田辺保のレビュー一覧

  • 重力と恩寵

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    2023/3/5(3回目)
    「苦しみがなくなるようにとか、苦しみが少なくなるようにとか求めないこと。そうではなく、苦しみ によって損なわれないようにと求めること」辛くて苦しんでいたときに恩師から言われた言葉
    「どうか、わたしは消えて行けますように。今わたしに見られているものが、もはやわたしに見られ るものではなくなることによって、完全に美しくなれますように」この世には究極的な言葉が存在するだろうが、これはその一つ 本当に眩しくて透きとおっていて信じられないほど美しくて悲しい
    「知性は(中略)鋭敏で、尖鋭で、正確で、厳密で、酷薄でなくてはならない」恩師によく似合う言葉
    「泣いてはならない、慰めを受けたりしないように」いつもこの言葉を思い出して生きていきたい

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    2024年11月29日
  • 重力と恩寵

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    何か一つの宗教を信じることは他の宗教を否定することになると思っているので、彼女の言う「神」を、真理やら世界やらに言い換えてから読んだ。宗教には明るくないのですが。

    最近色々と考え実行してみたりしていることを、彼女も考え実行していたことをちょっと嬉しく思い、彼女がもっと遠いところにいることを目標にこれからも先へ進みたい。

    生きるために大切なことを教えてくれる本。

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    2014年02月07日
  • 重力と恩寵

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    主人が奴隷を作り奴隷が主人を作るという意味において、ヴェイユはきっと正しさの奴隷だったのだろうと思う。ここまで透徹している人間が生き易いわけはないけれど、この本は私の生き易さの指標になると同時に生きにくさの補強にもなったと思う。

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    2014年01月24日
  • 重力と恩寵

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    心を抉られるような表現からドキッとするところもあるけれど、心洗われる哲学。良くも悪くもその程度しか理解できなかった。色々な関連書を読んでもう一度戻ってきたい。

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    2013年10月28日
  • 重力と恩寵

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    人に対して「透明感」という言葉を使うのはまず好意的な感情からだと思う。僕もシモーヌ・ヴェイユという人の深く澄まされた知性に、憧れや好意を感じる。
    しかしそれにしても、いくらなんでもこの人の透明感は、度が過ぎている。水清ければ魚棲まず、ではないが、突き詰められた「聖」性は汚く図太く生きる生命力の対極のように思え、悲壮感さえ覚える。

    関連して、ヴェイユの教え子の書いた本を読んだ。師への親愛の情に溢れた本だった。この人が周囲の人に理解され、愛されて生きたのだと思うと、何か救われたような気持ちになる。そんなことも含め、ヴェイユという人は僕に希望や勇気をくれる存在だ。

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    2012年05月01日
  • 重力と恩寵

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    一周(よりちょっと手前くらい)すると辿り着く本。

    次のステップに辿り着く(一周する)為には、是非ガウタマ・シッダールタ(ブッダ)とのセットでどうぞ。

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    2011年09月24日
  • 重力と恩寵

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    ギュスタヴ・ティボンがヴェイユのカイエを編集して出したもの。ヴェイユの(一応)処女作品。訳は田辺保。
    鏤められた真理を鋭くついた言葉達。箴言集のようなもの。

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    2009年10月04日
  • 重力と恩寵

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    ネタバレ

    なぜ勧められたか覚えてないのだけど、仲の良い友人に「重力と恩寵読んだことある?たぶんすごく共鳴すると思う」的なことを言われたのが今年の初めくらいにあり、たまたま某図書室でも発見して、これは今読むべしということだなと思い、手に取りました。

    なんの脚注もないので解釈むっずとなりながらなではあるものの、読み終わりました。
    また別の人に、少し前に読んでいた悪徳の栄えとは真逆すぎて面白いですと伝えたら(快楽に対する態度とか)、「両極端すぎるように見えて紙一重なところがありそうじゃない」と言われて、確かに己の中にジュリエットもヴェイユも存在するので、それはあながちそういう側面もあるかもと思っている。基本は私はジュリエット派なのですが笑

    重力と恩寵
    ・たましいの自然な動きはすべて、物質における重力の法則と類似の法則に支配されている。恩寵だけが、そこから除外される。
    ・ものごとは重力にあい応じて起こってくるものだと、いつも予期していなければならぬ。超自然的なものの介入がないかぎりは。
    ・ふたつの力が宇宙に君臨している、ー光と重力と。…
    ・重力には全然かかわりのない動きによって、下降すること…重力は下降させるもので、つばさは上昇させるものだ。つばさの力を二乗してみても、重力がなければ、下降させることができるだろうか。
    ・創造は、重力の下降運動、恩寵の上昇運動、それに二乗された恩寵の下降運動とからできあがっている。
    ・恩寵とは、下降運動の法則である。…
    最初の数ページ、最初に読んだ時は、?でいっぱいでした笑。

