得力がある。
しかし、短期的な視点、言い換えると、今、苦しんでいる子どもたちをどう励ますのか?という切実さは感じられない。
森田氏は政策的、教 -
Posted by ブクログ
ネタバレいじめを社会問題の一つと考え、教育界だけでなくこれからの社会に対して、あるべき姿を問う一冊。
いじめを当事者の心の問題に落とし込むのは間違っている。いじめは関係性の病理であり、集団のあるところにはどこででも発生しうる。必要なのは、①個々人が「いじめは絶対に許されるものではない」という強い認識を持つことと、②「いじめのない集団」を作ることはその集団の構成員全員が共有する責務であるという自覚を持つことである。
教師、保護者、地域やメディア等の社会がすべきは、いじめ問題に対して毅然とした態度を取り、①の認識が大人社会にとっても絶対であると示すこと、又、大人-大人間の連携及び大人-子ども間の会話を通し -
Posted by ブクログ
ネタバレ[ 内容 ]
一九八〇年代にいじめが「発見」されて以来、三度にわたる「いじめの波」が日本社会を襲った。
なぜ自殺者が出るような悲劇が、繰り返されるのか。
いじめをその定義から考察し、国際比較を行うことで、日本の特徴をあぶり出す。
たしかに、いじめを根絶することはできない。
だが、歯止めのかかる社会を築くことはできるはずだ。
「いじめを止められる社会」に変わるため、日本の社会が、教育が、進むべき道を示す。
[ 目次 ]
第1章 いじめの発見
第2章 日本での三つの波
第3章 いじめとは何か
第4章 内からの歯止め、外からの歯止め
第5章 私事化社会と市民性教育
第6章 いじめを止められる社会へ -
Posted by ブクログ
『いじめとは何か―教室の問題、社会の問題』(森田洋司、2010年、中公新書)
本書は、学校で起きるいじめという現象について社会学的な検証をした上で、その対策を論じたものである。
まず、筆者はいじめを「川の表層にできる渦」とたとえた上で、いじめの原因となる重要な要素として「力関係のアンバランスとその乱用」があることをあげている。
そして我が国においていじめが社会的にどのように認知されてきたのかについて3つの流れがあったと説明した上で、現代を「私事化」の時代である指摘し、この時代においていじめの被害を最小限に食い止めるための方策として「ソーシャルボンド」(共同性へのつながりの意識)をあげてい -
Posted by ブクログ
ネタバレ日本では年齢が上がるについていじめの「傍観者」が増加する傾向。
イギリス、オランダでは、中学2年生を境に、いじめの「仲裁者」が増加する傾向があります。
一方で日本では、年齢を重ねる毎にいじめの「仲裁者」が減少し、「傍観者」が増えて行っているのが実情。
----------------------------------------------
いじめはどうしても「個人化」しがち。
つまり、状況理解も、相談も、解決も、全て一人で行おうとする傾向が強いです。
これを、いかに学校社会の問題として「公共化」させるか、「公共化」させる力を子供にに見つけさせる教育を施すかが学校のミッション。
--