ウルトラマンというか所謂「特撮」で有名な円谷プロ。
その6代目社長による回顧録。
特撮の中でも、ウルトラマンに関する著作は非常に多いと思う。長年のファンだけではなく、特撮そのものに関するものや脚本、監督など分析や回顧など執筆者の立場だけでなく内容も多岐に亙る。
そのような中で、円谷一族に生まれ、様々な場面を見て、実際に経営に携わった人の記録はそれなりに価値のあるものだと思う。
ウルトラマン自体にあまり関心はないけれど、特撮モノを扱う会社の現状に関心があったため、手に取ってみた。
本書の構成は以下の通り。
第一章 円谷プロの「不幸」
第二章 テレビから「消えた」理由
第三章 厚かった「海外進出」の壁
第四章 円谷プロ「最大の失敗」
第五章 難敵は「玩具優先主義」
第六章 円谷商法「破綻の恐怖」
第七章 ウルトラマンが泣いている
特撮の分野で成功を手にした円谷プロ。栄光が続くと思われたところからの経営危機。本書によれば、幾度となく経営の危機にあったが、歴代社長によってなんとかやりくりしてきたことが記されている。
しかし、本書の序盤から「特撮」というコンテンツが内包する大きな問題点が記されている。
それは「製作費が高い」ということ。これが最後まで尾を引いている。
ビジネスではなく、芸術作品という考えを重視した円谷英二。本人の才能は高かったが、結局、人を育てるのは難しかったのかもしれない。円谷プロは人の出入りが激しかったと記されている。円谷から巣立った人々は基本的に自分たちで勝手に学んでいったという感じだったのではないだろうか。
お金も時間も限られたテレビ作品では、映画作りのようにいくわけがない。
「30分番組なのに粗編集段階で1時間以上もあった」(33頁)というのは、コンテをきらず、頭の中だけで物語を考えていたのではないかと勘繰ってしまう。カメラも特技も脚本も、それぞれに才能ある人がいたはずなのに、それをうまくまとめられる人が育たなかったのだろうか。だからこそ、特撮技術のみをもって「ウルトラマンをつくった」気になってしまったのか。「創造した」というのなら、それは特撮というコンテンツの中で、一つの作品として創造したということで、確かにその通りだと思うけれど、テレビを媒介として多くの人々に認知させ、育てていったのはやはり放送権を持つテレビ局ということになると思う。
また、金さえあれば、また時間さえあれば良いものが創れるとは限らないだろう。映画『マッドマックス』や『ロッキー』などは低予算にもかかわらず、興行的には大成功だったという例もある。
テレビ枠の特撮というと、現在でも「仮面ライダー」と「戦隊ヒーロー」が続いている。特に「戦隊ヒーロー」は1975年の「秘密戦隊ゴレンジャー」以降、一度も区切られることなく現在も続いている。視聴率等から言えば、常に安泰な番組ではなかった。その証拠に放映曜日や放送時間は幾度となく変わっている。それでもテレビ朝日や東映、さらにはその下請け会社の努力で、今でも続く番組を製作し続けている。
本書のみを読んだ上で言えば、東宝から独立したのは失敗であったろうし、TBSともめたことも結果として自分の首を絞めたといえよう。
ただ、「ウルトラマン」から「帰ってきたウルトラマン」くらいまでの作品は、ライダーや戦隊モノにはない視点(必ずしも勧善懲悪ではない等)で描かれており、同じようなテーマで長年続けるのは難しかったのかもしれない。まして映画ほどの製作費をテレビ番組で使用できないとなれば、テレビではなく、「ゴジラ」や「ガメラ」のように映画に回帰してもよかったようにも思う。
大いなるマンネリとして「水戸黄門」を出されていたが、あの番組は基本構造が「勧善懲悪」だったからこそ続いたといえよう。上述したように、ウルトラシリーズは必ずしも勧善懲悪でないところに特徴があるのだから、大いなるマンネリでよかったといっても、それは難しかったと思う。
平成に入ってからのウルトラマンシリーズが興行的(というか視聴率的)に大失敗であったことは、本書で初めて知った。様々な理由が考えられるのだろうが、一特撮ファンとしては残念な話である。
そういや、「ウルトラマンゼアス」については全くふれられていなかったな…。