    対象なしに望むこと
    ・だれかを失うとする。その死んだ人、いなくなった人が、架空の実体のない存在になってしまったことがつらく悲しい。だが、その人を慕わしく思う気持ちは、架空のものではない。自分自身の内部へくだって行くこと。そこには、架空のものではない慕わしさの思いが宿っている。…死んだ人が現前するというのは、想像上のことにすぎないが、死んだ人の不在はまさに現実である。その人は、死んでからは、不在というかたちであらわれるのである。
    大森荘蔵も『流れとよどみ』で似たようなことを言っていたなあ

    脱創造
    <脱創造>はヴェイユの独自な造語であるが、創造とは無から有が呼び出されることであるとすれば、いったん存在をゆるされたものが、その存在を否定して、もとの無へと帰って行く動きをこのように名づけているとみてよい。人間の側からみるとき、創造とは、神から存在を奪いとることであったとすれば、創造された性質(被造性)をぬぎ捨てて、完全な無を指向することが<脱創造>ということになる
    ・死。過去も未来もない。瞬間的な状態。永遠に近づくためには欠かせないもの。

    必然と服従
    ・神との正しい関係とは、観想においては愛であり、行動においては、奴隷の境遇である。このことを混同しないこと。愛をもって観想しながら、奴隷として行動すること…

    幻想
    ・仮象にも、十分すぎるほどの実在性があるが、それはただ仮象としてだけである。仮象以外のものとしては、虚妄にすぎない。

    偶像礼拝
    ・偶像礼拝が生じるのは、絶対的な善を渇望しながらも、超自然的な注意力をもたず、それが育ってくるのをじっと忍耐づよく待てないというところからである。
    ・人間の思考は、情念や空想や疲労などに引きずられやすく、変化しやすいものである。ところが、実際の活動は、毎日、そして一日のうち何時間も同じようにつづけられて行かねばならない。だから、思考とはかかわりのない、つまり、さまざまな関連をはなれた、活動の動機というものが必要となってくる。これが、偶像である。

    愛 神への愛ではなく、肉体的な現世での恋として理解してましたが、好きでした笑
    ・芸術作品というのは、ただそれらが存在しているという事実だけで、わたしたちを力づけてくれるものだが、そういう芸術作品の与えてくれる慰めとはちがった慰めを、愛する人々に対して要求すること(あるいは、かれらに与えようと望むこと)は、卑劣なわざである。愛し、愛されるということは、互いにこうして存在しているという事実をさらに具体的なものとし、つねに心の目にありありと見えるようにしているということにほかならない。だが、心の目にありありと見えるといっても、それが思考の源泉となるためであって、思考の目標となってはならないのである。理解されたいとねがう気持にむりがないのは、それが自分のためでなく、他人のため、他人のために存在しようとするねがいに発しているからである。
    ・汚すのは、変化させることであり、触れることである。美しいものとは、変化させようと思うことのできないものである。なにかに対して力をふるうのは、汚すことである。所有するのは、汚すことである。純粋に愛することは、へだたりへの同意である。自分と、愛するものとのあいだにあるへだたりを何より尊重することである。
    へだたりへの同意、本当にそうだと思うので。使っていきたいし戒めていきたい。
    ・…すべて快楽への欲望は、未来に属し、幻想の世界に属している。ひとりの人が存在するようにと望みさえすれば、その人が存在するのだとすれば、このほか、これ以上に何を望むことがあろうか。そのとき愛するその人は、想像の未来におおい包まれていず、裸のままで、現実に存在する。…この意味では、未来を範として考えだされたいつわりの不死性に向けられていなければ、死者にささげられる愛は、完全に純粋である。なぜなら、それは、もはやこれ以上新しいものは何ひとつもたらすことのできない、終了した生をねがい求めることだからである。この死者がかつて存在したことがあればと、わたしたちはねがう。そうすると、その死者は存在したことになる。

