シャルル・ペパンのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
私も「自信がない」とよくこぼしていた。高校、大学時代だったかな、、
もっと自信があれば何でも挑戦して、女の子にももてて、、、
等々考えていた気がする。
今になればそれが無意味な悩みだったことがわかる。
何でも挑戦しないから自信がないのだ。
分析すれば、、小学生の頃は優等生でいい子で、失敗経験があまりなかった。
それが中学で進学校に入り普通の人となり埋没し、
でも失敗体験が少ないから新しいことに挑戦することを恐れ、、
悪循環。
まさにこの本に書いてあることを地で行くような子供、青少年だった。
なぜか勢いで結婚はしたものの、
会社に入ってからも自信のなさは相変わらずで、
ただ、「このままこの会社にいたら、外で通用しない人間になってしまう」という
ぬるま湯感だけは持っていた。
社内転職を経て本当に転職、ここから人生観が変わる。
転職が一つの契機になって始めたマラソンにより、「自信」に対する考え方も変わる。
他人と比べない。自分との戦い。この辺はこの本にも書かれていることだ。
自分に勝つことが自信につながった。
もちろん、人にいろいろ言われ、自信を失うことは今もある。
しかし、子供のころと比べれば、安定している。
能力がなければ自信も生まれない、と著者は言う。
その能力をつかむためには動かなくてはいけない。
一歩踏み出さなくてはいけない。結果を出さなくてはいけない。
否応なしに結果が出るマラソンはそれを教えてくれたのかもしれない。
そういえばこの本に面白いことが書いてあった。
自信の「核」になるものの場所。
身体とか心とか脳とか考えがちだが、そんなものではない。
いろんなところにあるのだ、という。
わかったようなわからないような、、でも何となく理解できるようになった。
どうなるかわからないものにたいしては「選択」ではなく「決断」するものだと。
考えたって未来のことはわからない。
だとしたら決断してリスクを取り行動する。
歳を重ねるごとにだんだんそれができるようになってきた気がする。
そういった要素がちりばめられた本。
様々な事例が載っていて、時にそれが難しい。
これが高校生向けとは、、
私も高校生の時に読みたかったな。
ということで、自信がないとこぼす私の部下にも読ませようと思う。
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Posted by ブクログ
人生をより良く生きるための自信…
「これをすれば自信が持てるようになる」とか「自信をつけるにはどうすればいいか」というノウハウ本なのかと思っていたけど、そんなに単純な話ではなさそうだ。
わかったような、わからないような、広くて深い話で、読み終わって理解できたかどうか心もとない。
薄っぺらくて熱量だけは豊富なコーチングの暑苦しさは感じなかった。
「哲学だもんね、そりゃそうだよね」という、これまた薄っぺらい私の感想。
心が自由である、ということ。
自分で決断をする、ということ。
不確かなこの世界を生き抜くために、必要なのは自信だということ。
イチイチごもっともだ。
しかしうまく飲み込めない…。
そもそも日常で「自信」を意識したり、「自信」という言葉を使う場面はどのくらいあるだろう。
使っているシチュエーションを考えると、かなり軽いノリで使っているような気がする。
「ちょっと自信ないけど、たしかこういう話だったと思うよ」とか。
「何度もチェックしたので大丈夫です!」と自信満々に同僚が持ってきた資料に、あからさまなミスがいっぱいあって、「その自信は一体どこから…」と思ったりとか。
ワールドカップ開催中に、チラリと試合を見て思う。「オレにボール集めろ!絶対ゴール決めるから!!」というのが、私は最近どうも苦手だ。こういう、自信が溢れまくっている人を暑苦しく思ってしまう。
私の夫はこのタイプである。一緒にいすぎて、飽きているのかもしれない。
自信があるとか、ないとかって、人に言うものでもなくて、自分の中だけで思っておけばいいことだよな、と常々思っている。
「私、自分に自信あるから」と宣言されると引いてしまうけど、「自信ないんだよねー」と言われるのも、なかなか扱いが面倒だ。
さて…。
本書に書かれていることに照らし合わせると、なんだか私が認識している「自信」なんて、すごく小さなものに思えてくる。
結果的に、その「たいしたことない自信の集まり」も大事なんだろうけど、「ベターライフのための自信」とはちょっと違うような…というのが、私のモヤモヤの中心にありそうだ。
[心に小さな炎を灯して、私たちは生きていく。不確かなこの世の中の不条理も受け止めながら、それでもこの世の中を信じて生きていく]
数カ月前に自殺した同僚のことを思う。
心の小さな炎が消えてしまったんだよな、と思う。
消えないで欲しかった。
小さくていいから、ロウソクをつなぎたかった。私は、その人のロウソクが消えかけていることに全く気がつかなかった。
転びそうになりながら自転車に乗れるように、だんだんと獲得していけばいいのだと、ペパン先生が言う。
自信のことだ。
だんだんと自信を獲得していくベースに、社会や周りの人への信頼があって、周りから信頼されて、自信が育っていくんだとかいうペパン先生の話は、「えっ」と思いながらも、薄々納得した。
うちの子どもたちを見ていると、自由だなぁーと思う。自信があるとか、ないとかというより、ただただ自由。自由に発言し、自由に笑い、自由に泣く。
そのベースに、安心感があるのはそうなのかもな、と。
自信って、自分を信じることでしょ?
そこになぜ、他者が関係してくる?
自分の核が必要なんじゃないの?
と、思っていたけれど、どうやらそうではないらしい。
まぁー、なんかよくわからんけど…。
ミスが多い同僚との関わりを考えると、あまりにミスが多いので、上司からダブルチェックをしっかりと私がやって管理するように言われている。これが非常に疲れる…。
チェックはたしかに大事なのだけど、私も全てのミスには気づかない。これなら私がイチから対応したほうが早い…と思ってしまう。
何より、本人が完全に自信を失くしている。
管理されてばかりでは、自信をもって事に当たれない。
どうやら私の職場は、人の自信を奪うのが常態化しているんじゃないだろうか…と思う。つまらんことでワーワー言ってくる人が多くて、すっかり職場の人と関わるのが億劫だ。ワーワー言う人らに、悪気は全くない。そこがまた厄介だ。
他者の「幸せな自信」を育てるには、まずは信頼が大事なのかもしれない。
そして、自分の「幸せな自信」を育てるには、心が自由であることが大事らしい。
へー、という程度だけど、薄っぺらく気には留めておきたい。