    偶然 一番共鳴した章
    ・わたしが愛する存在は、造られたものたちである。かれらは、偶然から生まれた。わたしとかれらとの出会いもまた、偶然である。かれらはいつか死ぬであろう。かれらが考え、感じ、行うことは、限界づけられていて、善と悪とが入りまじっている。このことを、たましいのすべてを尽くして、知った上で、なおかつ、かれらを愛すること。限りあるものを、限りあるものとして、限りなく愛する神にならうこと。
    ・わたしたちは、どなものでもなにかの価値をもつものが、永遠であればよいのにと思う。
    ・きらめく星と花ざかりの果樹。どこまでも永久に続いてかわらぬものとこの上なく脆くはかないものとは、ともに永遠の印象をもたらす。
    ・貴重なものが傷つきやすいのは、ほんとうにいいことなのだ。傷つきやすいということこそ、生存していることのしるしなのだから。
    ・トロイアの滅亡。花ざかりの果樹から花びらが落ちること。もっとも貴重なものは、生存の中に根を張っていないということを知ること。このことは、ほんとうおにいいことなのだ。どうしてか。たましいを時間の外へと投げだすこと。

    注意と意志
    ・孤独。孤独の価値は、いったいどういうところにあるのか。単なる物質(空、星、月、花の咲いた木などにしても、みんなそうだ)、人間の精神よりは(おそらくは)価値の低いものばかりを前にたたずんでいるにすぎないというのに。その価値は、注意力をはたらかせる可能性が、いっそう多いという点にある。ひとりの人間を前にしても、これと同じ程度に、注意力をはたらかせることができたらよいのだが…

    知性と恩寵
    ・求めるべき対象は、超自然的なものではなく、この世でなくてはなならない。超自然的なものは光である。それを一回の対象にするのは、それを低めることになる。
    ・世界は、いくつもの意味を含んだひとつの文章である。人は、苦労をしながら、意味をひとつひとつつかまえて行くのだ。…

    宇宙の意味
    ・宇宙全体とわたしのからだとの関係が、盲人の杖とその杖をもつ手との関係とを同じようなさまになってほしい。…自分と世界との関係を変えて行くこと。ちょうど、修業によって職人が自分と道具との関係を変えて行くように。怪我をすること、それは、職業がからだにくいこむということなのだ。苦しみのたびごとに、宇宙がからだの中にくいこんでくるように。
    習慣、熟練、意識が今持つからだとちがう対象の中に移って行くこと。その対象が、宇宙であるように。季節、太陽、星などであるように。…

    美
    ・美しいものには、相反するもののさまざまな一致が含まれているのだが、とくに瞬間的なものと永遠なものとの一致が秘められている。
    ・美しいものは、官能に訴えかけるもので、そこには人を遠くへおしやり、あきらめさせるような力が含まれている。心のもっとも奥深くでのあきらめ、想像力すらも捨てさせてしまうようなものが、その中にはある。これがほかの欲望の対象なら、どんなものでも食べてしまいたいと思う。美しいものは、欲望の対象とはなるが、食べようとは思わない。わたしたちは、それがそのままそうあってほしいと望むのだ。

    ヴェイユがここまで神を信じること、特にキリスト、に関してはやはり不思議というか全然納得できないのだけれど、言いたいことはまあわかる、という感じである。
    こんなにも自分を無へとストイックに追い込んでいくことは私には到底できないし、その発想もなかった。面白い1冊であった。またいつかで会うだろうか。
    そして彼女もギーターを何回か引用しているのが面白かった。

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    2024年05月09日
  • 重力と恩寵

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    断章集だったのもあって読み終わるのに4ヶ月くらいかかった

    自分も、自分の思想も、消えて見えなくなって欲しいと願ったところに彼女らしさを感じる
    何かと比較した時の善は社会的な利益しか得ないってところは共感だけど、逆にそうじゃない善なんて僕は出来ない

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    2024年03月03日
  • 工場日記

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    労働環境の劣悪さ。隷属状態。当時の工場労働者の悲哀がリアルに伝わってくる。苛烈な抑圧による思考停止。それは現代社会にも置き換えられるものだ。

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    2025年02月16日
  • 工場日記

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    ヴェイユが過酷な工場労働をし、最終的には1日当たりのネジの数ばかり記録している痛ましい記録。最後の方の手紙でぎりぎり体裁を保っている感じだ。

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    2022年10月10日
  • 工場日記

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    考えることが削られていく感覚の描写が、読んでいて辛い。
    こういう生々しい労働の現実を知らずに、あれこれ哲学したり、倫理的に考えたりすることは、虚しいことなのではないかと思う。

    医師や看護師が働く現代の病院にも当てはまるよね?と思った。

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    2022年01月02日
  • 重力と恩寵

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    凄まじい。彼女がノートに書き綴った箴言の数々を死後編纂して出版された本書は、どれも信仰への確信と悲痛なまでに苦しみを受け入れようとする決意に満ちている。その余りにも高尚なストイックさに最初は距離を感じたが、著者の人生を知って納得がいった。ユダヤ人の家系に生まれ哲学科の教師になるも、病弱で偏頭痛に悩まされる自己を顧みず農場や工場で働き出す。貧民の救済のために革命運動に身を投じ、世界大戦への抗議として行ったハンストで餓死するという生涯。逃れられない心身の痛み、そんな痛みと向き合う時に本書は最高の鎮静剤となる。

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    2013年03月08日
  • 重力と恩寵

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    ネタバレ

    重力が、愛と感じるか、それとも単なる重みでしかないと感じるかはその人によるだろう。ヴェイユは重力を逃れられない運命であると認識しているようだ。そして恩寵はその重力から開放されるものだという。
    重力を違う言葉で読み替えると関係ということになる。私達がいま生きて、重力を感じているのも、星同士の関係にあるだろう。ヴェイユは関係の働きかけが一方に傾くと違う方はおろそかになるという。
    そして、関係というのは主に思考のことなのだ。ヴェイユがのべたいのは思考と、それ以外のものの関係につきる。それ以外のものとは光のことだと。
    難解だがよみすすめてゆきたい。

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    2012年06月15日
  • 重力と恩寵

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    ネタバレ

     ヴェイユが思索の断片をつづった『カイエ』による箴言集。猛烈に毒があり、長く続けて読むのはつらいが、ときどき手に取りたくなる。強く励まされる言葉があるかと思えば、あまりの厳しい指摘に暗澹となることもある。

     「人に哀願するのは、自分だけの価値体系を他人の精神の中に力ずくででもはいりこませようとする絶望的なこころみである」
     「同じひとつの行いでも、動機が高いときよりも、動機が低いときの方が、ずっとやりやすい。低い動機には、高い動機よりも多くのエネルギーが含まれている。問題はここだ。低い動機に属しているエネルギーを、どうやって高い動機に移しかえるか」

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    2012年01月18日
  • 重力と恩寵

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    生きることはひとつの思想である。そして、死もまたひとつの思想である。神によりよく遣えるものは、必ず神の裏切りに逢う。なぜならば、神は人が神の力にすがって生きることを望んでいないから。そう信じて、無神論者こそがよりよく神の教えに遵う者だと言い切った、異端の人。貧困のものが自分の糧をたよって、その財を盗むならばそれは構わないと信じて、家のテーブルの上に財布を投げ置いたという、そんなエピソードを持つ。ヴェイユは生きることが思想であることを知っていた人なのだろう。そして、嘘か真かはさておき、民衆のために命を投げ打つ思想を生きて見せてキリストのならいを忘れずに、自分もまた神の手をまたずに、自らに鞭打ちながら他人の幸福を祈った数少ない学者である。祈ることは痛切である。そしてそれは届かない。それに耐えてこそはじめて信仰は得られるものなのだろう。世の中の大半の信徒はニセモノである。そして、私はニセモノにさえもならず、怠惰のなかに無神論者を生きている。

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    2009年10月04日
  • 重力と恩寵

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    -服従は、最高の徳である。必然を愛すること-

    フランスの女性思想家で、1943年34歳のとき、食物を拒否し、死去したシモーヌ・ヴェイユ。論理的で、鋭く、激しいまでに厳しい言葉の数々は魂を揺らします。世事にキュウキュウとして弱弱しくなっている自分に喝!

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    2009年10月07日
  • 工場日記

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    同じ頭痛持ちとして、頻出する頭痛の訴えがとにかく胸に迫り、痛ましかった。私には無理だ…。
    他者という人間を人間扱いする、こんなシンプルなことが実は非常に難しく、私たちは誰一人としてできていないことを日々痛感している。せいぜい、半径1mの手が届く人間のことしか本当に「人間」としては考えられない。コミュニティを形成して生きる人間のそうした致命的な欠陥に、机上の哲学ではなく全身全霊の愛をもってぶつかり、当事者意識という言葉を超えた実践を行った人だ。

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    2023年04月17日
  • 重力と恩寵

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    エックハルトに続いて再読。文庫派なので、カイエは買わない。認識のレベルでなく、現実の苛烈な生活の中で魂の真空化=自己の蒸発を実践して行く様は壮観だけど、コワイよこの姉さん。高野悦子の「二十歳の原点」思い出してしまった僕はダメ男ですか。そうですか。ふと想像したんだけど、この徹底的に下降してゆくことで一発逆転して天上へ離脱していこうとする女性の、日々の生活のメモ群が、現在の日本のweb日記文化の中で展開していたらどうなったろう?故・南條あやのメールサイト(町田あかね時代の方ね)を超えるサイトになったんではなかろうか。おっと、妄想が過ぎたね。

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    2009年10月04日